著者
又平 恵美子
出版者
筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科日本語学研究室
雑誌
筑波日本語研究 (ISSN:13424793)
巻号頁・発行日
no.6, pp.93-102, 2001-08-31

日本語母語話者の会話で「イチゴが売っている」というような表現が使われることがある。商品が「ガ」で示されるのは、単なる言い誤りによる格の誤用として処理してしまうには出現の頻度が高く、一つの定型構文として成立してしまっているものであると考えられる。動作主でなく対象が「ガ」によって表示されていること、必ず「売っている」などテイル形で現れるということ、商品の所有権が移動しないという状況に限定されているということがその構文が成立可能となる特徴としてあげられる。このような表現が存在し得る理由は、「商品として物が存在している」ということだけを表現するためには、冗長的でない規範的な言い方では言い表しにくいということが考えられる。
著者
又平 恵美子
出版者
筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科日本語学研究室
雑誌
筑波日本語研究 (ISSN:13424793)
巻号頁・発行日
no.6, pp.93-102, 2001-08-31

日本語母語話者の会話で「イチゴが売っている」というような表現が使われることがある。商品が「ガ」で示されるのは、単なる言い誤りによる格の誤用として処理してしまうには出現の頻度が高く、一つの定型構文として成立してしまっているものであると考えられる。動作主でなく対象が「ガ」によって表示されていること、必ず「売っている」などテイル形で現れるということ、商品の所有権が移動しないという状況に限定されているということがその構文が成立可能となる特徴としてあげられる。このような表現が存在し得る理由は、「商品として物が存在している」ということだけを表現するためには、冗長的でない規範的な言い方では言い表しにくいということが考えられる。
著者
任 利
出版者
筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科日本語学研究室
雑誌
筑波日本語研究 (ISSN:13424793)
巻号頁・発行日
no.8, pp.72-89, 2003

本稿では明治初年から現在までに発表された小説を用い、終助詞「かしらん>かしら」という語形変化の流れの中での男女の使用差を調査した。昭和前期頃に語形が「かしら」に定着するとともに、女性的な表現として定着していることが分かった。また、明治後期の男女の使用差を考察したところ、明治後期の作品では、女性の発話に丁寧体と共存して終助詞「かしら」を使用する用例が多く見られた。これは、直接的な問いかけや依頼を避け、柔らかな丁寧さを示しており、明治以後形成された発話の仕方における男女差の反映と見られる。小説の世界では、明治後期から「かしら」を使用する女性のステレオタイプが形成され、大正期・昭和期をへて、現在に至り「かしら」が女性的表現として定着してきたと考えられる。
著者
任 利 Ren Li
出版者
筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科日本語学研究室
雑誌
筑波日本語研究 (ISSN:13424793)
巻号頁・発行日
no.8, pp.72-89, 2003-11-30

本稿では明治初年から現在までに発表された小説を用い、終助詞「かしらん>かしら」という語形変化の流れの中での男女の使用差を調査した。昭和前期頃に語形が「かしら」に定着するとともに、女性的な表現として定着していることが分かった。また、明治後期の男女の使用差を考察したところ、明治後期の作品では、女性の発話に丁寧体と共存して終助詞「かしら」を使用する用例が多く見られた。これは、直接的な問いかけや依頼を避け、柔らかな丁寧さを示しており、明治以後形成された発話の仕方における男女差の反映と見られる。小説の世界では、明治後期から「かしら」を使用する女性のステレオタイプが形成され、大正期・昭和期をへて、現在に至り「かしら」が女性的表現として定着してきたと考えられる。
著者
永田 里美
出版者
筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科日本語学研究室
雑誌
筑波日本語研究 (ISSN:13424793)
巻号頁・発行日
no.8, pp.90-104, 2003-11-30

本稿は否定疑問文「動詞+マイカ」と「動詞+ヌカ/ナイカ」について、行為要求表現という観点から、中世末期~近世後期における資料をもとに考察を行ったものである。狂言台本虎明本(1642年)における行為要求表現は「動詞+マイカ」を用いることが一般的であり、「動詞+ヌカ」の使用は僅少な例にとどまる。しかし近松の浄瑠璃作品(1703~22年)では勧誘用法以外の行為要求表現に「動詞+ヌカ」の形式を用いる傾向が強まる。さらに近世後期の「東海道中膝栗毛(1802年)に至っては行為要求表現を広く「動詞+ヌカ/ナイカ」が覆うという傾向がみられ、「動詞+マイカ」という形式自体は江戸語や上方語からは消えてゆく。「動詞+マイカ」と「動詞+ヌカ/ナイカ」との間にみられる分布の移り変わりは「ヌ」のテンス・アスペクト上の意味変化に関わりがあると考えられる。
著者
冨樫 純一
出版者
筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科日本語学研究室
雑誌
筑波日本語研究 (ISSN:13424793)
巻号頁・発行日
no.7, pp.15-31, 2002

談話標識「まあ」の諸用法を観察し、「まあ」の持つ本質的な機能について検討した。「まあ」が現れる現象を観察した結果、情報そのものではなく、その情報が導出される処理過程と密接な関わりがあることが認められた。さらに、「まあ」の現れる位置、および独り言で使用可能な点を考慮すると、「まあ」の本質的機能は「処理過程の曖昧性を標示する」ものと捉えることができる。また、聞き手への働きかけを示す「まあ」については、本質的機能からの派生、「曖昧性」が及ぼす効果と説明することで、「まあ」の統一的な位置付けが可能となることを示した。
著者
大倉 浩
出版者
筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科日本語学研究室
雑誌
筑波日本語研究 (ISSN:13424793)
巻号頁・発行日
no.8, pp.158-147, 2003

『祝本狂言集*1』は、成立年代や筆者はともに不明ながら、流派分化以前の狂言の姿を残す貴重な台本と見られる。前稿に引き続き祝本の六つの曲について他の狂言台本と比較した。内容面で全体的に近似した狂言台本は見いだすことは出来なかったが、部分的には和泉流天理本との類似だけでなく、天正本と関連するような「ぶす」、これまでには見られなかった鷺流保教本との類似が見られる「賽の目」「雁礫」など多様であった。また、用語の面では、近世初期の虎明本・天理本と共通する語法(「な」、感動詞「じゃ」、接続形式「うば」など)が確認できた。さらに、虎明本・天理本にない「仕舞ばしら」「つれまい」「めぎららぎ」など、狂言記と共通するような近世的な用語も見られた。