著者
西岡 祖秀
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.491-484, 2011-12-20
著者
藤 能成
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.754-760, 2012-03-20
著者
王 玉華
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.134-137, 2007-12-20

浄土思想における「念仏」と「戒」の関係については、議論されるところであるが、実践的具体的な見方では「念仏即ち戒」という、伝統的な戒律観が従来から問題となっている。この問題に関して善導(六一三-六八一)に注目したい。善導は龍樹の「易行道」思想から曇鸞、道綽に至る思想を継承しつつ、主著である『観経疏』の中で九品往生について議論する。その中で、念仏について世福、戒福、行福という三福を修行することの重要性を説くが、三福の中で戒律に関する部分として「三衣説」を取り上げている。具体的には、善導は持戒の中でも、三衣と布施のどちらを重視すべきかという問題を提起している。『観経疏』では『大智度論』(以下『大論』と略す)からの引用が少なからず見受けられるが、『大論』に典拠があると明示されていない。よってこの論文では、まず、『大論』における「三衣説」の思想は「大乗戒観」の影響下にあると論じている西本龍山氏の論文をふまえて、『大論』における「三衣説」がどのように説かれているかを考察したい。その上で善導の「三衣説」が『大論』に基づきつつ、どのような意義をもって説かれているのか考察したい。
著者
田村 昌己
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.1236-1240, 2009-03

中観派の学匠バーヴィヴェーカ(ca.490-570)は,世俗における諸法の有自性性を認める一方,勝義においてその有自性性が否定されることを論証している.その論証の一例として,「【主張】色は勝義において眼根の把握対象ではない.【証因】八事が集合したものだから.【喩例】声のように」(『中観心論』第3章第40偈)という論証がある.この論証は「およそ八事が集合したものは勝義において眼根の把握対象ではない」という遍充関係を前提とする.確かに色と声は共に八事の集合したものであるが,「声は眼根の把握対象ではなく,色は眼根の把握対象である」ということが経験的に知られている.本稿は,いかなる論理を通じて声という喩例からこの遍充関係が導かれるのかを明らかにした.『思択炎』によれば,その論理とは「ある二者が共通の性質を有するならば,その二者は互いに区別され得ない」という論理である.色と声は八事の集合である点で等しいが故に,声が眼根の把握対象でないならば,色も眼根の把握対象ではないことになる.チャンドラキールティによれば,上記論証式に則して言うならば,色の属性<八事の集合性>と声の属性<八事の集合性>は区別できないこと,属性保持者である色・声とその<八事の集合性>という属性は存在のレベルで不異であることがこの論理のポイントである.色と声は区別されない<八事の集合性>と不異であるため互いに異ならないと見なされる.この論理は,有自性論を否定する帰謬法の論理として,古くは『方便心論』に見られ,ナーガールジュナやアーリアデーヴァ,チャンドラキールティ等の中観派の学匠たちによって用いられている.よって,バーヴィヴェーカは,彼の無自性性論証において,このような中観派に伝統的な帰謬法の論理を用いていることになる.ただし彼は世俗における諸法の有自性性を認める.その同じ彼がこの論理を用いるならば,「色は世俗において眼根の把握対象ではない」という不合理な帰結が彼自身に生じてしまう.この問題を回避するために,彼は論証に二諦説を導入し,「勝義において」(paramarthatas)という限定句を用いたのである.
著者
Akahane Ritsu
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度学仏教学研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.1121-1125, 2008-03

ジュニャーナガルバ(Jnanagarbha)は『二諦分別論』(Satyadvayavibhanga-vrtti)において二諦説を説くが,その中で,自らの二諦説の教証として『聖無尽意経』(Arya-Aksayamatinirdesasutra)の二諦説に言及した一節を引用し,さらにその内容に注釈を行っている.本稿では,この注釈部分の大半がジュニャーナガルバ自身の独自の理解ではなく,『聖無尽意経注』(Arya-Aksayamatinirdesasutra-tika)の注釈内容に依拠していることを示した.その一方で,その『聖無尽意経注』に依拠していない注釈部分に関しては,チャンドラキールティ(Candrakirti)を意識して書かれており,そこにジュニャーナガルバ自身の独自の思想が示されている可能性に言及した.具体的には,『空七十論注』(Sunyatasaptati-vrtti)においてチャンドラキールティが同経典を引用し,それに対してなされた注釈内容を訂正している可能性が存在するということである.つまり,「世間の慣習」(lokavyavahara)に関して,チャンドラキールティが「認識活動」と「言語表現」の両者をその特徴として理解しているのに対し,ジュニャーナガルバはそれを基本的には「認識活動」と理解し,少なくとも表現する主体である「言葉に関する特徴」を排除しているという点を明らかにした.
著者
西野 翠
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.394-389, 2008-12-20
著者
西村 直子
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.1155-1159, 2009-03-25

SomaはRgveda以来,月と同一視されてきた.Satapatha-Brahmanaにおいて,月の満ち欠けは神々の食物たるSomaが天界と地上との間を循環しているという理論と関連づけられる.このSoma循環理論は,「samnayyaを献供する場合の新月祭のupavasathaをいつ行うべきか」という議論の中で整備されてゆく.月が欠けて見えなくなるという現象をSomaが朔の夜に地上の草や水に宿っていると解釈し,そのSomaを牛達に集めさせて牛乳製品として献供することによりSomaは再び天界に送られ,新月として現れる.この解釈に基づき,SB,I6,4((1))では朔の夜が明けた日中にupavasathaを行って牛達にSomaを回収させるという新しい方法を提唱する.しかし,この方法は貫徹しなかったものと思われる.この問題を扱う(1)とXI 1,4((2))及びXI 1,5((3))の3ヵ所に亘って議論を検討すると,最終的には(1)の主張を覆し,従来と同じ日程で,即ち朔の夜に先立つ日中にupavasathaを行っていたことが明らかになる.その際,Somaが地上に降りてくる時期を,(1)では「朔の夜」としていたのに対し,(3)では「月が欠けてゆく半月間」に改作している.SB第I巻と第XI巻とを比較すると,後者は前者よりも新しい内容を含んでいると考えられる.更に,(2)に対応するKanva派の伝承はSBKの第III巻に収録されて(1)の平行箇所(SBK II6,2)と時代的に近接していたことを窺わせる.一方,(3)は曲SBK XIII1,2と対応し,(1)及び(2)より後に編集された部分であることがわかる.つまり,Soma循環理論は(1)→(2)→(3)の3段階を経て整備されていったことが推定されるのである.