- 著者
-
吉田 正広
- 出版者
- 愛媛大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2017-04-01
本研究は、ロンドンにおける第一次大戦の戦死者追悼記念碑や式典のあり方を、企業、地域社会、国民国家さらに帝国に至る重層的なアイデンティティ形成の問題として考察する。その際、記念碑の様式や式典のあり方にコミュニティ毎の違いがあることに着目し、地域社会の特質や政治との関連で記念碑や式典を考察する。ロンドン・シティの狭い区域内に数多くの記念碑が点在する。それは決して偶然ではなく、シティの金融機関に勤める従業員の多くが志願して戦死したことと関係する。初年度は、ロンドン・シティの調査と分析を実施した。2017年11月12日(日)リメンバランスサンデーの正午ごろに、王立取引所前のロンドン部隊記念碑前で始まった追悼式典を実際に観察し、その様子を動画および画像に収めた。これはコミュニティの追悼のあり方を知る上で重要な機会となった。また、金融機関や教会、鉄道の駅の記念碑など、11月12日の追悼式典後の記念碑の様子、とくに奉納されたポピーの花輪の文面を画像に収め、式典参加者やそのメッセージを資料として入手した。現地調査後半では、かつてのロンドンの波止場地区であるポプラー周辺や、さらにロンドン東部のイーストハム、ウェストハムに残る企業の記念碑を調査した。研究成果としては、イングランド銀行記念碑の設立に関する一次資料を分析し、職員たちによる記念碑設立活動の詳細を明らかにした。それはイングランド銀行の職員たちの自発的な活動として追悼委員会を通じて行われた。同委員会は、職員の階層や所属する部門の特質を反映した。また、職員総会での委員長ブライアントの演説を分析すると、世界の金融センターとしての自負心やその中枢としての自行への誇りが、強い愛国心を表明させたこと、また、自行の敷地拡大時における教会の解体や物質文明を担うことへの罪意識が、記念碑としての十字架建立の提案に至ったことを確認した。