著者
横川 公子 田口 理恵 角野 幸博 佐藤 浩司 笹原 亮二 森 理恵 井上 雅人 佐藤 健二
出版者
武庫川女子大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

国立民族学博物館所蔵の大村しげコレクションは、元の所有者が日々の暮らしの中で蓄積した生活財のほぼ全容をもって構成される。今までの調査によって、個々の生活財について詳細な情報が記録され、全体像を表すエクセルファイルと画像データのCDを発行すると同時に、調査の過程で発見された特徴的な傾向や、研究者の問題意識にしたがってモノから見えてきた見解等について、『国立民族学博物館研究報告書SERS68』(2007.3)を発刊した。その主たる内容は以下のように一覧できる。「大村しげの都心居住」「収納家具とその中身の配置について」「おばんざいの道具立て」「おばんざいの流布について」「おばんざいの思想について」「大村しげの衣類・履物について」「文筆家としての大村しげの思想について」等々である。さらにもうひとつの課題である、生活主体が抱いているモノをめぐる生活の価値については、関係者へのインタビューと著作を参照することによって再現し、これについても取りまとめて公刊する(横川公子編『大村しげ京都町家暮らし』河出書房新社、2007.6予定)。以下のような見通しを得ることができた。所有者の生活の経時的変化に対応する生活財のまとまり、および生活財の空間的な所在を再現することによって、所有者と時間的・空間的な生活財の位置との関わりや暮らしの思想を再現できた。さらに拝観チケット・食べ物屋のメニューやチラシなどの遺品から、所有者のお出かけ行動の内容と京都市内外における行動範囲や行動スタイルが判明し、都心居住者としての生活を再現することができた。同様に、主にインタビュー調査とフィールド調査によって晩年に居住したバリ島における行動や行動範囲・行動スタイルを再現した。物書きとしての用品として大量の原稿や校正刷り、原稿用紙、筆記用具、著書など、及び父親の家業であった仕出し屋の道具類や多様な贈答品の蓄積から、京都や祇園という地域の固有の暮らしを再現、等々。モノと著作による暮らしの内側からの発信は、観光都市・京都イメージとは異なる、都会暮らしの現実感覚があぶりだされてくる。
著者
井上 雅人
出版者
大阪市立大学大学院文学研究科都市文化研究センター
雑誌
都市文化研究 (ISSN:13483293)
巻号頁・発行日
no.12, pp.125-138, 2010-03

日本のファッション誌は『装苑』によってはじめられ『アンアン』によって完成された, と歴史化されつつあるようだ。それによれば『装苑』は洋裁のための雑誌であり, 『アンアン』は消費文化のための雑誌であるという。しかし, 細かく検討していくと, そこまではっきりと線を引くことはできず, 曖昧な領域があることがわかる。本稿では, 『装苑』から『アンアン』へと続くファッション誌の流れの横に別の筋道を浮かび上がらせることによって, 日本における衣服に関する雑誌と, それを取り巻く文化の重層性を明るみにすることを試みている。特に, 戦前に創刊されて, 『装苑』とは異なる高度な誌面作りを行った『ル・シャルマン』, 戦後占領期に『装苑』以外にも大量に創刊された「スタイルブック」と呼ばれる雑誌群, 1950年代に創刊されて, 洋裁学校を背後に持たずに洋裁だけに依存しない誌面作りを行い, 60年代に多くの読者を抱えた『若い女性』, といった雑誌を中心的にとりあげることによって単線的ではない歴史を描き, それぞれの時期に, 雑誌を取り巻く社会の構造が異なり, それゆえ雑誌自体の性格や位置も異なっていたことを指摘する。ファッション誌という現在通用している概念枠組みをもって歴史をさかのぼり物語ってしまうことは, かつて衣服に関する雑誌が持っていた, ファッション誌という概念の範疇には収まらない振れ幅を見逃してしまうことになる。今では忘れられた「ファッション誌」のオルタナティブをさぐることや, かつて存在した違う分類枠組みを検討することによって, 「洋裁文化」とその後の時代の連続と分断を明るみにする。
著者
井上雅人著
出版者
ミネルヴァ書房
巻号頁・発行日
2019
著者
宮原 牧子 井上 雅人 玉井 雄大 大野 博康 岡本 幸一郎 原 徹男
出版者
一般社団法人 日本脳卒中学会
雑誌
脳卒中 (ISSN:09120726)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.262-266, 2016

症例は33 歳女性,妊娠9 週3 日で突然の頭痛にてくも膜下出血を発症した.妊娠中ではあるが,産婦人科医師と連携し,遅滞なく通常通りCT,CTA,血管撮影を行った.急性水頭症を認め当初Grade5(H&K,WFNS)であったが,脳室ドレナージ施行後から意識レベルの改善を認めたため責任病変である左内頸動脈眼動脈分岐部の破裂脳動脈瘤に対し血管内治療を行った.術後経過良好で,妊娠も安定していたため中絶は行わず,第24 病日にリハビリテーションのため転院後,妊娠38週5 日で帝王切開術にて正常児を出産した.現在まで母児ともに経過は良好である.妊娠極初期の血管内治療については過去報告がなく,今回一連の治療後,良好な転帰を得たため報告する.