著者
風野 春樹
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.588-589, 2003-06-01

伝染する精神病,というものがあることを知っていますか? 妄想を持った人物Aと,親密な結びつきのある健常者Bが,あまり外界から影響を受けずにいっしょに暮らしている場合,AからBへと妄想が感染し,妄想を共有することがあるのです.これを感応精神病,またはフォリアドゥ(folie à deux)といいます.フォリアドゥとは,フランス語で「2人の精神病」という意味です. たとえば,堀端廣直らによる「Folie à deuxを呈し“宇宙語”で交話する一夫婦例」という文献の例をみてみましょう.
著者
高橋 政子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.574-578, 1987-06-01

はじめに 日本赤十字社(以下,日赤社と略す)で養成された救護看護婦といえば,戦前は一貫して有事に際しての応召が義務づけられていた.それは日赤社の看護婦養成の最初の目的が,日常生活の中での病人看護というのではなくて,戦時救護にあったからである注1). そして,このことと関連して給費制度も確立していた訳で,これは他の私的養成機関が給費によって卒業後に義務勤務を課して,労働力を確保しようとしたこととは,違った次元でとらえられねばならない.看護婦といえども,国策の一端を担わされ,お国のためには個人の生活を犠牲にすることが美徳として考えられた時代である.
著者
西丸 四方
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.64-67, 1958-04-15

狂信者というのはある考えの正当さを確信して,その考えのために活動することが非常に熱心であるような一種の熱心家のことです。熱心であるというのは人間の美徳の一つであり,価値の高いものです。これの逆はのらくらもの,なまけものです。多くの人間は多かれ少なかれなまけもので,あまり熱心に何かに打ちこむことができないのが,普通の人間です。熱心に勉強するとか仕事をするという場合には熱心ということは価値の高いものです。しかし凝り性という形の熱心家になると価値が高いとばかりいえないことになります。この場合は熱心さの内容,何をするのに熱心であるのかのその内容に価値がないのでしよう。のらくら者がパチンコをやる場合にはただひまつぶしにやるくらいのものですが,凝り性の人はどうやれば球がうまく入るかを寝食を忘れて研究します。釘のまげ方,力の入れ方などをくわしくしらべ,球の入る回数を統計的にしらべ,もしパチンコ学というものがあればその大家になれるくらいに研究に熱中するのですが,しかしこの場合にはあまり人にほめられません。熱心さには価値があるにしても,パチンコという内容にはあまり価値はないからであります。このようなパチンコ学に凝つて本職をおろそかにする人があります。碁,マージヤン,トランプに凝る人,ラジオの組立てや軽音楽に凝つて学校で落第する生徒などもこれです。
著者
水野 肇
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.92, 1966-06-01

チフス菌を扱っていた医師が,その菌を注入したバナナなどをあちこちに届けて,2百人以上のチフス患者をつくったという疑いで逮捕されるという,およそ考えられないような事件がおきた。 千葉県警本部は,4月7日,千葉大付属病院第1内科医局員,鈴木充(32)を傷害の疑いで逮捕した。鈴木の容疑は,自分の扱っていたチフス菌,赤痢菌などをバナナやカステラなどに入れて,静岡県三島病院,千葉大付属病院などの医局員ら約2百人に感染させ,2人を死亡させたというもの。
著者
木下 康仁
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.194-197, 1988-02-01

人手不足だけが原因ではない老人ケアの“しんどさ” 家庭においてであれ医療・福祉施設であれ,自立した生活が困難になった老人のケアが大変であることは,実際にケアを担っている人々は言うに及ばず,社会一般も等しく認めるところである.確かにこうした老人には手がかかるし,ケア従事者は心身共に消耗しやすい.しかし,ケアの大変さの中身については必ずしも十分に理解されていないのではないだろうか. 例えば,一般の人々は具体的なケア内容についてはあまり知識がないから,ケア従事者の身体的疲労や片時も目を離せない場合などの心理的負担をこの中身と考えがちである.ケアを量的な問題と理解し,この意味で老人のケアは大変であると理解する.そして,この問題が解決されれば「福祉の心」にあふれたケアが可能になるだろうと考える.老人ケアの問題は現在このような論調で語られている.
著者
大野 治俊 堀越 陽子 堀越 敏子 落合 玲子 本誌編集室
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1386-1393, 1986-12-01

昨年8月12日,羽田発大阪行日本航空123便,ボーイング747SR機か群馬県多野郡御巣鷹山山頂付近に墜落,乗員15名,乗客509名のうち‘奇跡の生存者’4名を除く520名の犠牲者を出した惨事はまだ記憶に新しい. 4名の生存者のうち吉崎博子・美紀子さん親子と落合由美さんの3名が藤岡市内の病院に収容ざれ,川上慶子さんはその病院で応急処置を受けたあと,すぐ国立高崎病院に転院となった.
著者
竹山 恒寿
出版者
医学書院
雑誌
看護学雑誌 (ISSN:03869830)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.12-15, 1955-08-15

強迫観念と多幸症とを並べて比べるのはむずかしい。どちらもあまり関係がない症状だからである。しいていえば強迫観念の訴えには悲観的の気分がただよつているし,多幸症は楽観そのものだから,その点で全く対比的であるといえばいえるであろう。しかし,強迫観念は神経症だけにみられるに反し,多幸症はいろいろの精神病に際してあらわれる症状であり,そのあらわれかたや処置のしかたもちがうし,すべての点で比較できない様な相違がある。これらの症状をのべて,その取扱いかたにふれてみよう。
著者
富士田 夏子 松原 あけみ 甲斐 キヨ子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.148-151, 1975-02-01

はじめに 戦前腸チフスに罹患したことのある女性が,35年後,職場の健康診断で糞便培養検査の結果腸チフス菌の保菌者と診断された.入院後の精査の結果,胆汁から腸チフス菌が分離され,さらに胆嚢胆石の存在が明らかになった.胆石をもつ保菌者は化学療法では除菌できないので胆嚢摘除術が必須な治療方針となる.腸チフス保菌者のこの種の手術は,北海道内で3例目の症例であり(当病舎で2例目),これらの看護に対する文献が少なく常にとまどいを感じた.特にその半生を腸チフス菌保菌者として全く自覚することなく生活していた患者の,それと知ったあとの精神的動揺と手術に対する不安を私たちも強く感じたので,精神看護の重要性を学びながら術前術後の看護を通し経験した事例を紹介したい.
著者
南 由起子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.874-877, 1998-09-01

今回は聖路加国際病院の医療倫理委員会で取り上げられた検討事項について紹介し,臨床倫理について考えてみたいと思う.
著者
滝野澤 直子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.760-763, 1993-08-01

おしっこの湯気 「おしっこ」という言葉が好きだ.あっ,いや,その,「尿」という言葉に比べればという意味ですよ.尿というのは,白い紙コップに入ったアレであり,私のおしっこは,尿じゃない.尿は冷たい.おしっこは温かいものだ,と思う. 青森で生まれ育った私は,おしっこというと,白い湯気つきで思い浮かぶ.冬の朝などにトイレにしゃがむと,おしっこからモクモクと湯気が立ちのぼる.元来がロマンチックな質なので,結婚披露宴のドライアイスみたいだぁ,と湯気が消えるまでまじまじと見入ったものだった.
著者
石原 明
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1, 1966-03-01

慶応4年(1868)春,政権を天皇に返した徳川将軍の処置に,不平をとなえる旧幕府の人たちは反乱の気配をみせた。そこで官軍がさしむけられ,有栖川宮(ありすがわのみや)を総督とする征討軍は江戸に向い,横浜を基地とするため神奈川奉行の意向をただした。奉行は世界大勢に通じていたので,幕府役人ではあるが無条件で協力することを約した。その結果,病院を設置するため洲千弁天(しゆうかんべんてん)境内の語学所と,野毛山の寺小屋修文館の建物を提供した。4月17日に開設した横浜軍陣病院は英国軍医のウイルスが主任となり,女の看護人を雇い入れて傷病兵を看護した。日本最初の職業看護婦である。病院のあとは国電桜木町駅前と,野毛山動物園入口の老松中学校にあたる。老松中学の地は明治5年に官民合同の近代的病院となり関東大震災まで存続した。今の横浜市大医学部病院の前身である。
著者
笠井 実人
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.17-21, 1956-06-15

はしがき ある種の薬剤を筋肉内に注射するとき,それが末梢神経内に浸潤して麻痺を起すことはよく注意されている所であります。 看護学の教科書を見ますと,注射部位は,身体の血管や神経の分布が出来るだけ少く,大きい筋肉のある部分がえらばれ,通常大臀筋,上腕三頭筋,大腿四頭筋などが用いられる。即ち臀部,上腕外側,大腿外側などに於て行われると書いてあります。
著者
林 塩
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.22-26, 1955-05-15

完全ということはどんな場合でも,容易にはあり得えないものであり,完全という言葉はうっかり用いられないものと思うが,現在使われている完全看護なるもの程不安定なものはないと思う。この完全看護という言葉があるために,病院の看護婦達は想像以上に心身の苦労をし,入院患者達は必要以上に不満を感じているし,又病院管理上にも割り切れない問題となつている。 もともと,この完全看護というのは,終戦後に出来た言葉で,病院の入院患者に附添をつけないで,病院自体の看護力を持つて療養上の世話をし始めた時にできた言葉である。戦前には一部の病院を除くと,日本国中の殆んどすべての病院では,家族附添又は職業的附添婦がついていなければ患者は入院ができない状態であつた。病院に雇われている看護婦は,入院患者の1入1人の看護には当らないで,病院の医師の助手であり,患者と附添者の着視或いは管理者であり,病室のハウスキーパーであり,又事務員でもあつた,随つて病院経営上からすれば誠に便利な存在であつたが,真の意味の看護をしていなかつたから,患者にとつては,病気の快復上にさほど価値はなかつたわけである。「1に看護2に藥」とは昔からの日本の諺であり,「病気が癒るのは,95%が看護の力で,後の5%が藥による。」