著者
黒川 潮 小川 泰浩 岡部 宏秋 阿部 和時
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.63-79, 2010
被引用文献数
1

近年の土砂災害。2000年6月より始まった三宅島雄山の噴火活動は、それ以前まで約20年周期で活動してきた形態と異なり、約2,500年ぶりとなるカルデラを形成する活動となった。8月末までの7回の噴火により約1,100万m3の火山灰を噴出し、現在でも噴火口から二酸化硫黄(SO2)を主成分とする火山ガスを放出している。そのため、三宅島の住民約3,800名は9月2日の避難指示を受けて全島避難し、その避難生活は2005年2月まで4年5ヶ月の長期間に及んだ。全島避難中、山頂付近を中心として大量の樹木が枯死し、三宅島の森林面積4,000haのうち、およそ60%の2,500haに被害が生じた。保水力を失った地表面に堆積した火山灰は年間約3,000mmもの降雨によって表面が侵食され現在でも泥流の発生源となっている。このため復旧においては山腹付近における早期の緑化が求められたが、当時三宅島における緑化はいくつかの点において困難な状況であった。1つ目として激しい表面侵食によって種子が定着する前に流されてしまうこと。2つ目として火山ガスに耐性のある植物種を選定する必要があること。3つ目として三宅島は離島という隔離された環境にあるため、種子が大量に確保できる外来草本による緑化を行うことは島固有の生態系に影響を与えると考えられることである。本稿では以上の問題点を踏まえ、著者らが2000年の三宅島噴火活動後からこれまでに実施してきた土砂生産・流出の実態調査及び植生回復に向けた復旧対策についてとりまとめたものを報告する。
著者
日本水フォーラム
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
no.308, pp.1-17, 2009-08

第5回世界水フォーラムは、2009年3月16日から22日の日程でトルコ・イスタンブールのボスポラス海峡の入り江である金角湾を挟む「ストゥルジェ」と「フェスハネ」両会場において開催された。世界水フォーラムは、フランス・マルセイユに本部がある世界水会議とホスト国が主催し、3年に1度、国連の定める「世界水の日」である3月22日を含む約1週間の日程で開催される世界最大の水に関する国際会議である。第1回世界水フォーラムは1997年にモロッコ・マラケシュ、第2回世界水フォーラムは2000年にオランダ・ハーグ、第3回世界水フォーラムは2003年に京都・滋賀・大阪の琵琶湖・淀川流域、そして第4回世界水フォーラムは2006年にメキシコシティで開催された。第5回世界水フォーラムの全体テーマは、アジアとヨーロッパの架け橋に位置するイスタンブールで開催されることに掛け、「水問題解決のための架け橋」とされ、様々な水問題の解決を阻む問題(ギャップ)と、その解決策(架け橋)は何かという観点からの議論が行われた。
著者
山口 晴幸
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.52, no.6, pp.24-73, 2009

自然科学紀行古水史跡編。沖縄水史観。最西端の島「与那国島」に湧くティンダハナタの断崖霊泉と水事情。断崖絶壁に囲まれた日本最西端の島。九州南端から台湾にかけて約1,200kmにわたって南西諸島が弧状に連なっている。その最南西端に形成する諸島が八重山諸島である。与那国島は、その八重山諸島の最西端、即ち日本の最西端に位置する島で、日本最後の夕日が見える西崎には、ここが日本最西端の地(東経122度56分9.33秒、北緯24度26分44.99秒)であることを記念した高さ2.5m程の2段重ねの大きな石碑が建立されている。沖縄本島まで509km、東京まで2,030km離れ、八重山諸島の主島である石垣島と117kmに位置し、稀に西方の海上に山並みを映し出す台湾と111kmの領海を隔てて対峙する、まさしく国境の島である。
著者
松浦 茂樹
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.p47-79, 1991-06
著者
山口 晴幸
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.83-121, 2008

自然科学紀行古水史跡編。沖縄水史観。宮古島の無尽蔵に地下水を秘めた洞井と水事情。先人達の水確保の始まり。約600 kmの弧状列島を形成している琉球列島のほぼ中央に位置する宮古諸島は、大小8つの島々から構成されている。宮古諸島はじめ大小150余の島々からなる琉球列島では、亜熱帯海洋性気候に位置する島嶼独特の水資源環境が形成されていることから、島の暮らしや生活様式の変遷などを語る際には、水問題や水事業などの歴史的背景やその経緯を通して、「水」との関わりを思考することが重要な要素の一つとなっている。水資源となる河川や湖沼のない宮古諸島では、水道施設が普及するまでは、古来より長い間、島民の生活用水や農業用水には、もっぱら天水(雨水)と洞窟からの湧き水が利用されてきた。今も雨水の利用は人家の庭や軒先で散見できる。以前は赤瓦屋根に樋を引き、琉球石灰岩の切石やコンクリート造りのタンクに集水していた雨水が、飲料水などの貴重な生活用水源であったが、最近ではコンクリート屋根に塩ビパイプを引きスチールやポリタンクに集水するようになった。また防潮風林として植えられた太いフクギや桑の木などの幹に藁を結びつけて雨水を集水していた。
著者
野田 浩二
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.67-94, 2013

公共政策は一般的に,政策決定,政策実施,政策評価の3段階に分けることができる。政策決定では,誰が政策を決定するのか,各社会アクターはどのように決定に携わるのかといった点が主テーマとなり,官僚主導型あるいは政党主導型なのかが争われてきた。近年は,官僚と政党といった古典的なアクターだけでなく,NGO・NPOなどの新しいアクターの動向まで視野に入れた研究が増えている。政策実施はいったん法律が成立した後の,いわば実務上の行政活動を対象とし,政策評価では政策の正否が判断される。代表的な環境政策過程分析をみると,審議委員としての自身の経験や行政担当者へのヒアリングに基づき,容器包装リサイクル法の政策過程を明らかにし,さらには容器包装リサイクル法改正の政策決定を分析した寄本の研究は重要な先行研究である。また,環境保全よりも産業界の経済的動機がドイツ容器包装リサイクルシステムをうみだしたことを明らかにした喜多川の研究や,1949年の水質汚濁規制勧告の政策決定を分析した平野の研究,公害健康被害補償法の政策決定を内外の圧力を踏まえて分析した松野の研究も重要である。これらの既存研究は法律制定過程に注目し,誰がどのように政策決定に関わったのかを明らかにしようとしてきた。環境政策を含めて公共政策研究は政策決定に注目し,政策実施についての研究は進んでいない。真渕はその理由として,政策実施段階での行政の動きが地味であり,また政策実施はうまくいって当然と考えられやすい点を指摘した。本稿の分析対象である旧水質2法における多摩川水質基準の策定過程は,政策決定ではなく政策実施である(多摩川(上流)の水質基準は1966年に,多摩川(下流)は1967年に設定された)。なぜ,旧水質2法なのか。これは,わが国の水質保全政策の歴史によるからである。旧水質2法,すなわち「公共用水域の水質の保全に関する法律」(水質保全法,昭和33年12月25日法律第181号)と「工場排水等の規制に関する法律」(工場排水規制法,昭和33年12月25日法律第182号)は確かに1958年に制定されたが,それが機能しだしたのは1960年代中旬以降であった。旧水質2法の特徴は,人の健康被害や産業被害の除外を要する地域を「指定水域」として指定してはじめて,水質基準を設定することにあった。経済企画庁長官は水質審議会の議を経て,指定水域と水質基準を決めた(水質保全法第5条,第13条)。実際には,各水域で特別部会を設置し,そこで実質的な議論がなされた。目的条項が調和条項であったことから分かるように,旧水質2法の基本思想は経済成長あっての水質保全であった。そのため,水質基準は産業界や省庁間の政治的交渉や政治的妥協に基づきやすく,実際に,国と地方との事務折衝と水質審議会の動向が決定的に重要であった。この点がよく表れているのが,東京都の水道水源であった多摩川の水質基準策定過程なのである。東京都と神奈川県は旧水質2法より前に独自の公害防止条例を制定し運用していたために,多くのノウハウを得ていた。その科学的かつ行政上の蓄積が,国に対する共闘を可能とし,国よりも厳しい水質基準を求めることを可能とした。多摩川問題をもっとも包括的に分析した市川の研究や「新多摩川誌」でも,旧水質2法下の水質基準策定過程は取り上げられていないし,隅田川などの水質基準策定過程を取り上げた公害問題研究会の研究でも多摩川は対象外であった。通常,水質基準策定を深く知るための資料は残されていないが,幸運にも,神奈川県立公文書館に多摩川水質基準策定に関する行政公文書が残されていた。これらの貴重な資料を活用することで,これまでブラックボックスであった多摩川水質基準策定過程を明らかにすることができ,環境政策論への含意の抽出が可能となる。
著者
野田 浩二
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.67-94, 2013

公共政策は一般的に,政策決定,政策実施,政策評価の3段階に分けることができる。政策決定では,誰が政策を決定するのか,各社会アクターはどのように決定に携わるのかといった点が主テーマとなり,官僚主導型あるいは政党主導型なのかが争われてきた。近年は,官僚と政党といった古典的なアクターだけでなく,NGO・NPOなどの新しいアクターの動向まで視野に入れた研究が増えている。政策実施はいったん法律が成立した後の,いわば実務上の行政活動を対象とし,政策評価では政策の正否が判断される。代表的な環境政策過程分析をみると,審議委員としての自身の経験や行政担当者へのヒアリングに基づき,容器包装リサイクル法の政策過程を明らかにし,さらには容器包装リサイクル法改正の政策決定を分析した寄本の研究は重要な先行研究である。また,環境保全よりも産業界の経済的動機がドイツ容器包装リサイクルシステムをうみだしたことを明らかにした喜多川の研究や,1949年の水質汚濁規制勧告の政策決定を分析した平野の研究,公害健康被害補償法の政策決定を内外の圧力を踏まえて分析した松野の研究も重要である。これらの既存研究は法律制定過程に注目し,誰がどのように政策決定に関わったのかを明らかにしようとしてきた。環境政策を含めて公共政策研究は政策決定に注目し,政策実施についての研究は進んでいない。真渕はその理由として,政策実施段階での行政の動きが地味であり,また政策実施はうまくいって当然と考えられやすい点を指摘した。本稿の分析対象である旧水質2法における多摩川水質基準の策定過程は,政策決定ではなく政策実施である(多摩川(上流)の水質基準は1966年に,多摩川(下流)は1967年に設定された)。なぜ,旧水質2法なのか。これは,わが国の水質保全政策の歴史によるからである。旧水質2法,すなわち「公共用水域の水質の保全に関する法律」(水質保全法,昭和33年12月25日法律第181号)と「工場排水等の規制に関する法律」(工場排水規制法,昭和33年12月25日法律第182号)は確かに1958年に制定されたが,それが機能しだしたのは1960年代中旬以降であった。旧水質2法の特徴は,人の健康被害や産業被害の除外を要する地域を「指定水域」として指定してはじめて,水質基準を設定することにあった。経済企画庁長官は水質審議会の議を経て,指定水域と水質基準を決めた(水質保全法第5条,第13条)。実際には,各水域で特別部会を設置し,そこで実質的な議論がなされた。目的条項が調和条項であったことから分かるように,旧水質2法の基本思想は経済成長あっての水質保全であった。そのため,水質基準は産業界や省庁間の政治的交渉や政治的妥協に基づきやすく,実際に,国と地方との事務折衝と水質審議会の動向が決定的に重要であった。この点がよく表れているのが,東京都の水道水源であった多摩川の水質基準策定過程なのである。東京都と神奈川県は旧水質2法より前に独自の公害防止条例を制定し運用していたために,多くのノウハウを得ていた。その科学的かつ行政上の蓄積が,国に対する共闘を可能とし,国よりも厳しい水質基準を求めることを可能とした。多摩川問題をもっとも包括的に分析した市川の研究や「新多摩川誌」でも,旧水質2法下の水質基準策定過程は取り上げられていないし,隅田川などの水質基準策定過程を取り上げた公害問題研究会の研究でも多摩川は対象外であった。通常,水質基準策定を深く知るための資料は残されていないが,幸運にも,神奈川県立公文書館に多摩川水質基準策定に関する行政公文書が残されていた。これらの貴重な資料を活用することで,これまでブラックボックスであった多摩川水質基準策定過程を明らかにすることができ,環境政策論への含意の抽出が可能となる。
著者
徳地 直子 臼井 伸章 上田 実希 福島 慶太郎
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.90-103, 2010
被引用文献数
3

里山の植生変化と物質循環。近年、生物多様性の維持に欠かせない場として、あるいは、現代の暮らしを見直す点などからも、里山に注目が集まっている。しかし、そもそも里山とはいったいなんだろうか?環境省によると、里地里山とは、都市域と原生的自然との中間に位置し、様々な人間の働きかけを通じて環境が形成されてきた地域であり、集落をとりまく二次林と、それらと混在する農地、ため池、草原等で構成される地域概念である(環境省HPなど)。天王山は京都と大阪の府境にあたり、天下分け目の戦いの場として知られている。天王山とそれにつながる西山では、自然保護団体や企業・行政・研究者などが森林整備推進協議会を立ち上げ、里山の保全に力を注いでいる。ここではまだ研究半ばではあるが、今後の里山管理を考える上で欠かせない、里山はかつて利用されていた時代にはいったいどのような山であったのかについて文献から考察し、次いで、現在はどのような状態なのかについて、天王山を例に二次林と竹林を比較しながら紹介する。
著者
岡本 芳美
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.55, no.6, pp.78-98, 2012

マルチ・タンク・モデルの開発で計算が容易に出来るようになったことが本文開始において示されている。ここでは,それ等を具体的に説明する。流量を計算しようとする流域に関して,流域に降った雨と流域の出口の流量の両者が分かっている場合,この流域を水文データの有る流域と一般に呼ぶ。雨量は分かっているが流量が無い流域を水文データの無い流域と表現する。両方共分かっていない場合,水文データの全然無い流域と言うような呼び方をする。今,一般に,広く行われている流出計算法では,その方法が有する各係数の値は水文データの有る流域における流出の再現計算から試算で求められるようになっている。すなわち,基本的に,水文データの有る流域でなければ適用出来ない方法である,と言えよう。これに対して,マルチ・タンク・モデルによる計算は,全ての係数が理論的に決められるようになっているから,適用流域が水文データの有る流域であるかどうか問題にする必要は,あまり無い。すなわち,水文データの無い流域に,容易に適用出来る方法である。