著者
高橋 政子
出版者
医学書院
雑誌
看護学雑誌 (ISSN:03869830)
巻号頁・発行日
vol.51, no.6, pp.574-578, 1987-06-01

はじめに 日本赤十字社(以下,日赤社と略す)で養成された救護看護婦といえば,戦前は一貫して有事に際しての応召が義務づけられていた.それは日赤社の看護婦養成の最初の目的が,日常生活の中での病人看護というのではなくて,戦時救護にあったからである注1). そして,このことと関連して給費制度も確立していた訳で,これは他の私的養成機関が給費によって卒業後に義務勤務を課して,労働力を確保しようとしたこととは,違った次元でとらえられねばならない.看護婦といえども,国策の一端を担わされ,お国のためには個人の生活を犠牲にすることが美徳として考えられた時代である.
著者
天野
出版者
医学書院
雑誌
看護学雑誌 (ISSN:03869830)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.157, 1992-02-01

鹿児島県小宝島.北緯29度線の少し北に位置し,鹿児島市からの交通機関は月に8往復する定期船だけ.所要時間は片道約13時間. 周囲3.2km,島民44人(全19世帯)自然のままの珊瑚礁が広がる,日本で“最後の海”に囲まれたこの島に,中田美津江さんは1991年5月,ボランティア看護婦として赴任した.
著者
足利 幸乃
出版者
医学書院
雑誌
看護学雑誌 (ISSN:03869830)
巻号頁・発行日
vol.67, no.11, pp.1054-1059, 2003-11-01

前稿(本誌前号)では,がん化学療法におけるセルフケア支援の考え方と看護師の役割,そして,医療者が陥りやすいパターナリズムが患者支援という看護を阻むことに言及した.本稿では,がん化学療法を受ける患者の抗がん剤による副作用症状に対するセルフケア支援に焦点をあて,前稿で提示したセルフケア支援のプロセス1)(図)の枠組みを使って,筆者の考えるセルフケア支援のポイント(表1)を説明していきたい.なお,セルフケア支援のポイントを具体的に解説するにあたって,前号「便秘のセルフケア支援2)」でとりあげた事例(表2)をつかっていくこととする. ケアの優先順位を決める ポイント1:看護アセスメントと患者の気がかりをすりあわせ,セルフケアの優先順位を決める がん化学療法では,投与される抗がん剤のレジメンによって,出現頻度の高い副作用,その症状の程度,出現時期と回復パターンをある程度予測できる.多くの現場では,がん化学療法によって出現する一般的な副作用,たとえば,悪心・嘔吐,易感染,口内炎,食欲不振などをカバーする内容の患者教育用パンフレットを使って,患者への指導が行なわれている.患者教育のなかに,セルフケアに関する内容がもりこまれており,副作用の知識とともに患者に必要とされるセルフケアが説明される. このように一般化された看護を行なうことは,ある水準の看護を維持するために不可欠である.しかし,一般化された看護に終始すれば,患者のなかには「だからどうなの…」「じゃあ,私はどうなの」と思ってしまう者もいるだろう.患者が気にかけていることは,自分のことである.患者が自分に対して看護が行なわれていると感じるためには,一般的な看護のうえに,患者個別の看護を付加しなければならない.このオプションは,個別的な看護アセスメントから見出すことができる.個別的なアセスメントを行なうことで,一般的とされる患者の問題が,ほんとうにこの患者の問題であるのか,この患者にとっての優先順位の高い問題は何かといったことが明らかにされる.
著者
大野 昌彦
出版者
医学書院
雑誌
看護学雑誌 (ISSN:03869830)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.132-133, 1967-03-01

日本とのつながり 「非常にかわった女の新聞記者がいるから是非紹介しよう。だが,かなり猛烈な顔をしているから,女の新聞記者だからときいて好奇心を出すのだったら当てがちがうぜ,と冗談をいいながら誰かが紹介してくれた人が,スメドレー女史であった」と尾崎秀美は書いている。尾崎が上海のパレスホテルのロビーで待っていると,赤い色の散歩服を着てとびこんで来て,腰をおろすが早いか,初対面の挨拶そっちのけで話し出した。ときどきシガレット・ケースを開いてはタバコをすすめながら,みずからも喫った。中国農業問題について日本人の研究にどんなものがあるかと問い,尾崎の話があいまいであったり,自信なげであったりすると,すかさず切りこんで,尾崎を面くらわせた。「わたしはそのときつくづく女史の顔を見た。顔はなるほど綺麗とはずいぶん縁の遠いものであった。しかしわたしはその後いく度か会ううちに,女史の顔を美しいと思うことすらあった。とても無邪気な笑い顔だった」と尾崎はいっている。 1931年当時,スメドレーはドイツのフランクフルター・ツァイツンク特派員として,尾崎は朝日の記者としてそれぞれ中国に渡ってきていた。スメドレーは,すでに11ヵ国語に訳されている自伝小説“Daughterof Earth”をもつ国際的記者であり尾崎は中国問題に日本人としては独自の見解を示す新進の記者であった。
著者
蜂須賀 つや子
出版者
医学書院
雑誌
看護学雑誌 (ISSN:03869830)
巻号頁・発行日
vol.31, no.11, pp.46-48, 1967-10-01

6月8日,世界最大と称するロスアンゼルス郡立総合病院の組織・管理・教育などがどのようになされているか,少なからず期待と好奇心をもって見学した。私たちのバスは,まず出入口をさがして病院を巡り,がっちりした彫刻のある高層建築の玄関についた。案内図のある大机が中央にある。静かな室内である。やがて講堂に導かれて総婦長補佐役の男子看護人の挨拶と本日のスケジュールの説明があった。案内係は5人の日本人看護婦である。 午前10時。まず救急室から一般病棟,分娩室,産科病棟,陣痛室,新生児室,ショックルーム,神経内科,狭心症・糖尿病ユニット,ICU,セントラル・サービスと順にまわり,12時30分職員の食堂で昼食,再び13時25分より外来専門棟,看護学校から精神科病棟,そして最後は,小児病棟をまわった。見学内容について,他の病院と異なり,特に印象に残っている部門を紹介してみたいと思う。その前にこの病院の診療料および病床数と看護単位数を紹介したい。総ベッド数は3085床,総職員数は5,678人。