著者
中田 幸司
雑誌
玉川大学文学部紀要 (ISSN:02868903)
巻号頁・発行日
no.60, pp.119-130, 2020-03-31

『枕草子』「香炉峰」章段の〈対話〉について〈ズレ〉と〈異論〉の観点から叙述の方法を論じた。本文(作品/テクスト)の生成と受容の諸相は、多様化する現代社会における今日の古典教育に必要であることを示した。
著者
中田 幸司
出版者
玉川大学
雑誌
玉川大学文学部紀要 (ISSN:02868903)
巻号頁・発行日
no.63, pp.95-108, 2023-03-30

古典教育における「更衣」(こうい)は天皇の夫人として理解される傾向がある。一方、衣を替える意義をもつ「更衣」が平安朝に隆盛した『催馬楽』にはある。この詞章には愛しい相手に思いを伝える世界観がある。身分制度や年中行事から距離をおき、自/他の情を交えようとする往時の人はいかに表明したのか。そこには宮廷人による知識と脚色した詞章があると考えられる。
著者
中田 幸司
雑誌
玉川大学文学部紀要 (ISSN:02868903)
巻号頁・発行日
no.59, pp.90-102, 2019-03-31

『枕草子』「うつくしきもの」に言語学のレトリックである列叙法を応用し、〈題目〉と〈項目〉のかかわりと、〈項目〉の機能について論じた。また、現行の高等学校古典教育において問われる「共通性」の読み取りには大切な前提が見落とされていることを提起し、多様化社会における古典教育に資する新たな〈読みのベクトル〉の必要性を示した。
著者
中田 幸司
雑誌
玉川大学リベラルアーツ学部研究紀要 (ISSN:18828647)
巻号頁・発行日
no.7, pp.1-9, 2014-03-15

平安宮廷歌謡『催馬楽』を研究する方法に詞章の分析がある。現存する六十余曲は大別すると「恋歌」・「非恋歌」・「その他」という内容面と、五七五七七に収束する「短歌体」・複数の立場の者による「問答体」・「その他」という形式面による位置づけができる。本稿で扱う「力なき蝦かへる」は、『催馬楽』の中ではもっとも短い詞章であり、「力なき蝦 骨なき蚯みみず蚓」の反復を見るに過ぎず、どのような内実を読むべきか定説はない。ここに第一勅撰和歌集『古今和歌集』の仮名序にみる表現、また後世の和歌集の序文に引かれる「力なき蝦」・「骨なき蚯蚓」の表現が用いられていることから逆照射して、ここに歌人の行為と象徴を読み取る必要のあることを結論づけた。
著者
篠崎 祐介 鈴木 美穂 冨士池 優美 北原 博雄 中田 幸司
出版者
日本リメディアル教育学会
雑誌
リメディアル教育研究 (ISSN:18810470)
巻号頁・発行日
pp.2021.07.20.03, (Released:2021-09-01)
参考文献数
11

主体的・対話的に批評を行わせる学修活動を取り入れた授業実践を実施し,批評文の変化を分析するとともに,批評文の変化が大きかったグループの学修活動の分析を会話を中心に行った。その結果,取り出した情報と解釈を結びつける理由づけが記述される等の批評文の変化が見られた。また,分析対象となったグループでは,散発的で単調な会話から相手の発言に関連づいた会話に展開していた。作品がただ面白いという感想から,作品の内容や表現に着目しつつ,他者にも捉えられる理由を求めようとする意識が共有されるようになっていった。一方で,批評においてどのような理由を持ち出すとよいのかという点をメタ的・批判的に意識化させることができなかったという実践上の課題が見出された。
著者
中田 幸司
雑誌
玉川大学リベラルアーツ学部研究紀要 (ISSN:18828647)
巻号頁・発行日
no.6, pp.19-26, 2013-03-15

『催馬楽』「席田」は大嘗会和歌のひとつとして存在し、詠作者を想定するべき歌である。そこには、和歌の歌謡化といった傾向が見出されるとともに、その表現は、紀貫之を筆頭に受容されたと考えられる。この時、『催馬楽』は宮廷人の存在なくしては、成り立たず、必ずしも巷間・民衆から発生したとは言いがたい。
著者
中田 幸司
雑誌
論叢 : 玉川大学文学部紀要 (ISSN:02868903)
巻号頁・発行日
no.58, pp.170-180, 2018-03-31

『枕草子』の〈対話〉に贈答歌の機能を応用する。〈対話〉と地の文との関わりから表現の理解をより深化させる。また、顕在化した表現の背景に潜在化した表現を読み取ることや、間テクスト性を生かして既存の和歌をふまえるとき、より重層性のある読みができる。
著者
中田 幸司
雑誌
玉川大学リベラルアーツ学部研究紀要 (ISSN:18828647)
巻号頁・発行日
no.10, pp.68-62, 2017-03-15

『枕草子』「清涼殿の丑寅の隅の」章段は、従来『古今和歌集』との関係から論じられたが、本稿では当時の和歌や『伊勢物語』を間テクスト性の観点から論じた。冒頭の「おそろしげなる」絵を〈笑ひ〉へと導く背景には当時の「うしとら」歌の存在を考慮すべきであり、続く叙述には『伊勢物語』一〇一段が想起される。『伊勢物語』の語りを『枕草子』の当該部分に照射すること、つまり間テクスト性の問題として読み直すことで詠歌の折を基準に『枕草子』の特徴を理解することができる。ここに和歌に収束した『伊勢物語』の散文と、和歌には収束せずに拡散した過程を経て和歌に到達した『枕草子』の位相差を読み取ることを指摘した。