著者
苑田 亜矢
出版者
法制史学会
雑誌
法制史研究 (ISSN:04412508)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.117-150,en8, 2012-03-30 (Released:2017-08-22)

本稿は、二重の危険〔の禁止〕の原則の歴史的起源を辿る際に必ず言及されてきたベケット論争における二重処罰禁止原則に焦点を当て、二重処罰禁止原則がカンタベリ大司教トマス・ベケット自身によって主張されたとする、従来の研究においては自明視されてきた点を、再検討するものである。ベケット論争とは、一二世紀後半にイングランド国王ヘンリ二世とトマスとの間で生じた、主として裁判管轄権をめぐる争いのことである。この論争の一契機となったのは、ヘンリ二世によって成文化された一一六四年のクラレンドン法であり、特に問題となった条項の一つが第三条である。第三条は、犯罪を行なった聖職者に対する世俗裁判権の行使を宣言しているとともに、教会裁判所における有罪判決に基づく聖職剥奪という制裁後の世俗裁判所における処罰を定めている。それ故にトマスは、聖職者の特権と二重処罰禁止原則を主張して、これに反対したとされている。従来の研究において、トマスが二重処罰禁止原則を主張したとする根拠として用いられてきた史料のほぼ全ては、トマスの死後に作成されたトマス伝等であり、それらはどれもトマス自身の手によるものではない。そこで、トマス自身の書翰の分析を試みたところ、トマスは、二重処罰禁止原則ではなく、例外なき聖職者の特権を主張したとみることができることが判明した。このトマスの主張は、当時の教会法理論と合致するものではない。というのは、ベケット論争開始から一一七〇年のトマス死去までの間、ボローニャ学派であれ、アングロ・ノルマン学派であれ、彼らの教会法理論の中では、二重処罰が容認されているからである。また、トマスの死後、教会法理論の中からは二重処罰容認の考えが消えるが、それに変わって登場するのは二重処罰禁止原則ではなく、聖職者の特権の主張である。二重処罰禁止原則を採用して主張する考え方は、ベケット論争当時、ボローニャ学派のみならず、イングランドでは、アングロ・ノルマン学派においても、国王においても、トマスにおいても、そして(大)司教達においても見られない。それが見られるのは、イングランドにおいては、トマスの死後に作成されたトマス伝等においてのみである。この点が、二重の危険の原則(或いは二重処罰禁止原則)の歴史的起源の文脈でベケット論争に言及する場合の注意点である。
著者
直江 眞一 朝治 啓三 井内 太郎 國方 敬治 苑田 亜矢 都築 彰 沢田 裕治 吉武 憲司
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

本研究は、イギリス(イングランドのみならずスコットランドおよびウェールズも含む)中世史および近世史における諸史資料を、総合的・学際的・系統的に検討し、あわせて諸史資料の解釈を通して、イギリス中・近世史の再構成を試みたものである。研究分担者の間では、史資料を、[1]文書の性格に応じて、統治・行政文書(都築)、荘園関連文書(宮城)、証書(中村)、叙述史料(有光)、私文書(森下)に分類する一方、[2]発行主体に応じて、国王裁判文書(澤田)、国王立法関連文書(苑田)、国王宮廷関連文書(吉武)、国家財政関係文書(井内)、貴族家政文書(朝治)、領主支配関連文書(國方)、ジェントリ関連文書(新井)に一応分類することによって、全体として体系性を保つようにした。研究代表者および研究分担者はそれぞれ、研究対象とする史資料に関するマニュスクリプトをはじめとする1次史料に関する情報を国内外の図書館・文書館から収集し、それらを分析・整理する一方で、とりわけ研究会における共同討議を重視した。毎年度2回、研究期間全体で8回開催された研究会の活動を通して、史資料に関する情報の共有化、さらには各史資料の間での形態・様式・機能・伝来状況の比較研究等、個人レヴェルでの研究では到達しえない研究組織全体としてのイギリス中・近世史資料に関する知見の拡大を得ることができた。また、毎年度3名がイギリスに出張し、史資料の調査・収集および学会ないし研究会における研究成果の発表あるいはイギリス在住研究者との意見交換等を通して、研究の深化を図ることができた。
著者
苑田 亜矢 Aya Sonoda
出版者
熊本大学
雑誌
熊本法学 (ISSN:04528204)
巻号頁・発行日
vol.127, pp.241-289, 2013-03-21
著者
苑田 亜矢 直江 眞一
出版者
熊本大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

12世紀後半に作成された教令集や教会法学文献の写本の分析に基づいて、アングロ・ノルマン学派およびアングロ・ノルマン教会法学の形成と展開を跡づけるとともに、とくに重罪聖職者の取り扱いに関係する二重処罰禁止原則についての初期のアングロ・ノルマン学派の法理論および成立期コモン・ローの法理論に相互関係が認められることを明らかにすることができた。
著者
苑田 亜矢
出版者
熊本大学
雑誌
熊本法学 (ISSN:04528204)
巻号頁・発行日
vol.127, pp.241-289, 2013-03-21
著者
苑田 亜矢
出版者
熊本大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2010

本研究の目的は、コモン・ローの刑事訴訟手続の中心的特徴である陪審の一類型で、 刑事事件につき正式起訴の決定にあたる大陪審の起源である起訴陪審が、 12世紀のイングランドで成立した原因を、 当時の教会法および教会裁判手続の観点から解明することにある。 本研究においては、 起訴陪審を成立せしめた1166年のクラレンドン法と、 起訴陪審成立の原因を究明するための鍵の一つとされている1164年のクラレンドン法第6条の内容を分析するとともに、 12世紀のイングランドの国王裁判所と教会裁判所で用いられていたそれぞれの訴訟手続の実態を、 裁判実務関連史料に基づいて考察した。 その結果、 以下の諸点を明らかにすることができた。第一に、 当時の教会裁判所において、 糾問手続が、 別の型の手続と並んで用いられていた可能性があること、第二に、12世紀に権限を拡大しつつあった大助祭は、教会裁判官として、糾問手続を用いた裁判を行なっていたとみられること、第三に、当時のイングランドにおいて、大助祭の権利濫用が批判されていたこと、 第四に、 以上のことが、 国王裁判所における起訴陪審成立に関連があると考えられうること、以上の四点である