著者
長谷川 博史
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.76, no.3, pp.p346-378, 1993-05

個人情報保護のため削除部分あり鎌倉期守護の系譜を引く室町期塩冶氏は、その基盤である出雲国最大の河川水運の要衝を確保して、特に出雲国西部において強大な政治的実力を有し、十五世紀末には杵築大社両国造家など周辺諸領主と結集して、自立性の極めて強い地域秩序形成を企図している。しかも塩冶氏は幕府奉公衆を務めており、京極氏の守護権がほとんど及びえない存在として、出雲国内において最も特徴的な位置を占めていたと言える。尼子経久は、このような性格と動向を示す塩冶氏について、十六世紀のかなり早い段階で実子興久に家督を継がせ、やがてこれを武力討滅することにより、その権力基盤と歴史的性格の大部分を継承し、一国支配権の確立に不可欠な出雲国西部における権力の浸透を実現している。本稿においては、大名としての尼子氏権力形成過程における最大の画期であると考えられるにもかかわらず、従来非常に軽視されてきた塩冶氏掌握の歴史的意義を明らかにしていきたい。The main purpose of this paper is to make clear how important it was for the Amago to eliminate their rivals within Izumo 出雲 province, the Enya, on their way to becoming daimyo. Concerning the historical characteristics of the Enya in the Muromachi period we can indicate three main points : First, the Enya were the most powerful in the western part of Izumo. Their position was based on the financial strength derived from the area under their rule, which was located at a strategic location for river transportation in Izumo. Second, because the Enya were members of the hokoshu 奉公衆, the direct army of the shogun, they were thus independent of the authority of the shugo of the province, the Kyogoku 京極 family. So even after the Amago succeeded to the estate and the authority of the Kyogoku, they were unable to thereby control the Enya. Third, at the close of the fifteenth century, the Enya were allied with other adjacent lords (kokujin) against the Muromachi shogunate. This military alliance was a great force within the province and aimed at establishing an independent local order. Thus the most important problem facing the Amago at the close of the fifteenth century was how to eliminate the Enya and bring the entire province of Izumo under their control. The process was begun early in the sixteenth century when Amago Tsunehisa 尼子経久 made his son Okihisa 興久 the heir to the Enya, and completed in the 1530s when the Enya were wiped out by military force. The Amago succeeded to the Enya power base in western Izumo and to their connection with the neighboring kokujin. This was the crucial step in bringing the entire province of Izumo under Amago control.
著者
長谷川 博史
出版者
島根大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

本研究は、中世の山陰地域の流通構造について、西日本海水運との連関性を追究することによって、明らかにした。たとえば、富田城下町は、戦国大名尼子氏の拡大によって、16世紀前半に急速に発展し、鉄の加工を通して内陸部と海を結びつけた。また、杵築門前町は、16世紀後半に、石見銀山の開発の影響を受けて急速に発展し、鉄の積み出し港としても重要な役割を果たしたので、内陸部と海を一層強く結びつけた。
著者
池 享 柳原 敏昭 七海 雅人 渡辺 尚志 平川 新 蔵持 重裕 菅野 文夫 蔵持 重裕 小林 一岳 長谷川 博史 平川 新 渡辺 尚志 遠藤 ゆり子 長谷川 裕子 川戸 貴史 黒田 基樹 糟谷 幸裕 藤井 崇
出版者
一橋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

本研究は、これまでの研究で十分に明らかにされてこなかった、中近世移行期の鉱山開発が地域社会に与えた影響の解明を課題としている。そのため、大規模鉱山よりも地域社会との関わりが密接な、砂金・土金採取を基本とする岩手県東磐井郡域の鉱山をフィールドに設定した。研究の到達段階を踏まえ、採掘統括責任者の家文書の目録作成・翻刻や、地名等の歴史情報の聞き取り調査など、研究の基礎となる情報の収集・整理に重点が置かれた。その成果は、A4版560ページの印刷物としてまとめられている。