- 著者
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桑山 由文
- 出版者
- 京都大学大学院文学研究科
- 雑誌
- 西洋古代史研究 = Acta academiae antiquitatis Kiotoensis = The Kyoto journal of ancient history (ISSN:13468405)
- 巻号頁・発行日
- vol.4, pp.1-17, 2004-02-25
後2世紀におけるローマ帝国の東方への拡大は, 従来, トラヤヌス帝以来の3度のパルティア戦争を中心に考察されてきた。本稿は, その狭間で, 防衛に徹し対外平和を維持したとして軽視されてきたハドリアヌス帝とアントニヌス・ピウス帝の治世に着目した。帝国領自体は拡大しなかったが, この時代にこそローマ帝国は東方諸国に対する統制を強めていき, 対外的権威が著しく増大したのである。とりわけ, 黒海からアルメニアにかけての地域への支配はアントニヌス・ピウス帝の下で確立し, マルクス・アウレリウス帝のパルティア戦争はこの延長線上で理解すべきものであった。さらに, この体制を基盤として, セプティミウス・セウェルス帝以後, ローマがメソポタミアへ直接支配を拡大していくこともまた可能となったのである。