著者
朝倉 京子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1120-1125, 2005-11-01

「ケア/ケアリング」概念は,多くの看護理論で採用され,支持を集めてきました. しかし,“女性性”を含意するこの概念にからめとられてしまうことは,看護師の専門職性の否定につながりかねません.この危機の打開に向けた視点を紹介します. はじめに 看護の領域において,「ケア」という言葉はどのような意味で使われているだろうか. 筆者が約10年前に勤務していた病棟では,「ケア」は単に身体の保清にかかわる援助行為という意味で使われていた.たとえば,看護師同士で「今日のケア,終わった?」という会話が頻繁に交わされていたのであるが,それは「今日のあなたの受け持ち患者に予定していた保清の援助は終わったか」という意味を示していた. 看護学においては,1980年代以降,ケア/ケアリング概念を中心に看護現象を説明する理論が多く出版され,ケア/ケアリングは,看護学におけるひとつのブームとなった.たとえば,これらの理論には,ワトソン1~4),ベナーとルーベル5),レイニンガー6),ローチ7)などの理論がある.これらの理論では,ケア/ケアリング概念は,人間の基本的な存在様式との意味合いを含めながら,気遣い,気配り,配慮,愛,あるいは思いやりなどの言葉と互換的に用いられている.このように,現代看護学におけるケア/ケアリング概念とは,哲学的な意味合いをもち,その内包が規定されないままの多義的な概念として普及している. 以上のようなケア/ケアリング概念を読み解く鍵のひとつに,ジェンダー概念があると筆者は考えている. 本稿では,まずこのジェンダー概念について理解したうえで,現代看護学におけるケア/ケアリング概念の理論的背景についてジェンダーの視点から分析し,看護師に対するケア/ケアリングの要請の危うさについて考察したい.さらに,ジェンダー概念を導入することによって,看護の実践領域および看護学をどのように変革できるのか,その可能性を探りたいと思う.
著者
山田 実 本誌
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1216-1221, 1983-11-01

救急医療ドキュメント“救命への道”—救命・救急医療の生々しい現実をとらえた報道写真家・山田実写真展が7月12-17日の6日間,東京銀座にあるニコンサロンで開かれた.第一線の救命看護はフォトジャーナリストのファインダーにどう映ったのか?以下は,2年6か月の長期にわたって救急医療を密着取材した写真家のとらえた救命看護の実像である.
著者
福地 重孝
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.104-105, 1965-08-01

女らしき女丈夫 「婦人新聞」は矢島楫子を評して「男らしき女丈夫は世間に少なくないが,女らしき女丈夫に至っては,刀自において初めてこれをみる。社会を呪い,世間を悪罵する矯風家はその人に乏しくないが,教育家的先達的態度を以て社会を指導せんとする矯風家は,刀自をおいて他に多くみない。」(大正3・11・20)といっている。 彼女が風俗改善のため,東京婦人矯風会を起こしたのは1886年(明治19)であり,それを日本婦人矯風会として全国的組織としたのは1893年(明治26)であった。これは日本でもっとも大きな全国的婦人団体のさきがけということができよう。もっとも半官製の奥村五百子らの愛国婦人会のごとき軍事援護団体があったが,楫子らのそれは,その根底にクリスチャンとしての信仰と強烈な婦人解放の意志が蔵せられていたのである。そして,矯風会は満州事変以後一時沈滞したが,戦後たちなおり日本キリスト教婦人矯風会として活躍し,婦人運動の一翼をにない,国際平和運動にまでつらなって活動しているのである。
著者
大熊 房太郎
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.49, 1970-12-01

インフルエンザはしばしば大流行をおこす伝染病なので,昔からその流行は記録されて後世に残されることが多く,すでにヒポクラテスも彼の著作にインフルエンザと思われる病気を記載しているくらいですが,『三代実録』(平安時代に書かれた官撰の国史書)によりますと,わが国では清和天皇の貞観4年(862年)に「咳逆」という病気が流行して多数の死亡者がでており,これが記録の上での日本最初のインフルエンザの流行であろう,といわれています。 ヨーロッパでの流行の確実な記録は6世紀ごろまでさかのぼることができますが,おもしろいことに西欧ではインフルエンザが流行すると,いつの時代でも,そのインフルエンザにはおどけた調子のニック・ネームがつけられることになっていました。
著者
松田 正己 大熊 由紀子 根岸 昌功 光石 忠敬
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.748-755, 1999-08-01

人権は「尊重」されたか 松田 1999年4月1日,昨年9月に成立した「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症予防医療法)について,「感染症の予防の総合的な推進を図るための基本的な指針」(平成11年厚生省告示第115号,以下,指針とする)が出ました.今同現場の看護婦さんにその内容を知ってもらい,感染症にかかわるいろいろな課題を学んでもらいたいということで,法律の形成プロセス,指針の取り扱い,あるいは今後の展望について各界の先生方からご意見をいただきたいと思います. まず,各先生方から,この法律あるいは指針に関する思い,あるいは今までのご経験のなかから予防と人権,医療と人権との関係について思われるところをご説明ください.
著者
三木 美代子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.26, 1954-02-15

みな樣方のお勤めになられる病院の内に,ストレプトマイシンの使用後の空びんを,大切に保存なされる所もあるかは存じませんが,数多い所では,無益にお捨てになる所もあると存じます。当院もその一例にもれません。 その無益に捨てますストマイの空びんを,一寸拾い上げてみて頂きたいのでございます。そう大して時間はかゝりません。空びんの口に挾みを入れてゴム栓をはずしてはがしたゴム栓を,私は血沈用のゴムの代用品に使いました。皆樣方の内には,すでにお気付きでそのようにお使いの所もおありでしようが,もしお知りにならない方は,どうぞ一度試して下さいませ。
著者
柴谷 涼子 乾 妙子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1199-1202, 2005-12-01

リンクナースを支える看護部門の働き 柴谷涼子 リンクナース活動内容の変化 当院でリンクナースシステムが稼動し,本格的な感染管理チームが活動を始めると同時に,リンクナース全員が感染管理担当看護師(以下,ICN)の専門的な指導のもと,ターゲットサーベイランスに取り組み始めた.1998年当時日本でサーベイランスを実施している施設はほとんどなく,サーベイランスが何かもわからない状態でのスタートだった. そのため,当時リンクナースとして活動していた筆者も含め,サーベイランスをICNの研究の一部として捉えていた印象が強い.サーベイランスが効果的な感染対策を推進していくうえで重要な要素として認識できるまで,時間を要した.その後約5年間でいずれのサーベイランスでも年々感染率は減少し,感染対策マニュアルも定着してきた.筆者が感染管理認定看護師資格を取得し専任として活動を開始した際に,当院の状況をアセスメントし,サーベイランスの対象部署や対象とする処置の見直しと整理をした.その後サーベイランス中心の活動から内容は広がりを見せ,年間活動目標を毎年立案し活動している(表1).
著者
温 忍 岡野 久恵
出版者
医学書院
雑誌
看護学雑誌 (ISSN:03869830)
巻号頁・発行日
vol.53, no.7, pp.667-671, 1989-07-01

はじめに 毎日の申し送りに費やされる時間や労力と,そこで伝達される情報の量は膨大なものである.しかし,これまでの申し送りは,単なる記録の確認や情報の伝達に終わっており,その効果はあまり上がっていなかったのではないだろうか. 本病棟では,申し送りの伝達内容の分析を基に記録の充実と業務分担の明確化から,看護体制の改善,情報収集の最低基準を統一,明確化する中で申し送りの廃止に踏み切った.この経過などについては,先の学会で報告した1).
著者
鮫島 輝美
出版者
医学書院
雑誌
看護学雑誌 (ISSN:03869830)
巻号頁・発行日
vol.66, no.5, pp.487-493, 2002-05-01

ここ数十年の間に,医療の高度化,急速な高齢化など社会構造が大きく変化し,看護界を取り巻く内外の環境も変化している.特に大きなものとして,看護職不足が社会問題となり,平成4年6月の「看護婦等の人材確保の促進に関する法律」をきっかけとして,全国各地に4年生の看護系大学が急速に増加した1).看護教育をめぐる環境が大きく変化している中,南は大学における看護教育を「大学教育は看護学の開智の場として,単に知識を伝授するのではなく,物事の本質を見抜き,知識を活用して判断する能力,新たな知識を開発する能力を学生が身につけること」「真の意味の知慧を学生が自ら育てる,人間形成の場」と位置づけている2). このような人間形成を求められる学生の多くは卒業後,社会に出て看護師,保健師,または助産師となって,チーム=組織の一員となって働く.だとすれば,看護学生にとって,「組織」について学ぶということは,今後の看護教育においても重要なことと言えるのではないだろうか.
著者
天野
出版者
医学書院
雑誌
看護学雑誌 (ISSN:03869830)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.157, 1992-02-01

鹿児島県小宝島.北緯29度線の少し北に位置し,鹿児島市からの交通機関は月に8往復する定期船だけ.所要時間は片道約13時間. 周囲3.2km,島民44人(全19世帯)自然のままの珊瑚礁が広がる,日本で“最後の海”に囲まれたこの島に,中田美津江さんは1991年5月,ボランティア看護婦として赴任した.
著者
足利 幸乃
出版者
医学書院
雑誌
看護学雑誌 (ISSN:03869830)
巻号頁・発行日
vol.67, no.11, pp.1054-1059, 2003-11-01

前稿(本誌前号)では,がん化学療法におけるセルフケア支援の考え方と看護師の役割,そして,医療者が陥りやすいパターナリズムが患者支援という看護を阻むことに言及した.本稿では,がん化学療法を受ける患者の抗がん剤による副作用症状に対するセルフケア支援に焦点をあて,前稿で提示したセルフケア支援のプロセス1)(図)の枠組みを使って,筆者の考えるセルフケア支援のポイント(表1)を説明していきたい.なお,セルフケア支援のポイントを具体的に解説するにあたって,前号「便秘のセルフケア支援2)」でとりあげた事例(表2)をつかっていくこととする. ケアの優先順位を決める ポイント1:看護アセスメントと患者の気がかりをすりあわせ,セルフケアの優先順位を決める がん化学療法では,投与される抗がん剤のレジメンによって,出現頻度の高い副作用,その症状の程度,出現時期と回復パターンをある程度予測できる.多くの現場では,がん化学療法によって出現する一般的な副作用,たとえば,悪心・嘔吐,易感染,口内炎,食欲不振などをカバーする内容の患者教育用パンフレットを使って,患者への指導が行なわれている.患者教育のなかに,セルフケアに関する内容がもりこまれており,副作用の知識とともに患者に必要とされるセルフケアが説明される. このように一般化された看護を行なうことは,ある水準の看護を維持するために不可欠である.しかし,一般化された看護に終始すれば,患者のなかには「だからどうなの…」「じゃあ,私はどうなの」と思ってしまう者もいるだろう.患者が気にかけていることは,自分のことである.患者が自分に対して看護が行なわれていると感じるためには,一般的な看護のうえに,患者個別の看護を付加しなければならない.このオプションは,個別的な看護アセスメントから見出すことができる.個別的なアセスメントを行なうことで,一般的とされる患者の問題が,ほんとうにこの患者の問題であるのか,この患者にとっての優先順位の高い問題は何かといったことが明らかにされる.
著者
大野 昌彦
出版者
医学書院
雑誌
看護学雑誌 (ISSN:03869830)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.132-133, 1967-03-01

日本とのつながり 「非常にかわった女の新聞記者がいるから是非紹介しよう。だが,かなり猛烈な顔をしているから,女の新聞記者だからときいて好奇心を出すのだったら当てがちがうぜ,と冗談をいいながら誰かが紹介してくれた人が,スメドレー女史であった」と尾崎秀美は書いている。尾崎が上海のパレスホテルのロビーで待っていると,赤い色の散歩服を着てとびこんで来て,腰をおろすが早いか,初対面の挨拶そっちのけで話し出した。ときどきシガレット・ケースを開いてはタバコをすすめながら,みずからも喫った。中国農業問題について日本人の研究にどんなものがあるかと問い,尾崎の話があいまいであったり,自信なげであったりすると,すかさず切りこんで,尾崎を面くらわせた。「わたしはそのときつくづく女史の顔を見た。顔はなるほど綺麗とはずいぶん縁の遠いものであった。しかしわたしはその後いく度か会ううちに,女史の顔を美しいと思うことすらあった。とても無邪気な笑い顔だった」と尾崎はいっている。 1931年当時,スメドレーはドイツのフランクフルター・ツァイツンク特派員として,尾崎は朝日の記者としてそれぞれ中国に渡ってきていた。スメドレーは,すでに11ヵ国語に訳されている自伝小説“Daughterof Earth”をもつ国際的記者であり尾崎は中国問題に日本人としては独自の見解を示す新進の記者であった。