著者
石村 大輔 加藤 茂弘 岡田 篤正 竹村 恵二
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.119, no.5, pp.775-793, 2010-10-25 (Released:2011-01-21)
参考文献数
46
被引用文献数
3 4

Episodic subsidence events at the east coast of Lake Mikata, Fukui Prefecture, suggesting fault activity in the Mikata fault zone, are recognized from two drilling cores, MK09 core (60-m long) and NEXCO core (100-m long). Detailed lithology including widespread tephra horizons is described for the MK09 core, with 18 AMS-14C dates. The radiocarbon ages and tephrochronology of the core sediments indicate the continuous sedimentary history of Lake Mikata back to about 130 ka. We recognize eight depositional units ranging in thickness from 5 to 10 m in the MK09 core, each of which shows a clear coarsening-upward sequence from clay to gravel beds. These units are also recognized in the NEXCO core drilled 50 m from the MK09 core site by the correlation of tephras and lithofacies. Analysis of sedimentary features suggests that each unit and its boundary reflect a rapid rise of lake level and subsequent progradation of alluvial fans. The mean sedimentary interval of individual units is equivalent to about 10.6 kyr, which is meaningfully shorter than astronomical cycles of climate change (∼20, 41 and ∼100 kyrs). Thus, we interpret these cyclic units to be the results of recurrent co-seismic subsidence due to Mikata fault zone activity. According to this interpretation, we could identify at least seven subsidence events besides the 1662 Kanbun Earthquake. The mean recurrence interval of these events is estimated to be about 7.7 kyr.
著者
吉川 周作 水野 清秀 加藤 茂弘 里口 保文 宮川 ちひろ 衣笠 善博 三田村 宗樹 中川 康一
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.39, no.6, pp.505-520, 2000-12-01
被引用文献数
17 32

神戸市東灘区魚崎浜で掘削された東灘1,700mボーリングコアの火山灰層序を明らかにした.本コアは,基盤の花崗閃緑岩(深度1,545.7m以深)と,それを不整合に覆うK1-L層・K1-U層から構成される.淡水成のシルト・砂・砂礫主体のK1-L層(深度1,545.7~691.8m)は,朝代火山灰層に対比できるK1-1382火山灰層を挾み,大阪平野地下の都島累層と陸上部の大阪層群最下部・下部下半部に相当する.海成粘土層と淡水成の砂礫・砂・シルトの互層からなるK1-U層(深度691.8~23.3m)は,31層の火山灰層を挾み,大阪平野地下の田中累層と大阪層群下部上半部~段丘堆積層に相当する.本層中のK1-648,K1-566,K1-537,K1-488とK1-486,K1-444,K1-422,K1-351,K1-348ないしK1-347.4,K1-245,K1-223,K1-175,K1-141,Kl-101,K1-26火山灰層は,イエローIIないしIII,ピンク,光明池III,山田III,アズキ,狭山,今熊II,八町池I,八町池II,カスリ,港島I,鳴尾浜IV,八田,甲子園浜III~VI,平安神宮の各火山灰層に対比された.この火山灰対比により,19層の海成粘土層を,それぞれMa-1,Ma0,Ma0.5,Ma1,Ma1.3,Ma1.5,Ma2,Ma3,Ma4,Ma5,Ma6,Ma7,Ma8,Ma9,Ma10,Ma11(1),Ma11(2),Ma11(3),Ma12層に対比した.
著者
佐藤 裕司 加藤 茂弘 井上 史章 兵頭 政幸
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.5, pp.401-410, 1999-10-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
34
被引用文献数
4 5

兵庫県,播磨平野東部の加古川市都台において,海成粘土を挾む段丘堆積層を新たに見いだし,層相からI~IVの4つの堆積ユニットに区分した.珪藻分析の結果からみた堆積環境は,ユニットIが淡水成,ユニットII・IIIが海成または汽水成,ユニットIVが陸成で,段丘堆積層は海進・海退の1サイクルを示す.ユニットIII中に挾在する加古川火山灰は,岩石記載的特徴の一致から,大阪平野地下のMall(2)層中の甲子園浜I火山灰や,215kaに降下したと推定される琵琶湖高島沖ボーリングコア中のBT51火山灰に対比された.したがって,段丘堆積層のユニットII・IIIはMall(2)層に対比でき,酸素同位体ステージ7.3における相対的高海面期に堆積した可能性が高い.また,層相と珪藻遺骸群集の種組成に基づいて,火山灰層準が旧汀線と認定され,当時の汀線高度が現在の海抜約44mにあることがわかった.この旧汀線高度と加古川火山灰の推定降下年代から,当地点における215ka以降の平均隆起速度は0.2~0.3mm/年と推定される.
著者
加藤 茂弘 佐藤 裕司 松原 尚志 兵頭 政幸 檀原 徹
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.5, pp.411-417, 1999-10-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
23
被引用文献数
6 5

六甲山地西麓に分布する明美累層高塚山部層に挾在する高塚山火山灰層から0.41±0.12Maのフィッション・トラック年代を得た.高塚山火山灰層の岩石記載的特徴は,大阪層群のMa9層最下部に挾まれる港島II火山灰層のそれにほぼ一致し,両火山灰層の対比を支持する.さらに高塚山火山灰層は,岩石記載的特徴と降下年代の類似性から,約0.39Maに噴出したと推定される琵琶湖高島沖ボーリングコアのBT76火山灰層に対比される可能性が高い.高塚山火山灰層の年代と対比結果から,高塚山部層に挾在する海成層は大阪層群のMa9層に対比でき,酸素同位体比ステージ11に相当する時代に堆積したと考えられる.
著者
加藤 茂弘 岡田 篤正 寒川 旭
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.47, no.4, pp.233-246, 2008-08-01 (Released:2009-05-14)
参考文献数
81
被引用文献数
3 3

瀬戸内低地帯東部を構成する大阪湾周辺の活断層,とくに六甲山地や淡路島中・北部の活断層や大阪湾断層帯について記述し,それらとの関連において,第四紀における大阪堆積盆地や播磨灘の形成過程を検討した.大阪堆積盆地は約3.3~3.5 Maに形成されはじめ,約1~2 Maには大阪湾断層帯や六甲—淡路島断層帯などの活動開始により,隆起部の淡路島を境にして大阪湾側(狭義の大阪堆積盆地)と播磨灘側(東播磨堆積盆地)に分断された.約1 Ma以降は,大阪湾北西部の活断層帯で右横ずれ断層運動が顕著となり,六甲山地以西の地域の西への傾動運動が始まった.東播磨堆積盆地は,高塚山断層などの活動により約1 Maまで沈降を続けたが,断層運動の衰退と西への傾動運動により,それ以降は隆起域に転じた.一方,約1 Ma以降の傾動運動により西播磨平野や播磨灘の中・西部は沈降域(播磨灘堆積盆地)となった.約0.4 Maの高海面期には,六甲—淡路島断層帯の右横ずれ運動により局地的な低下域となった明石海峡を通じて,播磨灘にはじめて海水が侵入した.その後の播磨灘では,高海面期毎に海域が南西へと拡大していき,最終的に現在の播磨灘が形成されたと考えられる.