著者
米長 悦也 渋谷 鉱 石橋 肇 谷津 三雄
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.14, no.4, pp.294-300, 1988-08-25

遠山椿吉氏主管の東京顕微鏡院発行の雑誌「顕微鏡」第1号から第50号までの中から,東京歯科医学院を中心とした歯科に関する記載について摘録した.歯科に関する記載は,明治29年6月発行の雑誌「顕微鏡」第11号から明治35年3月発行の第46号までに認められた.特に,東京歯科医学院の院外生のための「歯科講義録」第1号は,明治33年3月25日に発行されたものであり,しかもその広告が5日後に発行された雑誌「顕微鏡」第33号,第34号合巻に掲載されたことから東京歯科医学院と東京顕微鏡院の両者間に互いに利益をもたらしたものと思われた.さらに雑誌「顕微鏡」第38号に掲載された東京顕微鏡院の講堂の写真と,第35号に掲載された東京歯科医学院の卒業式の記事とを合わせ考えると,東京歯科医学院の第1回の卒業式が,この写真の講堂で明治33年4月21日に行われたものと考えられ,顕微鏡雑誌局発行の雑誌「顕微鏡」は,東京歯科大学史上貴重な資料を提供する雑誌である.
著者
湯浅,高之
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌
巻号頁・発行日
vol.18, no.4, 1992-09-20

神農を医薬祖として奉祀している神社や祠は,日本各地に存在すると思われるが詳細は定かでない.また,これらの神社で神農を奉讃する神農祭を執行しているか否かも判然としない.しかしその中で,東京都文京区湯島聖堂の「神農祭」と大阪市東区道修町(どしようまち)の少彦名(すくなひこな)神社の「神農さんのお祭り」は,古い伝統をひき継ぎながら現在でも綿綿として統けられている.この両地の神農祭は,医薬祖である神農を祭神としていることでは同一であるが,その祭りの様式と内容が異なっている.湯島聖堂の「神農祭」は,日本漢方の医学者が主体の「医学祭」的色彩が濃く,少彦名神社の「神農さんのお祭り」は,町の庶民が主体の「商業祭」的様相を呈する.神農という同一神を祭神としながら,祭りの発展過程で,祭りを司る人々と地域性の相違から,内容が変化し,東京と大阪では異なる形として現われていったものと思われる.
著者
丹羽,源男
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, 1995-09-30

歯科をはじめ,今日の生活に広く活用されているフッ素は,発見がたいへん困難で「化学者泣かせ」だった.フッ素を人類にもたらした3人の化学者を紹介する.
著者
齊藤,力
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌
巻号頁・発行日
vol.23, no.4, 2000-10-01

北原白秋は詩人・歌人で,童謡,歌曲,器楽曲,合唱曲,管弦楽曲などの作詞を多数行ったことで,あまりにも高名であるが,校歌,団歌,社歌,市町村歌,地力民謡・音頭,軍歌なども数多くつくっていたことは余り知られていない.これらの中に歯学,医学に関連する学校の校歌,および団歌などをいくつかみることができる。そこで,これらの歌に関して調査するとともに,その歌詞について若干の考察を行った.北原白秋作詞による歯学,医学関係の歌にみられる主な共通語句は「国手」,「醫」,「窮」,「済」,「仁」などであった.これらの歌詞は北原白秋の医学,医療に対する考え方,すなわち医の社会性,平等性,奉仕の精神の重要性,愛の心の必要性などを表現しているものと思われた.
著者
"鈴木 勝 新国 俊彦 谷津 三雄 鈴木 邦夫"
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.29-33, 1973

"日本歯科医師会編「歯科医事衛生史」前巻(昭和15年10月刊)93ページ(註)に『初期に於ては歯科専門の出版書なく,伊沢道盛の「固齢革」,伊沢が松川修に託して訳させた「タフト歯科治術学」メレデイス「歯科治術学並に桐村克己が師説を奉じて著した「歯の養生」,高山紀斉の「保歯新論」等であって,明治22年に至って,小幡門下の客員たりし小林義直の訳した「パライト歯科提要「等が,金科玉条として尊重された.其以前の門下生は師の小幡,先輩桐村克己のノートブックを借覧して学んだのである』と記され,又同誌546ページの歯科図書に『歯科提要(上,下)小林義直,明治22年12月刊パライトの著書を訳述したもので原著の意を伝へて秩序正しく,訳筆之に適し,当時有数の著述で大に歯科学生に稗益した』と記し,小林義直著歯科提要を高く評価しながらも,小林義直の人物史については全くふれていない,そこで井上角五郎編「小林先生小伝」明治39年6月の小冊子(15×22cm p.24 長谷川泰,石黒忠悳両氏の序文あり)を参考史料とし,その人物史について述べ更にその訳(著)書につき2・3の解題を試み,歯学史の一端としたいと思う."
著者
大橋,正敬
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, 1992-12-25

明治40年(1907年),東京上野で,東京府主催の東京勧業博覧会が開催され,それに出品された歯磨と歯ブラシについて前報で報告した.今回はそれらの審査結果について調べた.歯磨の受賞者は1等賞が3,3等賞が8名,褒状が5名であった.歯ブラシの受賞者は3等賞が1名だけであった.これらの受賞者および受賞品名を表1に示した.