水上勉の時代 (@mizukami_jidai)

投稿一覧(最新100件)

RT @infotabata1968: 白山の三業地についてはネットに案内がたくさんありますが、ここは我らが大木志門教授の論文、「徳田秋聲『縮図』 の 〈経済〉」をご参照ください。 #文豪散歩 https://t.co/Nib5Mt75uC
RT @donadona958: 以前寄稿した「研究展望 『左川ちか全集』を編纂して 開かれたテキストへ」( 『昭和文学研究』86集2023)がjstageに登録、PDFでお読み頂けます。 全集刊行の経緯と編集方針、左川のテキストをめぐる近年の特異な状況、研究の可能性について述…
ついでに気づいたのですがCiNiiBookisで『徳田秋聲俳句集』(龜鳴屋)の書誌がすでに作られていた。富山大なので西田谷さんが入れてくれた分ですね、感謝。そして書誌を作ってくださった司書さんにも感謝です(私もOPAC触ったことあるので最初の書誌が面倒なのを知っている) https://t.co/oNY4p66bk8
以前報告したニシヅキサヲナさん@nemuri_uwoご提供の資料を元に執筆した拙論「ミッシングリンクとしての『代作』―徳田秋聲の新出資料『銭屋五兵衛』の射程」が立教のリポジトリで読めるようになりました。多少マニアックですが肩肘張らずに読めると思いますのでよろしければ。 https://t.co/CBdodGDXEB
秋聲の師匠の尾崎紅葉が三越百貨店のPR雑誌「花ごろも」(明治32年創刊)に関わっていたように、戦前の作家と百貨店文化のゆかりは深いのですよね。当時の作家たちがどのような立場であったかわかる現象です。>RT そのあたりのことは前任校時代に少し書いたことがあります https://t.co/sxPDH8FlmO
RT @donadona958: ◆尾形大「「記録」から「文学」へ : 伊藤整『裁判』の作られ方」(『山梨大学教育学部紀要』33号、202302) >これらの比較・分析をとおして、伊藤が「体験」および「記録」をどのように「文学」に作り変えたのか、その方法と意図を考察し、『裁判』…
RT @kotani_eisuke: 芥川龍之介や菊池寛を輩出したことで有名な『新思潮』派は、遊戯を排する文学グループとして登場し、他方では遊戯的文学観を提示したりと、内部対立も含めて揺れ動き続けました。その問題を論じた拙論が掲載された『将棋と文学スタディーズ2』が出ました。p…
ただし少し話題になっていた山岸論はむしろ文アルが一過性のキャラクター消費に終わっていないことを述べていると思います。その上でキャラクター消費の何が問題なのか、そうでない享受とはいかなるものか、それらは分離できるのかなど問い直すことはできるのではないかと。 https://t.co/TUkX1sejYq
RT @kameiasami: なつたさうだ」 イタズラ先生「何でも蚊でも不得要領の徳田秋聲」(『名士文士貴婦人すっぱぬき』サムライ書房、大正6年4月) https://t.co/JjpX8iRpbU 著者名や出版社から推して、どこまで本当の話かは疑問ですが、いかにも秋聲っぽ…
RT @mushagumi: 大木志門氏による。/研究展望 コロナ禍の徳田秋聲生誕一五〇年 「文豪とアルケミスト」から個人記念館と研究者の役割まで https://t.co/L98R7ZTGnp

8 0 0 0 OA 蘆花の芸術

RT @kameiasami: 【徳田秋聲と徳田秋江】 「『自然と人生』について、徳田秋聲が大正三年六月の『中央公論』の『徳富蘆花論』の寄稿家の一人として、かう書いてゐる。『丁度十年間私は此の書を座右に離さない。決して誇張ではない。」 前田河広一郎『蘆花の芸術』(興風館、昭和1…
RT @kameiasami: であり、出でては若やいでダンスをやる社会性?もあるし、またスターリンのやうなソヴエツトの全能的首脳者でも不良の子息には頭を悩ましてゐるさうだ」 佐々弘雄「父性」(『街頭政治読本――政治認識の基礎知識――』千倉書房、昭和8年4月)。 https:/…

3 0 0 0 OA 日本医籍録

RT @kameiasami: 【渡瀬ドクトル】 亘理祐治郎〔異:祐次郎〕 『日本医籍録 昭和9年版 関東版』医事時論社、昭和9年5月。 https://t.co/QayjhWWTEG 森川町一〇七 全科 亘理医院 明治五年十二月二日生 宮城県出身明治卅年試験及第[登]九九六…

4 0 0 0 OA 西鶴全集

RT @kameiasami: 西鶴「本朝二十不孝」冒頭(帝国文庫『西鶴全集』後篇。博文館、昭和5年) https://t.co/jK2IAJdfMy

3 0 0 0 OA 瞽使者

RT @kameiasami: 「徳田秋聲著  小説『種ちがひ』近刊 秋聲子が筆已に定評あり、此作や氏が千練万鍛の苦心を経しもの、其益々老熟の域に達せしや疑を容れず乞ふ見よ、種ちがひ一篇、奈何に才華喚発たるかを、」 思軒居士訳『瞽使者』〈前編〉国民書院、明治37年10月、広告頁…

2 0 0 0 OA 瞽使者

RT @kameiasami: 同〈後編〉明治37年11月。 https://t.co/vkUC1kPT5A 広告掲載本の原作は、ジュール・ヴェルヌ『皇帝の密使ミハイル・ストロゴフ』(Michel Strogoff, 1876)。ちなみに主人公の名は「蘇朗笏(ストロゴツフ)」…
中央公論社の嶋中雄作が近松秋江への援助を決めた「二七会」については下記の先行研究に詳しいです(少し前に結膜炎になった人より。目はお大事に)。 https://t.co/fienulovIY https://t.co/SxEjSlLUjO

5 0 0 0 OA 一つの石

RT @kameiasami: に描かれた人生は、その時になつて、その翳の細かい所まで私に分るやうな気がした。押しつめた描写にも底光りのするやうな物があつた〉 青野季吉「「黴」と「微光」」(『一つの石』有光社、昭和18年7月)。 https://t.co/oH3AWT7vNH…

5 0 0 0 OA 一つの石

RT @kameiasami: 青野が〈「黴」「足跡」〉と書いているのは秋聲の代表作を単行本化される毎に読んだことを示しているのかなと思います。 〈〔読売新聞社の〕文芸部の客員と云ふ形で徳田秋聲、正宗白鳥が時折ぶらりとやつて来て、小剣と連れ立つて出掛けた〉 同「新しい環境」よ…

2 0 0 0 OA 芸術一家言

RT @kameiasami: れた。 同じく山人の門弟でも、泉鏡花氏は未だに毎朝顔を洗つて、飯を食ふ前に先づ山人の写真を礼拝するさうである。さすが鏡花氏は、昔の名人気質のやうな俤があつて面白い」 谷崎潤一郎「十千万堂主人」(「夏日小品」より)『芸術一家言』金星堂、大正13年1…
RT @kameiasami: https://t.co/8n1nYeclTP 単行本『爛』(新潮社)の刊行は大正2年7月15日付で、徳田秋聲全集年譜には16日に神楽坂東陽軒で出版記念会が開かれたとあります(但し「たゞれの会」とは書かれていません)。 参加者は、徳田秋聲、上司…

5 0 0 0 OA 過去の罪

RT @kameiasami: 【イケメン秋聲】 徳田秋聲『過去の罪』(金港堂、明治36年11月)表紙の徳田秋聲肖像。 https://t.co/9yMpAJ3pWN よく似てますが、若干(それとも相当?)イケメン化されてますね。 装画家は不詳ですが、折込口絵(2頁大)の落款…
RT @kameiasami: 佐藤春夫「「風流」論」〈二、挿話〉(『新選佐藤春夫集』改造社、昭和5年5月) https://t.co/yB2NtpiivV 新潮合評会第10回で佐藤春夫が風流について開陳した説について、老大家徳田秋聲が「達見でない」と窘めたとか、久米正雄その…

13 0 0 0 OA 半峰昔ばなし

RT @kameiasami: 徳田秋聲などの諸君が取次ぎに出て来る。続いては紅葉君の奥さんが気の毒さうな顔をしてそこへ現はれる」 高田早苗『半峰昔ばなし』早稲田大学出版部、昭和2年10月。 https://t.co/2FaGNMo3ax
RT @kameiasami: しかし、いふ迄もなく、徳田はこの書き方を生かして、徳田独得の文学を作り、葛西はこの書き方を学んで葛西流の小説を作つたが、嘉村にはこの書き方を使ふには少し無理なところがあつた」 宇野浩二「解説」(嘉村礒多『秋立つまで』創元社、昭和15年11月)。…

3 0 0 0 OA 書斎独語

RT @kameiasami: 【愛山は自然派好み】 「所謂自然派小説家の作、何れも読むべし。文壇の縄墨を破りて新天地を開拓せんとする若き精神は読者をして快味を感ぜしむ。真山青果、徳田秋聲氏等共に我等の敬服する処なり」 山路愛山『書斎独語(其二)』(敬文館、大正2年4月) ht…

3 0 0 0 OA 詩の原理

RT @kameiasami: 〈日本自然派小説の典型であり、その最も優秀なものと定評された徳田秋聲の作の如き、全くその写生文的俳句趣味で特色されてゐる。そして他の多くの小説が、より劣等な価値に於て、悉く皆俳句である〉 萩原朔太郎『詩の原理』小学館、昭和22年11月。 http…

3 0 0 0 OA サフオ

RT @kameiasami: 【献辞】 「徳田秋聲兄に献ず」 アルフオンス・ドオデエ作、武林無想庵訳『サフオ』新潮社、大正2年。 https://t.co/5vLdDSBgax 徳田秋聲全集年譜に、明治45年6月28日、「武林無想庵から、サフオ訳の単行本を出す出版社を紹介し…

3 0 0 0 OA 画人東西

RT @kameiasami: 作家の特色ある観察や気凛が見えて、そこで本当にその画の面白味が分つて来るのである云々〉 https://t.co/FvtalO2q1L 出典は、徳田秋聲「感想」(「美術新報」明治44年11月)。全集第19巻256~259頁所収。
RT @kameiasami: (『芸術改造の序曲』早稲田泰文社、大正14年5月) https://t.co/n2RgMRgidb 「徳田秋聲全集」別巻年譜の大正9年12月2日の項に 「秋江、小剣とともに森ヶ崎大金に滞在、やがて久米正雄、岡栄一郎、武羅夫が合流」 とあるのがそ…

25 0 0 0 OA 人間見物

RT @kameiasami: 【徳田秋聲の『闇の花』を読むチャブ屋の女】 〈お俠らしい女は、徳田秋聲の『闇の花』を下に置いて、 『私、ウヰスキー飲みたいわ。ね、宜いでせう、一杯位……』 と云つたりした〉 松崎天民「チヤブ屋探訪」(『人間見物』騒人社書局、昭和2年11月)より。…
RT @kameiasami: 生田長江氏のところから女中をかして来る。松原至文氏も夫妻で式に立ちあふ。私の家で御馳走膳部をスツカリこさへてやる。中々の騒ぎであつた」 須藤鐘一「あの家この家」(『神に通ずる心』良書刊行会、大正15年9月)より。 https://t.co/cRP…
RT @kameiasami: 【徳田秋聲、上田万年の『新訳伊蘇普物語』を手伝う】 「本書の出版に就ては、菅野緑蔭・徳田秋聲両君の熱心懇篤なる補助を蒙れり」 上田万年解説『新訳伊蘇普物語』(鐘美堂、明治40年11月)、「例言」より。 https://t.co/L5ITQ7BYZ…

4 0 0 0 OA 現代青年道

RT @kameiasami: 【巡洋艦三隈】 「先頃、東京湾に、第一艦隊が入港した折、参観を許されて徳田秋聲、上司小劍等と共に、三隈を観た」 吉川英治「神と科学」(『現代青年道』新英社、昭和11年7月)より。 https://t.co/hYOr77mLij 徳田秋聲が昭和1…

4 0 0 0 OA 人生の窓

RT @kameiasami: やはり此の戸塚村で、時代もその前後だつた。彼は久しく相思の間柄であつた高仲亂菊といふ文学少女と結婚したが、その媒酌には同郷の先輩生田長江氏と、先輩徳田秋聲氏に立つてもらつた」 須藤鐘一「明治文壇垣間覗」(『人生の窓』東華書房、昭和17年6月) h…

2 0 0 0 OA 小山内薫

RT @kameiasami: 【小山内薫の葬儀】 「参会者は千二百人を下らず、列の尾は、小屋の面した小路から電車通りまで伸びて、文人の葬式としては紅葉山人以来だと、徳田秋聲に嘆声を放たせた」 久保栄「劇団部主事」(『小山内薫』文芸春秋新社、昭和22年2月)より。 https:…
RT @kameiasami: 青山霞邨「シヤロツト・ブロンテーの経歴と小説との関係」(『英国の青鞜女 ブロンテー女史』敬文館、大正2年5月)より。 https://t.co/yCSTpq6bg0 『糟谷氏』は「新天地」明治41年10月に掲載。渋谷黙庵との交流を描く。
金沢出身のユーモア作家である奥野他見男は完全に忘れられている存在です。小谷野敦さんの『忘れられたベストセラー作家』で取り上げられていましたね。院の後輩にあたる人が少し研究していたなと思って調べたら、その後誰も論文を書いていないようです。 https://t.co/lUcYihTftw
RT @kameiasami: 【秋聲は代表的な雅号?】 〈『ぢや何うして奥野他見男と名乗つてゐらつしやるんですか。』 『芸名です。例へば徳田秋聲とか夏目漱石とか云ふ様に、云はゞ号ですよ。(略)』〉 https://t.co/4hVH521jkP 奥野他見男『熱き血汐にふれも…

5 0 0 0 OA 絶望の逃走

RT @kameiasami: (『絶望の逃走』第一書房、昭和10年10月) https://t.co/aPBQHxnql4 朔太郎が挙げている文学者たちが本当にそうかは少々疑問です。例えばツルゲーネフは日本の自然派に多大な影響を与えたけれど、自然主義作家ではないですし、若い…

3 0 0 0 OA ちりがみ文章

RT @kameiasami: 女の観察は突飛なほど細く鋭く、飽くまでも具体の世界に止まつてゐる。だから話を聴くのは、正に「女の方が好い。」〉 (十一谷義三郎『ちりがみ文章』厚生閣、昭和9年4月) https://t.co/dlItRbP6QX まあ秋聲の場合は特にそうでしょ…

2 0 0 0 OA 三筋町より

RT @kameiasami: 【徳田秋聲原作の新派劇「誘惑」初日】 「朔日とはいへ相変らずの初日の景気だ。――正面に河合君のところの細君と一しよにO夫人がゐる。――東の棧敷に徳田秋聲氏と眞山青果氏とがゐるのが見える」 (久保田万太郎『三筋町より』金星堂、大正10年9月) ht…

18 0 0 0 OA 文芸評論

後半の内容は秋聲の順子もの「元の枝へ」と藤村の「嵐」が同時期に出て話題になったときですね。たとえば正宗白鳥も『文芸評論』収録の時評「『嵐』と『元の枝へ』」で両作を比較して論じています。 https://t.co/GvcBzj1Djo
RT @kameiasami: つて、美醜を問はず深く喰込んで行くと云ふ点の薄いのに対照して、秋聲氏のそれがやゝ粗野で、底の底まで潜入して行く力をもつてゐるのは、そこから来るものであらう。かの『黴』にまで潜入して行く徹底的な行き方は、これを藤村氏に求めることが出来ない」 htt…
RT @kameiasami: ながら無意識的にその破壊者として役立つてゐるかを示すものと言つてよいであらう。秋聲氏が立派に発生期のインテリゲンチヤの特質や矛盾を反映しながら、藤村氏と違つてその典型的なものとして取扱はれない所以はこゝにある」 https://t.co/yikI…
RT @kameiasami: 得る。秋聲氏の小説には、西洋風の意味での詩的精神がない。しかし俳句を詩と呼ぶ意味での、一種の国粋的の詩的精神がある。その意味に於て、秋聲氏もまた詩人なのだ〉 萩原朔太郎「俳句の本質について」(『郷愁の詩人与謝蕪村』小学館、昭和21年、173頁)。…

2 0 0 0 OA 天才

RT @kameiasami: から、「云ひました、それに相違ありませんもの。」と答へた。「では徳田君は。」「徳田さんは然う行きません、私には喰はれない人です。」と三人大笑ひをした事がある〉 真山青果「附録」(小栗風葉『天才 前編』隆文館、明治41年3月) ※「竈の下の灰」は全…

3 0 0 0 OA 蘆花伝

RT @kameiasami: せた。健次郎は、翌日それを返送した。そして『小説の稿料は、秋聲君、花袋君並にして、月末月末に回数に応じて御計算願ひたく、それ以上は侮辱を感じ申候」と云つて遣つた〉 前田河広一郎『蘆花伝』(興風館、昭和22年11月)559-560頁 https:/…

5 0 0 0 OA 新文学辞典

RT @kameiasami: 生田長江 等編『新文学辞典』新潮社、大正7年3月。 「だ調とです調」の項の筆者が徳田秋聲 https://t.co/baZTHWlP9D 「とさ文体」の項の筆者が徳田秋聲 https://t.co/hqjVQcZ6dK いずれもこれより後…

5 0 0 0 OA 新文学辞典

RT @kameiasami: 生田長江 等編『新文学辞典』新潮社、大正7年3月。 「だ調とです調」の項の筆者が徳田秋聲 https://t.co/baZTHWlP9D 「とさ文体」の項の筆者が徳田秋聲 https://t.co/hqjVQcZ6dK いずれもこれより後…
RT @kameiasami: 先行する代作『明治小説文章変遷史』(文学普及会、大正3年5月)は内容が異なります。 「だ主義とです主義」 https://t.co/YMZ3Xha5vP 「とさ文体」 https://t.co/00MNLKL7zw 中村武羅夫代作説のある『創…
RT @kameiasami: 先行する代作『明治小説文章変遷史』(文学普及会、大正3年5月)は内容が異なります。 「だ主義とです主義」 https://t.co/YMZ3Xha5vP 「とさ文体」 https://t.co/00MNLKL7zw 中村武羅夫代作説のある『創…

4 0 0 0 OA 国訳漢文大成

RT @kameiasami: 前掲の秋聲堂主人の漢詩「殘暑招客」は、白居易の「殘暑招客」を下敷きにしているようです。 【参考】 『続国訳漢文大成』文学部第39冊、白楽天詩集2-3(国民文庫刊行会) https://t.co/6v5fzcDBlk 「殘暑招客」も読み下しを載せ…
そのような水上文学を扱った論文として、少し前にも紹介しましたが、岡 英里奈さんの「水上勉『鳥たちの夜』論―原発問題をめぐる〈ディスカッション小説〉の試み」(「米沢国語国文」2020年)がありますので、ご興味ある方は是非お読みください。 https://t.co/mKzrRlMQtS
和座幸子さん執筆『ふるさとの文学者小伝 徳田秋声』はもう記念館在庫はなかった記憶が。これ実はシリーズもので市役所が過去に作ったのを修正して秋聲だけ記念館開館以後に再刊したのです。市内でも秋聲って誰という声が多かったので。実際学校の先生がよく買ってくれました https://t.co/HcrVfcyBBV

2 0 0 0 俳藪

RT @kameiasami: 〈徳田秋聲記念館(金沢市)の館長で霜川についても調べている上田正行さん(77)=金沢市=は「国木田独歩の『武蔵野』や二葉亭四迷が翻訳したツルゲーネフの影響が感じられ、時代が要求する新しい文体を模索している様子が伝わってくる」と話した〉(前掲記事)…
RT @BungakuReportRS: CiNii 博士論文 賀樹紅 - 水上勉文学における<環境の表象>の解体と構築―エコクリティシズムの観点から https://t.co/wZ8mp659O2

お気に入り一覧(最新100件)

以前寄稿した「研究展望 『左川ちか全集』を編纂して 開かれたテキストへ」( 『昭和文学研究』86集2023)がjstageに登録、PDFでお読み頂けます。 全集刊行の経緯と編集方針、左川のテキストをめぐる近年の特異な状況、研究の可能性について述べています。ご味読下さい。 https://t.co/dobkcdSvN1
茨木市の川端康成文学館が文アルとタイアップした当時の学芸員さん(現在は異動されている)の論文もある。 ただこちらも、腐女子というか文豪をキャラクターコンテンツとして消費している身からするとちょっと心が痛い部分もある。 https://t.co/0gpPvxxuHk
同じ方が書かれたコンテンツ受容の論文もあるけど、腐女子という文言に共感性羞恥を起こさない人向けではある。 https://t.co/HPwL655S4K
「研究者目線から見た文アル関係記事」の個人的なおすすめはこちら https://t.co/DNlU15bfhl
【上田秋聲(←上田秋成)】 背振翁物語 上田秋聲著 大正六(上田秋聲全集一) https://t.co/gJpWcYzLSd 『慶応義塾図書館和漢図書分類目録』第2巻(慶応義塾図書館、昭和14年9月)564頁下段。 これは植字工の誤植ではなく編集の担当者の誤記でしょうね。
藤村作編『日本文学大辞典』第2巻(新潮社、昭和8年4月)。 https://t.co/iP25IMgwYN 『出産』(269コマ)『新世帯』(343コマ)『爛』(522コマ) 以上、執筆者の「(加藤)」は加藤武雄。
藤村作編『日本文学大辞典』第3巻(新潮社、昭和9年6月)。 https://t.co/VZgDLH8tIZ 「徳田秋聲」(33コマ)『藪かうじ』(553コマ) 同、第1巻(昭和7年6月)。 https://t.co/uDz3qeNmX0 『足迹』(42コマ)『あらくれ』(67コマ)『黴』(328コマ)『雲のゆくへ』(479コマ)
藤村作編『日本文学大辞典』第3巻(新潮社、昭和9年6月)。 https://t.co/VZgDLH8tIZ 「徳田秋聲」(33コマ)『藪かうじ』(553コマ) 同、第1巻(昭和7年6月)。 https://t.co/uDz3qeNmX0 『足迹』(42コマ)『あらくれ』(67コマ)『黴』(328コマ)『雲のゆくへ』(479コマ)
日本旅行会編『日本山水名勝めぐり』日本書院、昭和3年8月 https://t.co/cHoEkcT1Gh 出典が徳田秋聲とありますが、これは徳田(近松)秋江の文章(『青葉若葉』所収「車窓」)。
なお『新訳伊蘇普物語』の例言に徳田秋聲とともに名の挙がっている菅野緑蔭は、同じく上田万年の『安得仙家庭物語』(鍾美堂、明治44年4月)の翻訳者にも名を連ねています。 https://t.co/onPLhgz3bV

3 0 0 0 OA 時・処・人

「僕の愛国心は語る―― 徳田秋聲は、極めて民族的なことによつて、世界的に一流作家である」 岸田国士「日本に生れた以上は」(『時・処・人』人文書院、昭和11年11月)より。 https://t.co/M1ZjbqxvfZ

18 0 0 0 OA 文芸評論

文劇4を見た人にはこの『尾崎紅葉について』なんかもおすすめ。「文壇的に虐殺」ってすごいものいいだな…… https://t.co/lVB1vMuuxR https://t.co/IMf1knNgv0

1 0 0 0 OA 商工信用録

妾と東京へ高飛びしていました。 徳田秋聲別巻年譜によれば、秋聲が大阪の福島にすがを訪ねたのは明治35年1月で、 明治35年12月発行の『商工信用録』第7版(東京興信所)の笹島嘉吉郎の欄には https://t.co/ODfRMS5xjW (姓名)笹島嘉吉郎(職業)砿油、石油(店舗又は住所所在地)日、本材木、二ノ八

1 0 0 0 OA 京浜信用録

『鉱山法例 完』(農商務省鉱山局、明治27年11月) https://t.co/Y2FEQ3S7Bg 404頁~409頁に笹島嘉吉郎の名。 『京浜信用録』(京浜信用録編纂所、明治41年9月) https://t.co/MiqEUnmN39 562頁に笹島嘉吉郎の名。 笹島は徳田秋聲の母方の従姉津田すがの嫁ぎ先の機械油商。 #備忘録

1 0 0 0 OA 鉱山法例

『鉱山法例 完』(農商務省鉱山局、明治27年11月) https://t.co/Y2FEQ3S7Bg 404頁~409頁に笹島嘉吉郎の名。 『京浜信用録』(京浜信用録編纂所、明治41年9月) https://t.co/MiqEUnmN39 562頁に笹島嘉吉郎の名。 笹島は徳田秋聲の母方の従姉津田すがの嫁ぎ先の機械油商。 #備忘録

1 0 0 0 OA 職員録

『職員録. 明治35年(乙)』印刷局、明治35年8月 https://t.co/hI9sxEYf1v 「〇北伝法警察署 西成郡伝法村 (中略) 野中分署長 徳田直松」 #徳田秋聲長兄 #備忘録
大阪発明協会編『帝国発明家名鑑』(昭和11年) https://t.co/wyRB2e3mZs に載っている矢島守男は別人と思っていたのですが、住所から同一人物と判って一寸おどろきです。

2 0 0 0 OA 官報

るので、これを踏襲しておきます。 昭和8年9月12日の官報2011号「医籍登録抹消」欄で、死亡により医籍登録が抹消されたことが判ります。 「官報」1933年09月12日 https://t.co/Tn9Y87YxPY 野口冨士男「徳田秋聲の近親者」所載の林綾子(公正の上の兄・矢島国太郎の長女)の書簡には

1 0 0 0 OA 大衆人事録

下宿しており、夜遊びでともに一夜を明かしたこともあります。 『大衆人事録』第3版 タ-ワ之部 補遺(昭和5年7月) https://t.co/dCKB2v37s4 によれば(引用者読点付加)、 「長野県人矢島勘兵衛の四男、明治十五年一月十日同県上伊那郡伊那富村に生れ、同四十二年分家す、先是同卅六年内務省医術開業

1 0 0 0 OA 躍進長野県誌

百瀬公正略歴: 長野県誌編纂所編『躍進長野県誌』昭和14年 https://t.co/xqQWRWCsBF 上記は私の知る限り、公正の略伝としては最も詳しいもの。軍医を退職したのは明治40年に4月で、その後は島立村栗林に開業とあるので、大正2年に秋聲が小剣を連れて訪れた小石川の親類の医師は公正ではないですね。

12 0 0 0 OA 大日本紳士名鑑

百瀬公正(明治10年8月18日生、昭和27年10月歿):『黴』に欽也/欽一として登場する軍医。 秋聲の妻はまの親類(野口冨士男「徳田秋聲の近親者」参照)。 退役後は郷里で開業し、村長も勤めました。 『大日本紳士名鑑』(大5年)の島立村の欄に「村長、正八、勲六」とあり。 https://t.co/Phna2mnNMg

167 0 0 0 OA 人事興信録

牧野弥兵衛(日米鉱油合資会社業務担当社員兼支配人) (『人事興信録』第5版、大正7年) https://t.co/j7tO9IxYyQ 牧野弥兵衛は徳田直松(秋聲の長兄)の養女・勇の父。項目の末尾(ま84頁上段)に徳田直松の名が記載。 #備忘録

5 0 0 0 OA 慶応義塾総覧

徳田一穂は慶應義塾大学文学部中退とされていますが、私は学科を明記している略歴を見たことがありません。 『慶応義塾総覧』(昭和4年)の「学則―大学」によれば、 https://t.co/EqgLnj6OHE 「第九条 学生ハ在学第一学年第一学期中ニ其ノ専修セントスル学科ヲ届出ツヘシ」
はるおくん本人の朗読「ためいき」「故園晩秋の歌」とかお経……? それでいいのか……?ってなるけど何せ作った本人が読んでるからこれでいいんだろうな……詩の朗読に対する感性が違う https://t.co/mrkOn5ZHK8
明治30〜40年代ですが、例えば大正2年にその近辺でT―市と呼べるのは、高崎市だけです。近隣の栃木県・長野県(さらに茨城県・福島県)にTで始まる市はありません。 【参考】 森田公美編『細密調査 市町村便覧』国文館・一書堂、大正2年9月 https://t.co/D46x65jBiy 当時の高崎市周辺でSで始まる町は、

1 0 0 0 OA 母の紀念

「悪魔の如き継母の為に財を褫はれ家を逐はれ恋を失ひて尚且つ其清操を保つ葉森縫子が品位の如何に高きかを看よ」 徳田秋聲『母の紀念』後編(今古堂、明治39年6月)巻末広告より。 https://t.co/lqabfLYFU0

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明治39年4月)「はしがき」より。 https://t.co/4XZMvu593W 連載は『亡母の紀念(なきははのかたみ)』の標題で「時事新報」明治39年1月9日~5月16日。 さて、筋において多少ヒントを得た西洋の或作物とは……
柳 燁佳, 金 明哲 - 菊池寛「受難華」の代筆問題の研究【計量文体学のアプローチで「受難華」の代筆問題を検証】 https://t.co/My3KiRbeI9

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