著者
西村 卓
出版者
同志社大学
雑誌
經濟學論叢 (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.456-438, 2011-12

論説(Article)明治9(1976)年8月に、京都府乙訓郡の1つの村=上植野村で玄米窃盗未遂事件が発生した。同村は、近世以来、畿内非領国の1つの特徴である、多くの領主が所領とする「相給」村で、かつ独特な水利慣行を維持してきた村であり、自治的で平準的な村柄を特徴とする村であった。そういった村内で、村人が起こした事件に対して、村は当時の法を受け入れつつも、村として事件の「犯人」とその家族を救済するために、家族の「必至難渋」を伝えることにより、憐憫の処分を強く訴えるのである。この事件は、明治維新以降の近代化の過程のなかでも、村の自治=相互扶助性が強く維持されていることを示す事例である。In August 1876, an attempted theft took place in Kamiueno village in Kyoto prefecture of Japan. This village had two distinguishing features. The first was that this village was the territory of many lords during the Edo era. The second was that the village had its own system of water supply. Both characteristics indicate that this village was self-governed and created equality among the people in the village. During the trial, the village appealed to the court of justice to show leniency to the culprit. This incident shows that a village could be self-governed and reciprocal help among village people strongly after the Meiji Restoration.
著者
西村 卓
出版者
同志社大学
雑誌
經濟學論叢 (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.668-650, 2012-03

論説(Article)鉄道は人が行き来する道をいくつも寸断し敷設されることから、当然そこには踏切施設が設置された。そのうちでも、往来の頻繁な箇所ではその踏切のそばに官舎を建て、番人を住まわせ、家族総出で踏切業務にあたらせた。明治9(1875)年7月に開通した大阪向日町間(のちに京都まで延伸)に設置された踏切のいくつかも有人の踏切であった。そのうちの1つ、京都府乙訓郡上植野村にある踏切番の官舎で、明治17(1884)年8月に強盗事件が発生した。この強盗事件は未解決のままであったが、この事件を通して、我々は村に鉄道という形で入り込んだ近代の1つの姿を垣間見ることができ、さらには、鉄道番官舎のあらまし、種々の盗品の内容から、その生活ぶりをうかがい知ることができた。また、日本に鉄道が敷設された当初、踏切は鉄道側にあったが、所収の見取り図によれば、踏切は道路側に設置されている様子である。この変化は、日本の近代化が、その急速な進行のなかで、生活に即した近代化から、近代化に即した生活への転換を象徴する1つの姿かもしれない。When the railways were built in the modern society, railway crossings were built on many points where tracks intersected roads. In particular, crossings with heavy traffic were manned by flagmen, who resided near the crossings. In 1875, the railway between Osaka city and Mukoumati town opened to traffic; it had many railway crossings, some of which were manned. In August 1884, there was a robbery at one of the crossings located in Kamiueno village, Otokuni country, Kyoto prefecture. We seek to identify the actual scene involving the flagman's house, his family, and the railway crossing through a sketch of the scene.
著者
和田 応樹
出版者
同志社大学
雑誌
經濟學論叢 (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.635-690, 2011-03

研究ノート(Note)20世紀初頭に、イギリス軍最大の植民地インドにおいて、インド軍総司令官キッチナーにより大規模な軍制改革が行われた。彼はエジプト、スーダンや南アフリカなどの海外植民地で豊富な経験を積み、広い視野を持った歴戦の軍人であった。改革により、参謀制度などの新しいシステムが導入され、インド軍は近代的な軍隊へと変化した。その過程では、インド総督ミントーも重要な役割を果たし、改革は本国政府とインド政庁間のインド支配と密接に関わるものであり、そこからは帝国主義期イギリスの実相を垣間見ることができる。Lord Kitchener was one of the most famous national heroes during British Empire's era of imperialism. Kitchener's long experience of being "colonial officer" abroad gave him a much wider frame of reference. As an administrator, soldier, or reformer, in Egypt, Sudan, and South Africa, he approached his tasks in a unique fashion. After the Bore war, in particular, as the Commander-in-Chief in India, he proposed to reorganize the Army in India in order to answer the larger needs of the Empire. Moreover, he improved the Indian staff system to increase the efficiency of the army. The then Viceroy of India, Lord Minto, supported Kitchener's reforms. As a result of Kitchener–Minto Reform, the Indian army became a more efficient unit in the British Army, serving the Empire to the extent that it did during the Great War.
著者
末永 國紀
出版者
同志社大学
雑誌
經濟學論叢 (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3, pp.696-659, 2010-01

論説(Article)松居久左衛門家(まついきゅうざえもん)は、江戸後期の近江商人を代表する商家である。本稿の目的は、江戸期から明治期にいたる150年間の松居家の資産蓄積の過程を明らかにすることと、受継いだ資産を10倍に増加させて、松居家に隆盛をもたらした三代目松居遊見(まついゆうけん)の経営理念を考察することである。遊見は、自分のみの富裕を望んだのではなく、商機を郷里の人々と共有しようとした。その考え方は、彼の信仰する仏教の教えに基づくものであった。この遊見の考え方は、自家に富をもたらしただけでなく、商人を目指す多くの後輩を育てることに結果し、地域社会へ貢献するものとなった。Kyuzaemon Matsui's family was a well-known Ohmi merchant family in the late Edo period. This paper aims to clarify the Matsui family's asset accumulation process over the 150 years from the Edo period to the Meiji period, and to examine the business management principles of Yuken Matsui, a third generation family member, who decupled the inherited family wealth and brought prosperity to his family. Yuken not only pursued the family's prosperity but also shared business chances with the local people. His attitude, based on the teachings of Buddhism, brought wealth to his family and contributed to the local society by successfully producing many new merchants.
著者
西村 卓 Takashi Nishimura
出版者
同志社大學經濟學會
雑誌
經濟學論叢 = Keizaigaku-Ronso (The Doshisha University economic review) (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.170-107, 2014-07-20

本稿では、京都市上京区東魚屋町で豆腐製造と行商を家業とする入山音治郎という人物の書き残した1938年の「家計日誌」をもとに、日中戦争期の「高揚」のなか、京都市中の一家族がどのような生活をおくっていたかを明らかにした。それは、戦争をただの戦史や国家史の流れのなかでのみ捉えるのでなく、「生きる」、「楽しむ」、「交流する」、「支える」という日常の家族と地域コミュニティの側から見据えることでもある。そこにこそ戦争のリアリティが存在することを銘記したい。
著者
和田 応樹 Masaki Wada
出版者
同志社大學經濟學會
雑誌
經濟學論叢 = Keizaigaku-Ronso (The Doshisha University economic review) (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.635-690, 2011-03-20

20世紀初頭に、イギリス軍最大の植民地インドにおいて、インド軍総司令官キッチナーにより大規模な軍制改革が行われた。彼はエジプト、スーダンや南アフリカなどの海外植民地で豊富な経験を積み、広い視野を持った歴戦の軍人であった。改革により、参謀制度などの新しいシステムが導入され、インド軍は近代的な軍隊へと変化した。その過程では、インド総督ミントーも重要な役割を果たし、改革は本国政府とインド政庁間のインド支配と密接に関わるものであり、そこからは帝国主義期イギリスの実相を垣間見ることができる。
著者
東 良彰 Yoshiaki Azuma
出版者
同志社大學經濟學會
雑誌
經濟學論叢 = Keizaigaku-Ronso (The Doshisha University economic review) (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.69, no.4, pp.675-712, 2018-03-20

本稿では、Eggertsson and Mehrotra(2014)の世代重複モデルを中心に、長期停滞に関連する文献や理論を整理し、日本の長引くデフレ不況について考察する。本稿で特に着目したいのは人口動態の変化がもたらす影響である。またデフレ不況と流動性の罠から抜け出すために必要な政策についても整理する。