著者
小林 博行
出版者
日本科学史学会
雑誌
科学史研究 (ISSN:21887535)
巻号頁・発行日
vol.53, no.269, pp.85-98, 2014

The Seki Teisyo (関訂書), a manuscript compiled by Seki Takakazu (関孝和) in 1686, is known to consist of 15 treatises which Seki extracted from an early Qing astronomical and astrological corpus, the Tianwen Dacheng Guankui Jiyao (天文大成管窺輯要). Containing a detailed account of the Shoushi Li (授時暦) as well as a comparative study of Chinese and Islamic calendrical systems, these treatises have drawn the attention not only of Seki but of modern historians. In this paper, I show that 14 of the 15 treatises Seki selected had been composed by a late Ming scholar, Zhou Shuxue (周述学), who discussed issues with Tang Shunzhi (唐順之). Their time predates the era in which the mathematical basis of the Shoushi Li was scrutinized and a new Chinese calendrical system was invented incorporating Western astronomical knowledge. I also mention some earlier works that Tang and Zhou could have consulted. Although Seki never knew the author of the treatises nor their background, his concern centered on themes that seem to have derived from one of those earlier works: the Liyuan (暦源).
著者
小林 博行
出版者
日本科学史学会
雑誌
科学史研究 (ISSN:21887535)
巻号頁・発行日
vol.53, no.269, pp.85-98, 2014 (Released:2020-12-09)

The Seki Teisyo (関訂書), a manuscript compiled by Seki Takakazu (関孝和) in 1686, is known to consist of 15 treatises which Seki extracted from an early Qing astronomical and astrological corpus, the Tianwen Dacheng Guankui Jiyao (天文大成管窺輯要). Containing a detailed account of the Shoushi Li (授時暦) as well as a comparative study of Chinese and Islamic calendrical systems, these treatises have drawn the attention not only of Seki but of modern historians. In this paper, I show that 14 of the 15 treatises Seki selected had been composed by a late Ming scholar, Zhou Shuxue (周述学), who discussed issues with Tang Shunzhi (唐順之). Their time predates the era in which the mathematical basis of the Shoushi Li was scrutinized and a new Chinese calendrical system was invented incorporating Western astronomical knowledge. I also mention some earlier works that Tang and Zhou could have consulted. Although Seki never knew the author of the treatises nor their background, his concern centered on themes that seem to have derived from one of those earlier works: the Liyuan (暦源).
著者
阪上 孝 竹沢 泰子 八木 紀一郎 大東 祥孝 小林 博行 北垣 徹 山室 信一 上野 成利
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

1859年のダーウィン『種の起源』以降、この書物がもたらした衝撃は計り知れない。それはまず、種の不変を信じて分類に終始していた博物学を抜けだし、生存闘争や自然選択などの原理を基礎とする、生命にかんするダイナミックな理解をもたらす。しかしそれは自然科学の一理論にはとどまらない。ダーウィン進化論は一つの思考様式として、哲学・法学・政治学・経済学・社会学・人類学といった人文・社会諸科学へも浸透し、新たな認識枠組を提供するのだ。またこの理論は制度的学問の枠組すら乗り越え、社会ダーウィニズムとして、国家や社会にかんする言説としても機能することになる。そしてさらには、神の摂理を説く宗教を打破して、既存の人間観・世界観をも揺さぶるだろう。本研究の主要な狙いは、進化論が社会にもたらすこうした広大な衝撃を探ることにあった。そのためにこの研究は多様な学問領域の専門家たちから組織され、また対象となる地域もヨーロッパからアメリカ、中国、そして日本を含む。研究を遂行していくなかで特に明らかになった点は、進化思想とは大いに多面性と揺らぎを孕むものだったということである。当時においてはダーウィンの他に、心理学や社会学を含む壮大な進化論体系を構築する同時代のスペンサーも大きな影響力をもっていた。またフランスのラマルクはダーウィンにおよそ半世紀先行して、獲得形質の遺伝や進化の内的な力という点を強調しつつ彼の進化論を展開している。さらには『種の起源』の作者はこの書のなかで、マルサスの『人口論』を引用しつつ、その政治経済学的発想に多くを負っていることはよく知られている。このように進化論はいくつかの思想が絡まって織りなされる錯綜した知の総体であり、そこで知はメタファやアナロジーを通して、異なる学問領域間で、また学問と政治・社会のあいだで往還運動を行う。このなかではときとして大きな誤解や逸脱も産まれており、それは進化論を受容する時期や地域によってさまざまなかたちをとる。本研究がとりわけ力を注いだのは、このような多様性を詳述することである。
著者
勝村 哲也 古勝 隆一 木島 史雄 金文 京 松原 孝俊 矢木 毅 小林 博行
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1998

朝鮮渡来漢籍の調査を行うのが目的であるが、今回は特に対島の宗家が所蔵し、厳原の長崎県立対島民族資料館に寄托されている漢籍と朝鮮版漢籍の調査をおこなった。その結果これらの典籍は、17世紀の中葉約50年間の間に渡来したものであり、ことにこの時期に朝鮮で出版された漢籍が集中的かつ良好に保存されている、極めてめずらしいケースであることが判明した。続いて建仁寺の両足院に保存されている対島府中の以酊庵(いていあん)関係文書(朝鮮との外交文書)・地図と南禅寺金地院文書(以酊庵に輪番として派遣された五山僧の記録)の全貌を把え、全文書を撮影した。これは研究者にとって極めて貴重な基礎資料となるものである。続いてカリフォルニア大学バークレイ校の東アジア図書館で調査し、旧三井文庫(新町三井)等わが国から当地に流出した資料約3000点を見出した。折りよく在外研究にめぐまれた九州大学の松原孝俊教授に紹介し、同教授によって調査が進められている。その結果も本研究に反映しうる。次にこうした資料をウェブによって公開利用に供するためのシステムを開発した。現在島根県立大学で試験的に運用しているウェブ・リトリーバル・システムがそれであって、このシステムによって、内外の諸機関のデータベースと相互に検索を行い、ウェブ上で検討に付することが可能になった。これも研究による大きな成果である。そのURLは以下である。http://ekanji.u-shimane.ac.jp/webusers/jsp/xmlweb/databases.jsphttp://nohara.u-shimane.ac.jp/dicl 204/dic-index.html