著者
佐藤 英文
出版者
日本動物分類学会
雑誌
動物分類学会誌 (ISSN:02870223)
巻号頁・発行日
no.28, pp.49-56, 1984-06-25

小笠原諸島の土壌性カニムシの2新種を記載し,海岸性カニムシの1種を記録した.2新種のうちTyrannochthonius similidentatus(オガサワラトゲツチカニムシ,新称)はT. takashimaiと類似するが,頭胸毛式,触肢の縁歯が1種であること,基節棘の数と形態の相違によって容易に区別され,またCheiridium aokii (グンバイウデカニムシ,新称)は体表毛が軍配形をしており,他のウデカニムシから区別される.軍配形体表毛はNeocheiridiumに多く見られるが,触肢動指の感覚毛数によって本種はCheiridium属に分類される.この他にコイソカニムシNipponogarypus enoshimaensisを記録した.
著者
佐藤 英文
出版者
Arachnological Society of Japan
雑誌
Acta Arachnologica (ISSN:00015202)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.31-37, 1978 (Released:2007-03-29)
参考文献数
7
被引用文献数
1

樹上生活性カニムシであるトゲヤドリカニムシ Haplochernes boncicus KARSCH の生活場所および生活史について調査し, 以下に示すような結果が得られた。1) 本種はスギ, ヒノキ, ときにはアカマツなどの乾燥した樹皮下に生息する。他の昆虫などに食害された樹皮よりも清潔で滑らかな樹皮の間隙に多い。老木の方が若木よりも好まれる。2) 寿命は4年あるいは5年以上と推定され, 第一若虫から第三若虫までは各一年, 成虫は1, 2年あるいはそれ以上生きるものと推測される。3) 脱皮時期は7~8月である。縦に長く横に短かい楕円形の巣の中で脱皮する。4) 繁殖期は7~8月である。抱卵雌は営巣せず, 巣にかわるものとして糸を敷きつめた“抱卵床 (brood-bed)” をつくる。抱卵床の大きさは平均して長径6.47mm短径3.98mmであった。雌1個体の産卵数は平均12-13個体であった。
著者
佐藤 英文 Hidebumi SATO
出版者
鶴見大学
雑誌
鶴見大学紀要. 第3部, 保育・歯科衛生編 = The bulletin of Tsurumi University. Pt. 3, Studies in infant education and dental hygiene (ISSN:03898024)
巻号頁・発行日
no.51, pp.11-17, 2014-03

幼児と小動物の関わり、特に殺してしまった体験について調べるため、保育者をめざす学生に対しアンケート調査を実施した。その結果、226名のうち224名(99.1%)の学生が何らかの形で小動物を殺した体験を持ち、その中でもアリ、ミミズ、ナメクジ、ダンゴムシなどの土壌動物が圧倒的に多かった。殺した理由を尋ねたところ主なものは、楽しかった、なんとなく、嫌いだから、うっかり、実験などであった。
著者
島野 智之 蛭田 眞平 富川 光 布村 昇 寺山 守 平野 幸彦 馬場 友希 西川 勝 鶴崎 展巨 佐藤 英文
出版者
首都大学東京小笠原研究委員会
雑誌
小笠原研究年報 (ISSN:03879844)
巻号頁・発行日
no.41, pp.137-144, 2018-07-31

小笠原諸島のうち、弟島3地点、父島8地点、母島6地点、合計17地点から、192個体あまりの土壌節足動物が得られた。同定の結果37種と判別され、このうち、学名が確定したりあるいは未記載種でも種レベルで同定が行われたりしたものは、26種であった。特筆すべきは、グンバイウデカニムシCheilidium aokii Sato, 1984の2例目の記録、アシジロヒラフシアリTechnomyrmex brunneus Forel, 1895の弟島からの初記録、また、アサヒヒメグモEuryopis perpusilla Ono, 2011も母島初記録であった。外来種であるホソワラジムシPorcellionides pruinosus(Brandt, 1833)は、父島と母島から見いだされた。
著者
国枝 武文 佐藤 英文 三島 信彦
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会雑誌 (ISSN:04682513)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.99-103, 1996-07-30 (Released:2011-08-11)
参考文献数
7

多包虫症 (AHD: alveolar hydatid disease) は北海道では1937年, 礼文島出身者における報告に始まり, 以後同島中心に流行及び鎮静化, 1960年代中期より道東での発症及び症例数の増加, 更に以後道南及びその他地域での発症が相次ぎ, また報告症例数も1980年代中期より増加傾向を認め, 深刻な疫学的問題となっている。一方本州においては東北地方を除いて発症報告は極めて稀で, それ故その診断には臨床, 病理面とも注意を要する。現在迄愛知県下での発症報告は見当たらないが, 今回X線像上胸水で発症し, 両肺野の多発生結節陰影へと進展した肺多包虫症の一例を経験した。潜伏期は45年と極めて長く, 当地域での稀有さ故診断に苦慮した。