著者
郡司 幸夫
出版者
物性研究刊行会
雑誌
物性研究 (ISSN:05272997)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.441-456, 1988-06-20

この論文は国立情報学研究所の電子図書館事業により電子化されました。
著者
園田 耕平 森山 徹 郡司 幸夫
出版者
人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集 (ISSN:13479881)
巻号頁・発行日
vol.27, 2013

知能情報学において、「車両感覚」は問題とされてきたが依然として漠としている。それは操作身体に関する感覚であるが、無脊椎動物のヤドカリが同様のメカニズムによって貝殻の大きさを知覚していることを著者らは実験的に示した(Sonoda et.al., 2012)。さらにその操作身体が車両に類するものでも可能ではないかと構想する。予備的な実験とともに「車両感覚」に関する知覚基盤について議論する。
著者
崎山 朋子 郡司 幸夫
出版者
人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集 (ISSN:13479881)
巻号頁・発行日
vol.28, 2014

アリを用いた歩行の実験を行った。具体的には、単独で探索をすることが知られているクロオオアリを群がらせることで、単独の歩行では表出しなかった、歩幅に関するベキ則の出現を得た。二次元平面を運動する複数エージェントのシミュレーションモデルを構築することによって、個体の探索が如何に曖昧であり、他エージェントの局所的運動が仄めかす大域的な利益情報を緩く担保するのかについて、実験と比較しながら議論する。
著者
郡司 幸夫 中村 恭子
出版者
早稲田大学
雑誌
挑戦的研究(萌芽)
巻号頁・発行日
2017-06-30

本研究の目的は、計算機や人工知能をメタファーとする意識モデルの転倒に対抗し、創造性に基礎付けられた意識モデルを構築することにあった。それは、人工知能によってアートを実現しようとする風潮や、科学によって現代芸術を再解釈しよいうという近年の傾向に反し、むしろ藝術に基礎付けられた科学を指向することであった。この目的は、第一に、知覚できる情報を評価し自らを拡張する人工知能に対する概念として、天然知能を打ち出すことで実現され、講談社から「天然知能」として2019年書籍化された。本書において天然知能とは「知覚できない外部を待つ」知性と定義され、外部を待ち、外部を召喚する技術が様々な事例で示された。本書の評判は高く、毎日、朝日、読売、日本経済新聞の各紙が書評を掲載した他、朝日や産経では文芸時評でも紹介され、群像、ケトル、週刊朝日などの雑誌でも取り上げられた。天然知能の意識に関するモデルはfoundations of Scienceなどの国際誌で発表された他、外部を召喚するための群やネッワークのモデルも構築され、これらも国際誌で発表された。第二に、藝術に基礎付けられた科学や意識モデル、創造性について、共同研究者である中村恭子とともに、水声社から「TANKURI:創造性を撃つ」を共著で2018年刊行した。本書は中村の日本画と郡司および中村の論考で構成され、日本画の構想段階から作品に至る経緯を題材としながら、創造とは何かについて論じたもので、天然知能の藝術における実装を示したものになっている。本書も読売新聞で書評が掲載された他、刊行記念として京橋のギャラリーaskで中村の絵画や郡司の解説の展示会が催された。さらに創造性に関する議論はBrusselの国際会議でも発表され、その際中村の作品が展示された。本書は早稲田大学からの助成金によって英語に翻訳され、現在出版社と刊行に向けた準備が進んでいる。
著者
郡司 幸夫 白川 智弘 春名 太一 森山 徹
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

動物の相互作用が感覚-運動というだけのもではなく、そこに複数のモダリティーが関与することで一対多の運動とそこからの縮退を実現されることを実験的、理論的に示した。その結果、外部刺激に対する内部予期と調整が実現され、複雑な個の多様性と、全体に寄与する個の操作性、全体としての一貫性、頑健性が実現されるという結論を得た。この事実は、甲殻類や社会性昆虫、群れをつくる魚類などに幅広く認められ、細胞の群れである一個の身体、意識を持つ身体にまで拡張可能であることが示唆された。
著者
郡司 幸夫
出版者
日本古生物学会
雑誌
化石 (ISSN:00229202)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.17-34, 1986

生物の分布は種の様々な環境要素に対する耐性, 移動様式, 種間競争等によって決まるが, 群集構造の認識はこの分布様式によって与えられると考えられる.生物種の耐性が比較的狭い場合は, 群集を物理化学的環境への適応種群の組み合わせとして認識できる(Chinzei and Iwasaki, 1967; Chinzei, 1978).しかし筆者が扱った腕足動物群集は各種の耐性が広く, 観察した環境下での種の分布はすみ分けの一種であると考えられる.このようなすみ分けは, 生物が増殖と移動を繰り返して種間で競争する場合, 増殖または移動様式がある環境要素の関数になっていれば, 容易に実現されることが数値計算により明らかとなった.したがって逆に分布を調べることで, 種間関係から群集を特徴づけられることがわかった.そこで, 実際にある条件下で適用できる静的競争系モデルを用い, 各種の深度に対する分布, 種間の個体数相関係数から, 種間関係を解析した.その結果, 屋久島・種子島近海の腕足動物群集は次のように認識された.第1に130〜170mの深度に生息適性を有する競争系が存在する.ここではC. pacifica, G. tokionis, G. hanzawai, C. basilanicaの順に順位づけられる.第2に共存し得る競争系が存在し, 第1の系と第2の系は, G. tokionis, C. basilanicaとB. lucidaが共存し得るような強い種間関係をもつことで結びついている.第3に, 以上2つの系とは強い種間関係をもたず, 含泥率の低い環境に適応したP. pictaが認められる.機能形態学がRudwick (1964)以前の適応主義一辺倒からSeilacher (1970)のBauplan的視点へ進んだ歴史を見, とりわけ構造的制約が注目されていることを考えても, 群集を構成する材料単位としての種の種間関係を解析していくことは今後更に必要となろう.近年種間競争の数学的解析がすすみ, May and Leonard (1975)は3種競争系の安定性を論じ, Mimura (1979)は捕食者-被捕食者系の空間分布を論じている.筆者の議論は, このような動力学的扱いから種間競争の解析をし, その要素を取り入れて群集を認識しようとする一つの試みである.
著者
三好 博之 戸田山 和久 郡司 幸夫 檜垣 立哉
出版者
京都産業大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

三好は計算が二つの意味で記述不可能であるという困難を明確にし,リフレクションと呼ばれる計算から着想を得た形而上学的装置一式を導入してこの困難を間接的に手懐けるというアプローチを見いだした。その記述と理解のためにHume-Bergson形式と呼ぶ記述形式を導入し,これらと上記の困難を結びつけて,その困難を超えた明証的な理解があり得ることを示した.さらにこれが時間論における入不二の考察と近いことを示した。また精神病理学および物理学への応用に向けて予備的な研究を行った。戸田山は今までFieldらにより主に数学と物理学について議論されている認識論の自然化を,現象としての計算に適用する場合の問題点について,普遍的な計算概念よりもむしろ個別の事例について検討を行うことにより研究を行った.そこでは認識論の自然化と同時に実在論を擁護する立場を強調した。郡司は動的情報射を用いた動的・局所的意味論に関する研究を行った。さらに観測由来ヘテラルキーの理論についての研究を行い,ゆらぎを持つ環境の中で頑健な挙動を示すシステムの一般的理論を展開した.現在これらはオープンリミットというアイデアとして一般化されつつある。檜垣は西田幾多郎の哲学において議論されている数理的な議論が現象としての計算という観点から見ると重要な意味を持つことを見出し,このことについて検討を重ねた.その際西田およびドゥルーズの生命論との関連に特に着目して議論を行った.そこでは西田の哲学における数理的側面についても改めて光を当てている。塩谷賢は、「計算」とは科学哲学、技術論、哲学的方法論を含む様々な問題に関する集約点の一つを示す根源的な自然種であるという立場から、「計算」について得られた知見を「計算=操作性のレベルにおける接続子による操作性の延長」として再検討することを提唱した。
著者
郡司 幸夫
出版者
物性研究刊行会
雑誌
物性研究 (ISSN:05272997)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.441-456, 1988-06-20

この論文は国立情報学研究所の電子図書館事業により電子化されました。
著者
郡司 幸夫
出版者
人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集 (ISSN:13479881)
巻号頁・発行日
vol.27, 2013

時間を因果の系列で理解しようとするとき、因果系列は因果集合(順序集合)で定義され、その意味論は因果集合のダウンセットで与えられる。両者を使い、推論しながら生きていくとき、因果集合上での演算と、ダウンセット上での演算の齟齬が現れ、その辻褄を合わせる必要が生じる。ここでは、意味論上の論理的操作を伴う表現を、因果系列の或る元として埋め込み、因果系列自体を変える過程が、その一つの可能性であることを論じる。