著者
及川 昭文 オイカワ アキフミ Akifumi OIKAWA
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2002-03-22

本研究の目的は,考古学における数理的手法とは何かを明らかにし,数理考古学とでも呼ぶべき研究手法を確立することである。そのためには,数理的手法が考古学に新しい知見をもたらすことが実証されなければならない。これに答えるために本研究では,具体的な3つのテーマを設定して研究を行った。(1)考古学データベースの構築 年々増大する一方の「考古学的資料」を研究資料として利用でき,また研究者間での共有を可能にするには,従来の方法ではまったく間に合わないことは明らかである。コンピュータの持っている能力を活用し,まず「考古学的資料」から「情報」を抽出し,そしてデータベースとして構築していくことが不可欠である。本研究においては,考古学的資料をデータベース化するための構築手法としてのデータベース・エンジニアリングを提案し,それに合わせて新しいコンセプトのもとに従来のDBMS(Database Management System)とはまったく異なるデータベース管理システムBB-DB(Bare Bone Database System)を開発した。そしてBB-DBを利用して「貝塚データベース」「貝属性データベース」「遺跡地図データベース」の3種類の考古学データベースを作成した。(2)貝塚データベースから探る地域性 考古学の論文には,よく「神奈川県は縄文中期の遺跡は多いが後期は少ない,一方千葉県県は逆に後期の遺跡が多くなっている………」などと記載されているが,よく考えてみるとこの表現は実に不適切であることが分かる。都道府県という行政界のなかった縄文時代を,現代の行政界に基づいて説明することは,まったく不合理である。しかしながら,都道府県に代わる基準がないのも現状であり,何に基づいて地域性を論じればよいか,これまで十分に議論されてこなかった。本研究においては,約6,000の遺跡が収録されている貝塚データベースを対象に,この地域性を指摘できる指標を数理的な手法を用いて探った。(3)シミュレーションによる遺跡分布の推定 「北九州地方の弥生前期の遺跡の分布は………」という時の「遺跡」は,すでに発見されている遺跡のみを指している。ところがこの発見された遺跡群には,ある偏りが存在する。すなわち,ある地域で開発が進めば進むほど,そこで発見される遺跡は多くなるということである。遺跡の多さは,開発の度合いを示すバロメータといえないこともない。このような偏りを持った遺跡分布に基づいて推論することは,誤った仮説あるいは結論を導き出すことになりかねない。本研究においては,シミュレーションという手法を用いて,本来あるべき遺跡分布を推定する試みを行った。一般的に考古学においては,一つひとつの事象を積み上げて推論を進めていく,いわゆるボトム・アップ的な研究手法をとっている。しかし,何千,何万といったデータを対象に研究を行う場合には,まず仮説やモデルを想定して具体的な分析を進めるトップ・ダウン的な研究手法をとらざるを得ない。本研究においては,後者の立場をとり大規模な考古データベースを対象に,マクロな視点からの数理的手法を試みたが,研究の結果何ができたかを簡単にまとめると次のようになる。 (1)においては,まず考古学データベースの1次資料である報告書に存在する諸問題点を明らかにし,その解決策を提案した。そして,考古学データベースの構造について論じ,項目辞書の開発などを行い,データベース作成のための指針とした。また,ここで特記すべきことは,本研究で使用するデータベース群を構築,管理するために開発したデータベース管理システム,BB-DB(Bare Bone Database System)が予想以上の性能,機能を発揮し,単に考古学分野のデータベースだけでなく,汎用的に利用可能であるということを実証したことである。 (2)において目標としていたことは,2つある。ひとつは,数千,数万といった大きな数の遺跡群をいかにして分析するかということ。約6000レコードが収録されている貝塚データベースの数量化の手法を見つけることであった。いいかえれば,大きなまとまりで考える,すなわちマクロな視点からの分析を行う手法を見いだすことであった。もうひとつは,貝塚データベースの遺跡群をいくつかの地域(クラスター)に分けるための手がかり,あるいは指標というものを,データの数量化,そして数量的分析によって得ることができることを示すことであった。前者については,貝生息域のデータと遺跡の経緯度データを活用することによって,一つひとつの遺跡をより大きなグループにまとめ,それをまたより大きなグループにまとめるということを繰り返し,それをもとに分析を行った。後者については,特定の貝の出土分布の時期別変化に縄文海進の影響が示されているといった新しい知見なども得ることができ,また,メッシュあたりの遺跡密度から遺跡群のクラスターを指摘できるといった,地域性を示すための指標を明らかにすることができた。 (3)において,主張したかったことのひとつは,手作業では到底なしえないことも,コンピュータを利用することによって可能になるということである。今回のシミュレーションのように,何千という遺跡データ,何万という国土数値情報データを対象にして,何十万回という数値計算を行い,図化するという作業は,コンピュータなしでは絶対に不可能なことである。シミュレーションそのものについていえば,その結果の考古学的な評価は別にして,この手法が遺跡分布の推定に有効であることは実証できた。また,遺跡期待指数というこのシミュレーションのために考案した指標の高さによってクラスターを抽出し,特殊な地域性を指摘できることがわかったことは,予想外の収穫であったし,シミュレーションという研究手法が,これからの考古学研究の大きな道具となることを示すことができた。 以上を総括していえば,数理的手法が考古学研究に有効であること,また,従来の方法では得られなかったような知見を得ることが可能であることは,十二分に示すことができた。しかし,そのためには,データベースを作ることができる,コンピュータを使える,数量的分析ができるといった諸々の技術を習得するだけでなく,さまざまな考古学事象をこれまでと異なる視点で捉えなおせることが必要になってくるを指摘しておきたい。
著者
堀 まどか ホリ マドカ Madoka HORI
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2009-09-30

野口米次郎(1874-1947)は、英語・日本語で多彩な言論活動をくりひろげ、二〇世紀前半期には国際的に広く知られた日本詩人であった。従来、英文学分野での野口の英米文壇との関わりを論じる研究は行われてきたものの、日本文学の側からは研究がほとんどなされていない。野口の生涯を基礎資料や出典文献の吟味を経て通観した著述や、それをふまえた研究も行われてこなかった。野口が日本文学史の主流から排除された理由は、彼が戦時期に「帝国メガフォン」として活動した為、敗戦後、長く忌避されたことにある。こうした研究上の欠落を是正するため、本論は野口の戦時期活動を含め、従来の研究の欠落部分であった日本文壇における活躍を検証し、国際的文化思想潮流の中における野口の生涯を捉え直そうとするものである。<br /> それゆえ、本論は第一に、明治・大正・昭和の敗戦時にまで及ぶ野口の生涯を通じて、その活動の全容を明らかにし、これによって従来の研究の克服をめざす。第二に、野口の文学世界の本格的な探究を基盤づけるために、野口を取り巻き、変動を重ねた同時代の国内外の諸文学の動向を明らかにし、それらとの関係の再考を試みる。第三に、野口米次郎は、文芸にとどまることなく、日本美術や浮世絵、能・狂言の海外への紹介者として活躍した。このことが海外のジャポニスムにどのように働きかけ、どのような役割を担ったのかを考察する。総じていえば、野口という人物とその作品の再評価を課題の中心に据えるが、そのために、従来の日本文学・英文学という個々の領域を超え、文化全般さらには思想全般の国際的、国内的な動向とを関連づけて野口米次郎の足跡を考察する。<br /> 本論は大きくわけて、三部構成をとる。第一部「出発期―様々な〈東と西〉、混沌からの出現」では、詩人野口米次郎がどのように自己形成を遂げていったかを明らかにする。第一章で野口の渡米までの成長過程における英語学習の様子や、早くから芭蕉俳諧に親しんでいたこと、渡米の動機などを考察する。第二章では、アメリカ西海岸のボヘミアニズムの潮流下で、ポーやホイットマンを尊敬しそれらを芭蕉俳諧と重ねて理解した野口が、詩人としていかにデビューしたかを、その周辺の詩人たちの理解や当時の国際的な文化潮流とあわせて、伝記的に再確認する。第三章は、ジャポニズム小説の隆盛期の流れに棹さして執筆した日記風小説に焦点を当て、野口の視点の独自性と問題意識の原点を探る。第四章は、英国詩壇で一躍人気を博したことについて、一九〇三年当時の野口が翻訳や英詩作に対していかなる自覚や意図を持っていたのかを探る。また英国詩壇で野口の英詩の方法や表現がいかに受容されたかを検討する。<br /> 野口の人生中期を捉える第二部「東洋詩学の探求と融合―〈象徴主義〉という名のパンドラの箱」では、東洋の伝統と西洋のモダニズム詩論との交差の中で、野口の詩学や詩作がどう展開したかの分析を試みる。第五章では、野口の一九〇四年の帰国が、日本の詩人たちによる象徴主義詩の移入時期と重なっていたこと、野口が象徴主義を芭蕉と比較して説明したその先に、日本国内での芭蕉再評価の気運を認めうることを明らかにする。第六章では、日本帰国後の野口が積極的に英文執筆に取り組み、国外の様々な新聞雑誌に、舞台芸術や美術そして政治状況などの多岐多彩な著述を書き送り、日本文化の海外発信に努めていた点を分析する。また帰国後に刊行した詩集や評論集が、海外では不可解と思われていた「日本」の本質や日本人の精神構造を伝えるために書かれていることを考察する。第七章では、日本文化の解説者として重要な役割を演じた一九一四年の英国講演をとりあげる。野口が芭蕉俳諧の精神哲学と詩学を論じたことは、国内外に多大なインパクトを与えた。第八章では、欧米モダニズム思潮の中での野口の位置と評価、その時代背景について考察する。英詩改革を試みた英詩壇が東洋への指向性を深めてゆく様子を、インドの詩人たちとの関係などをも含めて明らかにする。第九章では、従来ほとんど研究がなされてこなかった、大正期詩壇の中で野口が果たした役割と存在意義を、幾つかの詩誌から解明する。大正から昭和への転換期には、様々な思潮が混沌として渦巻いた。野口はこの時期、文化相対主義的な観点から国内外に向けて伝統意識と前衛意識について語っている。第十章ではこれら両者の重なりが、昭和初期に日本主義が立ちあがってくる兆しと如何なる関係にあったかを浮き彫りにする。第十一章では、野口がL・ハーンについて残した著述とその内容を明確にし、日本主義の潮流に巻き込まれる「境界人」としての二人の位置について考える。 第三部は「「二重国籍」性をめぐって―境界者としての立場と祖国日本への忠誠」と題して、文明批評家としての国内外の評価も確立していた野口の、後半生における屈折を、国際関係論、東西文明交渉史、植民地主義批判に目配りしつつ論じる。第十二章では、野口の〈境界〉性や自己存在の不安定さについて、従来指摘されてこなかった幾つかの局面から論究する。野口は人類の普遍主義に立つ文化相対主義の立場から、自国の文化を創出することを考えていた。時代は彼に政治問題や民族・国家の独立問題と関わることを要請し、かつ野口自身もそれを当然のことだと考えていた。しかし、二〇世紀の国際関係は、その立場に亀裂や動揺を生みだしてゆく。その実態を捉える。第十三章では、早くからインドとアイルランド文学の共通性を意識していた野口のアジア認識を、インドとの関わりを中心に論じる。野口のインドに対する発言や論述といえば、従来はもっぱらR・タゴールとの論争ばかり注目されてきたが、それは野口と「インド」との関係の一頁に過ぎないことを、インドで発掘した資料などをもとに明らかにする。第十四章は、野口の戦時期の詩について、従来知られていなかった作品にも照明を当て、野口米次郎の詩想の全容の解明に努め、その内部にかかえた亀裂の様をあきらかにする。第十五章は、敗戦後の野口と没後の評価を扱い、野口の遺志が受けつがれてきたことを示す。<br /> 野口は、国際的な象徴詩運動が様々なモダニズムへと分化してゆく中で、前衛性と庶民性、国際性と地方性、そして民族の魂といった要素の融合する二〇世紀の詩精神を守り育てることに腐心し、大正期の詩壇で尊敬を受け、また海外に自分なりの日本文化の神髄を紹介することに邁進して国際的に活躍の場を拡げた。象徴性、暗示性、幽玄の世界、精神性を表現することが、野口の「詩一つに生きる」ことであり、文化相対主義の立場から日本文化の普遍性を敷衍することを、野口は自らの使命とした。しかしそのことが、戦争の時代には、野口の中に自分自身では処理しきれない問題を抱かせることになった。<br /> 野口が自らを「二重国籍者」と述べたとき、それは自嘲であっただけではなく、精神的複合性をもった詩人としての自覚であり、「近代」的視野を持つ国際人としての自負でもあった。本論は、蹉跌の思いと痛みを抱えて、激動の時代を生きぬいた野口米次郎というひとりの詩人の軌跡を、二〇世紀における国際詩想潮流の動きと文化交流の実態とに重ね合わせながら、解明することをめざした。この詩人の達成と挫折とが共に、日本近代のたどった思想史や文化史の展開を照らし出している。
著者
登谷 美穂子 Mihoko TOYA
出版者
総合研究大学院大学
雑誌
共同利用機関の歴史とアーカイブズ2004
巻号頁・発行日
pp.17-29, 2005-08

第Ⅰ部 研究会「大学共同利用研究所・研究機関の成立」 第1章
著者
今井 昭彦
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2005

identifier:総研大乙第143号
著者
古賀 達也 コガ タツヤ Tatsuya KOGA
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2006-09-29

本研究では量子力学的な分子動力学法を用いて, グラファイト材料の水素原子吸<br />着による化学スパッタリング過程の機構を明らかにした. その経緯と概要を以下に<br />述べる.<br /> 今日, 経済発展に伴う化石資源の枯渇と環境破壊が大きな問題となっており,<br />これらに対して新しいエネルギー資源の早期開発が必要である. 実用化されてい<br />る, または実現可能と考えられる多くの代替エネルギーの中で究極のエネルギー<br />源が核融合である. しかし, その実現において最も重要である核融合炉壁材料に<br />ついては, 耐熱・耐放射線性のふさわしい材料が未だ見つからず, またプラズマと<br />壁との間の相互作用も十分に明らかにされていない. この問題を克服すべく, こ<br />れまで数多くのプラズマと固体壁に関する理論的・実験的研究が行われてきた.<br />その中でも固体壁表面の損傷については, 原子衝突により壁面の構成原子が外に<br />飛び出す物理過程だけでなく化学反応によっても表面が損傷されることが明らか<br />になってきた. そして, この後者が核融合炉壁材料に大きな影響を与える可能性<br />がこれまでの研究結果により認識されている.<br /> 化学スパッタリングは, 核融合炉材料のひとつである炭素壁とプラズマ起源の水<br />素との間で顕著に現れる. それらの相互作用は原子・分子という非常にミクロなス<br />ケールの反応であり, この詳細な過程を実験で知ることは現在の技術水準では容易<br />ではない. 一方, 固体や分子のミクロな現象の研究には計算機シミュレーションが<br />多用されている. 本研究の分野では以前から物理スパッタリングの計算機シミュレ<br />ーションによる研究が行われており, 実験結果を十分説明できる研究成果が挙げら<br />れている. しかし, 化学スパッタリングは物理スパッタリングと異なり, 原子間力<br />のみを取り扱う古典力学的な方法は不十分であり, 原子間結合の切断・結合を扱う<br />電子状態を考慮した量子力学的な取り扱いが必要である. ところが, 波動(シュレ<br />デインガー)方程式が数値的にも計算できるのは水素様の原子と10原子程度の系<br />である. そこで本研究の計算機シミュレーションでは, 電子の密度汎関数理論に基<br />づくKohn-Sham 方程式を用いている. この方法により電子の量子多体系が扱える<br />ようになるが, 古典力学と比べてはるかに多くの計算量を必要とする. このため,<br />計算機を並列に接続して分散処理を行う並列計算機(PC クラスター)を用いた.<br />以前のシミュレーション研究では, 損傷を受けていない平坦なグラファイト表面<br />上ではCH<sub>2</sub> よりさきの炭化水素が生じないことが確かめられているが, 実験ではグ<br />ラファイト内に取り込まれ同一グラファイト層上に付着した水素原子数がグラフ<br />ァイトを構成する炭素原子数に対して約50%になったとき, 化学スパッタリング<br />由来の炭化水素が観測される. このことから, 水素吸蔵と化学スパッタリングに因<br />果関係が存在すると考え本研究を行った.<br /> 計算体系としては, グラファイトを模擬材とし, そこに水素原子を順次付着させ,<br />その際に起きる構造の変化を, まず構造最適化(エネルギー最小化)の方法により<br />求めた. その結果, 吸着された水素原子密度が上昇するにつれ, グラファイトが<br />徐々に変形して構造が不安定となり, グラファイト一層あたりの水素原子付着率が<br />約50%に達したとき, 炭素原子間の共有結合が切断されCH<sub>2</sub> が発生, その後CH<sub>3</sub><br />からメタンの生成を起こして崩壊することが第一原理分子動力学シミュレーショ<br />ンにより明らかにされた. すなわち, 水素吸蔵により化学スパッタリングが容易に<br />発生して, 壁材料が大きく損傷することを示した.<br /> 一方, 実験では900K の高温域で材料表面上で炭化水素の発生量増加が確かめら<br />れている. そこで本研究では次に, この温度域での化学スパッタリングの発生過程<br />について調べる為, 原子の運動をVerlet+Nose-thermostat 法で追跡して調べた. そ<br />の結果, グラファイトの熱振動に伴いグラファイト表面に付着している水素原子が<br />表面上から離脱しやすくなり, 損傷を受けていないグラファイト表面上では化学ス<br />パッタリングが起きにくいことを確認した. 一方で, 構造最適化計算で得られたす<br />でに表面上にCH<sub>3</sub> が発生した初期状態を用いた計算では, CH<sub>3</sub> のグラファイトから<br />の離脱が確認できた. このことより, 化学スパッタリングは主に低温で起きる現象<br />であり, 高温では低温で発生した炭化水素が激しい熱振動により離脱することがわ<br />かった. また, CH<sub>3</sub> 離脱後のグラファイト表面上には大きなホールが形成されるが,<br />このホールが他のグラファイト層の破壊を容易にし, 結果としてグラファイト全体<br />へと影響を及ぼすと考えられる. 以上, 本研究は化学スパッタリング現象の基礎過<br />程を量子力学に基づき理論的に明らかにしたといえる.<br /> 本研究結果からの炉壁材料開発への提言として, 水素を吸蔵させないグラファイ<br />ト材料の開発が必要である. また, 高温域では化学スパッタリングが起き難いこと<br />から壁材料を1000K程度の高温に保持することも有効な解決方法と考えられる. 一<br />方, 本研究で用いられた密度汎関数法は実験データや他の経験則を必要とせず, 解<br />析理論, 装置実験と並ぶ数値シミュレーションという新たな研究手法である. 今後,<br />計算機性能の向上により取り扱う計算体系がより実現象に近づき, 計算機シミュレ<br />ーション法が物質現象を理解する上でさらに重要な地位を占めると考えられる.