著者
中垣 恒太郎
出版者
早稲田大学
雑誌
早稲田教育評論 (ISSN:09145680)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.97-109, 2004-03-31

児童文学の黄金時代とされる19世紀後半から20世紀はじめにかけての時代に書かれた冒険小説には,植民地主義のイデオロギーが介在しており,児童文学にはイデオロギーの「刷り込み」に近い政治的な側面もある。いわゆる未開の地への航海冒険物語は当時の少年読者の異文化への関心,冒険心をかきたてることにより隆盛を誇ったが,現在のポスト・コロニアリズムと称される文学研究の問題意識からは厳しく糾弾される要素である。しかしながら,児童文学は同時に避けがたく政治的なものであり,文学を制度として学ぶ「国語」教育に本質的に備わっている性質であるといえるのではないか。こうした現在の児童文学を取り巻く研究動向を受けて,本稿では,まず19世紀に開花したアメリカ児童文学の重要な作家,マーク・トウェインが近代日本にどのように移入されてきたかをたどることにより,日米の比較文化の観点を導入しつつ,明治大正の「制度としての教育」の中でどのように外国文化から日本の児童文学がもたらされていったのかを検討していきたい。
著者
中垣 恒太郎
出版者
専修大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2019-04-01

アメリカ大衆文化における「ホーボー」表象の変遷を探る。ホーボーは「渡り労働者」を指す言葉であり、世紀転換期から1930 年代にかけて労働環境の変化などを背景として社会現象と化していたが、1960年代以降の表象においては労働の描写が抹消され理想化された姿で復活を遂げる。19世紀中庸に出現する「放浪者」(tramp)との連関、映画やフォーク・ソングをめぐるメディア横断的視座、ヴァガボンド、ボヘミアン、瘋癲などの概念を参照し、アメリカ大衆文化における放浪者表象を比較文学の見地から展望する。現代の労働者たちの姿、中南米をはじめとする移民の視点にも目を向けることで分断が進むアメリカの現況と課題をも探る。
著者
中垣 恒太郎
出版者
英米文化学会
雑誌
英米文化 (ISSN:09173536)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.115-132, 2007-03-31 (Released:2017-06-20)

Truman Capote invented a new style of "non-fiction novel" in his work, In Cold Blood (1966). About 40 years after its publication, the situation of documentary has drastically changed. Capote's In Cold Blood adopted some elements of fiction into the documentary realm.a revolutionary approach to the genre. Indeed, many journalists were impressed by his work, and the movement of "new journalism" was brought about. The 2005 film Capote was focused on Capote himself who was making his new documentary work, In Cold Blood. In effect, the film Capote showed the "behind-the scenes" of Capote's struggle to create the non-fiction novel. Besides, the film represents an outstanding depiction of the transition of documentary over the past 40 years. In recent documentary works, extreme importance is placed on the viewpoint of camera. In Cold Blood did not directly depict the relationship between the author and the targets. Those targets were deeply affected after connecting with Capote himself, but Capote could not write about these aspects. The film Capote, on the other hand, emphasized the author's dilemma. This paper will reexamine the achievements of new journalism, and explore the possibility of docu/fiction bridging the gap between documentary and fiction.
著者
大城 房美 ベルント ジャクリーヌ 中垣 恒太郎 吉原 ゆかり 長池 一美 須川 亜紀子
出版者
筑紫女学園大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

「女性」という主体とグローバル化によって拡がったMANGAは、均質ではなく多様な表現を生み出しているという先の研究から得られた観点から、本研究では「グローカル化」をキーワードに、アジア(東/東南アジア)に焦点を定め、各地域での日本マンガの影響、地域独自の女性マンガ文化の成り立ちや発展、動向や現状の調査・分析を行い、その成果を論文や学会で発表し、論集を発行した。女性MANGA研究プロジェクトとして開催した3回の国際会議では、地域公共機関の協力を得て現地の女性作家も招聘して討論を行い、グローカルな現象を経て生み出されたMANGAの派生文化的領域の可能性のさらなる検証が、今後の課題として確認された。
著者
大城 房美 ジャクリーヌ ベルント 中垣 恒太郎 吉原 ゆかり
出版者
筑紫女学園大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

アメリカ女性コミックス、つまり、欧米を起点とした本研究は、3年間の研究期間で、欧米・日本・アジアと、順調に研究者のネットワークを拡げた。先行研究が殆ど存在しないため、調査を進めると同時に、研究の場を作ることを重視し、1年目には京都、2年目にはシンガポール、3年目にはハノイで、多国籍の参加者による国際会議を企画開催した。研究者・作家・読者という3面からののアプローチを実現した国際会議/展覧会/ワークショップを通して、女性とマンガ/コミックスの関係に、日本を越えグローバルに多様な文化を結びつける新しいメディアとしての可能性を示した。
著者
中垣 恒太郎
出版者
常磐大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2005

Popular Culture Association(Texas/Southwest)にて昨年度末(2007年2月)に行った、研究発表と学会参会による研修成果を軸に一年間の研究活動を展開した。アメリカ合衆国での「リアリティTV/メディア・スタディーズ」に関する最新の研究動向を参照した経験に基づき、日本映像学会第33回全国大会にて、主に「アメリカ合衆国におけるリアリティTVの動向」「日米および世界におけるリアリティTVをめぐる状況の比較考察と展望」にまつわる研究発表、さらに文学・環境学会(ASLE)日韓合同シンポジウム(8月)にて「1960年代以降の日本における公害と怪獣の創造」にまつわる研究発表を行った。共にアメリカ・日本・アジアに及ぶ比較文化的観点から、メディアを中心に時代状況とドキュメンタリー表現の関係について考察した成果であり、本研究課題の最終年度をしめくくるにあたり、3年間の研究成果の一端を具体的なケース・スタディの形で示すことができた。若手研究での研究課題であることからも、研究企画を課題期間終了後も発展継承させていく必要性があるだろう。学会での発表原稿を加筆改稿した上で、主要な学術雑誌への投稿論文としてまとめる機会を持ちたい。ドキュメンタリー作品が虚構性に対して自覚的であることをますます強いられていく状況の中で、「作り物の世界」を現出させるためにドキュメンタリー製作を作中に組み込む「モキュメンタリー」表現のあり方について関心をより一層深めるに至った。近年のドキュメンタリー表現において大きな潮流となっている、「セルフ・カメラ」の手法によるアイデンティティ探求の試みについて、さらに焦点を絞った検討を続けていきたい。研究テーマをより限定した形で、次の研究段階に進む足がかりを築き上げることができたことが、本研究期間の最大の収穫である。
著者
中垣 恒太郎
出版者
早稲田大学
雑誌
早稲田教育評論 (ISSN:09145680)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.55-68, 2003-03-31

マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』はアメリカ文学史において正典(キャノン)として位置づけられてきたばかりでなく,出版当時から児童文学としても読まれてきたために,アメリカ合衆国では,小中学校,高校,大学を通して教材として用いられてきた。作品の受容史を振り返るならば,文学史の生成過程をめぐる問題や,批評理論などを通じて,それぞれの時代思潮を反映した読まれ方がなされてきていることがわかる。文学研究の教材としてこの作品は様々な用い方が可能であろう。出版直後から議論を呼んできた作品でありながら,長い間,教材の定番として読み継がれてきたが,公民権運動の1960年代以降,複雑な人種問題を内包しているがゆえに,多様な文化背景の生徒たちが集う,教室での教材としてはふさわしくないのではないか,という声が出始め. 1980年代半ばから90年代にかけて,教材のリストから除外される傾向が強くなった。はたして,『バック・フィンの冒険』は教材としての耐用年数を超えてしまったのか。マーク・トウェイン研究者による,教育教材としての作品研究への最新の取り組みなどを参照しながら,教育現場での文学教育のあり方について考える。同時に,アメリカ文学を外国文学として学ぶ日本の教室の事情について考察する。作品の流入史などを,英学史,比較文学の観点なども含めてたどることによって,外国文学を研究することの意味についても考えることになるだろう。さらに,制度としての文学研究の変遷をも意識しながら,日米における文学研究のあり方を比較文化的に(比較教育学的な視座まで含めて)考察していくうえでの序論となることを目的としている。