著者
井谷 信彦
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.88, no.2, pp.184-196, 2021 (Released:2021-11-02)

本論稿の課題は、演劇教育家V.スポーリンの思想に見られる「エネルギー」という概念の内実と射程を明らかにすることにある。これにより、従来即興パフォーマンスの実演/思想を立脚点とする教育の実践/理論のなかで多くの場合に無規定なまま使われてきたこの概念の、意味と用法を見定めるための端緒が築かれる。加えて、即興演劇やインプロゲーム等の手法を用いた教育実践の分析・省察にとって、このエネルギーと呼ばれる現象に関する彼女の思想が重要な視点を提供するものであることが明らかにされる。
著者
井谷 信彦
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.94, pp.1-20, 2006

本稿は、現代ドイツの教育学者ボルノウと、彼の思想に深い影響を与えた哲学者ハイデガーについて、両者の思索の関わりを問い直す研究の一環として位置づけられるものである。ハイデガー哲学からの影響を認めながらもボルノウは、その思想の根幹である「存在への問い」が開き示す可能性については、それを繰り返し排除あるいは無視し続けてきた。しかしながら、この拒絶がそもそも或る種の誤解に基づくものであったとすればどうだろうか。むしろその点に、ボルノウ自身によっては主題的に論じられることのなかった別なる思索の可能性が潜在しているのではないか。ハイデガーによる「存在への問い」についての考察を通じて、ボルノウによる人間学的な教育学がもついっそう豊かな可能性を解き放つことが、本研究に与えられた最終的な課題である。特にその端緒として本稿では、ボルノウによる「希望の哲学」をハイデガーによる「不安の分析論」をふまえて問い直すことが試みられる。
著者
井谷 信彦
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.94, pp.1-20, 2006-11-10 (Released:2009-09-04)
参考文献数
36

本稿は、現代ドイツの教育学者ボルノウと、彼の思想に深い影響を与えた哲学者ハイデガーについて、両者の思索の関わりを問い直す研究の一環として位置づけられるものである。ハイデガー哲学からの影響を認めながらもボルノウは、その思想の根幹である「存在への問い」が開き示す可能性については、それを繰り返し排除あるいは無視し続けてきた。しかしながら、この拒絶がそもそも或る種の誤解に基づくものであったとすればどうだろうか。むしろその点に、ボルノウ自身によっては主題的に論じられることのなかった別なる思索の可能性が潜在しているのではないか。ハイデガーによる「存在への問い」についての考察を通じて、ボルノウによる人間学的な教育学がもついっそう豊かな可能性を解き放つことが、本研究に与えられた最終的な課題である。特にその端緒として本稿では、ボルノウによる「希望の哲学」をハイデガーによる「不安の分析論」をふまえて問い直すことが試みられる。
著者
西村 拓生 岡本 哲雄 吉田 敦彦 山内 清郎 井谷 信彦 辻 敦子 神戸 和佳子 山田 真由美
出版者
奈良女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

教育における宗教性は、教育という営みの根底を考える際に非常に重要な契機である。この問題を考える際に思想史的に注目すべきなのが、京都学派の哲学に源流をもつ教育哲学の系譜である。この研究では、京都学派教育哲学の諸思想を分析し、その中に、「生命性と超越」を鍵概念とする系譜、「臨床性から公共性」という志向をもつ系譜、そして「言語の限界と可能性」をめぐる系譜を見出した。さらに、その分析を基盤として、教育における宗教性・超越性に関する多様な思想史的・人間学的研究を行ない、包括的・体系的な研究への足掛かりを構築した。
著者
井谷 信彦
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2005, no.91, pp.47-65, 2005-05-10 (Released:2009-09-04)
参考文献数
22

This paper investigates the origin of Heidegger's theory of Pathos prior to his Sein und Zeit. Pathos is a concept generally means moods or sufferings. It has long been considered that moods and sufferings are closely related to education and human development. How is it possible, however, to think about moods and sufferings in connection with education? Heidegger's theory of Pathos gives some valuable suggestions concerning this question.In his earlier thinking, Heidegger already appreciated a close relationship between moods and sufferings, on one hand, as well as our existence, on the other. In his lecture, “Grundbegriffe der aristotelischen Philosophie” (1924), he scrutinized the Greek concept of Pathos. He attempted to reveal those fundamental grounds upon which our understanding of, and speaking about, Pathos become possible. According to Heidegger, the concept has three basic meanings; 1) variable disposition, 2) suffering, 3) passion. In our Dasein, we human beings always have the possibilities of being angry, grieved, or pleased. In these variable moods, we as In-der-Welt-Sein are constantly and inevitably caught by the world and ourselves. Being thus encountered by the world or by ourselves, we are in such movedness (Bewegtheit) as being embarrassed or making up our minds. In this way, we always find the world and ourselves in moods through Logos.In conclusion, the study of the concept of Pathos brings us to those fundamental experiences which enable us to understand and speak about moods and sufferings in connection with education : 1) movedness, 2) passivity, 3) discoveredness (Entdecktheit). The present paper is an initial attempt to find a proper way to think and speak about moods and sufferings.