- 著者
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田中 孝彦
- 出版者
- 一橋大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2001
本研究では、科学研究費補助金によって購入および入手が可能になった米国国務省資料に加え、英国外務省および原子力開発庁の機密資料、さらには日本外務省によって部分的にではあるが公開された資料に基づいて、日本政府が核兵器に対しどのような態度をとっていたかについての実証史研究を試みた。本研究で得られた知見は、大きく以下の三点である。(1)岸政権の核実験反対および原子力関連政策は、岸信介の「独立の完成」というナショナリスティックな政策目的のもとに収斂する形で展開していたのであり、核実験反対政策は国内ナショナリズムの動員と吸収のため、そして、国力増進のために小型の戦術核兵器の保有への道をオープンにするという形で、岸のナショナリズムの中では整合性をもって構想されていたといえる。(2)さらに岸政権の核実験反対政策は内実を著しく欠いたものであった。米英への実験実施に対する抗議書は、それが手交される際外務省の上級スタッフによっては、それが国内向けのものであるとの説明がつけられ、時には、外務省内には核兵器保有論者が少なくないことを知らしめるような発言が、米英当局側にむけてなされたりした。これらを一つの原因として、この当時の日本政府および市民による反核実験運動や政策は、Genuineなものではないとの認識を米英政府関係者に植え付けることになったといえる。(3)岸政権においては、日英原子力協定において、民軍両用のCalder Hall型原子炉の日本による購入が決定したが、これは、米国に対する過剰な依存を避けるとともに、プルトニウムを蓄積し将来的に独自の核兵器保有(戦術核)のオプションをオープンにしておくための努力としての意味もあったと考えられる。このような知見に基づき、2002年7月に国内研究会において研究報告を行った。2003年には英国に国際交流基金の助成によって一年間の在外研究を行い、同年12月にはUniversity of London, Institute of Historican Research, International History Seminarにて口頭報告を行った。