著者
阿子島 功
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.231, 2013 (Released:2013-09-04)

2011.3.11地震によって福島県中通り(阿武隈川沿岸)の内陸盆地では、丘陵地の谷埋め造成地の地すべりや沖積低地の地盤液状化が生じたが、さらに河岸段丘面上にある須賀川市(震度6強)の中心市街地でも建物被害が顕著であった。福島県中通り中央部の地盤災害が大局的には更新統「郡山湖成層」の分布域に一致するという指摘もある(小林2011JpGU)。須賀川中心市街地の震害は中世城館廃城の後に埋められた濠の位置に一致していたと考えられる例もあることを報告する。 [被害個所調査] 被災直後~数ケ月以内の調査報告・写真が多く公表されており現地比定ができる。2012年後半に現地で震災前の住宅地図と比較しながら被災個所の分布と微起伏を調査した。このとき中心市街地では更地、駐車場への転用、工事中の建物、道路の修復工事が目立ち、市役所やまちなかセンターなど大型建物の取り壊しが始まっていた。福島県中通りは震災の後の航空写真撮影やGoogleEarth画像の更新はされていない。 [中世末の二階堂氏時代の町割りの復元] 二階堂氏居城時代は、文安年間(1429~1449)築城より150年後の天正17(1589)年[伊達政宗の攻略によって落城]までであり、伊達・蒲生・上杉氏の支配を経て江戸時代初期に廃城となり宿場町として整備された。このとき二ノ丸を貫いて南北の街道が開かれた。須賀川町は近世を通じて奥羽地方の交通の結節点として大きな宿場町を形成していたが、そのために近世城下町地割をひきつぐ多くの都市とは異なって、城の遺構と城下町地割が明瞭ではない。 二階堂氏居城時代の町割は江戸時代になって記憶で描かれた城下町地割の絵図[須賀川市博物館蔵。絵地図1]があり、さらに現地比定を行うにあたって江戸時代後期の文化年間(1805-1815)の精密な鳥瞰図[白河藩絵師白雲筆による「岩瀬郡須賀川耕地之図」。同博物館寄託展示。絵地図2]および明治時代末の1:50,000地形図[M41年。地図3]が参考になる。絵地図2には段丘崖や開析谷の表現がなされているので現地比定の参考になり、寺なども対照点となる。ただし後代の地図3には城下町特有の“鉤の手“のくいちがいがよく表現されているのに絵地図2には表現されていない。 絵図1によれば二階堂氏居城は南北に細長い段丘面の中央を占め、城下町を含めてその西と東を段丘崖、その南と北を(浅い開析谷を利用した)堀切によって区画している。町屋は城の南に新町・本町、東に中町・道場町、北に北町がおかれた。江戸時代後期の絵図2には本丸の西側水濠(現在は道路)、二ノ丸の南西外縁の谷間の水田(現在は埋められて加治町公園)が描かれているが、二ノ丸東側の濠跡と二ノ丸の北側(搦手)の堀切の窪地(堀火掛の注記)はすでに埋められて読めない。江戸時代の白河藩(儒官広瀬典著)白河風土記巻十二によれば、(1)(中)町ノ地、元ハ二階堂氏城郭ノ内ニシテ、町ハ東ノ方ヲ回リシトナリ、今ニ町家ノ西裏ニ古ノ土居ノ残リ、高サ二丈計リ、長サ百間計リ、・・・(2)(本町ト)中町ノ接セシ所ハ、古二階堂氏城郭ノ堀アトニテ、町屋トナセシトキ土石ナントヲ以テ填ケレドモ、容易ニ埋メラザリシ故ニ、桁ヲ亘シ、上ニ土ヲ置キ、今ノ街トハナセシトナリ、云々[須賀川市史3(近世)1980,p.181-188]。現在の中心市街の中町筋は二ノ丸城内を南北に貫いたのであるが、(2)は南側濠大手付近を指し、(1)は本町筋を北へ延長した(新しい)中町筋ではなく、もともとの中町筋の西側に土塁があったことを述べているのであろう。[震害個所と埋没濠] 本丸跡の西側水濠(現在は道路)にそって路盤損傷、二ノ丸南西縁の濠跡(加治町公園)の両岸斜面で建物損壊、その南の延長の谷頭の浅く広い谷筋(加治町)の南岸で建物倒壊、谷中央で墓石倒壊が起きた。東側濠に沿う(と考えられる裏)通りに沿って建物損壊が起きている。しかし、二ノ丸城内にあたる現中心街(前述(1)の県道須賀川・二本松線沿い)でも多くの建物被害・路盤損壊が生じている理由の説明が残されている。
著者
阿子島 功 坂井 正人 渡邊 洋一 本多 薫 坂井 正人 渡邊 洋一 本多 薫 PAZOS Miguel OLAECHEA Mario
出版者
山形大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

ペルー中南部海岸沙漠のナスカ台地とその周辺の地上絵は、B.C.1~A.D.8世紀頃のナスカ期の文化遺産であり、1994年に世界遺産に指定されたが、詳細な測量図が作成されているのは動植物図像が集中しているナスカ台地の一部のみであり、ナスカ台地全域にわたる地上絵の分布の全体像については必ずしも明らかではなかった。地上絵の成り立ちの解明や今後の保全計画の基礎となる資料を整備する目的で、高精度人工衛星画像解析や現地調査によって分布図作成を行い、自然地理学、考古学、認知心理学などの観点から考察した。ナスカ台地全域の地上絵の分布図が作成されたことにより、自然地形との関係や、地上絵が制作された文化的背景、また現在進行している地上絵の破壊状況などを明らかにすることができる。
著者
阿子島 功 山野井 徹 川邊 孝幸 八木 浩司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.110, 2003

<B>1.問題点</B> 山形盆地南部の上山断層は、酢川火山岩屑流台地を上下2面に分ける、地形的には比較的明瞭な活動度B級の断層である。 山形盆地西縁断層群については、科技庁の平成9から11年度交付金による山形県の調査によって活動歴に関する資料が増えた。 地震調査研究推進本部の平成14年5月評価では、予想される最大地震規模7.8、活動間隔約3,000年、最近30年間の地震確率は ほぼ0から7%と 社会的にも影響の大きい評価となった。 その根拠のひとつは、総延長を上山断層を含めて約60kmとしたことである。 しかし、盆地南半西縁の山辺町から山形市村木沢の一連の南北性の断層群と上山断層との連続性には問題がある。 西側隆起という共通性はあるが、上山断層の走向はNE-SW方向で、両者は斜交し、上山断層の走向方向からはむしろ山形盆地東縁の断層に連なる。上山断層の詳細な活動歴・活動様式はわかっていなかった。 地域整備振興公団の協力を得て調査した。 <B> 2.調査手法</B> 上山断層北半部でトレンチ3ケ所、ボーリング2本、酢川火山岩屑流上位面の凹地の堆積層中の広域火山灰検出のためシ゛オスライサーによる採取3本である。<B> 3.調査結果</B><BR> <B> 1) 断層の累積変位量と長期的平均変位速度</B> ボーリングb-1は 断層崖の中腹にあり、上位面頂部より約25m低い。-30mまで粗大な岩屑よりなる火山岩屑流堆積物で断層破砕帯はない。<BR> 下位面のb-2はGL-1から-4mが表層堆積物、-4から-43mまでは一部に木片を含み、やや泥質な部分を含む火山岩屑流堆積物、 -60mまでは岩屑流堆積物である。 -49m付近にせん断面あり。 b-1,2とも第三紀凝灰岩に着岩しなかった。 断層の累積変位量:断層崖両側の酢川火山岩屑流堆積層の頂部の比高(b-1頂+25mとb-2の-4mとの比高)は約46mである。 酢川岩屑流の年代:b-2の-23m,-32mの木片(周辺に腐植層などが挟まれていないので岩屑流に巻き込まれたものと解釈)の14C年代は 後述T-1の年代よりも新しくなり上下逆転した。 上位面の凹地堆積層6mのうち2枚の火山灰をそれぞれNm-Kn,Ad-N1に対比し(八木が別報とする)、2層の火山灰年代を外挿すると、火山岩屑流台地面が形成された年代は 約75,000年前となる。 よって、長期的平均変位速度は約0.6m/1000年(1.8m/3000年)となる。<B>2)最新の断層運動</B> トレンチT-3(探さ3m、延長6m)では、黒ボク土を含む礫層と締まった砂礫質粘土層が 逆断層状に接している。イベントは2回以上、変形を受けた礫層の年代は3,430+_50(yrBP)、覆土の年代は270+_40(456から5 Cal yrBP)である。 上下方向の単位変位量は1.5m程度。<B>3)未固結堆積層の塑性変形</B> T-1、T-2では、断層破砕帯は認められないが、顕著な地層の変形がみられる。 T-1(8m深、20m長)に酢川火山岩屑流堆積層の2次堆積層がみられ、地表面傾斜が約10°、 トレンチ上部の地層の傾斜が約20°である。高角度の明瞭な断層破砕帯はないが、3種類の変形構造が認められる; 1)層理面の変形で波高1.5m程度の波状および炎状の断面形を示す。 2)層内の微小なせん断構造。 3)幅数cmで、延長が数m以上つづく低角度・南傾斜のせん断面である。 T-2(6m、30m長)では、岩屑流堆積層の2次堆積層のなかに著しい変形構造が認められる。 最大波高2mで、地層のひきずり変形構造、 褶曲構造、礫の配列異常など。変形のひきずり方向は南側へ押し出すような方向である。変形している地層の年代測定を行った結果、変形の時期はT-1では46,300±630(yrBP)以降、T-2では27,870±190(yrBP)以降であった。断層活動の強振動によって未固結の堆積層が塑性変形した可能性がある。<BR>図1 上山断層北部の調査地点 CTO-76-19に記入
著者
阿子島 功
出版者
山形大学
雑誌
山形大学大学院社会文化システム研究科紀要
巻号頁・発行日
vol.4, pp.139-149, 2007-08-31
被引用文献数
2

ナスカ地上絵の考古学調査にかかわる地形分類図を試作した。目的にあわせて,3種類の縮尺精度の地形分類を例示できる。人工衛星QuickBird画像を画像処理して地形分類の指標とすることが,本章で述べる研究の中心であり,さらにこれらをナスカの地上絵の調査にどのように関連させることができるか,すなわち微地形分類によって分析できる地表面の変化速さ(安定度・不安定度)と地上絵との関係であり,地上絵の作成当時に土地条件が考慮されたのか否か,地上絵の損傷と土地条件(微地形) との関係,地上絵の将来の損傷の見積りについて述べる。
著者
中島 勇喜 林田 光祐 阿子島 功 江崎 次夫 吉崎 真司 丸谷 知己 眞板 秀二 木村 正信 井上 章二 岡田 穣 小林 範之 坂本 知己 柳原 敦 阿子島 功 江崎 次夫 吉崎 真司 丸谷 知己 眞板 秀二 木村 正信 井上 章二 岡田 穣 小林 範之 坂本 知己 柳原 敦
出版者
山形大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

2004年12月に発生したインド洋大津波および2007年4月に発生したソロモン諸島での津波による被害地を調査し、津波に対する海岸林の被害軽減効果を検証した。その結果、海岸林による漂流物の移動の阻止、津波の波力の減殺、よじ登り・すがりつき効果が確認できた。さらに、被害軽減効果と海岸林の組成や構造は海岸地形に大きく依存していることから、地形を考慮した海岸林の保全が津波被害軽減に有効であることがわかった。