著者
盛口 満
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of Humanities and Social Sciences (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.24, pp.109-115, 2021-03-31

全国の昆虫の方言についてはさまざまな報告がなされているが、既存の報告の中においては、ナナフシに関してはあまり報告がなされてこなかった。一方、琉球列島の島々での聞き取り調査を行ったところ、琉球列島においては多様なナナフシの方言が見られることが判明したことを報告するとともに、ナナフシに関する人々のまなざしについても考察を加える
著者
須藤 義人
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.8, pp.53-64, 2006-10

現在、子どもをめぐる諸問題が多発してきている。本研究の目的は、その問題解決の手掛かりを<子ども像>の元型(アーキタイプ)に求め、民俗雑誌に記録された先人の知恵と知識を振り返り、<子ども像>の諸相について研究することにある。そのために、様々な民俗祭祀を事例として<子ども像>について比較し、過去の<子ども像>を浮かび上がらせることを重視している。このような研究姿勢は、「<子どものあるべき姿>を追いかける郷的愁(ノスタルジック)な視点である」と椰楡されるかもしれない。しかし、<子ども像>の過去形を踏まえた上でしか、<子ども像>の現在形や未来形をも内包する「子ども文化」を描き出せないであろう。結論部分では、このような視座に基づき、民俗学的な考察を踏まえて「子ども文化」の定義を提言してみたい。さらに各論の中では、現代の「地域教育」の観点から見て、子どもが民俗祭祀に関わることの重要性についても検討する。
著者
王 志英 Wang Zhiying 沖縄大学人文学部
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of Humanities and Social Sciences (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.15, pp.1-10, 2013-03-15

本稿は中国語の形容詞"漂亮"、"美丽"、"美"、"好看"という類義語の違いについて考察した。この四つの類義語はともに視覚を通して、人間、物事を描写することができる。 しかし、"美丽"、"美" の描写する対象は色彩がなくてならないのに対して、"漂亮"、 "好看"の描写する物事が色彩がなくても使える。"漂亮"、"美丽"、"美"は聴覚を通して、物事を描写することができるが、"好看"は物事を聴覚による描写ができない。 "美丽"、"美"で描写している物事が「美しい」だけでなく、人間に精神的な快感をもたらすことができる。本篇论文对汉语的4个形容词"漂亮"、"美丽"、"美"、"好看"之间的意思的区别进行了探讨。这4个同义词翻译成日语都表示「美しい」、「きれい」的意思,因此对学汉语的外国人来讲,要掌握和使用好这4个词,很不容易。"漂亮"、"美丽"、"美"、"好看"这4个同义词都可以通过人的视觉来对人、物进行描写。但是,"美丽"、"美"所描写的对象必须具有色彩,没有色彩的对象一般不用" 美丽"、"美"。" 漂亮"、"好看"描写的事物没有色彩也可以说。" 好看"不能用于听觉,用"美丽"、"美"时,不仅表示人或物的外观美,而且其事物还能给人带来精神上的快感。
著者
素民喜 阳子 スミンキー 陽子 沖縄大学人文学部
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of Humanities and Social Sciences (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.13, pp.41-48, 2011-03-31

本论文通过中国的女作家安妮宝贝的短篇小说《告别薇安》作为研究对象。这部短篇小说是这位女作家第一次出版的第一部小说集里面收集的第一部作品。小说以"人际关系中的接纳与被接纳"的关系及"生活在现代混沌中,人普遍感覚到的孤独与困惑"作为核心题材。安妮宝贝是通过网络时代塑造的新时代作家,笔者认为她作品里"日常生活中的非日常故事"等题材和其中的人际关系-接纳与被接纳、人的混沌而矛盾的心理可以值得研究。这点就是笔者关注研究她最初的出发点,也是研究动机之一.本论文根据主要人物间的人际关系以及语言運运用上的特点,探讨而试论人的心理和情感。アニーベイビーはネット作家として彗星のごとく中国の文壇に現れた,まさにIT時代が生み出したニュージェネレーションの新進気鋭の作家である。本稿でとりあげる『さよならビビアン』は,作者が初めて出版した同名小説集に収められたデビュー作である。作者は「人間関係における授受及び被授受」そして「混沌とした社会に生きる人々がもつ孤独と困感」を重要なテーマに掲げている。本稿ではアニーベイビーのデビュー作,及びその他の著作に共通して作者が描き続ける「日常生活の中にある非日常的なストーリー」に着日し,『さよならビビアン』における人間関係,言語運用の角度から登場人物の心理に焦点を当てて論を進める。
著者
陳 晋
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.7, pp.17-27, 2006-03

本論文は、中国市場に進出し、且つ成功している日本のエアコンメーカーと乗用車メーカーを取り上げ、これら日本企業の中国市場での戦略策定と戦略実行を観察し、経営戦略論の観点からその成功要因を究明した。ダイキンとホンダが本格的に中国に進出したタイミングは先行組の日米欧メーカーより遅れていたが、WTO加盟に備えて市場を再開放し、洗練された商品のニーズが拡大する黎明期に当たった。両社が中国で成功した重要な要因のひとつは、先行組の外資系やローカルメーカーが持っていないオンリー・ワンの先端技術にある。また、両社は経営ノウハウを生かして、現地の市場調査や販売システムの構築に力を入れていたことも大きい。さらに、両社が共に中国市場で自社の技術や販売の優位性を活用しながら、新しい製品セグメントを開拓し、世界市場に向かって事業を拡大していることも注目すべきところである。This paper discusses the strategy formation & implementation of successful Japanese manufacturing makers in the Chinese market and traces their successful factors by the framework of management strategic theory. First of all, even though Daikin and Honda entered Chinese market much later than other early advanced foreign enterprises of Japan, Europe and America, the timing was quite fortunate since it was China's economic opening reform preparing for entering WTO and also at the dawn of expanding needs for refined commodity. Moreover, one of the most important factors of two manufactures succeed in China is their only-one-hightechnology that early comers of foreign and local manufacturers do not posses. In addition, both manufactures strived to do the local marketing research and to build their own efficient sales system should be considered. They did not use existing distribution route, instead established their unique sales channel from the very beginning. Finally, it is necessary to pay attention to the development of a new product segment and the business expansion toward the global market by two manufactures' flexible utilization of their original technology and sales superiority.
著者
清川 紘二 桜井 国俊 Kiyokawa Kouji Sakurai Kunitoshi 法政大学沖縄文化研究所 沖縄大学人文学部
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of Humanities and Social Sciences (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.15, pp.61-68, 2013-03-15

本稿はアジア・太平洋戦争下で行われた日本政府・朝鮮総督府による朝鮮人被強制連行者、徐正福氏の2度(2006 年12 月、2007 年4 月)にわたるインタビューからの抜粋である。農民であった徐さんは1944年6月に慶尚北道達城郡嘉昌面の自宅で拉致され、沖縄県宮古島に連行された。宮古に上陸後は、軍夫として艦船からの荷物の揚陸作業を行った。徐さんは3000 人の強制連行者のうち唯一の日本語のできる朝鮮人であったため、軍夫長と言う重要な役職につき、軍隊と軍夫との通訳等も行った。宮古における軍夫の使役の状況、米軍爆撃の様子、日本軍人による差別、朝鮮人慰安婦のエピソード等についての詳細な口述は、沖縄における朝鮮人軍夫の状況をよく伝えている。徐さんの語りは、2006 年6月沖縄大学で講演した被強制連行者、姜任昌氏(慶尚北道英陽郡出身)による阿嘉島からの報告とともに、朝鮮人強制連行史における宮古島の空白のページを埋める貴重な証言である。
著者
宮城 能彦 Miyagi Yoshihiko 沖縄大学人文学部
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of Humanities and Social Sciences (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.16, pp.51-60, 2014-03-05

本稿は沖縄県国頭村奥集落の人々の戦争体験の聞き取り調査(第2回および第3回)の記録である。戦争体験を語ってくださった方は、国頭村奥の出身者あるいは沖縄戦当時奥に在住していた方々である。今回は、小学校3年生の時に奥で戦争を体験した方、戦前、農業指導員として奥にやってきた後沖縄で結婚し、奥の人々が米軍に投降する際に命がけの重要な交渉をした方(故人)の家族の方、護郷隊として敵へ切り込む直前に解散されて奥まで命がけで帰ってきた方の3人のお話を収録した。本稿は、奥という沖縄本島北端の集落から見た沖縄戦を、ライフヒストリーとして記録することによって、沖縄戦を様々な角度から考えようとするものである。
著者
圓田 浩二
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.11, pp.1-12, 2009-01

本稿の目的は、日本におけるスクーパ・ダイビングの変容を解明することにある。スクーパ・ダイビングは、その初期にはスピア・フィッシングを行うスポーツとして認知され、人気を博していた。当時のスクーパ・ダイビングは、スピア・フィッシングを行うことを目的とするチャンピオン・スポーツの性格をもっていた。しかし、ダイバーの増加にともない、漁業法との関係で、漁業協同組合の許可なく魚を採取することができなくなり、ある時期からスピア・フィッシングが行われなくなった。日本におけるスクーパ・ダイビングは、1960年代後半から1990年代にかけて、ダイビング・スタイルの変更を余儀なくされた。そこで新しいダイビング・スタイルとして登場したのが、潜ること自体を目的とするファン・ダイブであった。ファン・ダイブは、水中の海洋生物や海底の地形を見て写真を撮ったり、水中での浮遊感覚を楽しむものであるから、水中銃で魚類を撃って捕獲するスピア・フィッシングとは性格が全く異なっていた。1990年代後半に発売されたデジタル・カメラの普及は、スクーパ・ダイビングの目的を水中の海洋生物や海底の地形などを写真に掘ることへと変えていった。日本のスクーパ・ダイビングの目的は、スピア・フィッシングによる魚を「捕る」ことから、ファン・ダイブによる海洋生物や地形などをカメラで「撮る」ことへの移行として考えれるだろう。こうして、日本のスクーパ・ダイビングは、スピア・フィッシングを行うことを目的とするチャンピオン・スポーツとしてのスクーパ・ダイビングから、ファン・ダイブを行うことを目的とするレクリエーション・スポーツとしてのスクーパ・ダイビングへと変化していったのである。This paper clarifies the transformation of SCUBA diving in Japan. In its early days, it was acknowledged as a competitive sport involving spearfishing and became popular. However, as the number of divers increased, fisheries law made it illegal to obtain fish without the permission of a fishery cooperative. In addition, spearfishing was prohibited at certain times. Consequently, the nature of SCUBA diving in Japan was forced to change between the late 1960s and 1990s. A new diving style evolved, which consisted of fun diving, in which participants observed the marine organisms and topography of the sea bottom, and enjoyed the sensation of floating in the water. The two forms of diving-usin g a speargun to shoot fish versus fun diving-are quite different in character. The spread of digital cameras in the late 1990s allowed SCUBA divers to photograph marine organisms and seascapes. Consequently, in Japan, SCUBA has been transformed from a competitive sport involving catching fish by spearfishing to a recreational sport involving taking photographs during fun diving.
著者
西尾 敦史
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.10, pp.77-95, 2007-12

社会福祉の援助者はその援助場面で「援助困難」を抱えることが少なくないために、「援助困難」を軽減する方法が必要となる。そこで「援助困難」は、利用者と援助者の「計画された変化の過程」に、また人と環境の相互作用の接点に生じるというソーシャルワーク、とりわけライフモデルのそれが培ってきた認識を基本に、個人の資源と環境の資源を評価する分析枠組みを設定した。この枠組みを使用し、沖縄県における地域福祉権利擁護事業の実態調査(2007)における「援助困難」の要因を分析したところ、問題の要因、問題相互の関連、また制度・政策面での課題を明らかにすることに一定の貢献があった。「援助困難」を客観的に、また全体的に見ることのできるポジションを確保することは、援助実践面においても、政策決定においても有効であり、ライフモデルソーシャルワークによるニーズの分析枠組みの有効性・可能性についてさらに検証していくことが期待される。
著者
朝倉 輝一
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.11, pp.31-42, 2009-01

本稿では、道徳教育におけるケアの倫理の在り方を検討する。教育学者ノディングズのケアの倫理は、関わり合いの中での受容性や相互性を重視する。一方、クーゼは看護倫理の立場から、ケア一元論ではなく、患者にとっての最善と社会的正義を同時に追求できる選好功利主義を対置する。特に道徳判断力形成にとっては、二者択一的なモラルジレンマよりも、医療倫理にみられるようなケーススタディをモデルとしたモラルジレンマ解決のための対話が必要である。