著者
吉田 寛
出版者
美学会
雑誌
美学 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.25-36, 2010

Scholars in many disciplines have talked about the "hegemony of vision" in the modern Western culture and philosophy. We also know that the most critical issue of modern philosophy of perception had been the compatibility between vision and touch, as viewed in the prolonged discussion of Molyneux's Question. But, on the contrary, we know very little about the significance of audition and hearing in the tradition of modern philosophy. This paper is thus intended as a historical sketch of the status of hearing, examining the texts of three philosophers. For Herder, the ear is the most nearest sense to the soul, and the audition stands in the middle of our five senses, dominating the others. But, at the same time, he also attaches great importance to touch, inheriting the tradition of Molyneux's Question, and therefore presupposes a kinship between hearing and touch. Kant exiles the ear from his conception of the critique of judgment, preferring the eye as a normative sense for disinterested and formal judgment. But he emphasizes a moral function of the ear in his critique of practical reason, as an organ hearing the voice of reason, i.e. the divine voice. The ear, finally, gains a definitive advantage over the eye with Hegel. He describes the progress of Romantic art from painting to music as a process of the "negation of dimension." In his view, time is negation (or sublation) form of space, and equally the audition is that of vision. We can say therefore that the hypothetical "hegemony of vision" was never stable, and the status of seeing has always been challenged and undermined by the hearing in the course of modern philosophy.

言及状況

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[美学] この間の読書会に関連する論文,かな。>http://togetter.com/li/356239
[pdf][blog-sience-knowledge] CiNii 論文 - 聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合 CiNii 論文 - 聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合 聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カン
[art] via. くぼっち。

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@BeTakada 随分前にも触れましたが、カント以来の主題は、言語を音楽(ひいては時間)に還元するようなヘルダー的な言語起源論をいかに拒否るか、という話題でしたからね。観念論というのも大抵は、この音楽性(時間性)の拒否のような話なんです。このあたり再読あれ(^-^)/ https://t.co/fzvu2QLb3V
@Esoterica_GIKO 「天の声」については以下の論文でも触れています。よろしければどうぞ。/ 吉田寛「聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合」https://t.co/KC5rRWRFXI
ここがもし音大だったら、こういうカントのヘルダー批判の美学的な問題、つまりカントはなぜ聴覚を貶めたのか、という問題として、徹底的に叩き込むのだが、日本の音大生はこういうことをちゃんと議論していないので、教育の余地がない。https://t.co/fzvu2QLb3V
『絶対音楽の美学と分裂する〈ドイツ〉』(青弓社)の吉田寛による「聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 」が熱い!ドイツ観念論における聴覚の位置づけと同時期のドイツ音楽の様態の影響関係。音をめぐる思考と実践の力学を見よう! #音の本を読もう https://t.co/BwKY9PLVLQ
このあたりは、吉田寛氏の音楽美学史観が意外と最新知見。聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合 http://t.co/fzvu2QLb3V 従来視覚の優位と語られた近代性が実は聴覚の優位だったというヘーゲル的史観なのだが。@LitoSnowfield
吉田 寛「聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合」 http://t.co/YkKzmQWbKq
おもしろそうね、一段落したら紐解いてみます。吉田寛氏のヘルダー論おもしろかったものね。http://t.co/eIWjqGJhu1 @juntaro5656
ヘルムホルツ「音感覚論」は、倍音・和音・音階と調性・美学など、いろいろな入口が用意され楽しいが、吉田寛氏の序文は、その論考 https://t.co/gGbtHgQdEzとhttp://t.co/Sr8X0leP5Lを知る者には理解できるが、そこからの可能性は、まさに多様である。
@sunamajiri まだまだ越えるべき壁が多くて。カントに視覚的(絵画的)観照と異なる、聴覚的(音楽的)観照はあるか?というところで悩んでいます。どうも美の観照は視覚、善の観照は聴覚、という分類が次の論文によるとできるようです。http://t.co/3dZMncFpPD …
それでね、内面の音というクラシック教育がどっからきたのかと、ヘルダーの音楽論とかいってるのよ。つまりドイツ哲学の本丸の問題なのだが。この論文さわり読んでみて。すぐに問題の所在がわかろうというものww http://t.co/yzjBEoI7Rs @noburin2828
そうです。https://t.co/7qjEmZfCo0 と敷衍されますし。@sei_ongakukouko 吉田寛著 【聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統ヘルダー、 カント、ヘーゲルの場合】ですか? http://t.co/coPXw5A7nL @ratukata
そうです。https://t.co/7qjEmZfCo0 と敷衍されますし。@sei_ongakukouko 吉田寛著 【聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統ヘルダー、 カント、ヘーゲルの場合】ですか? http://t.co/coPXw5A7nL @ratukata
ちなみに昨日の私の話のうち、ヘルダー、カント、ヘーゲルの部分(の一部)はこの論文 http://t.co/KC5rRX9PbQ で書いたことです。
吉田寛『聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合』(美学会『美学』第61巻1号より)http://t.co/GkcHanc3mt◆美学会『美学』電子版、大半がオープンアクセス可http://t.co/s7YIr8nbj6
以上、参考文献は「聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統──ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合」http://t.co/KC5rRWRFXI でした。
[aesthetics] / “CiNii 論文 -  聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合” http://t.co/gH6peeZu
[ あとで読む] / “CiNii 論文 -  聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合” http://t.co/gH6peeZu
この間の読書会に関連する論文,かな。>http://t.co/uwkCFTxX / “CiNii 論文 -  聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合” http://t.co/RmtUn8rn
“CiNii 論文 -  聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合” http://t.co/ugDqC5HB
CiNii 論文 -  聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合 http://t.co/dhghoSeJ
via. くぼっち。 / “CiNii 論文 -  聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合” http://t.co/pYIVfNyD
ようやくCiNiiからPDFで読めるようになったみたい。→吉田寛「聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統──ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合」『美学』(61-1, 2010)http://t.co/5vv1a5Dc

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