- 著者
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石川 博樹
- 出版者
- Japan Association for African Studies
- 雑誌
- アフリカ研究 (ISSN:00654140)
- 巻号頁・発行日
- vol.2006, no.69, pp.45-57, 2006
17世紀前半ソロモン朝皇帝治下のエチオピア北部では, 16世紀前半に始まる牧畜民オロモの進出が続き, 彼らとエチオピア教会に属する農耕民アムハラとの攻防が繰り返されていた。イエズス会士たちによれば, この時期にはケイマと呼ばれる牛税が徴収されていた。この牛税ケイマについてはこれまで十分な研究が行なわれていない。本稿では, イエズス会史料とエチオピア語史料に基づいて, ケイマの導入と廃止の理由, その経済的価値, そしてエチオピア北部史上に於いてこの税が持つ意義について考察した。検討の結果得られた結論は以下のとおりである。(1) ケイマは16世紀前半のムスリムとの戦いで荒廃した王国を再建するための施策の1つとして1550年代前半に導入された。(2) ケイマは1667年に廃止された。その理由としては, ケイマの負担が過重であったことや, タナ湖周辺地域の征服活動に於いて多くの雌牛を入手できるようになったことなどが考えられる。(3) オロモとの攻防が最も激しかった16世紀後半から17世紀前半にかけて, ケイマは対オロモ戦の遂行と国政の運営に重要な役割を果たした。したがってこの税はオロモ進出期に於けるエチオピア王国の存続に貢献したと評価すべきである。