著者
加藤 健治
出版者
総合研究大学院大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2012

脳梗塞・脊髄損傷後による運動機能障害は、大脳皮質と脊髄間を結ぶ下行路が切断されているために起こるが、損傷領域の上位に位置する大脳皮質や、下位に位置する脊髄・末梢神経・筋はその機能を失っているわけではない。従って、機能の残存している大脳皮質より神経活動を記録し、損傷領域を超えて下位の神経構造へ、神経活動依存的な電気刺激を送る「人工神経接続」によって、失った随意運動機能を再建できる可能性がある。本研究では、脳梗塞モデルサルにおける大脳皮質-筋間の人工神経接続に対する運動適応過程とその神経メカニズムについて検討した。3頭のサルを用いレンズ核線条体動脈或いは前脈絡叢動脈を結紮することにより脳梗塞モデルサルを作成した。大脳皮質-筋間の人工神経接続は、大脳皮質前頭葉へ慢性留置したシート状電極のうち1極を任意に選択し、記録された脳活動よりhigh-γ帯域(80-120Hz)の特徴的な波形を検出し、その検出頻度に依存して電気刺激の強度と周波数を変調させることにより達成した。人工神経接続切断時では麻痺手の随意制御ができなかったが、人工神経接続中には、随意的に麻痺手の運動を制御することに成功した。さらに、一次運動野、運動前野、一次体性感覚野におけるいずれの脳活動を使っても、麻痺筋の随意制御は可能であり、手関節力制御タスクの成績は時間に伴って有意に向上した。その学習に関わる神経メカニズムを調べたところ、人工神経接続への入力信号を効果的に増加させることによって、自己学習できることがわかった。これらの結果は、脳梗塞サルであっても、自ら脳活動を大規模に再編成させて新規な大脳皮質-筋間の人工神経接続に対して自己適応し、失った手の随意制御を再建できることを示唆している。将来、このような神経代替方法によって、脊髄損傷・脳梗塞等で失った四肢の随意運動機能を補綴する基礎的なメカニズムの理解に、重要な貢献をなすものである。
著者
溝口 元 Hazime MIZOGUCHI
出版者
総合研究大学院大学
雑誌
共同利用機関の歴史とアーカイブズ2006・2007
巻号頁・発行日
pp.93-114, 2008-03-31 (Released:2011-09-09)

第Ⅱ部 招待講演による記念シンポジウム 研究機関の資料保存と歴史研究 第9章 溝口 元 [立正大学・社会福祉学部]
著者
安藤 昌也 アンドウ マサヤ Masaya ANDO
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2009-03-24

1章 序論<br /> ユーザビリティや人間中心設計は、我が国の産業界だけでなく、世界的にも次第に定着しつつある。しかし近年、ユーザの実利用の実態と乖離したユーザビリティ評価に対する批判がなされるようになった。User Experience (UX: ユーザ体験) に対する議論の広がりや、ユーザビリティ指標の批判的研究などは、その動向の一例である。<br /> 本研究は、インタラクティブな操作を伴う製品 (インタラクティブ製品と呼ぶ) を対象に、製品を購入したユーザが実利用環境において、長期に渡り製品を利用することで形成する製品評価の構造を研究対象とする。<br /> ユーザビリティ研究分野において、実利用環境や長期の利用に関する先行研究には、フィールドユーザビリティやユーザビリティ評価の経時的変化に関する研究などがある。しかし、実利用環境における製品評価構造に関する研究はこれまで行われていない。また、消費者行動論における顧客満足研究では、製品の利用過程そのものが研究の焦点となっておらず、ユーザビリティと顧客満足に関する研究は行われていない。<br /> 本研究の目的は、インタラクティブ製品の実ユーザが、実利用環境での利用経験に基づいて行う製品評価の構造を明らかにすることである。そのため本研究ではまず、実利用環境における製品評価について定性的研究アプローチにより把握し、ユーザの製品評価構造及びの心理的要因を明らかにする。次に、導出した製品評価構造に基づき、定量的に把握可能な変数を定めた上で、定量的研究アプローチによって実際の評価構造を検証する。なお、定量的研究では、ユーザの心理的要因と製品評価との相互関係に着目し分析を行う。<br /><br />2章 実利用経験に基づく製品評価構造<br /> 製品の長期利用の実態と評価の関係を把握するために、7名のインフォーマントに対して、製品利用の来歴を記入する利用年表を用いた回顧的なデプスインタビューを行った。<br /> デプスインタビュー結果の分析から、長期にわたる製品の利用と評価に対する洞察を得た上で、利用経験 (出来事) と評価の関係性に注目し、修正版グラウンデッド・セオリー・アプーチ (M-GTA) により、共通の事象を概念として抽出し、「製品評価プロセスモデル」を導出した。分析過程では、発話データのコーディングに基づいて20個の概念を抽出し、さらにそれを10個のカテゴリにまとめた。<br /> 製品評価プロセスモデルでは、利用経験と製品評価の関係については把握できたものの、インタラクティブ製品の利用に対するユーザの心理的要因の影響については十分ではなかった。そこで、改めて同一のインフォーマント6名と追加の4名の計10名に対して、インタラクティブ製品を利用する際の態度や感情などに注目して、デプスインタビューを行いM-GTAを用いて分析を行った。<br /> その結果、ユーザの心理的要因として「インタラクティブ製品の利用に対する自己効力感(自己効力感)」と「利用対象製品に対する製品関与(製品関与)」の2つの要因を抽出した。<br /> これら二つの調査と分析の結果から、「実利用環境での利用経験に基づく製品評価構造(製品評価構造)」を導出した。<br /><br />3章 製品利用に関する心理尺度の構成<br /> 3章では、2章で導出した製品評価構造に基づいて、ユーザの心理的要因である自己効力感を測定する心理尺度と製品関与を測定する心理尺度を、それぞれ構成した。<br /> 自己効力感尺度は、1,200件の訪問留置法による質問紙調査によりデータを把握し、因子分析等によって項目選択を行い、最終的に1因子20項目で構成される尺度を作成した。<br /> 製品関与尺度は、製品の普及率のバランスを考慮し、8種類のインタラクティブ製品と2種類の白物家電を取り上げ、それぞれの製品に対する関与度を把握するウェブ調査を実施した。有効回答数は600件である。分析では、因子分析等によって項目選択を行い、10項目の尺度原案を作成した。ウェブ調査はサンプルの偏りが大きいことが指摘されているため、ウェブ調査データの補正法である傾向スコアによる共変量調整法を用いて、データの補正を行った。補正後のデータを用いて、10項目の尺度原案の因子構造が安定的であることを確認した。これらの手続きにより、最終的に3因子10項目による尺度を構成した。<br /><br />4章 ユーザの心理的要因と製品評価<br /> 4章では、2章で導出した製品評価構造に基づいて、実際の製品の製品評価を把握した。対象とした製品はアップル社の「iPod nano」である。iPodはユーザビリティやUser Experienceを考慮した製品だといわれており、また、普及率も高くデータを収集しやすいことから調査対象とした。<br /> 調査方法はウェブ調査とし、サンプリングは2年未満の利用期間を5つの区分に分割して、各期間のユーザの回答を収集した。有効回答数は262件である。<br /> 製品評価は、ユーザビリティ評価に関するものとUser Experienceに関するもので、合計85項目について回答を得た。因子分析を行った結果、「使う喜び・愛着感」「主観的ユーザビリティ評価」「不満感」の3つの評価因子が抽出された。これらの評価因子の因子得点を、利用期間ごとの平均値で比較したところ、利用期間によって大きく異なる傾向があり、2章で示した製品評価プロセスモデルの特徴と類似する傾向が見られた。<br /> また調査では、3章で構成した自己効力感尺度及び製品関与尺度を把握し、尺度得点を算出した。<br /> ユーザの心理的要因と製品評価の関係を分析するために、自己効力感及び製品関与の尺度得点と、3つの評価因子の因子得点を用いて、共分散構造分析を行った。分析モデルは、2章の製品評価構造に基づいてパス図を作成した。その結果、自己効力感は「主観的ユーザビリティ評価」に正の影響があり、製品関与は「使う喜び・愛着感」と「主観的ユーザビリティ評価」の両方に正の影響があった。<br /> また「使う喜び・愛着感」が利用経験に基づく製品評価の総合的な評価であることを示した。<br /> 製品評価の特徴をわかりやすく分析するために、自己効力感尺度得点と製品関与尺度得点の分布に基づいて、ユーザを4群に分割し、製品評価、利用経験 (出来事) 及び利用実態の特徴を分析した。その結果、ほとんどの項目で各群に有意な差があり、ユーザの特性に応じた製品評価の特徴を、的確に把握・分析できることを示した。<br /><br />5章 結論<br /> 本研究で得られた、実利用環境での利用経験に基づく製品評価構造及び、ユーザの心理的要因が製品評価に及ぼす影響に関する知見を整理し、ユーザビリティ活動において実利用環境での製品評価を把握することの重要性を、従来のユーザビリティテストと対比させて考察した。<br /> また、ユーザの心理的要因尺度の尺度得点によってユーザを分類し、製品評価を分析する手法の有効性を示し、実利用環境における製品評価の分析手法として提案した。この手法は、SEPIA手法 (Self-Efficacy & Product Involvement Analysis) と名付けた。またSEPIA手法は、新しいユーザ支援のあり方の検討にも応用することができ、試みとして自己効力感を高めることにより、ユーザビリティの問題点を緩和するアイディアについて検討を行った。<br /><br /> 本研究は、得られた知見の一般化にはなお限界があり、今後の研究により知見を蓄積することが必要である。また他にも検討すべき課題があるものの、今後の研究の基礎となる研究成果は得られており、実ユーザの利用体験をより快適で満足度の高いものとするために、貢献できるものと考えている。
著者
寺井 洋平
出版者
総合研究大学院大学
雑誌
新学術領域研究(研究領域提案型)
巻号頁・発行日
2019-04-01

代表的な日本犬種である紀州犬、秋田犬、柴犬、保存状態のよい二ホンオオカミ(3個体)それぞれ3個体ずつ、およびニホンオオカミのタイプ標本とヤマイヌの標本(各1個体)からゲノムDNA配列を決定する。その情報からニホンオオカミ固有の塩基置換を抽出し、日本犬ゲノムにそれら固有の塩基置換が含まれる領域を明らかにする。次いでニホンオオカミ特有の形態に関わる遺伝子とゲノム領域を抽出する。さらに日本犬ゲノム中のニホンオオカミ由来領域と、ニホンオオカミの島嶼適応に関わった可能性のある領域との重なりを抽出する。これにより島嶼適応したニホンオオカミの遺伝情報が日本犬の成立に寄与したことを明らかにする。
著者
加藤 直子
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2012

identifier:総研大甲第1530号
著者
岸上 伸啓 キシガミ ノブヒロ Nobuhiro KISHIGAMI
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2006-03-24

本論文はカナダ極北地域に住む先住民イヌイットの食物分配に関する文化人類学的研究である。本研究の目的は、1980年代から2001年頃までを対象としてケベック州極北部ヌナヴィク地域のアクリヴィク村においてイヌイットがいかなる理由で、どのように食物を分配し、それがどのような社会的な効果や機能を生み出しているかに関して、社会変化や社会関係と関連づけながら記述し、分析することである。その上で、変化しつつあるイヌイット社会において食物分配の実践が果たしてきた役割について考察する。 本論文は6章からなる。第1章では、本論文の目的を述べた後、論文全体の概要について述べる。第2章では、食物分配とは何かを定義した後、イヌイットをはじめとする狩猟採集民社会における食物分配に関する研究を、社会・人類学的研究と生態学的研究(生態人類学と進化生態学)に大別して整理をする。その上で、本論文で取り扱う問題を設定し、この研究の学術的な意義や仮説について述べる。本研究の仮説はイヌイット社会の経済的変化が急激に進む中で、食物分配の実践を通してイヌイットの社会関係が再生産されてきたというものである。そして本章の最後では、現地調査について概略する。 第3章は、本論文の調査対象地であるカナダ・ヌナヴィク地域ケープ・スミス島周辺の自然環境と歴史について記述する。ここでは、現在のイヌイット社会が世界システムや国家の中に包摂され、その一部として存在していることを強調する。 第4章では、1980年代から2000年にかけてのアクリヴィク村の経済構造を貨幣経済と生業経済の点から概略した後に、アクリヴィク村の家族・親族、世帯、キャンプ集団、村落構造、婚姻制度、養子縁組制度、同名者関係、助産人関係、友人関係について記述する。 第5章では、アクリヴィク村において観察された食物分配の全体像を提示した後、ハンター間の獲物の分配、ハンターから村人への獲物や食物の分配、村人間での食物分配、村における食事を通しての食物分配、キャンプ地における食物分配、村全体での共食会、村外との食物分配、そのほかの食物分配や交換、そしてケベック州ヌナヴィク地域で1980年代半ばに創設されたハンター・サポート・プログラムとそれを利用した村全体での食物分配の諸事例を紹介する。そのうえで、これらの食物分配の特徴、その時間的な変化と連続性について述べる。 第6章では、現在のイヌイット社会の食物分配の特徴や内容を、本論文で提起した食物分配の新たな類型に基づきながら検討する。また、アクリヴィク村の事例を用いて、狩猟採集民社会の食物分配の研究から引き出されてきたいくつかの仮説を検討することにより、現代のイヌイットの食物分配の特徴を指摘する。さらに、イヌイットが食物分配の実践を通していかに拡大家族関係や同名者関係などの社会関係を再生産してきたことを検討する。そのうえで、本研究から引き出された結論を要約する。 本論文の結論は、以下の通りである。 (1)アクリヴィク村の食物分配には、基本形として「分与」、「交換」、「再分配」が存在している。さらにハンター・サポート・プログラムによる分配や村全体での共食は、ボランニーの「再分配」の形態である。アクリヴィク村の事例に基づくと、イヌイットの食物分配の中心は、「交換」ではなく、「分与」や「再分配」である。 (2)アクリヴイク村の事例では、「狩猟採集民の分配は分与である」とするバード=デイヴイッドの説(Bird・David1990)や「狩猟採集民の食物分配は再分配である」とするウッドバーンの説(Woodburn1998)をある程度支持している。食物分配を食物の「交換」として理解し、食物分配の形態と社会的な距離との関係をモデル化したサーリンズのモデル(Sablins1965)に関しては、全体的な傾向としてアクリヴィク村の事例はモデルを支持するものの、大型動物の肉の分配(分与)や老人・寡婦・病人への食物分配(分与)は親族関係の有無に関係なく実践されているため、モデルの反例となる事例が存在している。 (3)アクリヴィク村の事例に基づくと、イヌイットの現在の食物分配の機能には、1)カントリー・フードを入手する手投としての機能、2)世帯間での食物の平準化機能、3)食物分配には既存の社会関係を確認し、維持する機能や、食物分配を意図的にしないことによって既存の社会関係を壊す機能、4)ハンターが分与の実践によってコミュニイティー内から社会的な名声や敬意を獲得する手段としての機能、5)文化的な価値観を実現させるという精神的な満足機能、6)コミュニティー意識やエスニック・アイデンティティーの生成・維持機能などがある。このように現在のアクリヴィク村の食物分配は複数の機能を持ち合わせた実践である。特に、食物分配は、食料を必要とする人にとって有利に働く実践である。 (4)アクリヴィク村のイヌイットの食物分配の大半は、親族関係や同名者関係など社会関係に沿った実践であるが、共労、場の共有(コミュニティーの成員であること)、弱者(もたざる者)であること、政治協定による′公認条件など社会関係以外の要因に基づく食物分配が存在する。そして食物分配の実践は、拡大家族関係など社会関係やコミュニイティー意識を確認させ、再生産させる。 (5)地域的にも、時間的にも極北地域のユピート・イヌイット社会における食物分配の形態や機能には差異が見られる。ヌナヴイク地域のアクリヴィク村の事例は、政治協定によって制度化された食物分配を実践している点ではユニークであるが、大半の食物分配が拡大家族関係に沿って実践されている点や「分与」や「再分配」の形態が主流である点では、ほかの地域の事例と共通点が認められる。 (6)食物分配は社会関係や世界観と深く相互に結びついているため、食物分配の衰退は拡大家族関係や世界観の変化などを生み出す原因のひとつになると考える。アクリヴィク村の事例のように新たな食物分配が制度化されたとしても、村人の狩猟・漁労活動が低下すれば、それに連動しながら食物分配の頻度が低下し、分配の範囲が狭まる可能性がある。 (7)現在のヌナヴィク地域のイヌイットは、国家や貨幣経済(世界経済システム)の中に取り込まれているが、カナダ政府やケベック州政府との政治交渉と協定を通して新たな社会を構築してきた。本論文ではその一例として、ヌナヴィク地域のイヌイットは、政治交渉を通して国家や州政府とうまく折り合いをつけ、国家や州政府が提供する制度や資金を利用しつつ、食物分配を実践し続けることによって、彼らの生活を組織する上で核となる社会関係を再生産させてきたことを例証した。カナダの先住民イヌイットの社会は、「国家に抗する社会」や「国家に抗せなかった社会」ではなく、「国家を受け入れ、利用した社会」である。
著者
申 昌浩 シン チャンホウ Chang Ho SHIN
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2000-03-24

本博士論文は、現在の韓国政治、文化の枠組を支える「韓国的ナショナリズム」の形成過程に、いかに宗教が大きな役割を果たしているかについて考察したものである。その宗教は、特に、日本という近代国家によって開国を迫られ、近代化の課題に直面していた朝鮮半島において、東学、親日仏教、プロテスタント(改新教)の三つが新たに成立したのである。そして、それらの成立の背景としては、東アジアを取り巻く国際情勢、とりわけ日本と韓国との政治的ダイナミズムが深い関わりをもっている。それゆえ、本論文では三つの宗教のそれぞれの成立と展開を、政治的な背景と関連させつつ、考察する。<br /> 第一に東学について。東学は19世紀後半、朝鮮半島で初めて成立した自生宗教であり、朝鮮王朝の封建的な儒教中心の既存の政治体制と両班による政治政権の掌握と運用に新たな変革を求めたものである。それは民族の宗教としての始まりと、民衆の真意を反映した民族主義と民族運動を成立させる役割を果たした。そして、特権身分階級として政治的・経済的な支配者である両班とその儒教体制による封建的な社会構造に対して挑戦を挑んだ民衆レベルの宗教であった。この東学の誕生は、間接的な原因ではあるが19世紀の朝鮮王朝の支配を突き崩すほどの力を発揮したといえるだろう。民衆運動と宗教運動を基盤にして形成された東学は、開国以後、日本帝国の経済的な進出に対しても積極的に対抗し、民族の自主と自立の精神を培養しようとした。この東学の民族主義は、宗教の問題であると同時に、政治的な問題であるといった方がよいだろう。東学が唱えていた思想は、朝鮮末期の政治問題や経済問題に民衆を結集させ、宗教的な内容よりもむしろ自由民権の宗教的哲学根拠を提供し、近代的な改革や社会変革を求める政治的な内容がより強く表出するものであった。この時期に形成され始めた民族主義は、国家ナショナリズムというよりも、民衆レベルでの民族の危機意識と開化精神の始まりといえよう。東学思想は19世紀後半期において、封建体制の対外的危機に対応する、農民や商人、賎民、没落両班の階級的利害、欲望、要求を反映した民衆運動として登場し、韓国の民族主義形成に大きく関わりを持っている政治的なものであった。しかし、日韓併合後の東学は日本帝国の政治的な力の前に内部分裂を繰り返し、民族宗教としての存在感が薄くなってしまった。その結果、解放後においても民族を支える宗教としての役割や政治舞台の中心に立つことはできなかったのである。<br /> 第二に親日仏教について。これまで仏教は幾度も民族的な危機に際して民衆を支えてきた伝統宗教であった。しかし、朝鮮時代の儒教的な政治体制から排除されることによって、町からその姿を消し、山に閉じこもるようになった。政治政権を掌握している儒者たち、いわゆる両班からの政治的な抑圧と蔑視と差別によって、朝鮮の仏教は非政治的な宗教集団となっていた。この仏教が、1876年の開国と共に朝鮮半島に進出してきた日本の僧侶によって復活し、政治的にも再生されるようになった。朝鮮仏教の宗教活動が解禁されたのは、日本帝国の経済的な進出が活発な時期であり、朝鮮王朝の儒教思想にも民衆を統制する力がなく、国運が傾き始めた頃のことでもあった。開国以来、日本の経済的な進出と1895年の日本の僧侶による嘆願によって、解禁されたため近代韓国仏教の始まりを「親日」仏教の始まりであるともいっている。朝鮮仏教は日韓併合後も政治的性格が日本の政治的支配や宗教政策に対して大きな反発を示す宗教運動や政治的な活動や動きも少なかった。また、解放後の成立した新政府による仏教浄化政策よって、親日仏教というレッテルを貼られるようになった。<br /> 第三はプロテスタント。1880年代に入ってきたキリスト教は、いわゆるプロテスタントのことであるが、儒教社会に迫害を受けたカトリックとは違い、封建的な社会であった朝鮮に近代的な先進文物や教育をもたらした宗教である。キリスト教は国を失った人々に、独立に対する熱望と組織的な体制を与え、近代韓国に本格的な民族的アイデンティティをもたらし、自覚することを可能にしたといえる。キリスト教教会は信者を中心に一般民衆が独立運動や民衆運動に積極的に参加する基盤を提供する役割を果たすと共に成長した。この韓国的キリスト教は、いわば純粋な聖書を土台にした信仰の基礎を作り上げることによって形成されたものではなく、愛国啓蒙運動や抗日民族運動の拠点を築く際に形成されたのである。それが日本帝国の植民地下での反日民族独立運動に参加し、韓国特有の民族イデオロギーを形成し、成長させることに結びつくことになる。その後、日本植民地からの解放されたキリスト教は、政治的・宗教的な苦難に対抗したことを様々な民族的な苦難を乗り越えてきた信仰的伝統にも結びつけるのである。そして、多くのキリスト教者は解放に伴って成立した新国家建設に参与し、教会の再建を図るために、儒教的な権威主義を背景にもつ西洋キリスト教者と結びつくようになったのである。<br /> 以上、三つの宗教を取り上げ、韓国的な民族主義宗教の形成と展開を近代韓国における、いわゆる政治と宗教の状況について論じてきた。封建的な儒教体制に挑戦するために民衆を結集させた力を持つ東学、親日的政治的な性格が付けられている韓国の近代仏教、日本帝国に立ち向かい愛国啓蒙運動や民族主義運動の立て役者となり、解放後は南北に分断された国土で共産主義に対抗し、大きく成長、定着したキリスト教に要約されよう。要するに、韓国的ナショナリズムの形成は、とりわけ宗教が同時に政治思想を帯びていたことを特徴とするのである。
著者
本郷 一美 石黒 直隆 鵜沢 和宏 遠藤 秀紀 姉崎 智子 茂原 信生 米田 穣 覚張 隆史 高橋 遼平 朱 有田 VU The Long
出版者
総合研究大学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

日本への家畜ブタ導入を判定する基礎資料として、現生および遺跡出土のイノシシ属の計測データを蓄積し、日本列島の南北におけるイノシシのサイズ変異の程度を明らかにした。また、東南アジア、琉球列島産の在来種ブタとイノシシおよび遺跡出土のイノシシ属のmtDNA分析を行った。日本在来馬の体格の変遷を探り、大陸のウマと比較するため、現生および中部~東北地方の古代、中世および近世の遺跡から出土したウマ骨格の計測データを収集した。
著者
長野 昌生 ナガノ マサオ Masao NAGANO
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2008-03-19

著者は掃引式スペクトラム・アナライザの掃引速度を高速化するアーキテクチャを開発し、<br />実験装置を製作した。これにより掃引式のダイナミックレンジの優位さと測定条件の多様性<br />という特長を保持したまま、測定速度を向上させることができた。測定速度が向上すること<br />でスペクトルの検出感度も向上し、電波天文観測にも簡易な分光計としても使用可能である<br />ことが分かった。<br /><br />(1)掃引式スペクトラム・アナライザは擬似的なフーリエ変換装置である。掃引式スペク<br />トラム・アナライザでは、掃引速度を高速にすると「過掃引現象(over sweep response)」が<br />発生し、観測結果にひずみが生じる。一般には、そのひずみの許容値を定め、それに対応し<br />た低速の掃引速度で使用しているのが実情である。著者は数値および実機による実験からそ<br />の性質を分析し、動作原理と数学モデルを明らかにした。このモデルから掃引式の過掃引現<br />象を厳密に議論することができた。その結果、掃引式における掃引速度がこのように制限さ<br />れる主たる理由は、スペクトラムを得るために、周波数掃引しながら、分解能フィルタにI<br />F信号を入力させていることにあることが明確になった。<br /><br />(2)掃引式スペクトラム・アナライザの掃引速度の制限を軽減するには、IF信号のチャ<br />ープ成分を複素信号処理により相殺すればよい。著者はこの新しい手法を「Super Sweep<br />Method (超掃引方式)」と名づけた。その数学モデルを確立し、有限の掃引速度においても擬<br />似的フーリエ変換が成立することを確認した。このモデルは、観測スペクトラムが、分解能<br />フィルタのフーリエ変換と被測定信号のフーリエ変換の畳み込みで得られる、というもので<br />ある。<br /><br />(3)(2)の数学モデルを検証する実験装置を考案・製作し、その詳細な実験結果を報<br />告した。実験装置は、既存のスペクトラム・アナライザを用い、局部発振器が掃引発振する<br />周波数ダウンコンバータとして活用したもので、そのIF信号出力(21.4MH<sub>-z</sub>)を80MH<sub>-z</sub>) 14bit<br />にてA/D変換し、デジタルダウンコンバータにより帯域幅とサンプルレートを、測定条件に<br />応じた所定の割合で減じたのち、複素数の係数を持つ「逆チャープ・フィルタ」によりスペ<br />クトラムを抽出するものである。<br /><br />提案方式において掃引と同期してスペクトラムを得るには高速な演算装置が必要となる。<br />本方式で要求される演算速度は、分解能帯域幅と倍速率(従来の掃引式に対する掃引速度の倍<br />率)の二乗に比例することを解明した。<br />本方式を実現するには、システムに関与する多数のパラメータを整合させなくてはならな<br />い。特に、水平軸を測定すべき周波数と合致させるには、各処理段階におけるサンプル数を<br />厳密に管理しなくてはならない、著者は、これらのパラメータの最適化を計り、歪のないス<br />ペクトル計測を超高速の周波数掃引で実現した。<br />(4) 著者が製作した実験装置により、従来方式よりも3倍、10倍、30倍、100倍の掃<br />引速度においても過掃引現象が発生しないことを確認した。より高速な掃引を実現するに<br />は、より広帯域なIF信号に対して複素信号処理を施せばよいことを明らかにした。IF信号<br />の広帯域化に伴って高速演算が必要になるが、昨今のDSPやFPGAを用いれば十分実現は<br />可能であり、そのモデルを提案し将来の発展方向も示した。<br /><br />(5) 著者は超過掃引方式の性質について議論し、次のよう3つの特徴を明らかにした。<br />1.FFT方式ではIFフィルタの周波数特性は、観測スペクトラムに対する乗算の形<br />で観測結果に影響を与えるのに対して、超掃引式では畳み込みの形で現れる。超掃引式で<br />はIFフィルタの特性は、より狭帯域な分解能フィルタの効果が支配的になり、観測結果<br />にほとんど影響しない。これはFFT方式に対する優位性である。<br />2. 著者は、既存のスペクトラム解析手法であるチャープZ変換と超掃引方式の関連を<br />明らかにした。超掃引方式はチャープZ変換と主要な部分を共有し、重要度の低い部分を<br />簡略化し、前半はアナログ、後半をデジタル信号処理で実現したものであることを明確に<br />した。本実験装置は、掃引式局部発振器をもつ受信機を前段に用いることでチャープZ<br />変換によるスペクトル分析を可能にした最初の装置である。<br />3. 掃引式スペクトラム・アナライザでは、ときとして内部のひずみ等によるスプリアス<br />が発生し、観測信号との識別が困難である。本方式では、スプリアス信号は、周波数軸上<br />で拡散され、かつレベルが低下した状態(過掃引現象の状態)で観測されることにより、実<br />際の測定信号との判別が可能となっている。これは従来の掃引式にもFFT方式にもなか<br />った特徴である。 <br /><br />(6) 本研究の実験装置により、電波望遠鏡による水メーザー天体のスペクトトル観測を<br />行った。掃引式に対してスペクトル計測感度の点で格段の優位性を実証した。電波望遠鏡の<br />簡易な分光器としての応用も可能であることを確認した。また本方式による性能の限界と実<br />現可能性を考察し、より高性能な分光装置開発の可能性を検討した。<br />
著者
梅原 猛 Takeshi UMEHARA
出版者
総合研究大学院大学
雑誌
進歩主義の後継ぎはなにか;高等研報告書0325
巻号頁・発行日
2002-05-17

基調講演「進歩主義の後継ぎはなにか」