著者
長井 和雄
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.1959, no.1, pp.91-92, 1959-06-10 (Released:2009-09-04)

シュプランガー教授の最近著『生れながらの教育者』 (Der geborene Erzieher.1958. Heidelberg. 111 Seiten) は、一九五六年初頭にヴァインガルテンの教育学研究所の修了式において、これから教職に就こうとする若い人々に対して行った講演である。
著者
新井 保幸
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
no.46, pp.p1-16, 1982
著者
片山 清一
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.1967, no.16, pp.69-80, 1967

Educational history, in contrast to general history, is studied as a special history; but in the sense that it presents the history of education which as such has cultivated the human mind which in turn forms general history, it possesses also a universal scope clarifying the very foundations of general history. In that connection Christopher Dawson's view on education in his <I>The Crisis of Western Education</I>, is very revealing. Culture and education are inseparable, education, in fact, is &ldquo;enculturation&rdquo;. Hence, the extinction of educational tradition leads to the death of culture. When research in educational history is conducted taking education in this broad meaning, the distinction between factual history of education and the history of educational ideas becomes meaningless.<BR>But education in its development is constantly subject to actual conditions. According to James Mulhern, economic, religious, social and political factors in a real world exercise their influence on education. But these factors are outside of education and do not belong to its essence. Education being subject to these actual conditions, also has the power to transcend them and even to govern them. The reason is that the indispensable function of education is to pursue an ideal to be realised in the future. Education is a human activity carried on in the present world in order to make the heritage of the past useful for a time to come. It is exactly through education that man becomes truly man.<BR>But in the study of educational history, the educational ideal conceived at one particular period in the past is frequently overlooked. Or rather, the grasp of that ideal in terms of the material available is difficult. In the study of educational history the examination of various actual conditions which have a bearing on education is indispensable, but it is necessary to clarify how these conditions were dealt with by presenting ideals making for educational development.<BR>Only when carried out in this fashion will the study of educational history become a source of strength for the education of tomorrow.
著者
村田 昇
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.1970, no.21, pp.60-66, 1970

今まで学んできたドイツ教育理論を、一度、その理論を生み出した基盤の上に立って見なおしてみたい、特にその際、それを理論と実践との関連において把えてみたい、そのためには、単に伝統に生きているところよりも、むしろ伝統をうちにはらみながら近代化のなかに揺れ動いているところの方がいいのではないか。これが、私が留学の地にハンブルグを選んだ一つの理由でした。この点ハンブルグは、自由ハンザ同盟以来の古い歴史的伝統と、アルスター湖およびエルベ河に象徴される自然の美とを誇り、それらを保護し、生かしながら、そのなかに若々しく活動する近代商業都市として形成されており、私の念願にかなっていたことになります。そこで、大学に出席するかたわら、できるだけ多くこの地の教育の現実に膚でふれてみたいと、つとめて各種の学校や教育施設を視察しています。<BR>しかし、ハンブルグを選んだより大きな理由は、この大学に、かのSpranger, Litt, Nohlなきあとの西独教育学界の重鎮Wilhelm Flitner (1889.8.20生) 教授と、Spranger高弟であるHans Wenke (1903.4.22生) がおられることでした。しかしここに来てみると私の期待は裏切られ、Flitner教授は老令のためにすでに退官、チュービンゲンの息子さん (Andreas Flitner) のところにいってられるのか、ここしばらく音信不通で、とても面会はできないだろうとのことです。Wenke教授に関しては、この大学でも前ゼメスターには相当にはげしい学生の動きがあり、先ずねらわれたのがWenke教授。なんでも戦時中にヒットラー体制に迎合する行動があったことを、急進学生によって糾弾され、それにいやけがさしたのか、本ゼメスターから退官された様子。今は、Spranger全集の編集と大学に付設されたハンス・ブレドウ放送研究所の所長として多忙のようで、出張がちで、彼を助けてSpranger全集の第五巻Kulturphilosophie und Kulturethikの編集にたずさわったKlaus Schleicher助手が、なんとかして私に会わせる機会を作ろうと努力し、また、Wenke教授からも日本のSprnger研究の動向などを知りたいから是非にという返事を受けてはいても、いまだにその機会に恵まれません。さらにKleine p&auml;dagogishe TextやZeitschrift f&uuml;t P&auml;dagikの編集者として知られていたGeorg Geissler (1902.11.22生) 教授もすでに退官。Doktorande-kolloquiumだけはすることになっていますが、殆んど大学には顔を見せず、面会も難しいようです。そのようなことで、ここに来た当初は、いささか失望したことは否定できません。<BR>しかしその後、あとで述べるHansmann, Scheuerl両教授と、ベルリン大学でSpranger教えを受け、現在、演習でその著作を読むLotte Lipp-holscher講師、前述のSchleicher助手、それにSpanger初期の思想を学位論文としてまとめつつあるMichael Loffelholz助手らとの出会いによって、この大学に学べることに喜んでおります。<BR>こちらに来ましてから、まだ四ヵ月。知りえたことはごく僅かでしかありませんが、この大学の教育学科の特色や学風について、いくらかなりとも御紹介したいと思います。
著者
藤井 千春
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2001, no.84, pp.131-136, 2001

この著は、著者・田端健人氏が、一九九八年九月に、東京大学大学院教育学研究科に提出した学位請求論文「ハイデッガーの詩作的思索による詩の授業の解明」を補筆・修正したものである、本著では、田端氏の研究テーマ、すなわち、詩や文学作品を教材とした国語の授業において、子どもは語句の意味調べや要約や印象的な鑑賞の次元を超えて、どのようにして作品と出会うのか、作品の世界を「共感的」に生きるとはどのようなことかという問題について、教育実践に基づき、個々の授業での子どもや教師の言葉や活動に即して具体的に究明することがめざされている。