著者
寒川 旭
出版者
一般社団法人 日本活断層学会
雑誌
活断層研究 (ISSN:09181024)
巻号頁・発行日
vol.2011, no.35, pp.67-73, 2011-09-30 (Released:2015-12-09)
参考文献数
20
著者
寒川 旭
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.52, no.5, pp.191-202, 2013-10-01 (Released:2014-08-10)
参考文献数
52
被引用文献数
5 6

考古学の遺跡で地震を研究する分野である地震考古学は,1988年に誕生した.遺跡に刻まれた地震痕跡は,遺構・遺物との関係から年代を絞り込むことが可能で,平面および断層形態を詳しく観察することもできる.例えば,南海トラフの巨大地震については,文字記録から発生の歴史がかなり把握されているが,地震痕跡の発見によって史料の空白を埋めることが可能である.また,活断層から発生した地震については,周辺の遺跡で地震痕跡を観察することによって,地震動による地盤災害の様子がわかり,被害の文字記録と合わせて地震の全体像を把握できる.液状化現象・地滑りなどの地変については,遺跡で詳しい観察が可能なので,これまで知り得なかった新たな知識を得ることが多い.一方,歴史学や考古学の立場からは,地震という概念を導入することによって,これまで謎とされていた現象が合理的に説明できるようになり,地域の歴史をより正確に把握することができる.
著者
寒川 旭
出版者
公益社団法人 日本地震学会
雑誌
地震 第2輯 (ISSN:00371114)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.15-24, 1986-03-25 (Released:2010-11-17)
参考文献数
36
被引用文献数
3 2

The Kandayama tumulus is located in the eastern part of the Osaka okain. Crossing this tumulus is the N-S trending Konda fault, which has displaced river terraces and middle Pleistocene deposits. Just on the fault, the bank of the tumulus was upthrown eastward, and the north-western corner of the burial mound arumbled in.These facts show that the latest displacement of the fault occured after the construction of the tumulus. The Kondayama tumulus is presumed to be the tomb of the Emperor Ohjin and constructed in the 4th or 5th centry. The earthquake of 1510 is the only big earthquake recorded in this region, which destroyed the neighbouring Fujiidera temple. The displacement of the tumulus is presumed to have been caused by this earthquake.The magnitude of the earthquake is estimated M7. 1 judguing from the maximum displacement (1. 8m) of the bank of the tumulus. The mean rate of the Konada fault is calcurated 0. 25-0. 4m/103 and the recurrence interval of the earthquake is assumed 5000-7500y.
著者
寒川 旭
出版者
公益社団法人 日本地震学会
雑誌
地震 第2輯 (ISSN:00371114)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.235-245, 1987-06-25 (Released:2010-03-11)
参考文献数
18
被引用文献数
2 3

In the morning of September 27, 1611, a strong earthquake hit the Aizu Basin and its surroundings. The damage and its location are thoroughly described in old documents. Landslides occurred in many places on the upthrown side of the Aizu active fault system, which borders the western fringe of the basin. The earthquake fault occurred along the active fault system and dammed up the Nippashi (Ohkawa) River, forming a small lake. The altitude of the lake is inferred to have been 174.5-175m above sea level and depth about 2-3m. The lake is assumed to have been 2-2.5km wide and 4km long, which coincides with the description of old documents. Some villages were submerged and moved outside of the lake. Some part of the ancient Echigo Highway was also submerged and were rebuilt about 4km southward. The earthquake is believed to be caused by the Aizu active fault system. The magnitude of the earthquake is calculated at about M7.3, based on the vertical displacement (2.5m) of the earthquake fault.
著者
岡 義記 寒川 旭
出版者
Tokyo Geographical Society
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.90, no.6, pp.393-409, 1981-12-25 (Released:2009-11-12)
参考文献数
18
被引用文献数
1 4

Geographic Outline AWaji Island lies from NE to SW, dividing the east Inland Sea. The central range running in same direction continues to the Rokko mountains which are thought to have been elevated by crustal movement in Pleistocene (Rokko Movement). In the southern part of this island is the Yuzuruha mountains of Cretaceus sedimentary rocks which are a part of the series of mountain ranges on the north of Median Tectonic Line (MTL). In the plains of this island are seen hills of Pliocene deposits (the Awaji group) elevated from below the bottom of the Inland Sea.Purpose of Study The authors intended in this study to make clear the process of the formation of the east Inland Sea and Awaji Island. In order, they carried out the investigation on following points : 1. Relation between the Miocene deposits and the age of the formation of the erosion surface on the mountains in the north.2. Sedimentary process of the Awaji group.3. Faults and deformation of the Awaji group.Result of study The results obtained are as follows : 1. The morphology of the basement rocks (granitic rocks) in the north had been already gentle and undulating before the Kobe group deposited, caused by the Miocene transgression. The thickness of it reached a few hundreds meter in the north, but after regression the Kobe group was erosed down to basement. The mountains in the north were flattened again in this age.2. In Pliocene time, the area of the east Inland Sea depressed and deposited the Awaji group of gravel, sand, lacustrine silt and clay. In early stage, the lake began to be supplied with sand, and gravel from the area to the north of the island. In last stage, rivers originated to the south of MTL carried gravel (Goshiki-hama gravel) over MTL. to the lake.3. Goshikihama gravel is supposed to be contemporaneous with the Uchihata gravel, which is the lowest of the Osaka group (Yoshiki OKA 1978). The lower part of the Awaji group is suggested to be older than the Osaka group.4. The thickness of the Awaji group reaches 800 meter in the north and 300 meter or more in the middle part of the island. It indicates the depression of the Inland sea in Pliocene time.5. The fault movement in this island took place after the sedimentation of the Awaji group. Reverse and transcurrent faults by E-W compression have been discriminative since the middle of Pleistocene age.6. The faults can be divided, by strike, into three types, as follows : Type I (N60°E) The faults of this type caused the uplift of the Yuzuruha mountains in the south.Type II (N-SNE-SW) This type of faults caused the uplift of the central range of the island.Type III (N20°W) This type of faults are active reverse faults cut through the main range of the island.
著者
寒川 旭
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集C (ISSN:1880604X)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.672-679, 2008 (Released:2008-08-20)
参考文献数
30
被引用文献数
1

本稿では,地震考古学の研究によって得られた成果の概要を紹介する.まず,液状化現象について,噴砂の流出に伴う礫や砂の級化や地層の流動など,遺跡で得られた新しい知見を示した.また,液状化現象の痕跡を強震動の証拠と考えて,南海トラフから発生する巨大地震の発生年代の解明に用いた.内陸地震については,活断層のトレンチ調査や文字記録に地震痕跡を加えて解釈することで地震の全体像が把握できる.さらに,千数百年前頃に各地に築造された古墳については,地滑りなどの地変を量的に検討できる.
著者
千田 昇 松村 一良 寒川 旭 松田 時彦
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.33, no.4, pp.261-267, 1994-10-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
12
被引用文献数
6 3

福岡県久留米市で行われたこれまでの考古学的発掘により, 地割れ群や液状化の跡が数多く発見され,『日本書紀』に記述された678(天武7)年の筑紫地震による可能性が示された. 山川前田遺跡の発掘に伴うトレンチ掘削により断層露頭が現われ, そこでの多数の地割れ跡を検討した結果, 地割れは新期よりイベント1~イベント4の4回の時期 (イベント) に分けられた. それらの時期について, イベント4はAT堆積前, イベント3はAT堆積後, イベント2は(4)層の土石流堆積物の堆積前, イベント1は(2)層の遺物包含層, 特に6世紀の土師器包含層以後, 13~14世紀の遺物包含層以前の時期であり, イベント1を7世紀後半の678(天武7)年筑紫地震によると考えることに矛盾はない. また, この地点での地割れは地震活動に伴うもので, 水縄断層系・追分断層の活動による可能性が大きいと考えられる. したがって, AT堆積 (約2.5万年前) 以後に水縄断層系の活動による3回の地震があり, それにより地割れが発生したことになる.
著者
上本 進二 大河内 勉 寒川 旭 山崎 晴雄 佃 栄吉 松島 義章
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.41-45, 1993
被引用文献数
1

鎌倉市長谷小路周辺遺跡において, 14世紀前半 (鎌倉時代後期~南北朝時代初期) に由比ヶ浜砂丘地に築かれた半地下式の建物の跡から, 13世紀から14世紀前半頃 (鎌倉時代初期~南北朝時代初期) 形成されたと考えられる噴砂の跡を検出した. 噴砂は砂層に含まれていた土器を巻き込んで約1m上昇して, 当時の地表に噴出している. また, 噴砂の流出と並行して16cmの落差を伴う地割れも形成されている. この噴砂は『吾妻鏡』や『北条九代記』に見られる地震記録から, 1257年 (正嘉元年) あるいは1293年 (永仁元年) の地震によって形成されたと思われる. とくに1257年の地震では, 鎌倉の各地で噴砂が発生した記録が『吾妻鏡』にあるので, 1257年の地震による噴砂と考えるのが適当であろう.
著者
河野 芳輝 石渡 明 大村 明雄 古本 宗充 守屋 以智雄 寒川 旭 向山 栄 西村 智博 中居 康洋 粟 真人
出版者
一般社団法人 日本地質学会
雑誌
地質学雑誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.103, no.10, pp.XXXI-XXXII, 1997 (Released:2010-12-14)
参考文献数
4

平成8年度科学技術庁交付金を受けて石川県が行っている森本断層調査事業の一環として, 同断層に沿う金沢市梅田町の梅田B遺跡 (主に弥生時代~古墳時代) でトレンチ調査が行われ, 活断層の露頭が出現した. 森本断層(三崎, 1980)は, 金沢市北方の海岸平野と丘陵を境する地形境界付近に推定されている, 長さ13kmの活断層である(第1図). 丘陵末端部の洪積層は海側へ40°~70°傾く撓曲構造をなしており(第2図), 1799年の寛政金沢地震がこの断層の活動によるとする指摘もある (寒川, 1986)が, 断層露頭は未発見だった. 新しい道路取り付けのため従来から行われていた遺跡の発掘調査で, 弥生時代の遺構面と水路が, 不自然に海側が高くなっているという指摘があり, 断層運動による撓曲の可能性を考えてトレンチ調査を行った. 長さ8m, 深さ6mの北西方向のトレンチの壁面に, 走向N38°E, 傾斜35°NW, 鉛直落差約1.Om の低角衝上断層の露頭が出現した (第3, 4, 5図). この露頭では, 下部の, よく固結した洪積層 (卯辰山層) がほぼ断層と同じ走向で海側へ40°傾斜し, 露頭上部の水平な未固結の沖積層 (厚さ4m程度) がそれを傾斜不整合で覆っている. 断層運動によって, 洪積層は剛体的に破断して断層に沿って変位しているが, 沖積層は流動変形して下部では押し被せ褶曲をなし, 上へ向かって次第に緩やかな撓曲へ移り変わっている. これらの構造は1回の断層運動で生じたもので, 変位の累積性はなく, 水平変位もほとんど見られない. この断層は海側が上昇した逆断層であり, 丘陵を隆起させてきた森本断層本体の運動とは逆センスなので, 主断層の活動に伴った層面すべり断層(吉岡, 1989)と思われる.トレンチの南北両面に見られる沖積層最上部のシルト層(炭質物の14C年代は2740±50YB. P. )はこの撓曲に参加して南東へ傾き, トレンチ北面では更に上位の弥生時代の腐植土層(同前, 2060±70Y. B, P. )もこの撓曲に参加しているように見える(第6図).上述のように, 断層を横切るトレンチ外の弥生時代の溝の遺構は変位しているが, トレンチの東半部に断面が現れているそれより新しい弥生時代の溝の遺構(同前, 1930±60Y. B. P. )は, 断層運動によって形成された擁曲崖の麓に沿って掘られた可能性がある. また, トレンチ西半部に断面が現れている古墳時代の溝の遺構(同前, 1410±50Y. B. P. )には変位が認められないことから, この断層運動(M6. 7以上の地震に相当)は約2000年前(±500年程度の不確実性があり得る)に発生した可能性が高い. 沖積層基底の炭質物の14年代は4430±60Y.B.P. なので, この断層はそれから現在までの間に1回だけ動いたことになる.周辺地域での従来の地質踏査, ボーリング調査および弾性波探査によると, 卯辰山層基底の高度は森本断層の両側で600mほど食い違っている. この変位が最近80万年間で起きたと仮定すると, 森本断層の平均変位速度はおよそ0.75m/1000年となる. 上述のように, 今回発見されたのは副次的な層面すべり断層と考えられ, 主断層のずれの量はもっと大きかった可能性が高い. 主断層が1mを越す変位を生じたとすると, 森本断層だけではなく, 南方延長の野町断層や富樫断層なども同時に動いた可能性があり, 今後の研究課題である.森本断層は, これまで確実度II(推定), 活動度B(0.1-1m/1000年)とされていた(活断層研究会, 1991)が, 今回の発見によって活断層であることが確実になり, 約2000年前にかなりの規模の地震を起こしたことがはっきりした. また, 今回発見された露頭は, 堆積物の固結の程度によって変形の様子が全く異なることを如実に示しており, 平坦な沖積平野の地下数mにも, このような活断層が隠れていることを証明した点で意義深い.
著者
加藤 茂弘 岡田 篤正 寒川 旭
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.47, no.4, pp.233-246, 2008-08-01 (Released:2009-05-14)
参考文献数
81
被引用文献数
3 3

瀬戸内低地帯東部を構成する大阪湾周辺の活断層,とくに六甲山地や淡路島中・北部の活断層や大阪湾断層帯について記述し,それらとの関連において,第四紀における大阪堆積盆地や播磨灘の形成過程を検討した.大阪堆積盆地は約3.3~3.5 Maに形成されはじめ,約1~2 Maには大阪湾断層帯や六甲—淡路島断層帯などの活動開始により,隆起部の淡路島を境にして大阪湾側(狭義の大阪堆積盆地)と播磨灘側(東播磨堆積盆地)に分断された.約1 Ma以降は,大阪湾北西部の活断層帯で右横ずれ断層運動が顕著となり,六甲山地以西の地域の西への傾動運動が始まった.東播磨堆積盆地は,高塚山断層などの活動により約1 Maまで沈降を続けたが,断層運動の衰退と西への傾動運動により,それ以降は隆起域に転じた.一方,約1 Ma以降の傾動運動により西播磨平野や播磨灘の中・西部は沈降域(播磨灘堆積盆地)となった.約0.4 Maの高海面期には,六甲—淡路島断層帯の右横ずれ運動により局地的な低下域となった明石海峡を通じて,播磨灘にはじめて海水が侵入した.その後の播磨灘では,高海面期毎に海域が南西へと拡大していき,最終的に現在の播磨灘が形成されたと考えられる.
著者
寒川 旭
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.32, no.5, pp.249-256, 1993-12-30 (Released:2009-08-21)
参考文献数
45
被引用文献数
13 18

遺跡の地震跡を用いて古地震研究を行った場合, 次のような意義・研究上の利点が考えられる. (1)遺構・遺物との前後関係から, 地震跡の年代がわかる. (2)年代の判明した地震跡は地震の予知に役立つ. (3)遺跡内で液状化跡などの地盤の変動跡をくわしく観察できる. (4)年代の判明した地震跡は考古学上の時代尺度となる. (5)歴史・考古学上の謎のいくつかを地震跡を用いて解明できる.
著者
釜井 俊孝 寒川 旭 守隨 治雄
出版者
一般社団法人 日本応用地質学会
雑誌
応用地質 (ISSN:02867737)
巻号頁・発行日
vol.48, no.6, pp.285-298, 2008-02-10 (Released:2010-03-26)
参考文献数
20
被引用文献数
2

今城塚古墳と西求女塚古墳に見られる, 墳丘の地すべりを記載し, 地すべりの発生原因, 移動メカニズムについて考察した. 今城塚古墳では, 新たな年代測定値が得られ, 古墳の崩壊が, 1596年慶長伏見地震によるものであることがほぼ確実となった. トレンチでの観察から, 地すべりの過程は, 震動による盛土のブロック化→基盤粘土中のすべり面の形成 (地すべりの発生) →長距離移動 (基盤粘土の流化) のプロセスをたどったと推定される. また, こうした推定は, 盛土と基盤粘土の土質試験結果からも支持される. 西求女塚古墳では, トレンチでの観察と基盤砂層の動的変形試験結果から, 古墳の南半分が載っていた基盤砂層の液状化によって, 盛土が引きずり落とされるように滑ったものと推定される. 古墳自体は入念に作られたものであり, 多くの場合, 古墳における崩壊・地すべりの主な原因は, 基礎地盤の問題であると考えられる. すなわち, 古墳の地すべりは, わが国のような活発な変動帯に立地する都市において, 基礎地盤情報の収集が, 災害のリスク評価の精度を左右する, 極めて重要な要因であることを示している.
著者
寒川 旭
出版者
国立研究開発法人 産業技術総合研究所
雑誌
Synthesiology (ISSN:18826229)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.91-100, 2009 (Released:2009-08-21)
参考文献数
32
被引用文献数
3 5

考古学の遺跡発掘調査で地震の痕跡が見つかることが多いが、従来は調査の対象とされずに見逃されていた。筆者は、1988年に「地震考古学」を提唱し、遺跡の地震痕跡を用いた研究方法を広く普及させた。これによって、考古学と地震関連分野との境界領域が開拓されて様々な成果が得られた。南海トラフで発生する巨大地震について過去2千年間の発生年代がわかり、次の発生を考える基礎資料となった。内陸の活断層による地震痕跡も数多く見出されており、京阪神・淡路地域では1596年慶長伏見地震での地盤災害が詳しくわかった。液状化現象についても、遺跡での観察結果から新しい知見が得られた。また、地震痕跡は一般市民にも理解しやすいことと、マスメディアにも取り上げられる機会も多いことなどにより、地震災害軽減のための活動へ大きく寄与している。