著者
永原 陽子 浅田 進史 網中 昭世 粟屋 利江 石川 博樹 今泉 裕美子 大久保 由理 愼 蒼宇 鈴木 茂 難波 ちづる 中野 聡 眞城 百華 溝辺 泰雄 飯島 みどり 松田 素二 上杉 妙子 丸山 淳子 小川 了 ジェッピー シャーミル サネ ピエール テケステ ネガシュ
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2011-04-01

本研究は、20世紀の戦争において植民地と他の植民地との間を移動した人々(兵士・軍夫、軍に関連する労働者、「売春婦」等の女性)に着目し、とくに世紀転換期から第一次世界大戦期を中心に、これらの人々の移動のメカニズム、移動先での業務と生活の実態、様々な出自の人々との接触の内容、移動の経験が帰還後の出身地社会においてもった意味、などについて検討した。その結果、植民地の場における労働と戦争動員との連続性(「平時」と「戦時」の連続性)、兵士の動員と不可分の関係にある女性の自発的・強制的な移動の事実、さらに従来の研究の中心であった知識層の経験とは大きく異なる一般労働者・女性の経験が明らかになった。
著者
石川 博樹
出版者
Japan Association for African Studies
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.69, pp.45-57, 2006

17世紀前半ソロモン朝皇帝治下のエチオピア北部では, 16世紀前半に始まる牧畜民オロモの進出が続き, 彼らとエチオピア教会に属する農耕民アムハラとの攻防が繰り返されていた。イエズス会士たちによれば, この時期にはケイマと呼ばれる牛税が徴収されていた。この牛税ケイマについてはこれまで十分な研究が行なわれていない。本稿では, イエズス会史料とエチオピア語史料に基づいて, ケイマの導入と廃止の理由, その経済的価値, そしてエチオピア北部史上に於いてこの税が持つ意義について考察した。検討の結果得られた結論は以下のとおりである。(1) ケイマは16世紀前半のムスリムとの戦いで荒廃した王国を再建するための施策の1つとして1550年代前半に導入された。(2) ケイマは1667年に廃止された。その理由としては, ケイマの負担が過重であったことや, タナ湖周辺地域の征服活動に於いて多くの雌牛を入手できるようになったことなどが考えられる。(3) オロモとの攻防が最も激しかった16世紀後半から17世紀前半にかけて, ケイマは対オロモ戦の遂行と国政の運営に重要な役割を果たした。したがってこの税はオロモ進出期に於けるエチオピア王国の存続に貢献したと評価すべきである。