著者
馬場 靖雄
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.17-31, 1988-06-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
59

従来「解釈学のシステム理論版」だと考えられてきたルーマン理論は、自己言及概念の導入によって大きく変貌した。しかもそれは理論の内容においてのみではない。ルーマン理論は閉じられた自己同一的な体系から、常に自己差異化する運動体へと変化したのである。それゆえ本稿のタイトルは、第一にルーマンは変ったという、第二にしかも今なお変り続けているのだという、二重の含意をもつことになる。この二重の変貌とその帰結を粗描することが本稿の目的である。その帰結とは、社会学の営為全体に対する新しい視角に他ならない。従来「パラダイム」について論じられる時、また「グランド・セオリー」に対して「中範囲理論」の重要性が主張される (あるいは、その逆) 時、一般理論/実証研究というヒエラルヒーがまったく自明視されてきた。理論/実証の往復運動という主張も、このヒエラルヒーを前提としたものであった。これらに代って、理論と実証が相互に反転し続ける循環運動が登場する。また、社会学と社会の関係も、理論とその対象という単純な関係としてではなく、相互に造り/造られるというループのなかで把握されることになる。ルーマンの「システム理論のパラダイム転換」がもたらすのは、新たな内容のパラダイムではなく、パラダイムについて語るのを可能にする思考前提の転換である。それはいわば、パラダイム転換のパラダイム転換なのだ。
著者
馬場 靖雄
雑誌
社会学研究所紀要 (ISSN:24353833)
巻号頁・発行日
no.1, pp.1-16, 2020-03-31

マスメディアの現状に照らしつつ,「機能分化し閉じられた(オートポイエティックな)システムとしてのマスメディア」というルーマンの議論の射程と有効性を検討する.ルーマンはマスメディアを,機能分化し,「情報/非情報」のコードによって自律化し閉じられたオートポイエティック・システムであると見なす.ルーマンのこの議論は,マスメディアの自律性を過度に強調し,マスメディアと社会(全体社会Gesellschaft)とのつながりを無視して前者の社会的責任を免除するものだとして,しばしば批判されてきた.またマスメディアが社会の諸領域に浸透・融合し影響力を拡大しつつある現状にそぐわないとの指摘も為されている.しかしこの種の批判では,「コードによる自律性」が常に無限遡行の可能性と決定不能性を孕んでいること,あるいは自律性とはこの決定不能性に他ならないことが見逃されている.ルーマンのマスメディア論は,ITの進展・普及によって明らかになりつつある,マスメディア・システムに内在する偶発性・不確定性を理論的に指摘しているという点で,むしろ「先進的」なのである.
著者
馬場 靖雄
出版者
長崎大学
雑誌
長崎大学教養部紀要. 人文科学篇 (ISSN:02871300)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.133-165, 1996-10
被引用文献数
3
著者
馬場 靖雄
出版者
東京大学
雑誌
社會科學研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.56, no.5, pp.27-48, 2005-03-30

ニクラス・ルーマンの社会システム理論を踏まえて,近代社会を機能的に分化した社会ととらえ,そこにおける「法の支配」の意味について論じる.法を初めとする機能分化したシステムは,それぞれ独自の二分コードを用いて,社会内のあらゆる事象をテーマとして扱う.システムの外にある社会的環境(法にとっての道徳など)もまた,コードを通して,システム内において扱われる.この意味で機能システムはそれぞれ閉じられており,法が扱いうるのは法から見た社会的環境のみである.したがって法の支配が及ぶのは,法自身が投影した社会の範囲内でしかない.しかしこのように閉じられたシステムが相互に影響しあうなかで,いくつかの制度は改変され難いものとして固定されるに至る.基本権はそのひとつである.