著者
春日 淳一
出版者
關西大学經済學會
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.445-455, 2005-12

自分がどう出るかは相手の出方次第であり、相手から見ても同様であるとき、ダブル・コンティンジェントな状況にあるといわれる。コンティンジェンシー(不確定性)は事態をむずかしくする厄介者のようであり、除去すべきものと考えられがちである。パーソンズもその方向でダブル・コンティンジェンシーの問題をとらえた結果、満足な解決に至らず終わった。一方ルーマンは、ダブル・コンティンジェンシーがあるからこそ相互行為や社会システムが生まれるのだと見る。この魅力的な発想転換を、彼のいう「コンティンジェンシー概念の拡張」を手がかりにして読み解き、筆者なりにくだいて説明するのが本稿の主旨である。コンティンジェントなものは、必然的でもなければ、不可能でもないものである。その「不可能でない」に賭ける人間がいるかぎり、社会システムは生成するのである。
著者
中澤 信彦
出版者
關西大学經済學會
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.77-86, 2006-06

19世紀ブリテン思想史研究のマスターピースである『かの高貴なる政治の科学』の内容を約説し、本書のバーク研究およびマルサス研究における今日的意義を概括する。
著者
中澤 信彦
出版者
關西大学經済學會
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.253-279, 2006-12

ラヴジョイは、『存在の大いなる連鎖』において、ヨーロッパ思想史上、プラトン以来の主要な観念図式として「存在の連鎖」を抽出し、ヨーロッパの自然・社会認識のあり様を特色づけた。神によって個別に創造されたすべての種(生物・無生物)は、最も高等なもの(天使)から最も下等で原始的なもの(鉱物)にいたるまで、「欠けている環」のない単線的な階層秩序を形成している、という世界観をこの観念図式は含意しており、18世紀に空前絶後の普及を達成していた。詩人ポープは哲学詩『人間論』でこうした世界観を典型的に表現した。本稿は、バークとマルサスのデビュー作がともに『人間論』からの引用を含んでいる事実を出発点として、両者における政治的保守主義と経済的自由主義の結合の知的起源を「存在の連鎖」の観念図式およびその変容(時間化)に求め、英国近代保守主義が啓蒙思想に対する反動的側面ぼかりでなく啓蒙思想の「末子」あるいは「一ヴァリアント」としての進歩的側面(漸進的改革論)も有することを明らかにする。
著者
古松 丈周
出版者
関西大学経済学会
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.151-170, 2022-03-10

本稿の課題は、ポール・A・バランがふたつの移行論争を乗り越える議論を示していたことを明らかにすることである。ここで、ふたつの移行論争とは、1950年代にモーリス・ドッブ、ポール・M・スウィージーを中心とした論争、そして1970年代にアンドレ・G・フランクとエルネスト・ラクラウを中心とした論争である。封建制から資本主義への移行について、ドッブはその内的矛盾に起源を求め、スウィージーは商業の復活による外的力にその起源を求めた。後にフランクはこの論争を内的矛盾と外的力の相互作用として止揚し、資本主義の進入によって資本主義となった周辺を低開発と分析した。フランクを批判したラクラウは、低開発は封建制と資本主義の両立から生まれることを指摘した。バランは『成長の政治経済学』でこれらの論点をすでに指摘し、さらに資本主義的合理性を歴史的に把握し、批判する客観的理性による批判を示していた。
著者
吉野 裕介
出版者
関西大学経済学会
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.299-320, 2022-03-10

本稿の目的は、フリードリッヒ・ハイエクのカール・マルクスに対する評価の変遷を抽出し、その意義を闡明することである。ハイエクの長い執筆活動のほとんどは、自由主義(資本主義)の擁護と、社会主義の批判に費やされた。にもかかわらず、膨大な書き物のうち、マルクスあるいはマルクス主義に関する言及は、ほとんど断片的と言えるくらい限られている。この理由を探ることで、ハイエクの社会主義批判の意図がより明確になるのではないか。こうした問題意識に基づいて、本稿は、第1節で初期ハイエクの経済理論的考察、第2節で中期ハイエクの方法論的考察、第3節で後期ハイエクの社会哲学的考察の3つに活動時期を区切り、それぞれの時期におけるマルクスへの言及を抽出したうえでその意義を考察した。かくして、ハイエクによるマルクス批判は確かに徹底的とは言えないものだが、それはかれがマルクス思想の背後にある科学主義や合理主義を批判したことが一因だと結論付けた。
著者
樫原 正澄 赤井 洋子 石川 友美 伊藤 佳代子 佐保 庚生 辰己 住子 森 正子
出版者
関西大学経済学会
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.403-460, 2022-03-10

第2次世界大戦以降における大阪府内学校給食の変遷について考察を加えた。それを踏まえ、今後の課題を解決するための視点について論述した。第1としては、「学校給食法」の趣旨に基づいて、学校給食を子どもの成長に資するものとするように、関係者は努めることである。第2としては、学校給食の調理業務の民間委託によって、調理現場において起こっている変化について正確に把握して、必要な対策を講じることである。第3としては、学校給食を考える主体の形成である。
著者
野坂 博南 NOSAKA Hiromi
出版者
関西大学経済学会
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.129-149, 2011-03

本稿では、日本の生産性低迷に伴い、雇用形態別の労働市場がどのように変化し、日本の景気循環にどのような影響を与えたかを一般均衡サーチモデルの枠組みで分析した。カリブレーションの結果、長期的な生産性低下は相対的に解雇費用の低い非正規雇用の増加をもたらすものの、非正規雇用の労働市場の求人倍率は正規雇用に比べて悪化することを示した。また、長期的な生産性低下に伴い景気の変動幅が増幅されることを確認したが、特に非正規雇用の雇用や失業の変動幅が大きくなることが分かった。また、正規雇用と非正規雇用の補完度の上昇は全体の景気変動に大きな影響は与えないが、相対的に変動の大きい非正規雇用の変動を安定化させる効果があることを示した。
著者
高木 秀玄
出版者
関西大学経済学会
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.1-17, 1969-04
著者
植村 邦彦
出版者
関西大学経済学会
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.17-33, 2010-03

英語の〈civil society〉は、16世紀末から使われ始めた言葉である。日本語では通常「市民社会」と訳されているが、この言葉は本来アリストテレス『政治学』における「国家共同体」の訳語として英語に導入されたものであり、17世紀のホッブズとロックにいたるまで、この意味で使われた。この言葉の前史と初出時の語義を確認することが、本稿の課題である。
著者
植村 邦彦
出版者
関西大学経済学会
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.47, no.5, pp.481-510, 1997-12

マルクスの数多い著作の中でも、1852年に書かれた『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』ほど、これまでに様々な読まれ方をしてきたテクストはないだろう。たとえばエドワード・サイードは、文学批評の方法を論じたエッセイの中で小説と「情況的現実」との関係を論じながら、やや唐突に次のように述べている。「しかしながら、いかなる小説家も、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を書いたときのマルクスほどに現実的情況について明確な態度を取ることはできないだろう。私から見れば、現実的情況が甥[ルイ・ボナパルト]を革新者としてではなくて、偉大な叔父[ナポレオン]の笑劇的な反復者として仕立て上げたことを示すときの筆法の正確さがこれほどに才気あふれ、これほどに圧倒的な力をもって迫ってくる著作はない(1)」。サイードが強調する第一点は、「マルクスの方法にとって言語や表象は決定的な重要性を持って」おり、「マルクスがあらゆる言語上の工夫を活用していることが『ブリュメール18日』を知的文献のパラダイムたらしめ(2)」ているということであり、第二は、ナポレオン伝説によって育まれた「実にひどい過ち」を修正するために、「書き換えられた歴史は再び書き換えることが可能であることを示」そうとするマルクスの「批評的意識(3)」である。こうして、マルクスにおけるレトリックという問題が設定される。あるいは、「オウムと世界最終戦争」という副題をもつ著書『虚構の時代の果て』の「あとがき」で、大澤真幸はこう述べている。「民主主義体制の下で極端な独裁が国民の広範な支持を獲得できたのはなぜか。マルクスは、この人物、ルイ・ボナパルト(ナポレオン三世)のク・デタが人民投票で承認された直後に、彼が政権を獲得するまでの過程を社会学的に考察する『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を著している。今日でもなお、マルクスのこの議論は、ボナパルトが成功しえた理由についての、最も説得力ある分析であろう。ちょうどこのマルクスの分析のような、私たちが内属している『オウム』という文脈に対する透徹した考察が必要である(4)」。ここでは、マルクスのこの書は、「考察する者自身が内属している<現在>」に関する「社会学的考察」の模範例とみなされている。このような『ブリュメール18日』の読み方は、言うまでもなく、「マルクス主義」の側からの正統的な読み方とはかなり異なる。マルクスの死後まもない1885年に、エンゲルスはこの書の第三版に付した序文で、次のような位置づけを試みているからである。「マルクスこそ、歴史の運動の大法則をはじめて発見した人であった。この法則によれば、すべて歴史上の闘争は、政治、宗教、哲学、その他どんなイデオロギー的分野でおこなわれようと、実際には、社会諸階級の闘争の――あるいはかなりに明白な、あるいはそれほど明白でない――表現にすぎない。そして、これらの階級の存在、したがってまた彼らのあいだの衝突は、それ自体、彼らの経済状態の発展程度によって、彼らの生産、およびこの生産に条件づけられる交換の仕方によって、条件づけられているのである。……マルクスは、ここでこの[フランス第二共和制の]歴史によって自分の法則を試験したのであって、彼はこの試験に輝かしい成績で合格した、と言わざるをえないのである(5)」。この見方によれば、『ブリュメール18日』は「唯物論的歴史観の定式」の一つの例示だということになる。本稿の課題は、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』に関する最近の注目すべきいくつかの「読み方」の批判的検討を通して、マルクスの思想の展開の中に占める『ブリュメール18日』の位置づけを明らかにすることにある。マルクスにおける歴史認識の方法、それがテーマとなる。
著者
西 重信
出版者
関西大学経済学会
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.55-74, 2011-06

2005年以降、中国が主導する大図們江地域開発は着実に進んでおり、東北振興と北朝鮮開発を一体化して推進する中国の北東アジア開発戦略が具体化し始めている。北朝鮮は、東北三省での中国との経済協力を軸として、ロシア、モンゴル、韓国との直接、間接の連携によって経済の開放と自由化を進めている。大国の中央政府主導による広域、多国経済開発の最も重要な課題は、開発地域内の諸国、地域住民とりわけ辺境の少数民族の主体的積極性を引き出すことである。この視点は中国の辺境開放政策の意図とも基本的に合致している。大図們江地域の要である図們江地域は、国境に抗して持続している自然経済圏である。延辺朝鮮族と北朝鮮北東部の住民は、互いの困難、危機を自然経済圏を手段として生き抜いてきた。図們江地域の開発には、この自然的一体性に根差した考え方が最も大切である。開発の展望は、1930年代に日本で体系化された北朝鮮ルート論の主体的活用にかかっている。北朝鮮の先峰、羅津、清津の三港と中国東北の鉄道を結び付けた中継貿易輸送は、内陸の吉林省、黒龍江省だけでなくモンゴルをも日本に直結する。朝鮮族人口が急速に減少している延辺の民族経済の振興には、跨境民族の特性と中継貿易を活用した朝鮮族の地元での起業が何よりも必要である。そこでは十数万人とされる在外朝鮮族の主体的積極性に大いに期待できる。図們江地域を中心とした大図們江地域の経済、社会の発展に必ず貢献できるだろう。
著者
田口 方美
出版者
関西大学経済学会
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.72, no.3, pp.119-141, 2022-12

本稿の目的は、所得税制の所得控除の中で、人的控除に焦点を当てて、その現状と所得税負担への効果を考察し、今後の所得税制の方向性を探る一助とすることである。人的控除による世帯人員への配慮の考察では、OECD等で用いられている世帯所得の概念を用いる。具体的には、世帯人員の増加に伴う規模の経済を考慮した等価所得(Equivalent income)の概念を用いて、日本の人的控除を世帯人員への考慮という観点から評価する。扶養(世帯)人員に対する人的控除の効果の検証では、第1に人的控除の適用数が減少傾向であること、第2に給与収入ベースでの分析によると、扶養人員が多い給与所得者ほど高い再分配効果を示す負担構造に直面しているという結果になった。そして、第3に等価所得を用いた分析によって扶養人員による負担調整の効果をまとめると以下のようになる。等価所得は、世帯人員の増加による生計費についての規模の経済を考慮して求めるもので、人的控除は所得水準とは無関係に定額で設定されているものであり、所得水準が大きくなるほど所得に対する割合は小さくなる。等価所得を用いた考察から、現行の人的控除制度は、低収入層では扶養人員に対する規模の経済を小さく評価し、高収入層では規模の経済を大きく評価、つまり世帯人員が増えても生計費は増加しないという前提の税負担構造となっていることが示された。
著者
植村 邦彦
出版者
關西大学經済學會
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.47, no.5, pp.481-510, 1997-12

マルクスの数多い著作の中でも、1852年に書かれた『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』ほど、これまでに様々な読まれ方をしてきたテクストはないだろう。たとえばエドワード・サイードは、文学批評の方法を論じたエッセイの中で小説と「情況的現実」との関係を論じながら、やや唐突に次のように述べている。「しかしながら、いかなる小説家も、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を書いたときのマルクスほどに現実的情況について明確な態度を取ることはできないだろう。私から見れば、現実的情況が甥[ルイ・ボナパルト]を革新者としてではなくて、偉大な叔父[ナポレオン]の笑劇的な反復者として仕立て上げたことを示すときの筆法の正確さがこれほどに才気あふれ、これほどに圧倒的な力をもって迫ってくる著作はない(1)」。サイードが強調する第一点は、「マルクスの方法にとって言語や表象は決定的な重要性を持って」おり、「マルクスがあらゆる言語上の工夫を活用していることが『ブリュメール18日』を知的文献のパラダイムたらしめ(2)」ているということであり、第二は、ナポレオン伝説によって育まれた「実にひどい過ち」を修正するために、「書き換えられた歴史は再び書き換えることが可能であることを示」そうとするマルクスの「批評的意識(3)」である。こうして、マルクスにおけるレトリックという問題が設定される。あるいは、「オウムと世界最終戦争」という副題をもつ著書『虚構の時代の果て』の「あとがき」で、大澤真幸はこう述べている。「民主主義体制の下で極端な独裁が国民の広範な支持を獲得できたのはなぜか。マルクスは、この人物、ルイ・ボナパルト(ナポレオン三世)のク・デタが人民投票で承認された直後に、彼が政権を獲得するまでの過程を社会学的に考察する『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を著している。今日でもなお、マルクスのこの議論は、ボナパルトが成功しえた理由についての、最も説得力ある分析であろう。ちょうどこのマルクスの分析のような、私たちが内属している『オウム』という文脈に対する透徹した考察が必要である(4)」。ここでは、マルクスのこの書は、「考察する者自身が内属している<現在>」に関する「社会学的考察」の模範例とみなされている。このような『ブリュメール18日』の読み方は、言うまでもなく、「マルクス主義」の側からの正統的な読み方とはかなり異なる。マルクスの死後まもない1885年に、エンゲルスはこの書の第三版に付した序文で、次のような位置づけを試みているからである。「マルクスこそ、歴史の運動の大法則をはじめて発見した人であった。この法則によれば、すべて歴史上の闘争は、政治、宗教、哲学、その他どんなイデオロギー的分野でおこなわれようと、実際には、社会諸階級の闘争の――あるいはかなりに明白な、あるいはそれほど明白でない――表現にすぎない。そして、これらの階級の存在、したがってまた彼らのあいだの衝突は、それ自体、彼らの経済状態の発展程度によって、彼らの生産、およびこの生産に条件づけられる交換の仕方によって、条件づけられているのである。……マルクスは、ここでこの[フランス第二共和制の]歴史によって自分の法則を試験したのであって、彼はこの試験に輝かしい成績で合格した、と言わざるをえないのである(5)」。この見方によれば、『ブリュメール18日』は「唯物論的歴史観の定式」の一つの例示だということになる。本稿の課題は、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』に関する最近の注目すべきいくつかの「読み方」の批判的検討を通して、マルクスの思想の展開の中に占める『ブリュメール18日』の位置づけを明らかにすることにある。マルクスにおける歴史認識の方法、それがテーマとなる。
著者
若森 章孝
出版者
關西大学經済學會
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.27-39, 2000-06

本稿は,第1に,「資本主義の黄金時代」(1945-74)をフォーディズムのロジックによって解明したレギュラシオン理論が,脱フォーディズムのさまざまな試みと冷戦体制の解体という1990年代の文脈の中で急速に進展した経済のグローパリゼーションとそれにともなう「勤労者社会の危機」をどのように理解しているか,グローパリゼーションの進行の中に資本蓄積の新しい源泉と新しい調整様式の萌芽を,それゆえ勤労者社会の新時代の可能性をどのように検出しているか,について考察する。本稿は第2に, 「勤労者社会の危機」をめぐるフランスの論争におげる4つの立場を検討し,グローパリゼーションの下で社会統合を確保するためには,公的討論による価値観の形成という意味での「政治的次元」と新しい市民権(市民権所得)が重要であることを指摘する。
著者
石田 浩
出版者
關西大学經済學會
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.353-374, 2002-12

本稿は、福建省晋江市における「三資企業」の調査研究である。拙著『中国同族村落の社会経済構造研究一福建伝統農村と同族ネットワークー」(関西大学出版部、1996年)で明らかにしたように、本地域には三つの余剰、つまり華僑華人からの送金という余剰資金、土地改革で南洋に逃げた華僑華人の空き家、農村余剰労働力があり、この三者を結合させて、衣料や靴などの労働集約型工場を設立し、経済発展を遂げた地域である。これがいわゆる「晋江モデル」である。ところが、1990年代に入ると、地元資本は資本力や技術力のある台湾資本や香港資本との競争に破れ、経営が悪化し始めた。これを打開するために地元資本は外資と結びつき、いわゆる「外向型発展」を遂げるようになった。本地域への外資は圧倒的に香港資本が多い。ところが、本地域出身の華僑華人の多くはフィリピンであり、小学校や中学校等への寄付、道路・橋の修理、同族廟や村廟の再建などはフィリピン華僑華人に負っており、フィリピンとの結びつきが歴史的にも強い。にもかかわらず、中外合資企業の多くが香港資本である。調査で明らかになったことは、香港資本と考えられていたのは、実は地元資本であり、地元資本は外資向け優遇策を手に入れるために、兄弟や親戚を香港に送り出し、香港資本として地元に迎え入れるという形式を取り入れた。これが合作・合資・独資の「三資企業」と呼ばれるものであるが、その中身は香港資本ではなく地元資本であり、つまり「偽香港資本」であった。対中投資額と件数のトップは香港であるが、香港資本の中には「偽香港資本」、つまり「中中投資」が数多く含まれており、本稿はこの点についての分析を試みた。
著者
元木 久
出版者
關西大学經済學會
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.503-519, 2004-11

金融市場の規制緩和と強化が同時に進行する、いわば、レジーム転換の経済の中で、金融市場に存在する各種の規制が相互にコンシステントでなければ、金融システムに機能不全が発生するであろう。預金金利の自由化を行うとき、銀行の破綻確率を低下させるために、支払準備率規制と業務分野規制の緩和が同時に行われることが必要であろう。自己資本規制の強化は銀行の貸出比率を低下させるが、破綻確率の低下に繋がらないだけでなく、臨界状況では起死回生のギャンブルに向かわせる銀行行動の変化を引き起こす可能性がある。また、破綻確率に対応した可変的預金保険料率制度は預金受入銀行の存立を困難にし、固定的保険料率制度の場合、単独で銀行経営の健全性を確保することができず、他の諸規制と組み合わせる必要がある。本稿全体で主張したいことは、競争制限的規制を緩和してレジーム転換を進めるとき、自己資本比率のような単一の指標に硬直的に依拠して銀行システムの健全化を目指すならば、マクロ経済ショックに対応できないので、可変的保険料率制度の創設、準備率規制の緩和、自己資本比率の弾力的運用を含む規制の組み合わせが重要であるということである。
著者
北川 勝彦
出版者
関西大学経済学会
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.47-67, 2001-03

本研究ノートは、1980年代中頃から1990年代末にいたるまでに発表された南アフリカ経済史に関する諸研究の展望を試みたものである。主として『南アフリカ経済史ジャーナル』(South African Journal of Economic History) 、『南アフリカ歴史ジャーナル』 (South African Historical Journal) および『南部アフリカ研究ジャーナル』 (Journal of Southern African Studies) に掲載された諸論文を調査研究した。南アフリカ経済史の解釈をめぐる「リベラル派」と「ラディカル派」 の論争をふりかえり、経済史研究で主として取り上げられた諸問題一現代南アフリカ経済論、農業と農村社会の変化、鉱業と製造業、19世紀植民地経済、奴隷制社会などーを考察するにあたって重要と考えられる諸研究を順次整理した。現在、南アフリカ経済史研究は、1880年代から両大戦間期にかけての工業化をめぐる問題に焦点、があわせられているように思われる。
著者
加勢田 博
出版者
関西大学経済学会
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.17-33, 2012-06-10

1670年にチャールズ2世によって与えられた特許に基づいて、毛皮貿易の独占のみならず行政権を含む種々の特権を有する植民地支配会社として設立されたハドソン湾会社が、1867年にカナダが自治領となって特許をはじめそのすべての特権を失った後、どのようにして今日まで生き残り繁栄してきたのかを概観したものである。本論文は、17世紀に設立された同様な植民地会社はすべてその姿を消してしまった中で、この会社だけが21世紀まで繁栄を続けることができた原因の幾つかを明らかにしている。