著者
八幡 一郎
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.71-73, 1943 (Released:2010-06-28)
著者
八幡 一郎
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.39, no.7-9, pp.285-287, 1924-11-14 (Released:2010-06-28)
著者
八幡 一郎
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.177-180, 1942-03-28 (Released:2008-02-26)
著者
八幡 一郎
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.46-47, 1959-02-28 (Released:2008-02-26)
著者
八幡 一郎
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.35-38, 1941-12-28 (Released:2008-02-26)
著者
八幡 一郎
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.56, no.9, pp.479-484, 1941-09-25 (Released:2008-02-26)
著者
南方 熊楠
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.19-22, 1918-01-25 (Released:2010-06-28)

1 0 0 0 OA 山の神に就て

著者
南方 熊楠
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.32, no.5, pp.141-143, 1917-05-25 (Released:2010-06-28)

1 0 0 0 OA 厠神

著者
南方 熊楠
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.29, no.5, pp.169-174, 1914-05-20 (Released:2010-06-28)
著者
南方 熊楠
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.47-49, 1916-02-25 (Released:2010-06-28)
著者
南方 熊楠
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.34, no.8, pp.251-260, 1919-08-25 (Released:2010-06-28)
著者
南方 熊楠
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.28, no.10, pp.559-561, 1912-11-28 (Released:2010-06-28)
著者
埴原 恒彦
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.98, no.4, pp.425-437, 1990 (Released:2008-02-26)
参考文献数
35
被引用文献数
3 6 18

最近の日本人の起源に関する研究から,アイヌは縄文人の直系の子孫で東南アジアの後期更新世人類,すなわちプロトモンゴロイドに由来するとされている.一方,北海道東北部のアイヌ及びサハリンアイヌに関しては北方系モンゴロイド集団の遺伝的寄与を無視することは出来ないことも指摘されている.山口(1974,1981)は近世アイヌの成立に関して,本州の縄文人と類似した道南部の縄文人を中心として道東部の縄文人さらに樺太,千島からの外来要素が加わって成っているとしている.サハリンアイヌの形質人類学的研究は主にソビェト,日本の人類学者によってなされているがその起源に関しては北方系と南方系の説がある.本研究では進化において最も保守性の強い歯冠形質に基づきサハリンアイヌの起源にっいて検討した.歯冠全体の大きさに関しては,サハリンアイヌは非常に小さく縄文人,北海道アイヌ,沖縄島民,あるいはネグリトと類似性を示す.しかし計測的形質の形態因子においてはアリュート,エスキモー,北部中国人,現代日本人といったいわゆる北方系要素を有する集団と共通する特徴を示す.さらに主成分分析によっても同様の結果が得られた.一方,非計測的歯冠形質に基づく分析では彼らは縄文人,北海道アイヌ,ネグリト等南方系集団のクラスターに含まれる.以上の結果はサハリンアイヌがその形質において北方系と南方系の両要素を有するという従来の研究結果を支持するものである.しかし非計測的歯冠形質の進化における保守性,計測的形質の遺伝的特徴(詳しくは本文参照)を考慮するとサハリンアイヌが北方系民族の遺伝的寄与はあるもののその起源は北海道アイヌ,縄文人等と同様に後期更新世に現在の中国南部,あるいは東南アジアで進化してきたプロトモンゴロイドに求められる可能性が強いと考えられる.今回得られた結果はサハリンアイヌの起源に関する一考察に過ぎず,今後さらに北方系の形質が重要視されているオホーツク文化期のアイヌを中心に時代的,地理的にアイヌの系統を再考して行かなければ結論は出せないように思われる.本研究が旧石器時代の東アジアを起点とする先史モンゴロイド集団の拡散と分化に関する研究の一助となれば幸いである.
著者
吉田 巖
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.29, no.7, pp.267-276, 1914-07-20 (Released:2010-06-28)
著者
Zarko ROKSANDIC 南川 雅男 赤澤 威
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.96, no.4, pp.391-404, 1988 (Released:2008-02-26)
参考文献数
42
被引用文献数
13 23

古人骨の安定同位体による食性復原の可能性を検討するために,三貫地,伊川津,羽島3貝塚で発見された縄文人骨の炭素同位体比を測定した.また分析結果のもつ意味を比較検討するために樺太,北海道の近世アイヌ墓地で発見された古人骨についても同様に炭素同位体比を測定した.炭素同位体比の測定は, ROKSANDIC がオーストラリア国立大学の Research School of Biological Sciences にある質量分析計を用いて行い,その結果の吟味,人類学的意味の検討については主として南川と赤澤が担当した。炭素同位体比は人骨中のゼラチンとアパタイト(hydroxyapatite)を試料として測定した.その結果,アパタイト中の同位体比は遺跡間,集団間でほぼ同じ分布範囲を示すが,ゼラチン中の同位体比は縄文グループと近世アイヌグループの間で違いが認められた.すなわち,近世アイヌ人骨のゼラチン中の炭素同位体比は縄文グループよりも13C 濃度が高く,サケあるいは海獣を主食とする北米太平洋沿岸の先史および近世の漁撈採集民に近い値を示した.しかし,今回分析した縄文グループの同位体比は,以上のような集団とヨーロッパ農民の中間に近い値を示したのである.以上の結果は,今回分析した縄文グループが近世アイヌと異なった食生活をしていたことを強く示唆している.縄文人とアイヌのゼラチンとアパタイト中の炭素同位体比の間には一定の相関が認められた.また過去の研究で,草食獣ではアパタイトの炭素同位体比がゼラチンのそれより約7‰高く,肉食獣ではそれが約3‰高いことが指摘されている.そこで今回の結果からそれぞれのグループの食性の肉食依存度を推定することを試みた.今回の測定結果では,アパタイトとゼラチン中の炭素同位体比の差(△)は,羽島グループ6.3‰,三貫地グループ5.5‰,伊川津5.5‰,そして北方の近世アイヌグループが2.7‰であった.典型的な肉食性人類の△値は解っていないので,肉食動物の値(△=3‰)を使って計算を行った.得られた各グループの肉食度はそれぞれ18%,38%,38%,108%となり,近世アイヌが高い肉食依存度を示すのに対して,縄文グループの肉食度は比較的低いという結果が得られた.この結果は,今回の仮定に基づく誤差をそれぞれ20%程度含んでいると考えられるが,それでも別に行われた15N-13C法による縄文人の食性分析の結果と比較的良く一致した.縄文人の食性は,今までは主として遺跡堆積物の特徴と民族考古学的手法により得られた結果を基にして論じられてきた.本研究では縄文人骨の同位体比を用いて,より直接的に彼らの食性を復原するという新しい方法を検討した.結果として,縄文人は近世アイヌとは著しく異なった食性を持って生活していたことが示唆された.その特徴は今回分析した縄文人については,水産物に加えて,植物から多くのエネルギーを摂取していたという点である.
著者
百々 幸雄
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.91, no.2, pp.169-186, 1983
被引用文献数
4

伊達市南有珠6遺跡の続縄文時代恵山期の貝層下部より掘りこまれた土壙墓より,人骨1体分が発見された(図1)。土壙墓は一部撹乱を受けていたが,層位的にみて恵山期のものであることは確実であり,恵山期に特徴的な片刃の石斧一点が副葬されていた。<br>人骨の保存状態は,頭蓋はきわめて良好であったが,四肢骨は概して不良であった。したがって,ここでは頭蓋のみを研究の対象として報告した。性別は明らかに女性であり,年齢は熟年程度と推定された。<br>頭蓋計測値と形態小変異の出現状態は,それぞれ表1と表4に示した。<br>脳頭蓋は,中型,高型,尖型であり,顔面頭蓋では,中上顔型,中眼窩型,広鼻型,狭口蓋型である。顔面頭蓋は,縄文人に比して,概して繊細であり,とくに頬骨と上顎骨体の退縮が著しい。歯槽性の突顎も著明である。しかし,歯の咬耗は著しく進んでおり,大臼歯で3度ないし4度の段階にある。また,歯の生前脱落と歯槽に膿瘍の痕跡も認められる。<br>21項目の計測値を,近世道南アイヌ,道央•道東北部のアイヌ,東北地方縄文人,西日本の縄文人(吉胡•津雲貝塚)および現代東北地方人女性頭蓋の平均値と比較し,これらとの間にペンローズの形態距離(Cz2)を求めると,南有珠6頭蓋は,道南アイヌに最も近く,次いで道央•道東北部のアイヌに近い。東北地方縄文人とも比較的近い距離にあるが,西日本の縄文人と現代東北地方人とはかなり離れる(表2)。<br>近世アイヌと本州縄文人頭蓋を比較的良く分離する頭蓋示数6項目を比較すると,長幅示数,頭蓋底示数,コルマンの上顔示数および口蓋示数の4示数では,南有珠6頭蓋は近世アイヌに近い。矢状前頭々頂示数はどちらかといえば,縄文人に近いが,前頭弧長および頭頂弧長の絶対値は,はるかに縄文人平均を上回っている。下顎枝示数は著しく大きく,超アイヌ的であるといって良い(図2-図7)。<br>顔面平坦度計測では,頬上顎部の示数のみがアイヌおよび縄文人の示数平均より大きく,南有珠6頭蓋の著しい突顎性を表わしているが,他の2示数,すなわち前頭部と鼻根部の示数は,アイヌと縄文人の示数平均の中間に位置する(表3)。<br>29項目の頭蓋の形態小変異の出現型を用いて,南有珠6頭蓋が,アイヌか和人のいつれかの集団から抽出されたものかを調べるために,尤度比を求めてみたが,和人に対するアイヌの尤度比は9.86となり,南有珠6頭蓋はアイヌ集団に帰属すると判定することができる(表4)。<br>以上の結果を総合的に判断すれば,南有珠6頭蓋は,本州の縄文人頭蓋よりも,近世アイヌ,とくに道南部のアイヌ頭蓋との親近性が強いといえ,山口(1980a,1981)が指摘するように,恵山期の続縄文時代人は,縄文から近世道南アイヌへの形態に移行していく過程にあると推察される。