著者
上村俊雄著
出版者
ニュー・サイエンス社
巻号頁・発行日
1984
著者
上村 俊雄
出版者
鹿児島大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1991

日本列島の近海に沿って流れる黒潮は、一つは九州の西を過ぎて日本海に入り本州および北海道の西岸を洗い、他の一つは太平洋岸側の伊豆諸島に達している。本研究では、黒潮の流れに乗って原始・古代の南島および大陸からどのような文物が往来したのか、また九州沿岸地域にどのように影響を及ぼしたのかなどについて調査研究を試みた。調査研究の対象を1.南島産の貝製品(ゴホウラ・イモガイ・オオツタノハなど)、2.大陸の関係の深い支石墓の2点にしぼり、壱岐・対馬、五島列島などの島嶼および西北九州を中心とした九州西岸の沿岸地域を調査した。1のテ-マの南海産貝製品のうち、ゴホウラ製貝輪は有川町浜郷遺跡(五島列島)、平戸市根獅子遺跡(平戸島)、イモガイ製貝輪は佐世保市宮の本遺跡(九十九島中の高島)、五島列島の福江島大浜貝塚・中通島浜郷遺跡・宇久島宇久松原遺跡、オオツタノハ製貝輪は宇久松原遺跡・福江島大浜貝塚などで出士している。また、埋葬人骨にともなうアワビの副葬列が中通島浜郷遺跡、福江島大浜貝塚で確認されたが、同様な列は沖縄本島読谷村木綿原遺跡にもあり、弥生時代の五島列島と沖縄に共通した理葬習俗が見られることは注目される。南海産貝輪は九州西海岸をかすめて北九州へ運ばれるル-トの中で五島列島へもたらされたと考えられる。2のテ-マの支石墓については、甕棺・土壙・箱式石棺などの下部構造について調査した。九十九島の宮の本遺跡、五島列島の宇久松原遺跡・神ノ崎遺跡(小値賀島)・浜郷遺跡などの箱式石棺墓の中に南九州特有の古墳時代の墓制である地下式板石積石室墓を想起させるものがある。地下式板石積石室墓の祖源は縄文時代晩期の支石墓に遡る可能性を示唆しており、五島列島方面から南九州西海岸に到達したものと考えられる。この見解については平成3年11月9日、隼人文化研究会で「地下式板石積み石室墓の源流」と題して口頭発表をおこなった。
著者
新里 貴之 中村 直子 竹中 正巳 高宮 広土 篠田 謙一 米田 穣 黒住 耐二 樋泉 岳二 宮島 宏 田村 朋美 庄田 慎矢 加藤 久佳 藤木 利之 角南 聡一郎 槇林 啓介 竹森 友子 小畑 弘己 中村 友昭 山野 ケン陽次郎 新田 栄治 寒川 朋枝 大屋 匡史 三辻 利一 大西 智和 鐘ヶ江 賢二 上村 俊雄 堂込 秀人 新東 晃一 池畑 耕一 横手 浩二郎 西園 勝彦 中山 清美 町 健次郎 鼎 丈太郎 榊原 えりこ 四本 延弘 伊藤 勝徳 新里 亮人 内山 五織 元田 順子 具志堅 亮 相美 伊久雄 鎌田 浩平 上原 静 三澤 佑太 折田 智美 土肥 直美 池田 榮史 後藤 雅彦 宮城 光平 岸本 義彦 片桐 千亜紀 山本 正昭 徳嶺 理江 小橋川 剛 福原 りお 名嘉 政修 中村 愿 西銘 章 島袋 綾野 安座間 充 宮城 弘樹 黒沢 健明 登 真知子 宮城 幸也 藤田 祐樹 山崎 真治
出版者
鹿児島大学
雑誌
若手研究(A)
巻号頁・発行日
2007

徳之島トマチン遺跡の発掘調査をもとに、南西諸島の先史時代葬墓制の精査・解明を行なった。その結果、サンゴ石灰岩を棺材として用い、仰臥伸展葬で埋葬し、同一墓坑内に重層的に埋葬することや、装身具や葬具にサンゴ礁環境で得られる貝製品を多用することが特徴と結論づけた。ただし、これは島という閉ざされた環境ではなく、遠隔地交易を通した情報の流れに連動して、葬墓制情報がアレンジされつつ営まれていると理解される。
著者
西中川 駿 松元 光春 上村 俊雄
出版者
鹿児島大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1987

わが国の牛、馬の起源、系統や渡来の時期などを明らかにする目的で全国の遺跡から出土する牛、馬に関する遺物を調査し、さらに出土骨を同定する基礎資料を得るために、在来種や現代種の骨を形態計測学的に検索し、出土骨との比較を行い、以下の結果を得た。1.牛、馬の骨や歯の出土した遺跡は、全国で牛177、馬379、合計556カ所あり、時期的には古墳から中世が多く、また、地域別では、東京、神奈川、福岡、大阪、および千葉などに多かった。2.在来牛である見島牛(雄2、雌2)、口之島牛(雄3、雌5)および現代和牛の黒毛和種(雄10、雌20)の頭蓋、四肢骨をノギスや画像解析装置を用いて計測した。実測値、主成分分析から在来牛は黒毛和種から区分された。3.在来馬であるトカラ馬(雄7、雌8)、御崎馬(雄9、雌13)、木曽馬(雄1、雌10)および現代馬のサラブレッド(雄5、雌5)の頭蓋、四肢骨を計測し、実測値、主成分分析からトカラ馬が最も小型であることがわかった。なお、牛、馬共に骨の幅、径から骨長を、骨長から体高の推定式を作成した。4.藤原京、平安京、カキワラ貝塚など24カ所の出土骨を調査したが、牛の骨は、在来牛とほぼ同じ大きさであり、また、馬の骨は、小型から中型馬の大きさで、特に御崎馬と同じ中型馬のものが多かった。5.古墳時代中期になると、わが国でも馬具が出土しはじめ、また、杏葉や馬鐸飾った馬の埴輪もみられ、埴輪馬は関東に多く、西日本では少なかった。祭祀に用いたと考えられる土馬は、奈良、平安時代に最も多く、ほぼ全国に分布しているが、特に平城京、平安京など古都に多くみられた。6.以上の調査結果から、わが国の牛、馬の渡来時期は、弥生から古墳時代と考えられるが、今後さらに全国各地の出土遺物を詳細に調査し、牛、馬のわが国へのルートを明らかにしたい。