著者
原 塑 鈴木 貴之 坂上 雅道 横山 輝雄 信原 幸弘
出版者
北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)
雑誌
科学技術コミュニケーション (ISSN:18818390)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.105-118, 2010-02

Recently, some scientific disciplines have been politically promoted in many countries, because governments believe that they can produce economically profitable knowledge, and that neuroscience belongs to these disciplines. They are aptly characterized by Jerome Ravetz's notion of "post-normal science." It is expected that some knowledge produced by neuroscience may, when applied to the real world, influence social systems and, ultimately, our views on what it is to be human beings, even though it is difficult for us to foresee its concrete impacts. To minimize its unexpected negative effects, even non-specialists need to have neuroscience literacy, which includes not only a basic theoretical knowledge of neuroscience, but also knowledge on its social significance and possible impacts on our self-understanding as human beings. We compiled a textbook of neuroscience literacy, and used it in liberal arts education. In this article, we document our project of education on neuroscience literacy in liberal arts, and discuss its social and epistemological meaning.
著者
横山 輝雄
出版者
日本科学哲学会
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.17-25, 1998-11-15 (Released:2009-05-29)

Whether the natural classification of plants and animals is possible or not is an important problem of philosophy of biology. Because of the acceptance of the theory of evolution, "the death of essentialism" is widely held. But an extreme conventionalist's view that every classification is artificial is not correct. In this paper I propound a view that the natural classification is possible in some sense. The natural classification has its roots in "folk taxonomy" and is necessary for human beings. The natural classification is different from phylogenetic classification. We should distinguish phylogenetical study of the evolutional history from taxonomy or classification, especially the natural classification.
著者
横山 輝雄
出版者
日本科学哲学会
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.2_1-2_11, 2009 (Released:2010-02-15)
参考文献数
16

Neuroscience is now very popular and many research projects are going. The purpose of this paper is to examine what kind of ideology is required to promote neuroscientific research. Aim of applied science is easily understood by society. In the case of pure science or basic science, the aim is “to reveal the truth”. But such abstract idea is not sufficient to get financial support from society. Genetics has an ideology of “gene reductionism”. Dawkins coined the term “selfish gene” and it had a strong influence in society. Neuroscience needs such kind of ideology and term to appeal to society.
著者
小林 傳司 山脇 直司 木原 英逸 藤垣 裕子 平川 秀幸 横山 輝雄 副田 隆重 服部 裕幸 沢登 文治
出版者
南山大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002 (Released:2002-04-01)

現代社会における科学技術が、知的、物質的威力としてのみではなく、権力や権威を伴う政治的威力として機能していることの分析を行い、科学者共同体において確保される知的「正当性」と、科学技術が関連する社会的意思決定において科学知識が果たす「正統性」提供機能の錯綜した関係を解明し、論文集を出版した。また、このような状況における科学技術のガバナンスのあり方として、科学技術の専門家や行政関係者のみならず、広く一般人を含む多様なステークホルダーの参加の元での合意形成や意思決定様式の可能性を探求した。特に、科学者共同体内部で作動する合意形成様式の社会学的分析に関する著作、幅広いステークホルダー参加の元手の合意形成の試みのひとつであるコンセンサス会議の分析に関する著作が、その成果である。さらに具体的な事例分析のために、参加型のテクノロジーアセスメントにおける多様な試みを集約するワークショップを開催し、現状の成果と今後の課題を明らかにした。課題としては、全国的なテーマと地域的なテーマで参加手法はどういう違いがあるべきか、参加型手法の成果を政策決定とどのように接続する課などである。同時に、「もんじゅ裁判」を事例に、科学技術的思考と法的思考、そして一般市民の視点のずれと相克を記述分析し、社会的紛争処理一般にかかわる問題点や課題を明らかにした。本研究の結果到達した結論は、人々の現在及び将来の生活に大きな影響を与える科学技術のあり方に関しては、政治的な捕捉と検討という意味での公共的討議が必要であり、そのための社会的仕組みを構想していく必要があるということである。こういった活動の成果は、最終年度にパリで開催された4S(Society for Social Studies of Science)国際大会でセッションを組んで報告された。
著者
服部 裕幸 美濃 正 大沢 秀介 横山 輝雄 戸田山 和久 柴田 正良
出版者
南山大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000 (Released:2000-04-01)

われわれはコネクショニズムと古典的計算主義の対比を行ないつつ、コネクショニズムの哲学的意味の解明を行なった。美濃は、ホーガン&ティーンソンのアイディアを援用し、古典的計算主義を超えつつも、いくつかの点で古典的計算主義と前提を共有する立場の可能性を模索した。服部と金子はコネクショニズムにおける表象概念(すなわち分散表象)がはたして「表象」と呼ぶに値するかということを研究し、その有効性の度合を明らかにした。金子はどちらかといえば、分散表象を肯定的に評価し、服部は否定的に評価しているので、この点についてはさらに具体的な事例に即した研究が必要であることが明らかとなった。柴田と柏端は、「等効力性」議論を検討することを通じて、「素朴心理学」的説明による人間の行為の説明が真ではないとする主張の意義を研究し、柏端は、コネクショニズムが素朴心理学の消滅よりはむしろその補強に役立ついう評価をするに至った。他方、柴田は、条件つきではあるものの、素朴心理学は科学的心理学を取り込んだ形で生き残るか、道具主義的な意味で残るであろう、と結論するに至った。戸田山と横山はコネクショニズムが認知の新しい理論であると言われるときに正確には何が言われているのかということを研究した。特に横山は、コネクショニズムを科学についてのより広いパースペクティヴから見なければならないと結論した。大沢は、古典的計算主義における古典的表象のみならずコネクショニズムにおける分散表象もともにある種の限界をもつと論じ、それに代えて新たに像的表象の概念を提案し、そこでの論理を具体的に提案した。しかし、この点はまだ十分に展開しきれてはいないので、今後も引き続き研究する必要のあることが判明した。