仁右衛門 (@yk_kuuga)

投稿一覧(最新100件)

RT @shimoda_yuma: 拙稿「幕末における薩長軍事構想の再検討―「討幕」の意味に注目して―」(『法政大学大学院紀要』第89号、2022年)は法政大学学術機関リポジトリで公開されています。修士論文の第4章にあたります。良かったら御覧ください。よろしくお願い致します!…

43 0 0 0 OA 猪飼勝三郎届書

RT @kokeshinookimon: 国会図書館憲政資料室所蔵「川村正平(恵十郎)関係文書」の「猪飼勝三郎届書」。 平岡円四郎が刺客に襲われたことを知らせる史料。 渡辺甲斐守の旅籠よりの帰路に襲われ、深手を負ったとある。 https://t.co/jPxUBSIutI #青…
RT @zasetsushirazu: 安政5年3月24日(1858年5月7日)、幕臣の岩瀬忠震と福井藩の橋本左内が、初めて会った。その後、交流は活発になり、「外交問題や一橋派の運動を通じて、両者は信頼できる同志」になった(別所興一「幕末・維新期の対外観の転回」『愛知大学綜合郷…
RT @zasetsushirazu: 樋口雄彦「旧幕府陸軍の解体と静岡藩沼津兵学校の成立」(『国立歴史民俗博物館研究報告』121)は、明治初年の静岡藩が設立した沼津兵学校が、幕末の幕府による軍制改革の到達点でありながらも、切り捨てざるを得なかったものも多い点を論じ、非軍事面の…

2 0 0 0 古文書

@shibawankok2 「静岡県文化財調査報告書第63集 江川文庫古文書資料調査報告書」は13の図書館に所蔵されています。 https://t.co/6tx7fGWabK

4 0 0 0 OA 啓発録

RT @hakurosha: 本日の福井新聞の記事にあった明治22年に出版された啓発録活字本は、国会デジタルコレクションでも閲覧可能です。 https://t.co/BwLX6TjdRZ
RT @zasetsushirazu: 慶応3年7月29日(1867年8月28日)、中岡慎太郎らが土佐藩の白川邸に居を定めた。ここが、陸援隊の屯所とされる。笹川尚紀「土佐藩白川邸・尾張藩吉田邸にまつわる覚書」(『京都大学構内遺跡調査研究年報』2016年度)は、中岡が白川邸を使う…
RT @machi82175302: 拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月予定)。幕末期の黒田清隆を、ここまで扱った論文を知らない。https://t.co/qtxOT4vv0S
RT @zasetsushirazu: 明治5年4月10日(1872年5月16日)、佐藤泰然(幕末の佐倉藩医・順天堂の創始者)が死去。酒井シヅ「佐藤泰然伝」(『順天堂医学』51-2、2005年)は、漫画及びドラマ『JIN-仁-』の監修を務めた医学史研究者による講演録。 http…
RT @machi82175302: 続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https…
RT @zasetsushirazu: サンタクロースが日本に初めて現われたのは、幕末の町奉行所の与力だった原胤昭による、明治7年のクリスマス会と言われる。勝田彩香「明治大正期のクリスマス受容-クリスマス・サンタクロースの諸表象-」(『リテラシー史研究』6)が参考になる。 ht…

お気に入り一覧(最新100件)

3 0 0 0 OA 東京市史稿

運上所が新政府から東京府ヘ移管されるにあたり、修繕やらの入用明細が『東京市史稿. 市街編50』に載っています。 築地居留地の警衛に動員されていた別手組や新田官軍もちらほら登場
久々に論文読む 「おわりに」に書いてある一説 松根の銅像もつくってほしいね https://t.co/AHFbI1Un0t https://t.co/ANHR4tauCL
論文へのリンクを貼り忘れていた。下田悠真「西郷隆盛の維新理念と明治六年政変-「御一新の基」を手掛かりとして-」(『人文×社会』1-2、2021年)。 https://t.co/NGWipXJfYT
大河ドラマ『青天を衝け』第8回、井伊直弼の描き方が良かった。徳川慶喜らの処分について、「家定が死去すれば、少年の慶福は一橋派の徳川一門に囲まれるように孤立してしまう」、それを避けるためという指摘がある(井上勲「大老井伊直弼」『学習院史学』35)。 #青天を衝け https://t.co/SaZ2sGjtnd
明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人物」の1人として分析。 https://t.co/94lpM0o3v7
明治27年1月8日、月形潔が死去。幕末の志士として知られる月形洗蔵の従兄弟で、北海道樺戸郡月形町の町名の由来。樺戸集治監の初代典獄時代、看守の剣術指南役として永倉新八を採用(吉田悦志「作家・子母澤寛誕生の風土-幕府軍敗残兵3人と厚田村-」『創価教育』11)。 https://t.co/47PEBTQpmD
明治33年1月5日、秋月悌次郎が死去。幕末の会津藩出身で、文久3年8月18日政変の立役者の1人。明治期に熊本で教師となり、同僚の小泉八雲から敬愛された。中西達治「会津藩降伏と秋月悌次郎」(『金城学院大学論集 人文科学編』16-1)は、戊辰戦争の会津藩降伏の時期を分析。 https://t.co/P4r2WqcGQY
慶応3年10月3日(1867年10月29日)、土佐藩が大政奉還を建白。井上勲「大政奉還運動の展開過程」(『学習院大学文学部研究年報』20)曰く、徳川慶喜は土佐藩論に、幕府から離反しつつある勢力を議院制に組み込み、「幕府もしくは徳川氏の政治統合力を回復する展望」を見た。 https://t.co/PaFHpL84v2

2 0 0 0 OA 口上覚

10月24日は #武市半平太誕生祭 と一次資料が~って話が同時に流れてきたので、元治元年に #清岡道之助 達が連名で武市さんに寛大な処置をと奉行所に願い出たのをペタペタ。(引用元:口上覚:https://t.co/LjG9ItJgpB) 土佐は詳しくないのですが、こんな方が名を連ねてましたよーと。#今日は何の日 https://t.co/cUNz2Haxxy
慶応3年7月29日(1867年8月28日)、中岡慎太郎らが土佐藩の白川邸に入った(現在の京都大学北部構内)。陸援隊の屯所とされる。笹川尚紀「土佐藩白川邸・尾張藩吉田邸にまつわる覚書」(『京都大学構内遺跡調査研究年報 2016年度』、2018年)は、白川邸の沿革などを分析。 https://t.co/yc9PEH3vaJ
続き)是日、佐次右衛門、帰藩の途に就き、慎太郎・楠左衛門、亦薩長二藩の連絡を図らんが為、西下す」。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)参照。https://t.co/nAmxbsCper
続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https://t.co/A65OnLMHFg
「ヘダ号の奇跡 日本とロシア 幕末交流秘」拝見。面白かった。ちなみに、拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 」(日本研究所主催講演会 要旨)は以下でダウンロード可能です!https://t.co/4aFWiVFAYN
続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https://t.co/A65OnLMHFg
昭和14年3月28日、田中光顕が死去。天保14年生まれの彼は「幕末の政争を生き延び、太平洋戦争の開戦前まで、九〇歳を超える長寿を全うした稀有な官僚、政治家」(安岡昭男・長井純市「田中光顕関係文書紹介1」『法政大学文学部紀要』52)。 https://t.co/VDVsrSRMte
岡田精一「「佐佐木高行日記」と彼の人生観」(『東京音楽大学研究紀要』9、1984年)。 幕末の土佐出身者として、維新後は侯爵になった佐々木高行について、その日記などを通じて人生観を考察し、明治という時代を読み解く試み。 http://t.co/vDEjv23ukv
池田敬正「慶応3年7月22日付 中岡慎太郎書状について」(『社会問題研究』第26巻第1・2・3・4号、1976年)は、『坂本龍馬』(中公新書、1965年)の著者が、中岡慎太郎の書簡の内容を分析。 http://t.co/vOnEPw9YBJ
春嶽公と容堂公が取っ組み合いしてる話発見。 「竹亭回顧録」104〜105コマめ。 http://t.co/GEDqjhIKiK 安政の大獄の際の、宗城公の賄賂の噂話も書いてあります。

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