著者
春成 秀爾
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.83, pp.1-59, 2000-03-31

哀悼傷身の習俗の一つに抜歯がある。この抜歯は18~19世紀のハワイ諸島の例が有名である。抜く歯は上下の中・側切歯であって,首長や親族の死にさいして極度の哀悼の意をあらわすために1回に2本を抜く。文献記録では,16~18世紀の中国の四川省や貴州省に住んでいた佗佬の例がもっとも古い。しかし,考古資料では,徳島県内谷石棺墓の男性人骨に伴った女性の上顎中切歯1本が哀悼抜歯の存在をしめしており,4世紀までさかのぼる。中国新石器時代の抜歯は,7000年前に上顎の側切歯を抜くことから始まる。抜歯の年齢・普及率からすると,成人式とかかわりをもつと考えてよい。中国では4500年前になると,この習俗はいったん衰退する。まもなく今度は上下の中・側切歯を抜くことが安徽・江蘇・山東付近で始まる。抜歯の年齢はあがり,その頻度は低くなる。新たに始まったこの抜歯は死者に対する哀悼のためであった,と私は推定する。上下の中・側切歯を抜いた例は,モンゴル(~19世紀?),シベリア(新石器~19世紀?),アメリカ(15世紀以前~19世紀?),日本(縄文前期~6世紀=古墳時代),琉球(縄文~13世紀),ポリネシア(18~19世紀)で知られている。中国新石器時代に発祥した哀悼抜歯が数千年かけてアジア・アメリカ・太平洋にひろがっていったことを,これらの事実は示唆している。ポリネシア・シベリア・モンゴルでは,髪を切り身体を刀で傷つける哀悼傷身は,首長や親族との特別に親密な関係を表現し更新する役割を果たしている。考古資料にのこされている哀悼抜歯の痕跡は,墓の内容,男女の別などを考慮することによって,抜歯された人物の社会的な位置を探り,さらにはその社会の構造を解明していく手がかりとなる可能性を秘めている。
著者
春成 秀爾 小林 謙一 坂本 稔 今村 峯雄 尾嵜 大真 藤尾 慎一郎 西本 豊弘
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.163, pp.133-176, 2011-03-31

奈良県桜井市箸墓古墳・東田大塚・矢塚・纏向石塚および纏向遺跡群・大福遺跡・上ノ庄遺跡で出土した木材・種実・土器付着物を対象に,加速器質量分析法による炭素14年代測定を行い,それらを年輪年代が判明している日本産樹木の炭素14年代にもとづいて較正して得た古墳出現期の年代について考察した結果について報告する。その目的は,最古古墳,弥生墳丘墓および集落跡ならびに併行する時期の出土試料の炭素14年代に基づいて,これらの遺跡の年代を調べ,統合することで弥生後期から古墳時代にかけての年代を推定することである。基本的には桜井市纏向遺跡群などの測定結果を,日本産樹木年輪の炭素14年代に基づいた較正曲線と照合することによって個々の試料の年代を推定したが,その際に出土状況からみた遺構との関係(纏向石塚・東田大塚・箸墓古墳の築造中,直後,後)による先後関係によって検討を行った。そして土器型式および古墳の築造過程の年代を推定した。その結果,古墳出現期の箸墓古墳が築造された直後の年代を西暦240~260年と判断した。
著者
春成 秀爾
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.40, no.6, pp.517-526, 2001-12-01
参考文献数
38
被引用文献数
1 2

自然環境の変化,大形獣の絶滅と人類の狩猟活動との関連,縄文時代の始まりの問題を論じるには,加速器質量分析(AMS)法の導入により精度が高くなった<sup>14</sup>C年代測定値を較正して,自然環境の変化と考古学的資料とを共通の年代枠でつきあわせて議論すべきである.後期更新世の動物を代表する大型動物のうち,ナウマンゾウやヤベオオツノジカの狩猟と関連すると推定される考古資料は,一時的に大勢の人たちが集合した跡とみられる大型環状ブロック(集落)と,大型動物解体用の磨製石斧である.これらは,姶良Tn火山灰(AT)が降下する頃までは顕著にその痕跡をのこしているが,その後は途切れてしまう.AT後は大型動物の狩りは減少し,それらは15,000~13,000年前に最終的に絶滅したとみられる.その一方,ニホンジカ・イノシシは縄文時代になって狩猟するようになったとする意見が多いが,ニホンジカの祖先にあたるカトウキヨマサジカが中期更新世以来日本列島に棲んでいたし,イノシシ捕獲用とみられる落とし穴が後期更新世にすでに普及しているので,後期更新世末にはニホンジカおよびイノシシの祖先種をすでに狩っていた可能性は高い.<br>縄文草創期の始まりは,東日本では約16,000年前までさかのぼることになり,確実に後期更新世末までくいこんでおり,最古ドリアス期よりも早く土器,石鏃,丸ノミ形磨製石斧に代表される神子柴文化が存在する.同じような状況は,アムール川流域でも認められている.また,南九州でも,ほぼ同じ時期に土器,石鏃,丸ノミ形磨製石斧(栫ノ原型)に加えて石臼・磨石の普及がみられ,竪穴住居の存在とあわせ定住生活の萌芽と評価されている.豊富な植物質食料に依存して,縄文時代型の生活がいち早く始まったのであろう.しかし,東も西も草創期・早期を経て約7,000年前に,本格的な環状集落と墓地をもつ定住生活にいる.更新世末に用意された新しい道具は,完新世の安定した温暖な環境下で日本型の新石器文化を開花させたのである.