著者
浜野 潔
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3-4, pp.433-444, 2004-11-11

富士川游の古典的著作『日本疾病史』(1912)に掲載された疾病事例に『日本災異誌』(1894)「疫病の部」の事例を加え、古代から近世までの疾病史データベースを作成した。このデータから近世以前の伝染病発生頻度について、次の観察結果が得られた。8世紀から15世紀までは、データの性質を考慮すると頻度に大きな変化はなかったと推定される。16-17世紀には伝染病の頻度が低下しており、この要因については、さらなる分析が必要となろう。一方、18世紀以後、伝染病の発生頻度は大きく上昇するが、これは主に流行性感冒の増加によるものと考えられる。
著者
大塚 忠
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.311-345, 2013-03-10

ドイツの公的職業訓練制度を基準に、戦後日本で試みられた技能工養成制度に焦点を当てドイツの制度に近くなるには、どんなところが制度設計上欠けていたのかを「技能工養成規定」と58年職業訓練法を中心に検討した。すでに職業訓練法の体系が構築される時点で、日本の職業訓練は大きくドイツからは離れてしまっていた。企業内養成制度の域を超えるような社会的規制は高度成長の中で失われていったのである。技能向上のために長期のオールラウンドの徒弟的訓練をする必要がなくなったことが背景になっていた。TWIプログラムの企業内定型訓練化がそれを可能とした。
著者
中澤 信彦
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3-4, pp.249-271, 2015-03-10

本稿の課題は、ハイエクがバークをどのように読んだのか、その読解の詳細を追跡することによって、ハイエクの保守主義観の特質と意義を明確化することにある。ハイエクが残したバークへの言及は分量的に決して少なくないが、断片的なものばかりである。そこで本稿では、ハイエクがバークの膨大なテクスト群のうちの何を参照したのかにとりわけ着目しつつ、ハイエクの主要著作におけるバークへの言及の有様を時系列的に整理する。本稿の構成は以下の通りである。第1節では論文「真の個人主義と偽りの個人主義」におけるバークへの言及を検討する。第2節では壮年期の主著『自由の条件』を検討し、第3節では『自由の条件』の補論「なぜ私は保守主義者ではないのか」を検討する。第4節では『自由の条件』と並ぶ後年の主著『法と立法と自由』を検討する。最後にこれまでの議論を整理し、「つまるところ、ハイエクはバークをどのように読んだのか?」という問いに、できるだけ明快な答えを与えたい。
著者
春日 淳一
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.287-298, 2000-12-15

市場経済においては,貨幣を支払えば原則としていつでも誰でも望む商品を手にすることができる(コミュニケーション・メディアとしての貨幣の一般化)。しかし,いったん購入した商品を返品し支払った貨幣を取り戻すことは通常できない。貨幣支払いのこの不可逆性はそれ自体なんら目新しい事実ではないが,本稿では(1)貨幣支払いとその不可逆性を社会システム論の文脈でとらえたうえで, (2)物理学的なイメージをも借りて,支払いの不可逆性が経済システムにおける時間の一方向性と結びついていることを示し,最後に(3)不可逆性の文明論的帰結を述べる。出発点となるのは,ルーマンが経済システムの基本的出来事(システム要素としてのコミュニケーション)とみなした支払い/非支払いという対概念である。ルーマンは支払いと非支払いの対称性を強調するが,両者には意思決定を伴うか否かをめぐって「対称性の破れ」 が見られる。筆者は出来事/反出来事という対概念を用いて非支払いを2種に区別したのち,支払いと同時に生じる反出来事としての非支払いに着目し,それが支払いの不可逆性発生の「現場」となる様子を明らかにする。
著者
植村 邦彦
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3-4, pp.337-354, 2004-11-11

ルイ・アルチュセール(1918-1990)は、1960年代に「重層的決定」や「構造的因果性」という概念をマルクス主義に導入することによって、ヘーゲル主義的マルクス主義や実存主義的マルクス主義を批判し、マルクス主義内部での「認識論的切断」を理論化しようとした思想家であり、フランスだけでなく世界的に大きな影響を与えた。しかし、この試みは、思想的言説空間では「構造主義」や「ポスト構造主義」へと向かうマルクス離れに棹さし、アルチュセール自身も、晩年には「偶然性」や「出会い」の理論化を模索しつつ、マルクス主義への批判を表明するにいたった。本稿は、このようなアルチュセールの理論的模索の全体像を明らかにし、その意味を確認しようとするものである。
著者
古賀 款久
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2-3, pp.115-164, 2019-12-20

本稿では、わが国の大企業約1680社における28年間 (1990-2017年度) のパネルデータを用いて、研究開発優遇税制の実効税率を推計した。実証分析の結果、次の三点が明らかになった。第一に、実効税率は、増加ベースの下では非常に低い水準に留まっていたが、支出ベースに転換した2003年度以降は法定税率に近い水準にまで上昇した。第二に、観測期間を通じて、非製造業の実効税率が製造業のそれよりも高かった。しかし、支出ベースへの移行は、製造業、とりわけ化学、医薬品などの研究開発集約的産業の実効税率を大きく上昇させた。第三に、反事実的な考察を通じて、法定税率の切り上げや控除限度額の拡大は実効税率を上昇させることが、反対に、法定税率の切り下げや控除限度額の縮小、繰越税額控除制度の廃止は実効税率を低下させることがわかった。ただし、実効税率の変化の大きさは施策によって異なり、法定税率の変更は、控除限度額や繰越税額控除制度の変更に比べると、実効税率の水準に大きな影響をもたらすことがわかった。
著者
中澤 信彦
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3-4, pp.173-205, 2012-03-10

本稿は、「人間の権利」をめぐるエドマンド・バークとトマス・ペインとの論争を、2つの新しい観点から考察することを試みる。1つには、バークが批判しペインが擁護に努めた人権(人間の権利)としての「生存権」、および、それによって基礎づけられている「福祉国家」の構想を、経済思想史および共和主義思想史の文脈上に位置づけたい。経済思想史研究と共和主義思想史研究は「貧困問題の解決」という論点を介して密接な関係を有していることを、近年の研究は強調しつつある。こうした関係を強く意識しながら、改めてこの有名な論争を振り返りたい。もう1つは現代的な観点である。バークとペインとの論争は、近年の議論を先取りするかのように、人間と国民(市民)、人権とシティズンシップ、現世代と未来世代、自由市場と福祉国家との緊張関係をあぶり出しており、人権という思想の偉大さと困難を見事に浮き彫りにしている。今日の日本において人権保障のあり方が直面している問題を考える際の有益なヒントが、この論争には数多く含まれているように思われる。本稿ではそのヒントをできるだけ広範に掘り起こしたい。
著者
杉原 四郎
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.41, no.6, pp.1195-1207, 1992-03-15
著者
林 宏昭
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.563-573, 2018-03-10

日本では、戦後の税制の基礎となったシャウプ勧告で直接税中心主義が掲げられる。直接税は所得税と法人税であるが、シャウプ勧告では法人税については法人税を所得税の前取りと見なす法人擬制説の立場が示されたことから、基本的には所得税中心の税体系となった。個別間接税である物品税や相続税は所得税の補完と位置づけられた。1980年代の税制改革論では、「直間比率の是正」も大きなかけ声となり、物品税等の個別間接税に替えて一般的な間接税である消費税が導入される。税体系の中での間接税の比重は高まっているが、所得税は依然として重要な基礎税である。近年、配偶者控除などの控除制度のあり方を巡って、政府税制調査会でも集中的に議論が行われるようになった。
著者
木村 雄二郎
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1-2, pp.127-145, 1963-06-20
著者
植村 邦彦
出版者
關西大学經済學會
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.47, no.5, pp.481-510, 1997-12

マルクスの数多い著作の中でも、1852年に書かれた『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』ほど、これまでに様々な読まれ方をしてきたテクストはないだろう。たとえばエドワード・サイードは、文学批評の方法を論じたエッセイの中で小説と「情況的現実」との関係を論じながら、やや唐突に次のように述べている。「しかしながら、いかなる小説家も、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を書いたときのマルクスほどに現実的情況について明確な態度を取ることはできないだろう。私から見れば、現実的情況が甥[ルイ・ボナパルト]を革新者としてではなくて、偉大な叔父[ナポレオン]の笑劇的な反復者として仕立て上げたことを示すときの筆法の正確さがこれほどに才気あふれ、これほどに圧倒的な力をもって迫ってくる著作はない(1)」。サイードが強調する第一点は、「マルクスの方法にとって言語や表象は決定的な重要性を持って」おり、「マルクスがあらゆる言語上の工夫を活用していることが『ブリュメール18日』を知的文献のパラダイムたらしめ(2)」ているということであり、第二は、ナポレオン伝説によって育まれた「実にひどい過ち」を修正するために、「書き換えられた歴史は再び書き換えることが可能であることを示」そうとするマルクスの「批評的意識(3)」である。こうして、マルクスにおけるレトリックという問題が設定される。あるいは、「オウムと世界最終戦争」という副題をもつ著書『虚構の時代の果て』の「あとがき」で、大澤真幸はこう述べている。「民主主義体制の下で極端な独裁が国民の広範な支持を獲得できたのはなぜか。マルクスは、この人物、ルイ・ボナパルト(ナポレオン三世)のク・デタが人民投票で承認された直後に、彼が政権を獲得するまでの過程を社会学的に考察する『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を著している。今日でもなお、マルクスのこの議論は、ボナパルトが成功しえた理由についての、最も説得力ある分析であろう。ちょうどこのマルクスの分析のような、私たちが内属している『オウム』という文脈に対する透徹した考察が必要である(4)」。ここでは、マルクスのこの書は、「考察する者自身が内属している<現在>」に関する「社会学的考察」の模範例とみなされている。このような『ブリュメール18日』の読み方は、言うまでもなく、「マルクス主義」の側からの正統的な読み方とはかなり異なる。マルクスの死後まもない1885年に、エンゲルスはこの書の第三版に付した序文で、次のような位置づけを試みているからである。「マルクスこそ、歴史の運動の大法則をはじめて発見した人であった。この法則によれば、すべて歴史上の闘争は、政治、宗教、哲学、その他どんなイデオロギー的分野でおこなわれようと、実際には、社会諸階級の闘争の――あるいはかなりに明白な、あるいはそれほど明白でない――表現にすぎない。そして、これらの階級の存在、したがってまた彼らのあいだの衝突は、それ自体、彼らの経済状態の発展程度によって、彼らの生産、およびこの生産に条件づけられる交換の仕方によって、条件づけられているのである。……マルクスは、ここでこの[フランス第二共和制の]歴史によって自分の法則を試験したのであって、彼はこの試験に輝かしい成績で合格した、と言わざるをえないのである(5)」。この見方によれば、『ブリュメール18日』は「唯物論的歴史観の定式」の一つの例示だということになる。本稿の課題は、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』に関する最近の注目すべきいくつかの「読み方」の批判的検討を通して、マルクスの思想の展開の中に占める『ブリュメール18日』の位置づけを明らかにすることにある。マルクスにおける歴史認識の方法、それがテーマとなる。
著者
長久 領壱
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3-4, pp.295-324, 1997-10-31
著者
加勢田 博
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3-4, pp.401-419, 2004-11-11

19世紀初頭に始まるアメリカ工業化への助走は、生産組織や技術進歩にみられる多くの革新に加えて、国内市場の拡大に繋がる交通の改良によってはじめて人や物の移動および情報の伝達をスムーズにし、大量生産をその最大の特徴とする工業化時代の到来を可能にした。本稿では、この交通改良において重要な役割を演じた有料道路(Turnpike Road)の建設を北東部を中心に概観する。
著者
中澤 信彦
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.215-235, 2022-03-10

本稿は初期(マンチェスター期)エンゲルスにおけるマルサス人口理論批判の形成過程を明らかにするべく、「ロンドン便り」(1843)、「国民経済学批判大綱」(1844)、『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845)の3作品を取りあげて、それぞれにおけるマルサス批判をその文献的源泉に注目しながら検討した。若きエンゲルスがマルサス人口理論への批判を形成していくにあたり、ジョン・ウォッツの『経済学者の事実と虚構』(1842)への依拠がかなり大きかった、とする見解が今日では有力であるが、本稿はむしろ、若きエンゲルスにとって、それと並んで、あるいはそれ以上にロバート・サウジーの『人口論』第2版への書評(1804)から受けた巨大な影響の可能性を指摘した。このサウジーの書評は「貧民の敵」としてのマルサス像の起点に位置づけられる、経済学史・人口学史上きわめて重要な文献であるが、それだけにとどまらず、マルクス主義と人口問題(およびマルサス)との不幸な関係の発生の始源に位置する、マルサス批判の国際的展開(受容と変容)を考える際の最重要文書でもあったと考えられる。