著者
北川 貴之 橋本 憲幸 吉田 和樹 位野木 万里
出版者
日本ソフトウェア科学会
雑誌
コンピュータ ソフトウェア (ISSN:02896540)
巻号頁・発行日
vol.27, no.3, pp.3_93-3_98, 2010-07-27 (Released:2010-08-07)
被引用文献数
1

高品質な要求定義のためには,要求の抽出,仕様化,検証のノウハウが必要になる.しかし,そのようなノウハウは,ベテラン技術者の暗黙知となっている.そこで,本稿では,要求定義ノウハウを形式知化し,組織の資産(アセット)として共有する手法を提案する.本手法では,成功事例の要求仕様書の分析とベテラン技術者へのインタビューを通して,要求定義ノウハウを抽出した.これらのノウハウを,要求仕様メタモデル,要求仕様テンプレート,要求仕様プロダクトおよびプロセス検証ルールに分類して,形式知化した.
著者
高宮 正貴 児島 博紀 生澤 繁樹 橋本 憲幸 室井 麗子 森岡 次郎 杉田 浩崇 虎岩 朋加 平石 晃樹 鵜海 未祐子 関根 宏朗 岸本 智典 市川 秀之 田中 智輝
出版者
大阪体育大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2020-04-01

これまで、教育学と政治学の接合の仕方は、①教育政策を政治学の方法で分析すること、②シティズンシップ教育として政治「を」教育すること、の2点に止まっていた。しかし本研究では、教育の規範を問う観点から、上記の接合の仕方とは異なった以下の3つのあり方を探究する。【1A】教育政策をいかに正当化すべきか(教育の分配的正義)【1B】教育は人々の生にどのように作用し、いかに包摂と排除を可能にしているのか(教育の生政治)【2】統治の対象かつ主体でもある人間は、いかにして形成されるのか(政治的主体の育成)これらの探究を通して、正義論、権力分析、市民性教育論を統合することで、規範的教育学の再構築を行う。
著者
橋本 憲幸
出版者
国際開発学会
雑誌
国際開発研究 (ISSN:13423045)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1-2, pp.89-97, 2016-11-15 (Released:2019-09-27)
参考文献数
33

The purpose of this article is to set a theoretical reference point from the concept of education to relativize and reexamine global governance in educational development. There are two reasons why this theme to be tackled. First, it is because normative theory is needed in the field of international educational development. Theory has the role to make another value judgment on the outside of real politics. But in reality, in this field, indeed on global governance, theories and real politics are overlapped. Second, it is because the way to take global governance in international educational development does not adequately pay theoretical attention to education. Education is treated in the same manner as other international development fields. But education has its own essentials. Therefore, international educational development has to be argued on the basis of educational natures.Responding to the first point, global justice theories are normative, and we can apply it to global governance in educational development. Among other global justice theories, Martha Nussbaum's capabilities approach is deeply related to education. But her theory has not relativized, but already explained real global governance in educational development. So it cannot be used as a theoretical outside. In terms of the second point, education has at least two roles or functions: protection of human rights and socialization of children. If we stand at the later function, one of the educational essentials is sharply defined: those who determine and provide education are not the side of educand but the side of educator. We have already been and are always educational architecture for children. Indeed, global governance is a form of educational architecture. So we can say that education has one-wayness and asymmetricity as its original nature. Education has also irreversibility. We cannot erase what we once educated, turn back a clock before we educated, and live his/her life in place of the educand his/herself. Can we narrate education easily and proudly? Educational essentials require that we reflect the difficulty of education to narrate. This is a theoretical outside of international educational development.
著者
西堀 眞弘 渡邊 憲 宮崎 安洋 田中 直文 荒川 真一 千葉 由美 二宮 彩子 大橋 久美子 田中 博 上村 健二 宮田 公佳 中口 俊哉 津村 徳道 三宅 洋一 滝脇 弘嗣 鬼頭 伸一郎 洪 博哲 橋本 憲幸
出版者
Japan Association for Medical Informatics
雑誌
医療情報学 = Japan journal of medical informatics (ISSN:02898055)
巻号頁・発行日
vol.25, no.3, pp.161-166, 2005-12-20
参考文献数
5
被引用文献数
2

マルチスペクトルイメージングは医用画像の色再現の問題を解決できるだけでなく,さまざまな方面への応用により医療に飛躍的な進歩をもたらす画期的な技術である.しかし,あまりに多様な可能性が存在するため,個々の応用形態の実現に至る道筋にはいくつもの分かれ道があり,少しでもアプローチを間違えると行き止まりになってしまう.著者らはマーケティング的な視点からこの迷路のような医療市場に一定の法則を見い出し,それを基に成功の可能性が高い2つのアプローチ法を明らかにした.すなわち各ピクセルに分光反射率を記録できる分光画像技術と,見え方が実物にきわめて近い実物色画像である.前者は人間の視覚能力を超えた形態学的診断につながる技術であり,後者はデジタル画像に基づく形態学的診断の精度向上につながる技術である.なお,前者は多くの開発資源を必要とし,ごく限られた症例において,きわめて画期的な医学的効果を発揮する一方,後者の医学的効果は一定の範囲に留まるものの,必要となる開発資源が比較的少なく,かつ広範な臨床現場において膨大な利用機会が見込まれる.
著者
橋本 憲幸
巻号頁・発行日
2012

筑波大学博士 (教育学) 学位論文・平成24年3月23日授与 (甲第6164号)
著者
橋本 憲幸
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.3, pp.348-359, 2007-09

本稿の目的は、一般に開発途上国と呼ばれる国々のとりわけ初等教育に対する国際的な教育援助の正当化を、留保を付しつつ行なうことである。2000年の「世界教育フォーラム」を経て、開発途上国(政府)-<彼/彼女ら>-の教育の内容・価値に関わる問題が国際共同体-<われわれ>-の問題としても位置付けられている。しかし、そういった<彼/彼女ら>の教育問題は、政治・文化を越えて<われわれ>の問題になりうるのか。<われわれ>は国境線を越えて<彼/彼女ら>の教育問題に関与・干渉できるのか。本稿では、ポール・リクール、ジョン・ロールズ、そしてマーサ・C・ヌスバウムといった哲学者の所論と国際レヴェルでの合意事項を手がかりに、<われわれ>による<彼/彼女ら>への教育援助は「適切な教育」に向けられる限りにおいて正当化されるとの結論が導かれる。だが、「適切な教育」とは何であるのか、その回答が課題として残された。