著者
西本 豊弘 藤尾 慎一郎 永嶋 正春 坂本 稔 広瀬 和雄 春成 秀樹 今村 峯雄 櫻井 敬久 宮本 一夫 中村 俊夫 松崎 浩之 小林 謙一 櫻井 敬久 光谷 拓実 設楽 博巳 小林 青樹 近藤 恵 三上 喜孝
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
学術創成研究費
巻号頁・発行日
2004

弥生時代の開始が紀元前10世紀末であることが明らかとなった。その後、日本列島各地へは約500年かかってゆっくりと拡散していった。さらに青銅器・鉄器の渡来が弥生前期末以降であり、弥生文化の当初は石器のみの新石器文化であることが確実となった。
著者
春成 秀爾 小林 謙一 坂本 稔 今村 峯雄 尾嵜 大真 藤尾 慎一郎 西本 豊弘
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.163, pp.133-176, 2011-03

奈良県桜井市箸墓古墳・東田大塚・矢塚・纏向石塚および纏向遺跡群・大福遺跡・上ノ庄遺跡で出土した木材・種実・土器付着物を対象に,加速器質量分析法による炭素14年代測定を行い,それらを年輪年代が判明している日本産樹木の炭素14年代にもとづいて較正して得た古墳出現期の年代について考察した結果について報告する。その目的は,最古古墳,弥生墳丘墓および集落跡ならびに併行する時期の出土試料の炭素14年代に基づいて,これらの遺跡の年代を調べ,統合することで弥生後期から古墳時代にかけての年代を推定することである。基本的には桜井市纏向遺跡群などの測定結果を,日本産樹木年輪の炭素14年代に基づいた較正曲線と照合することによって個々の試料の年代を推定したが,その際に出土状況からみた遺構との関係(纏向石塚・東田大塚・箸墓古墳の築造中,直後,後)による先後関係によって検討を行った。そして土器型式および古墳の築造過程の年代を推定した。その結果,古墳出現期の箸墓古墳が築造された直後の年代を西暦240~260年と判断した。
著者
今村 峯雄
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.40, no.6, pp.509-516, 2001-12-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
15
被引用文献数
4 4

多くの教科書では,弥生時代の開始は300BCとして記されていが,その根拠は必ずしも明確ではない.本稿では,14C年代からみた縄文時代晩期から弥生時代への移行期の絶対年代について考察する.これまで,14C年代測定された縄文時代晩期から弥生時代にかけての遺跡は非常に少なく,そのほとんどが高精度AMS14C測定以前のもので,誤差が大きいこと,しかもそのかなりのデータは資料選択の不適性さ,遺跡の撹乱などの可能性があり,問題が多いことがわかる.これまでの少数の14C年代測定例からみると,縄文時代晩期と弥生時代の画期は750BC~400BCにある.この時期は,14C濃度がほとんど変化しない特異な時期にあたっており,実年代を精度よく求めることが難しい.今後,測定数を集中的に増加させるとともに,年輪試料を用いた14Cウイグル・マッチングなどの高精度測定への取り組みが要請される.
著者
春成 秀爾 小林 謙一 坂本 稔 今村 峯雄 尾嵜 大真 藤尾 慎一郎 西本 豊弘
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.163, pp.133-176, 2011-03-31

奈良県桜井市箸墓古墳・東田大塚・矢塚・纏向石塚および纏向遺跡群・大福遺跡・上ノ庄遺跡で出土した木材・種実・土器付着物を対象に,加速器質量分析法による炭素14年代測定を行い,それらを年輪年代が判明している日本産樹木の炭素14年代にもとづいて較正して得た古墳出現期の年代について考察した結果について報告する。その目的は,最古古墳,弥生墳丘墓および集落跡ならびに併行する時期の出土試料の炭素14年代に基づいて,これらの遺跡の年代を調べ,統合することで弥生後期から古墳時代にかけての年代を推定することである。基本的には桜井市纏向遺跡群などの測定結果を,日本産樹木年輪の炭素14年代に基づいた較正曲線と照合することによって個々の試料の年代を推定したが,その際に出土状況からみた遺構との関係(纏向石塚・東田大塚・箸墓古墳の築造中,直後,後)による先後関係によって検討を行った。そして土器型式および古墳の築造過程の年代を推定した。その結果,古墳出現期の箸墓古墳が築造された直後の年代を西暦240~260年と判断した。
著者
坂本 稔 今村 峯雄 一色 史彦 若狭 幸 松崎 浩之
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.176, pp.129-140, 2012-12

茨城県牛久市に所在する観音寺(茨城県牛久市久野町2976)は,嘉禄2年(1226),十一面観音を祀る堂として建立されたと寺伝にあり,その後大永5年(1525)に再興され,現在の本堂は宝永4年(1707)の再建によるものと考えられている。本研究では,観音寺本堂および仁王門の保存修復工事等に伴う旧部材等の保管資料の炭素14年代測定を行った結果について,棟札などの文字資料から推察されてきた建立あるいは修復時期などとの関連を比較検討した。仁王門の保存修復工事で得られた本堂側廻りの旧柱材(ケヤキ)2本の最外層の年代は炭素14-ウィグルマッチ法(¹⁴C-wiggle-matching)によりいずれも13世紀後半か,14世紀初頭に伐採された材と見られた。建立期の嘉禄2年(1226)より新しいが,再興されたとする大永5年(1525)よりはかなり古い年代となっており,「宋風彫刻」とされる十一面観音の鎌倉後期~室町期の年代と整合している。観音寺本堂の細部様式による建築時期の年代認識(鎌倉期)とも矛盾しない。また十一面観音の寄木構造の固定保持のため用いられていた竹釘(昭和の本堂保存修復時に得られ保管),同じく観音像の着衣部分の塗装面の布(麻)の年代は,寛永7年(1630)の十一面観音修理の時期に符合する結果となった。The Kannon-ji temple in Ushiku, Ibaraki Prefecture (2976 Kuno-cho, Ushiku City, Ibaraki Prefecture) was founded, according to temple legend, in 1226 as a hall to house an Eleven-Faced Kannon statue. It was rebuilt in 1525, and the present main hall is believed to date from a 1707 reconstruction. In this research, radiocarbon dating of the preserved materials such as old lumber was done in conjunction with the restoration work on the temple's main hall and the Nio Gate, and the results were compared in terms of their relationships with the construction and repair periods assumed from written records such as on the ridgepole signs.The age of the outermost layer of the two old pillars (made from Keyaki [Zelkova serrata]) from around the main hall obtained during restoration work on the Nio Gate was seen using 14C-wigglematching to both be from trees harvested around the latter half of the 13th century or the start of the 14th. They are newer than the 1226 founding of the temple, but also considerably older than the 1525 reconstruction, and instead match the late Kamakura or Muromachi date of the Eleven-Faced Kannon, which is considered to be in the Song dynasty style. The era suggests by the style of the details of the temple's main hall (Kamakura) does not contradict this either. In addition, the bamboo nails used to fix the different wooden parts of the Eleven-Faced Kannnon statue together (which were stored separately after the Showa-period restoration of the main hall) and the age of the cloth (hemp) covering the clothing parts of the Kannon statue both point to the 1630 restoration of the statue.