著者
池田 真利子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.87, no.3, pp.224-247, 2014-05-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
27
被引用文献数
4 4

本研究は,ベルリンの特殊な歴史を背景とし旧東ドイツのインナーシティ地区においてベルリンの壁崩壊以降大規模に発生した占拠運動の一事例である文化施設タヘレスに着目し,文化的占拠としての場所の変容を,アーティスト・施設運営側への聞取り調査と,タヘレスを巡る外的状況の変遷から明らかにした.占拠運動は分断期に忘却されていた地区の歴史・文化的価値を再発見する役割を担い,ジェントリフィケーションの過程において文化シーン創生を誘発したが,それは経済的価値へと置換されていった.タヘレスは文化的占拠として観光地化し,芸術空間としての真正性において内部批判を生み出したが,一方ではそれにより施設存続が可能になるという葛藤を抱えた.タヘレスは,土地を巡る資本との対立構造において自由空間として意識され,ジェントリフィケーションなどの資本主導の都市変容に直面する文化施設としてシンボリックな意味を担っている.
著者
池田 真利子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

音楽と都市の関係性は,意外にも深い.音楽に関わらず,芸術・文化全般はヨーロッパ都市においてパトロンやブルジョアの庇護下で発展し,19世紀に市民階級により消費されるに至るまで,舞台の上で演じられるものであった.音楽は祭典では感動を演出する装置として機能し,戦争ではプロパガンダとして機能し得る側面をもつ(岡田 2010).他方で,現代音楽に目を向けると,一部の音楽は若者文化や抵抗文化,マイノリティ文化と密接結びつき,独自の発達を遂げてきた.その多くは,それらを生み出した社会集団的特性や音の性質・装置等の都合上においても,舞台や祭典ではなく,ストリートや工場,廃墟を嗜好する.ドイツは言わずと知れたクラシック大国であるが,同時にレイヴ文化やエレクトロ音楽でも知られる国である.その首都,ベルリンでは,1990年代にテクノ文化Technokulturが醸成された.この文化は,一部は占拠運動として育まれ,その舞台となった場所は工場や旧ユダヤ系資本百貨店地下金庫,あるいは賃貸住宅地内の地下倉庫等であった.この時期に設立されたテクノクラブは,テンポラリーユースとして合法化されたものもあれば,移転し,現在でも運営を継続するものもある(Ikeda 2018).こうした1990年代初頭に設立されたテクノクラブの多くは,ベルリンにおけるアンダーグランド文化の代名詞となり,エレクトロ音楽の生産の場(あるいは生産に近い場)として機能を維持してきた.ベルリンにはクラブが300件程あり,その多くはインナーシティに位置する.また,クラブ全体の67%がエレクトロ音楽を扱う空間である(現地調査に基づく).こうしたテクノクラブを例とするベルリンのアンダーグラウンド文化は,経済利潤を市へもたらすものと認識されて以降,重要な消費の場へと変化を遂げてきた.その1つ目の転換点となったのが,メディアシュプレー計画に代表される創造産業振興政策である.これは,河川沿いにメディア・音楽産業を誘致する大規模再開発であり,ユニバーサル等の大手音楽産業が集められた.同計画は結果的にテンポラリーユースにより存続を継続していたクラブシーンの一部を追い出すこととなった.しかし,その過程において,クラブの経営形態は多様化し,より高度に専門化(あるいは資本化)したクラブも出現した.第2の転換点が,市全体の観光産業部門の成長である.2011年以降,観光客数は右肩上がりの成長をみせ,観光産業が重要性を増すなか,市は国際的なビジット・ベルリンキャンペーンにおいて,クラブやエレクトロ音楽を,同市を代表する観光資源として積極的に紹介するようになった.すなわち,2010年代前半には消費の場としてのクラブの側面が,社会・学術的課題において重要性をもった.しかし,音楽共有プラットフォーム提供会社SoundCloud設立以降の音楽関連企業スタートアップブームの中,クラブは再度,音楽の生産の場としての役割を担いつつある.クラブのなかには,レコードレーベルをもつ事業体もあり,エレクトロ音楽に限らず,クラブは生産・消費双方の役割を担う場である.今後は音楽産業に占める生産の場としてのクラブの役割に関する一層の研究が求められよう.
著者
池田 真利子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100198, 2015 (Released:2015-04-13)

分断都市としての歴史を経験した都市ベルリンは,東西で異なる変化を遂げてきた.とくに政治転換期以降,旧東ベルリンインナーシティ地区では,文化的占拠やテンポラリーユースなど,合法・非合法に関わらず文化・創造的空間利用が顕在化し,ジェントリフィケーションを含む特定街区の改善を促してきたが,こうした改善の過程に関しては都市の在り方と併せ議論が成されてきた(池田 2014).独語圏既存研究においては,特に東ベルリンインナーシティ地区の改善過程が注目されてきたが,「旧東独インナーシティ地区が旧西独インナーシティ地区よりも経済的に豊かとなった」という逆説的状況に代表されるように,東西統一から四半世紀が経過した現在,都市改編は旧西独地域へと及びつつある. したがって,本発表は旧西ベルリンインナーシティ地区のロイター地区を事例に,街区の肯定的イメージが創り出される具体的な過程に注目することにより,ジェントリフィケーションにおいてアーティストが担う役割を明らかにする.研究方法は以下の通りである.まず,2013年および2014年にロイター地区全域の詳細な土地利用を調査し,続いて地区改善事業に取り組む行政および関連事業主体への聞取り調査を行い,地区の変容過程に関する聞き取り調査を行った.さらに,ロイター地区のアーティスト,小売店事業主(商業,サービス業)を対象に経営形態や開設年,立地選択理由等に関する聞取り調査を行った.ノイケルン地区は,旧西ベルリンインナーシティ地区であり,東西統一以降はトルコ系移民をはじめとする外国籍住民が近隣地区より多く流入し,トルコやポーランド,セルビアなどの移民の背景をもつ人々Migrationshintergrundが集住している点,失業率も15.4%と市全体の失業率11.2%に比較して極めて高い点などから,典型的な「問題街区」である.本研究の対象地域はノイケルン地区の最北端に位置するロイター地区である.同地区では,「Cultural Network Neukölln」(1995年~)や「48 hours Neukölln」(1999年~)など,特に1990年半ば以降アーティストによる自発的活動が活発化していった.2003年には連邦政府およびEU地域開発基金(ERDF)を基に地区改善事業が開始され,街区マネージメントが開始された.さらに2005年には民間団体であるテンポラリーユースエージェンシーが同地区に多い空き店舗を活用し,アーティストや都市企業者への期間限定的借用を開始した.ロイター地区は2008年以降,広義における文化施設(アトリエ,カフェ・バー,ブティックなど個人経営の小売店・サービス業)の増加が著しい.旧東西境界線(ベルリンの壁)に近接する地区は,東西分断時には国家の縁辺部として衰退していたが,統一後に地理的中心性を回復した.こうした衰退地域では,交通利便性のほかに,未修復・未改善の建造物に起因する安価な地代などから,東西統一後の1990年代よりアーティストや都市企業家が積極的に移住し,地区のイメージを高めていった. 本研究で明らかとなった知見は以下の通りである.第一に,商業施設の分布に着目した土地利用からは,既存研究で指摘されてきたエスニックマイノリティなどの立ち退きによる置換(上方変動)というより,大通り沿いの商業施設(小売店)はエスニック関連施設,小路には小売店事業主(商業,サービス業)が集積し,より偏在的かつ多面的に変容を遂げていったことがわかる.第二に,ロイター地区の改善過程をみると,アーティストがパイオニア期である1990年代半ば以降転入しており,続いて1990年代末以降,創造産業を含む小売店事業主(商業,サービス業)が同地区へと転入した.こうしたことから,創造階級のなかでも特にアーティストは,他の商業・サービス業などの創造産業と一種異なる役割を果たしていることが,ジェントリフィケーションの時系列的変化より明らかとなった.
著者
池田 真利子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

都市ベルリンは,分断都市としての歴史を背景とし東西で異なる変化を遂げてきた.とくに政治転換期以降,ベルリンの旧東西境界域では,その場所の開発を巡り,都市の在り方と併せ議論が成されてきた.本研究は,2000年代初頭から計画されていたシュプレー川沿岸域におけるメディアシュプレー計画と,それに対抗する文化施設および市民団体の反対運動に着目することにより,都市空間において文化が担う意味を多面的に分析する. 東西統一以降,旧東ベルリン地区では芸術や音楽に関連する文化的利用が発現した.なぜなら,東西分断期にて急進的に近代化・都市化が進められた旧西独地区に比較して,旧東独地区には,放置・老朽化した空き家や未利用地が未修復・未解体の状態で残されていたためである.また,こうした空き家や未利用地の一部は,旧ドイツ民主共和国(以下,DDR)に位置したため,その所有権の所在において不明確なものも多かった.こうした所有権の不明な土地・建物において,東西統一前後から,アーティストや市民団体による文化的利用が積極的になされた.シュプレー計画とは,シュプレー川沿岸域において計5地区にわたり計画された事業であり,事業面積は約180haにも及ぶ.事業主は,2001年に土地所有者である市議会・地区議会・商工会議所(IHK)の代表者により期間限定的に設立されたメディアシュプレー有限会社(Mediaspree GmbH)である.同有限会社は,2001年から,「コミュニケーション及びメディア関連産業」を中心とするオフィス・商業施設の誘致を開始した.2006年にメディアシュプレー計画に対して,最初の反対運動が発生した.運動主体は文化施設運営者や市民イニシアチヴから成る市民イニシアチヴ連合(以下,市民連合)であった.この市民連合は,公共緑地の不足と,シュプレー川沿岸域の文化施設の立ち退きに対する反対を主張した.特にメディアシュプレー計画が多く位置するフリードリヒスハイン=クロイツベルク地区では,反対運動への賛同者が多く,デモンストレーションや署名活動の結果,16,000人分の有効署名を基に地区選挙が開催された.地区選挙の結果,①新規建設に際し,河岸より50m以上の距離を保持,②地上から軒下までが22m以上の高層建築の禁止,③橋梁建設の禁止という案が87%採択された.しかし,投票結果はその後,市政に反映されず,現在では個々の文化施設が移動する際に反対運動が発生する程度にとどまっている.旧東西境界に近接する場所は,東西分断時には国家の縁辺部として衰退していたが,統一後に地理的中心性を回復した.こうした衰退地域において,アーティストや市民が文化的利用を行った結果,クリエイティヴな場所のイメージが創出され,こうした都市イメージを利用した都市開発メディアシュプレー計画が考案された.こうした文化的価値が経済的価値へと置換されていく過程は,新たなジェントリフィケーションとして理解することができるのではないであろうか.また,こうした変容過程において,市民運動の主体は観光資産としての重要性において自らの存続を主張する.こうした市民運動そのものが,新自由主義経済下において変容を遂げつつあると解釈できる.
著者
太田 慧 池田 真利子 飯塚 遼
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000220, 2018 (Released:2018-06-27)

1.研究背景と目的 ナイトライフ観光は,ポスト工業都市における都市経済の発展や都市アメニティの充足と密接に関わり,都市変容を生み出す原動力としても機能し得るという側面から2000年代以降注目を浴びてきた(Hollands and Chatterton 2003).この世界的潮流は,創造産業や都市の創造性に係る都市間競争を背景に2010年代以降加速しつつあり,東京では,東京五輪開催(2020)やIR推進法の整備(2016),およびMICE観光振興を視野に,区の観光振興政策と協働する形で,ナイトライフ観光のもつ経済的潜在力に注目が向けられ始めている(池田 2017).このようなナイトライフ観光の経済的潜在能力は,近年ナイトタイムエコノミーと総称され,新たな夜間の観光市場として国内外で注目を集めている(木曽2017).本研究では,日本において最も観光市場が活発である東京を事例として,ナイトタイムエコノミー利用の事例(音楽・クルーズ・クラフトビール)を整理するとともに,東京湾に展開されるナイトクルーズの一つである東京湾納涼船の利用実態をもとにナイトライフ観光の若者の利用特性について検討することを目的とする.2.東京湾納涼船にみる若者のナイトライフ観光の利用特性東京湾納涼船は,東京と伊豆諸島方面を結ぶ大型貨客船の竹芝埠頭への停泊時間を利用して東京湾を周遊する約2時間のナイトクルーズを展開している,いわばナイトタイムの「遊休利用」である.アンケート調査は2017年8月に実施し,無作為に抽出した回答者から117件の回答を得た.回答者の87.2%に該当する102人が18~35歳未満の若者となっており,東京湾納涼船が若者の支持を集めていることが示された.職業については,大学生が50.4%,大学院生が4.3%,専門学校生が0.9%,会社員が39.3%,無職が1.7%,無回答が2.6%となっており,大学生と大学院生で回答者の半数以上が占められていた.図1は東京湾納涼船の乗船客の居住地を職業別に示したものである。これによれば,会社員と比較して学生(大学生,大学院生,専門学校生も含む)の居住地は多摩地域を含むと東京西部から神奈川県の北部まで広がっている.また,18~34歳までの若者の83.9%(73件)がゆかたを着用して乗船すると乗船料が割引になる「ゆかた割引」を利用しており,これには18~34歳までの女性の回答者のうちの89.7%(52件)が該当した.つまり,若者の乗船客の多くはゆかたを着て「変身」することによる非日常の体験を重視しており,東京湾納涼船における「ゆかた割」はこうした若者の需要をとらえたものといえる.以上のように,東京湾納涼船は大学生を中心とした若者にとってナイトライフ観光の一つとして定着している.
著者
池田 真利子
出版者
筑波大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2012-04-01

平成26年度は①H25年度までに調査したシュプレー沿岸域における開発計画のその後の展開に関する調査,②新選定調査地である旧西ベルリン市ノイケルン地区における調査を行った.まず,ベルリン市はEU域におけるドイツの経済・政治的中枢化に伴い,リスクの低い投資先として注目され,特に住宅を含む土地価格が地域的に偏在性を示しつつも上昇傾向にある.メディアシュプレ-計画はこうした開発動向に先駆けて,河岸域の開発特性をメディア関連産業の集積誘致と特色付けることにより,地域の全体的な開発を期待したものであった.しかし実態としては,旧市有地等の売却促進であり,必ずしも市民が望む開発ではなかったことが大きな市民運動の発生と区投票の開催をもたらした.また,旧東西境界域に属する同地域では,統一前後より以下2点の要因からアーティスト・市民主導による文化・創造的利用が積極的になされていった.1点目は旧東西境界域であるために,歴史的建造物や産業・工業遺産群が未修復の状態で残存していた点,2点目は第二次大戦後すぐに旧東独領に位置したため地権の所在が不明確であった点である.こうした状況下において,1990年後半以降には一時的な土地利用形態としてテンポラリーユースが利用されていったが,こうした文化創造的な場所性は観光産業振興においても積極的役割が期待され,2014年には一部地域において同計画が見直されることとなった.一方,ベルリン市インナーシティ地区の構造再編は,旧西独地域へと及びつつあり,当該年度は中でもノイケルン地区北東部ロイター街区におけるアーティスト,小売店事業主(商業,サービス業)を対象に経営形態や開設年,立地選択理由等に関する聞取り調査を行った.その結果,ロイター街区の改善過程においてアーティストは,カフェ・バーなどの集積を誘発している点において地域改善を促しているということが明らかとなった.