著者
Shakya Sudan
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.1176-1180, 2006-03-25

Manjusrikirti著Aryamanjusrinamasamgititika (Tohoku2534=Tika)はNamasamgiti (NS)を瑜伽タントラの立場から解説した最大の註釈書である.NSの第78偈に「法螺貝(dharmasankha)」という語がある.Manjusrikirtiはその語を説明するために,「法螺貝の三摩地(Tika, 213a^4-214a^1=Dh-samadhi)」という「観法」を紹介している.それは以下の八項目に分けられる.[1]水輪の観想;Mam字所変の文殊を観想及び我慢[2] Kham字所変の螺貝の観想[3]マンダラを描く方法[4]供養[5]無量光仏としての我慢[6]収斂[7]拡散[8]観法の功徳 以上を検討した結果,以下の二点に纏められる.(1)螺貝と音声を発生する器官である喉との類似性から,Manjusrikirtiが音声の発生の構造をDh-samadhiの中で解釈していると推定される.(2) Tikaで「観法」として説かれているDh-samadhiと殆ど同内容が,Sadhanamala (SM)にDh-sadhana (SM No.81)として収録されていることが判明した.このDh-sadhanaのチベット語訳(Tohoku3474)は,Grags pa rgyal mtshan訳 Sadhanasagaraのみに収録されており,梵本・チベット語訳ともに著者名が伝えられていない.しかし,内容上の類似及びSadhanasagaraの翻訳年代から見て,Sadhanasagara編纂の時点で,TikaからDh-samadhiの部分だけを抜き出し独立した儀軌として扱おうとする仕方があった可能性が強い.
著者
渡辺 俊和
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.1145-1151, 2008-03-25

本論文では,ダルマキールティがディグナーガによるasapaksaの定義に変更を加えた過程,およびその原因を考察した.ディグナーガはasapaksaを「sapaksaの(1)abhavaであり,(2)anyaでも(3)viruddhaでもない」と定義する.彼は(2)と(3)とが認められない理由について「(2)の場合にはたとえ同類のものであっても他の属性を持つがゆえに異類となってしまうし,(3)の場合には同類と異類とは別の,第三の領域が生じてしまう」という問題を挙げている.これに対してダルマキールティは(1)から(3)全てを認めている.彼はPramanaviniscaya第3章で,彼のアポーハ論の特徴的な点である「話者の意図」という視点を導入することにより,(2)も(3)もasapaksaの否定辞の意味として理解され得る,とする.彼が(2)と(3)を認めたのは,ウッディヨータカラによる「非存在は拠り所とはならない」という反論に答えるためでもあったと考えられる.また彼は(2)の場合に起こる問題について,その否定辞がanyaを意味している'abrahmana'という語を例に説明する.彼は「バラモンはバラモン性以外の属性とも結びついているが,世間一般では'abrahmana'と言われることはない」というように,言語慣習の点から解決を導いている.更に(3)の場合については,<共存不可能性>と<相互否定>という二つのvirodhaの定義を用いることによって解決され得る.つまり,問題となっている(3)viruddhaを,後者の意味で理解すれば第三の領域は起こり得ないのである.このようにして(2)と(3)の問題点は解決されるのであるが,ダルマキールティは自身の見解とディグナーガのそれとをはっきりとは会通させていない.この点はアルチャタ・ダルモーッタラなどの注釈者の課題として残された.
著者
石原 美里
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.1160-1164, 2009-03-25

本研究では,Mbh 1.1.50に見られる「ウパリチャラから始まるバーラタ」という語が,Mbhのテキスト形成における重要な手掛かりになるとみなし,この語がヴァイシャンパーヤナの語りが開始されるMbh 1.54を冒頭とするMbhテキストを指したものであると推測する.一方,ヴァス・ウパリチャラ物語はMbh 1.57に語られ,そこでヴァス・ウパリチャラ王はヴィヤーサ仙の母であるサティヤヴァティーの実父,さらにクル王家の直接的な祖先として位置付けられる.しかし,Mbhの他の箇所,および他の諸資料において,ヴァス・ウパリチャラ王とクル王家はほぼ関連を持たない.この矛盾は,ヴァス・ウパリチャラ物語は元来Mbhの外の文脈に存在していたが,サティヤヴァティーの身分を王家に相応しいものとする為,さらにはマツヤ王家の正統性をも保証する為,あるMbh編者が幾分の改訂を加えた後,それをMbhの冒頭部(Mbh 1.54の直後)に挿入したと仮定することにより解決が可能である.その際,ヴァス・ウパリチャラ王の5人の息子に対する国土分割のエピソードは要約され,ヴァス・ウパリチャラ王によるサティヤヴァティーとマツヤ王の誕生のエピソードが新たに創作されたと考えられる.
著者
塚本 啓祥
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.1113-1120, 2006-03-25

1992年ルンビニー関発トラスト(Lumbini Development Trust)の要請によって財団法人・全日本仏教会は,マヤ堂修復計画に着手し,1993年から10年に亙って調査・発掘を実施した.その間に発掘の結果,1995年にマヤ堂の中心部の真下から「自然石」が発見された.これはアショーカ王が石柱建立の際に,釈迦牟尼世尊の生誕地を示す標識として埋置させたものと推定されている.発表者は「自然石」の発見に伴い,マヤ堂・石柱等の一連の寺院複合体の建立の背景と経緯を考慮して,刻文の再考を必要と考えるに至った.よって本論においては,従来の当該刻文の研究史を検討して,その問題点の推移を明らかにし,法勅と自然石の関連,及びその整合性を解明することを目的とする.これにより法勅は,天愛喜見王は,灌頂〔即位〕20年に,自ら〔ここに〕来て崇敬した.「ここで仏陀・釈迦牟尼が生誕された」と〔伝えられる〕自然石を〔保護する〕柵(または壁)を伴った〔建造物を〕設営せしめ,また石柱を建立せしめた.ここで世尊が生誕された故に,ルンビニー村は租税を免ぜられ,また〔生産の〕1/8を支払う(六分税から八分税への減税)ものとせられる.と修正される.その論拠として,法勅中の複合語silavigadabhicaを, sila'vigada- <sila + avigada- <Skt. sila + avikrta-; -bhica = bhicca<bhi(t)tya = bhittya (ins.sg.f.) <Skt. bhitti-の派生語とみなすことを推定した.これはマヤ堂出土の自然石(印石)と共に,歴史的背景を論証する補完的証跡となる.
著者
根本 裕史
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.1268-1272, 2009-03-25

本稿の目的はゲルク派の学者達が「常住(rtag pa)」という概念をどのように理解しているか明らかにすることである.同派の学者達はサキャ派の見解と対照的に,常住な物の存在を積極的に認める立場に立っている.ツォンカパやチャンキャ・ルルペードルジェはダルマキールティのPramanavarttika II 204cdに依拠して,「常住」とは「それ自体が消滅しないこと」を意味すると解釈した.ゲルク派の学者達によれば,「常住」を「常に存在すること」の意味で捉えるのは毘婆沙師と非仏教徒の劣った見解に過ぎず,経量部などその他の仏教学派の見解では常住な物は必ずしも常に存在するとは限らない.例えば壼に限定された法性(空性)は「一時的にのみ存在する常住者(res 'ga' ba'i rtag pa)」であるとされる.なぜなら壺の法性は壺の存在時にのみ存在し,なおかつ,消滅の作用を受けない存在だからである.ここで「消滅」という語が「なくなること」ではなく,むしろ「変化すること」の意味で用いられている点には注意を要するであろう.壺の法性は壺が存在しなくなれば壼と共になくなるが,そのことは壺の法性が消滅したことを意味しない.ゲルク派の学者達によれば,常住な物には未来(未だ生起していない状態)も現在(現に生起している状態)も過去(既に消滅した状態)もない.それは非時間的(dus bral)な存在である.時間的変化とは無縁の存在のことをゲルク派の学者達は「常住」と言い,「無為法」と言う.そして,それは彼らにとって「法性」や「涅槃」といった仏教教義を語る上でなくてはならない存在なのである.
著者
新田 智通
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.1095-1101, 2008-03-25

ブッダの三十二相に代表されるような大人相は,しばしばブッダ超人化の所産とされてきたが,その一方で,大乗仏教や後代の部派仏教においては,それは観相の対象とされていたという見解も示されている.もしそうであるならば,相好はブッダを超人として飾り立てるだけのものではなく,むしろ何らかの象徴的な意味を有しているはずである.したがって本稿は,三十二相についての伝承を含んでいる「大譬喩経」(Mahapadanasuttanta,Dighanikaya所収)の注釈書を中心としつつ,他の初期・部派仏教文献にもよりながら,相好を観察することの意味について考察することを目的とする.一連の考察の結果,まず初期・部派仏教文献において,ブッダの相好は,彼の過去世における善業を表すと同時に,見る者の疑念を取りのぞき,さらにブッダに対する信を起こさせるものとして説かれていることが明らかとなった.加えて三十二相をそなえたブッダの身体は,『大毘婆沙論』においては「最上の正しいさとりにふさわしい器」と理解されていたが,それと近似的なことに,「大譬喩経注」(Mahapadanasuttatthakatha)においては,一般の人間の身体とは異なりまったく欠点のない完全体として説かれていた.したがって,ブッダの相好は,単に超人として彼を飾り立てるものであったというよりも,むしろ仏教においてそうした相好観が説かれるようになった当初から,以上のような象徴的意味を有していたと考えられる.
著者
花野 充道
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.24-31, 2006-12-20