著者
土屋 和男 塩見 寛
出版者
環境芸術学会
雑誌
環境芸術 (ISSN:21854483)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.9-16, 2002-10-21 (Released:2017-10-06)

火の見櫓は、昭和20年代から40年代頃には、全国にくまなく建設されたが、現在では漸次撤去されている。火の見櫓には景観資源としての可能性が認められる。すなわち、集落の景観構成上、要所に位置していることが多く、一景観要素としても、頭頂部等に特徴的な意匠を見せ、地域のランドマークとなっている。本論では、静岡県内を主たる対象地域として火の見櫓の現況を示し、かつてコミュニティがつくりあげ、どこにでも存在した環境造形として火の見櫓をとらえなおし、その造形的側面からの可能性を考察した。調査の結果、火の見櫓は静岡県内に約1000基残存している。これらを、立地と景観および形態的な特徴とから考察した。火の見櫓は同じ造形をもつものがほとんどなく、それらはタイプとそのヴァリエーションという2つのレヴェルにおいて、差異を生みだすしくみが見られる。火の見櫓の造形を通した可能性としては、次の2点からその活用を提案した。1) まちづくりのきっかけ その数の多さから、小さな地域単位での環境史を伝える遺産としてその造形を考えること。2) デザインにおける差異考察の資料 その造形の多様さから、環境に応じた個性とは何かを考えること。
著者
竹田 直樹 八木 健太郎
出版者
環境芸術学会
雑誌
環境芸術 (ISSN:21854483)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.77-84, 2013-10-26 (Released:2017-10-06)

本研究は、都市空間に進出したサブカルチャーコンテンツの類型化と整理、ならびに、こうした事例の人々による受容形態の類型化と整理を試み、サブカルチャーコンテンツの都市空間における性質の一端を考察するものである。フィクショナルな物語として製作され、受容されてきたサブカルチャーは、これまで、現実世界とは無関係な存在であった。だが、その受容者は、このところ現実世界をそのフィクショナルな物語に沿う形で、読み替えてとらえるようになっている。ついには、その読み替えは現実世界に、実体のある彫像や建築や環境や施設となって設置、建設、保全されるようになり、現実世界は書き換えられている。都市空間に進出したサブカルチャーは、単なる余暇の娯楽にとどまらず、日常の生活に深く浸透した、新たな信仰の対象とも言える地位を確立しつつあるのかもしれない。
著者
八木 健太郎 竹田 直樹
出版者
環境芸術学会
雑誌
環境芸術 (ISSN:21854483)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.65-70, 2010-03-31 (Released:2017-10-06)

日本のパブリックアートは自治体の彫刻設置事業として始まった。これは世界的にも先駆的であったが、こうした日本のパブリックアートがその後どのように展開し、変化したのかを明らかにすることが目的である。アメリカにおける状況とも比較しつつ、彫刻設置事業以後のわが国のパブリックアートを巡る制度やプロジェクトを類型化し、その変化過程を示した。その結果、わが国においてはパブリックアートをめぐる議論は比較的乏しかったものの、1980年代から90年代にかけて、彫刻設置事業としてのパブリックアートが持つ問題点を解決するための興味深い変化が現れていることが明らかになった。1)都市開発事業と密接な関係を築き、都市や建築空間と一体となることにより都市の付加価値向上を実現する、2)彫刻などのアート作品を恒久的に設置する事業から、期間を限定してテンポラリーに作品を展示するプロジェクトへ移行する、3)作品の制作あるいはイベントの企画・運営を通して地域社会と密接な関係を構築する、という三つの変化の方向性が明らかになり、ほぼ同時期にアメリカにおいて見られたパブリックアートの変化とはまた異なる独自の展開を見せていることが示された。
著者
本田 悟郎
出版者
環境芸術学会
雑誌
環境芸術 : 環境芸術学会論文集 (ISSN:21854483)
巻号頁・発行日
no.11, pp.80-86, 2012-11-24

本論では、今日のアートプロジェクトにみられる人々と芸術作品との関わりについて、理論的背景から考察を加えた。特に作品受容の理論のなかでも作品と鑑賞者の関係を捉えた二名の論述から検討をする。アメリカのジョン・デューイ(John Dewey/1859-1952)とイタリアの美学者ウンベルト・エーコ(Umbert Eco l932-)である。また、日本におけるアートプロジェクトの展開を踏まえ、筆者も協力し2010年に栃木県宇都宮市で開催された比較的小規模なアートプロジェクトを一事例に挙げ、考察の対象とする。本研究では、創造性が表現と鑑賞の両面において発揮されることを前提とするが、特に鑑賞においては、美的経験が作用しコミュニケーションが誘発される。このような特徴は通常の作品鑑賞よりもアートプロジェクトに顕著だと言えよう。本研究は、日常の生活と密接な今日のアートプロジェクトにおいて、作品鑑賞の意味がどのようなものに変貌したかを考察し、芸術作品の鑑賞やアートプロジェクトの創造的な価値を根拠づける理論的考察である。
著者
竹田 直樹 八木 健太郎
出版者
環境芸術学会
雑誌
環境芸術 : 環境芸術学会論文集 (ISSN:21854483)
巻号頁・発行日
no.12, pp.77-84, 2013-10-26

本研究は、都市空間に進出したサブカルチャーコンテンツの類型化と整理、ならびに、こうした事例の人々による受容形態の類型化と整理を試み、サブカルチャーコンテンツの都市空間における性質の一端を考察するものである。フィクショナルな物語として製作され、受容されてきたサブカルチャーは、これまで、現実世界とは無関係な存在であった。だが、その受容者は、このところ現実世界をそのフィクショナルな物語に沿う形で、読み替えてとらえるようになっている。ついには、その読み替えは現実世界に、実体のある彫像や建築や環境や施設となって設置、建設、保全されるようになり、現実世界は書き換えられている。都市空間に進出したサブカルチャーは、単なる余暇の娯楽にとどまらず、日常の生活に深く浸透した、新たな信仰の対象とも言える地位を確立しつつあるのかもしれない。
著者
大塚 姿子
出版者
環境芸術学会
雑誌
環境芸術 : 環境芸術学会論文集 (ISSN:21854483)
巻号頁・発行日
no.10, pp.63-70, 2011-10-15

音楽の世界が環境と大きく関わるようになったのは、ケージの思想、その後のサウンドスケープの登場があってのことである。環境と芸術の関係性がより重要になってきている現在、それに続く思想、実践はどのような方向に向かっているのか、そして環境とは何か、この難題にそろそろ取り組まなければならない時が来ている。本研究では20世紀現代音楽史上の環境と関わる試みを再考察し、環境の認識の変遷を明らかにする。また環境芸術、環境デザインといった領域における環境の捉え方に対する考察も同時に行なうことにより、現在の環境に関するアーティスティックな実践の方向性について探っていく。さらにサウンドスケープ的な視座にとどまることなく、独自の思考を押し進めている民族音楽学やサウンド・アートの分野での環境と関わる研究、実践についての検証を行った。その結果、音が人間および他の生物を含む環境を理解し、自らをそして他者を位置づけ、存在するための重要な媒介としての役割を果たしていること、またそれを明らかにすることが自らの実践であるとしているアーティスト達の志向を確認することができた。そしてこのような実践がどのような意義や価値を持つのか論じると共に、今後の展望についても考察を試みた。
著者
郷 晃
出版者
環境芸術学会
雑誌
環境芸術 : 環境芸術学会論文集
巻号頁・発行日
no.3, pp.13-16, 2003-10-22

近年"回廊"というテーマで石材を主とした彫刻表現の制作を行って来ている。これらは、純粋な表現制作の発表である。本稿では、もっとも最近に行った個展における発表までの流れの中で石材という素材を扱う意味と、過去に手がけた環境造形の制作と彫刻表現の制作発表との関係について述べたものである。2)"素材と内包されるもの"においては、制作を通して見出してきた素材の持つ特性や意味が表現につながる制作概念について述べて行く。3)"時間の回廊"においては、1999年に手がけたモニュメントプロジェクトについて、制作のヒントとなった物証と私的な彫刻表現との関係に付いて述べて行く。4)"回廊....記憶の水脈"においては、2002年秋におこなった個展について、表現の拠り所となったものを述べて行く。こうした制作の流れを振り返ることによって彫刻の制作発表と公共性という条件の中で成立する環境造形の2つに対する考え方とその関係性を述べるとともに、これを以て自身の制作研究報告としたい。
著者
高橋 靖史
出版者
環境芸術学会
雑誌
環境芸術 : 環境芸術学会論文集 (ISSN:21854483)
巻号頁・発行日
no.8, pp.29-36, 2009-03-31

本稿では思考と実践の絶え間ぬ繰り返しである私の彫刻制作を論拠に、肉体と世界と彫刻とがどのように関係し合っているかを論述した。肉体は主体と外界の境界であり、同時に両世界をつなぎ合う媒体でもある。こうした肉体と世界の両義的、相互依存的な関係を肉体と物質が直に触れ合う制作により探り、形象化する試みが「私の彫刻」である。まず、身体と世界の関係性を巡っての彫刻制作には、ポジショニング(位置取り)が重要である。ポジショニングとは主体と世界の接続の仕方のことであり、私という主体が身体ごと彫刻素材の中に入り制作するというポジションを取ることで、彫刻はメディウムとして機能し、身体-彫刻-世界の関係を結べると考える。世界の側から彫刻を見てはいけない。彫刻を外側からオブジェクトとして見るのではなく内側から関係性として見なければならない。つまり彫刻とは主体と世界の間に介在し素材に形をあたえる手段により両者を媒介するメディウムという事物なのである。こうした制作のポジション、彫刻のポジションに基づいて、制作した作品から具体例として五作品を揚げて制作研究の報告をした。その全てにおいて私がめざしたのは「身体を型取った、古着、ラテックス、ギプス、段ボールなどを積層して、見るものがその中に入り内と外、身体と空間、主体と世界を関係づける彫刻をつくること。」である。
著者
竹田 直樹 八木 健太郎
出版者
環境芸術学会
雑誌
環境芸術 : 環境芸術学会論文集 (ISSN:21854483)
巻号頁・発行日
no.8, pp.1-7, 2009-03-31

彫刻設置事業における既成作品購入型とは、既成の作品の中から適切なものを選択・購入し、設置するという、きわめてシンプルな作品選択の方法である。この方法では、原理的に作品内容の中に設置場所との関連性は含まれず、設置される作品の内部にサイトスペシフィシティーは必然的に生じない。本論では、最初に計画的で継続的な彫刻設置事業に既成作品購入型の作品選定システムを取り入れた1973年からの長野市、その前後に行われた旭川市の設置事業、そして1978年から81年にかけて横浜市により大通り公園で実施された設置事業を分析対象とした。なお、この分析過程において、田村明の言説は重要である。その結果、既成作品購入型は、モニュメント性が希薄な作品が得られるという点で、自由主義社会にふさわしい作品選定方法として捉えられていたことがわかった。しかし、冷戦が終結し、バブル経済が崩壊した後の社会では、それは意外にも「自由主義の推奨する芸術」を賛美し、あるいは「高価で贅沢な商品」を賛美するモニュメントに変質してしまった可能がある。
著者
丹治 嘉彦
出版者
環境芸術学会
雑誌
環境芸術 : 環境芸術学会論文集
巻号頁・発行日
no.4, pp.9-16, 2004-11-11

2003年10月4日、新潟県豊栄市早通地区の稲刈りが終わった田園において、新潟大学教育人間科学部芸術環境講座・丹治研究室の学生と地区の住民が、自分たちで作り上げた1200本の風車を田圃に植えるプロジェクトを行った。秋晴れのもと、学生と早通地区の人達が田圃に集って行われたこのプロジェクトは、「早通風車プロジェクト」と称されて10月9日までの間、澄みきった青空のものと早通りに吹く風の中、田圃を訪れた人の目を楽しませた。また、このプロジェクトは風車を田圃に植えるだけの単発のものではなく、早通各地において早通の人達と様々なワークショップやスタンプラリー等の活動を約半年をかけて実践したものである。こうしたアートを媒介としたアートプロジェクトの実践の流れを振り返ることによって、アートプロジェクトの意義と共にその可能性探ってみたいと思う。これを以て自身の研究報告としたい。
著者
山田 良
出版者
環境芸術学会
雑誌
環境芸術 : 環境芸術学会論文集 (ISSN:21854483)
巻号頁・発行日
no.9, pp.53-56, 2010-03-31

自然環境における風景を、造形作品を通してどのように見せるかという考察を続ける一方、作品をつくる側として、風景を喚起させる空間とはどのような状態のものか、作品そのものが鑑賞者にとっての風景となりうるかという考察を継続している。本論では、風景を喚起させる空間インスタレーションの制作研究として、空間知覚の概念と実例を(1)動きをアフォードするインスタレーション(2)肌理・テクスチャーから解放されたインスタレーションと二つに分類し論じた。またこの概念を通じての筆者による《Pemetrate Garden》《Vertical Landscape》の二作品を報告した。今後は、素材の選択・鑑賞者との関わり方・制作方法などに関して複数の造形アプローチをパラレルに実践することで、多様な試行を継続する必要があるだろう。「風景」の知覚をもとに作品を考えることで、これまでよりさらに鑑賞者と密接な空間を成すことができると考えている。