著者
高橋 晃一
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.1229-1235, 2009-03-25

近年,瑜伽行派とアビダルマの思想的関係について,様々な角度から論じられているが,『瑜伽師地論』の中でも古層とされる『菩薩地』『声聞地』「摂事分」とアビダルマの関係に言及することは少ないように思われる.本論文は,アビダルマの人無我説と深く関わっているManusyakasutraに着目し,『瑜伽論』の古層におけるアビダルマからの思想的影響の一端を示すことを目的としている.Manusyakasutraは『雑阿含』第306経に相当する経典であり,『倶舎論』「破我品」では人無我説の教証として引用されている.ところで,その描写と非常によく似た表現が『菩薩地』第17章「菩提分品」にも見られ,『菩薩地』の注釈者サーガラメーガはその記述がManusyakasutraに基づくものであることを指摘している.さらに「摂事分」にこの経典への言及が見られるほか,『声聞地』にもこの経典の一節と一致する表現が見られる.こうしたことから,『瑜伽論』の古層において,アビダルマと重要な伝承を共有していたことが分かる.これは単に両者が共通の典籍を保持していたことを示すだけではない.この経典は,「衆生」などの表現は諸蘊に対して付与された単なる名称に過ぎないと説いており,『倶舎論』に説かれるアビダルマの人無我説を端的に表している.一方,『菩薩地』で説かれる法無我説は,アビダルマの人無我説と一見して類似しており,色などの諸蘊が存在する場合に,「人」などの表現が可能となるように,vastuが存在する場合に,「色」などの諸法が表現可能となるとしている.『菩薩地』や「摂事分」では,人無我説とは直接的には関係ない文脈でManusyakasutraに言及しているが,この経典がすでに『瑜伽論』の古層を形成する部分で引用されているという事実は,早い段階から瑜伽行派がアビダルマの思想的影響を受けていたことを裏付けるものと考えられる.
著者
小谷 幸雄
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.1176-1182, 2007-03-25

本學曾・2002年度(於・ソウル)で發表者は,"The Symbolism of Hokke-Proper:Morphological Studies on Saddharma Pundarika Sutra by a Private Scholar"と題して民間學者・富永半次郎の,『蓮華展方--原述作者の法華經』(梵和對譯,大野達之助・千谷七郎・風間敏夫他編1952)で完成を見た「根本法華」Hokke-Properの成立事情,その源流,即ちCh.ウパニシャッド・ラーマーヤナ・數論哲學・僧伽分裂史・阿育王碑文と,一貫したドラマとしての文脈を紹介略説した.それは西紀前一世紀頃の無名の一比丘の作と目され,現行廿八品中,序・方便・見寳塔・(勸持)・涌出・壽量・囑累の諸品(それらも全部は採用されず)を除いて他は後世の添加挿入として削除され,その發想源にゲーテ流の形態學が適用される.今回は,この發表に先立つ二ヶ月前に為した口頭發表(國際法華經學會,於マールブルク大2002年5月)の原稿に加筆,訂正したものである.霊鷲山の説法の座で無量義處三昧から釋迦は立ち,佛智の深甚無量,方便を説くと舎利弗がその所以を三請する.「佛陀とは何か」の疑問が一會から起きるや,突如一會の眞中から高さ〈五〉百由旬の塔が涌出,「正法巻舒」(←阿育王法勅)+〈白蓮華〉(←ウパニシャッド)の合成語が善哉と讚へられるシャブダ(權威ある言)として發せられる.その中を見たいとの恵光菩薩の懇願で,十方分身が還集一處する.釋迦が中空に上り,右手もて二片(對立概念)を撤去して入塔,涅槃佛(多寳如來)と半座を分つ.佛威徳を以て一會が中空に上げられると,釋迦が自分の涅槃後に「誰が正法を付囑し得るか」との問に一會の代表と他方來の菩薩が名乘をあげる.「止善男子」の一喝と共に,地皆震裂,大地から六萬ボディサットヴァ(=〈覺〉の本質,六萬←六十タントラの千倍,サーンキヤ哲學とサガラ王神話の六萬王子の換骨奪胎)が涌出,透明のアーカーシャに包まれ一會は〈五〉十中劫一少時,黙念.壽量品の〈五〉百塵鮎劫と共に〈五〉は五蘊--その軸が〈行〉蘊--の象徴.rddhyabhisamskara(サンスカーラの完成)が鍵語.因みに副題の〈生中心〉とは〈ロゴス中心〉(意識・概念偏重)の反對で,有機的全一の在り方を表すL.クラーゲスの用語.(富永師は,天台學會の招聘により奇しくも本・大正大學の講堂(昭和12年10月14日)で「私の観たる法華經」を講演された.『一』誌・特輯 第七號 法華精要富永先生の會 昭和13年2月20日)
著者
川村 悠人
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.1148-1152, 2012-03-25

雨季の風情,とりわけ雨季における別離の心情の描写は古典サンスクリット文学において好題であり,カーリダーサ(Kalidasa,4世紀から5世紀)の代表作Meghaduta(『雲の使者』)もそれらを主題とした作品である.Meghadutaは,妻との別離に苦しむ主人公ヤクシャが雨季の到来を告げる雨雲を見て妻への想いを掻き立てられ,その雲に音信を依頼する,という構造を基本とする.Meghaduta前半部において,妻がいる都アラカーまでの旅路を雲に語る中で,ヤクシャは雲が旅路で出会うであろう河の種々の特徴を女性のそれに度々比喩している(Meghaduta 24, 28-29, 40-41).つまりこのことは,ヤクシャが頻繁に河を女性に見立てていることを意味し,必然的に,その河と関係を持つ雲を男性に見立てていることを意味する.ヤクシャは,Meghaduta前半部において雲と河を男女に見立て,雲と河の愛を語っているのである.このような事柄をヤクシャが雲に語ることについて,木村[1965]は,河という女性との旅路の恋を楽しむことをヤクシャが雲に勧めていると解釈する.しかし,Meghadutaの主題を考慮する時,木村氏の解釈は作者カーリダーサの真意を汲み取っているとは言えない.ヤクシャは雲と河に自分と妻を重ね合わせ,雲と河の愛を語ることで妻への情欲や切望を吐露している.言い換えれば,カーリダーサは雲と河の愛を描くことによって,別離に苦しむヤクシャの心情を巧みに表現しているのである.本稿では,河を妻に見立てることで別離する夫の心情を描くというカーリダーサの手法を明らかにする.
著者
貫名 譲
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.180-186, 2011-12-20
著者
MORO Shigeki
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.1126-1132, 2015-03

雲英晃耀(きら・こうよう,1831-1910)は,幕末から明治時代にかけて活躍した浄土真宗大谷派の僧侶で,キリスト教を批判した『護法総論』(1869)の著者として,また因明の研究者・教育者として知られる.特にその因明学については,『因明入正理論疏方隅録』のような註釈書だけでなく,『因明初歩』『因明大意』などの入門書が知られているが,その内容についてはこれまでほとんど研究されてこなかった.雲英晃耀の因明学については,いくつかの特徴が見られる.一つは実践的,応用的な面である.雲英は国会開設の詔(1881)以来,因明の入門書等を多数出版しているが,そのなかで共和制(反天皇制)批判などの例をあげながら因明を解説している.また,議会や裁判所などで因明が活用できるという信念から因明学協会を設立し,政治家や法曹関係者への普及活動を積極的に行った.もう一つは,西洋の論理学(当時はJ. S. ミルの『論理学体系』)をふまえた因明の再解釈である.雲英は,演繹法・帰納法と因明とを比較しながら,西洋論理学には悟他がないこと,演繹法・帰納法は因明の一部にすぎないことなどを論じ,西洋論理学に比して因明がいかに勝れているかを繰り返し主張していた.そして,三段論法に合わせる形で三支作法の順序を変えるなどの提案(新々因明)を行った.この提案は西洋論理学の研究者である大西祝や,弟子の村上専精から批判されることになる.雲英による因明の普及は失敗したものの,因明を仏教から独立させようとした点,演繹法・帰納法との比較など,後の因明学・仏教論理学研究に大きな影響を与える部分もあったと考えられる.
著者
中島 志郎
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.728-735, 2015-03
著者
長谷川 浩文
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.111-114, 2013-12-20
著者
近藤 隼人
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.815-811, 2013-03-20
著者
川村 悠人
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1081-1086, 2014-03-25

バッティが著した『バッティカーヴィア』(Bhk)は,ラーマ物語を描写すると同時にパーニニの文法規則を例証し,それによってパーニニ文法学を教示することを企図した作品である.川村[2013]で示したように,バッティが各文法規則に対して展開されるパタンジャリの議論を熟知していたことは疑いようがないが,彼は各規則を例証する際に必ずしもパタンジャリの解釈に従うわけではない.バッティはA2.3.17 manyakarmany anadare vibhasapranisuを例証するために,BhK 8.99においてtrnaya matva tah(「彼女達を藁だと考えて」)という表現を使用しており,このことは,彼がパタンジャリのA 2.3.17解釈に従っていないことを示している.パタンジャリによれば,A2.3.17中のanadaraという語は「単なる侮蔑」ではなく「激しい侮蔑」を意味するものとして解釈されるべきである.そして激しい侮蔑は,肯定文ではなく否定文,例えばna tva trnaya manye(「私はお前を藁だとも思わない」)のような文のみから理解される.「激しい侮蔑」を理解させる否定文のみがA 2.3.17の適用領域である.A 2.3.17中のanadaraという語は「単なる侮蔑」と「激しい侮蔑」のどちらも意味し得るから,その限りにおいてはバッティの表現も確かに成立し得る.しかし,パタンジャリの解釈に従っていないバッティの表現をバッティ以後のパーニニ文法家達がA 2.3.17の例として受け入れることはない.何故バッティはそのような表現を使用したのであろうか.この問題に対する手がかりを,我々は彼と同時代かかなり近い時代に活躍したと考えられるマーガとダンディンの作品中に見出すことができる.興味深いことに彼らもバッティと同種の表現を使用しているのである.パタンジャリが当時のモデルスピーカー達の実際の言語運用を観察して否定文のみをA 2.3.17の適用例として認めたのと同様,バッティも彼の時代の詩人達の言語慣習を考慮に入れて肯定文をA 2.3.17の適用例として提示したと考えられる.
著者
吉水 清孝
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1124-1132, 2014-03-25

Mimamsasutra 2.1.14への註釈においてシャバラは,Jyotistoma祭でYajurveda(YV)祭官がソーマ液を捧げる神格が,その前にstotra (Samaveda (SV)の詠唱)とsastra(Rgveda (RV)の朗誦)で称えられる神格と異なる場合があると言い,stotra歌詞の実例としてRV 7.32.22冒頭を引用する.これは朝昼夕のソーマ祭のうち昼の第2回セッションに関し,YV文献がいずれも神格としてMahendraを指定しているのに,その際のstotraとsastraで用いるRV詩節ではIndraが「偉大な」(mahat)の形容なしに呼格で称えられていることに基づいている.シャバラは,MahendraがIndraとは別の神格であることを証明するために,Mahendraに捧げるソーマ一掬を表すmahendraは形容詞mahatと神格名indraと接辞aNより成ると分析できない,そう分析すると一語としての統一がとれなくなるから,と論ずる.しかしクマーリラは,もしそうであるならagnisomiyaもAgniとSomaを神格とする祭式と見なせないことになるし,パタンジャリも複合語の主要支分は外部の語を期待しつつ従属支分と複合すると認めていることを挙げて,シャバラの証明は成り立たないと批判する.そして,語の内部構造分析に終始する文法学の方法に代えて,ミーマーンサー独自の,語が文脈において果たす役割の分析を提起する.まず文は既知主題の提示部(uddesa)と,その主題に関する未知情報の陳述部(upadeya/vidheya)とに分析できるとした上で,仮に当該のYV規定文において,予め祭式に組み込まれていたIndraが主題であったなら,この規定文は既知のIndraに対し何を為すべきかという問いに,ソーマを献供すべしと答えることになる.この場合にはIndraが形容されていても,その形容は意図されたものではない.しかし実際にはこの規定文はsukra杯に汲んだソーマを主題として,それをどの神格に捧げるべきかという問いに答えており,mahatによる形容は,ここで規定されるべき神格の同定に必要不可欠であるから意図されたもの(vivaksita)である.従ってmahendraにおいて「偉大性」はIndraから切り離せないから,Mahendraは形容なしのIndraとは別神格であると結論を導く.クマーリラはこの論証において,日常の命令文においても,同じ語であっても文脈の中で意図されている場合と意図されていない場合があるという語用論的考察を行っている.
著者
友成 有紀
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1133-1138, 2014-03-25

Mimamsasutra 1.3.27は同作品中で「文法学の論題」と通称されるセクションに位置し,この論題では主に(1)言葉には「正・不正」(sadhu/asadhu)の区別が存在するか,(2)存在するとしたらそれは何に由来するものか,(3)その区別は何に基いて知られるか,(4)正しい言葉だけでなく不正な言葉からも意味が理解されるのはなぜか,という四つの問題を扱う."abhiyukta"とはこの内(3)の問題で,ある言葉が正・不正のいずれであるのかを知る上での根拠とされる人々を指示ないし限定する語として現れる.後代の注釈や,現代の研究ではこれを「文法学者」を指すものとして解釈するのが主流であるが,シャバラの注釈を鑑みる限りでは,必ずしもその意味でのみ理解すべきではないように思われる用例がある."abhiyukta"という語と"sista"という語の関係もなお考察されねばならない.
著者
斉藤 茜
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1139-1143, 2014-03-25

中世インドの言語哲学の発展は,文法学派が立てたスポータ理論をひとつの頂点とする.彼ら文法学派は,ことばを構成する最小のユニットとしてスポータ(sphota)を提唱した.その開顕に関して,我々はBhartrhari(5世紀)の著作Vakyapadiyaに最初の具体的な議論を見ることができる.Mandanamisra(8世紀初頭)はBhartrhariの思想を継承し,自身の著作Sphotasiddhi(SS)において,スポータ理論を完成させた.さて,SS最後1/4の部分で,対論者が音素論者(ミーマーンサー学派)から,音素無常論者(仏教)へ交代し,対論としてDharmakirti著作Pramanavarttika及びその自注(Svavrtti)(PVS)が,度々引用されるようになる(1章 Apauruseyacinta『非人為性の考察』).Mandanaが引用する対論の主張(pp.210-234)はPVS当該箇所の要約といってよい.本論文では,対論の内容をDharmakirti, Mandana,両者の視点から整理し,互いに異なる思想の中で,それぞれの特徴及び対立点を明らかにすることを試みる.仏教側の議論は,主として語を発信する側と受信する側の「意識」の問題に重きが置かれるが,話し手の側の意識の因果関係と,聞き手の側の意識の因果関係はPVSにおいて分けて記述されるため,両者の接続が妥当かどうかが議論の焦点となる.一方Mandanaの論駁においては「話者の同一性」の検証が重視され,これに関連して,普遍を有さない完全に個別的な音素が,どうやって話し手と聞き手の間で共有されるのか,という問いが対論に対して投げられる.