著者
西村 玲
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.75, no.3, pp.643-663, 2001-12
著者
西村 玲
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.69-91, 2007

本論は、近世の仏教思想家であった普寂の思想から、近世から近代にかけての大きな問題であった大乗非仏説の問題を考察する。普寂の大乗論を通して、近世仏教の思想的意義を示すと共に、近世から近代への思想史的水脈の一つを明らかにする。普寂の大乗論は、華厳の教相判釈にもとつく実践論である。普寂にとっての教相判釈は概念的な理論ではなく、自らが生きて実行すべき修行の道程であり、魂が何生もかけて上昇していく階梯である。普寂は、華厳の教理を理論的基盤として、教判を実践することによって、自らの内部においては大乗非仏説を大乗仏説へと転換させた。思想史的に言えぼ、富永仲基に代表されるような合理的思惟方法は、教判を生きる普寂の宗教性を生んだ。近世仏教における両者のダイナミックな連関は、思想史深部の水脈として近代仏教へと流れ込み、村上専精をはじめとする近代仏者の精神的基盤の一つとなった。
著者
西村 玲
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.3, pp.661-681, 2010

中国におけるキリスト教布教は、イエズス会によって十六世紀末に始まった。十七世紀初頭に出版されたマテオ・リッチの教理書『天主実義』において、天主は無始無終の存在であり、万物の根源とされた。これに対して、明末高僧の雲棲〓宏は、天主は万億の神々の一人に過ぎず、抽象的な理でしかない、と批判した。次世代にあたる臨済禅僧の密雲円悟は、自己内心の普遍性である大道を主張し、弟子の費隠通容は大道の世界観を論じる。通容は、大道は虚空のように万物を包含すると同時に内在しており、悟りの有無にかかわらず天地と自己は本来的に一体であるとした。〓宏から通容までの天主批判は、仏者が異質な教えであるキリスト教に出会うことによって、仏教にとっての普遍性と世界観を自覚し、表現していった過程とみることができる。それは唯一絶対の他者である天主を踏切板として、遍在する虚空の大道が普遍として定義され、天主に対置されていく思想的道筋であった。
著者
寺尾 寿芳
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.369-391, 2003

現代日本におけるカトリック教会が秘めるNPO的な可能性に配慮しつつ、宗教経営学の観点からことにその組織マネジメントを模索していく。現代の教会は、成長期であった戦後復興期と同様に生活上での激変つまり生活有事といえる事態を迎えるなかで、変革への条件を満たしつつある。また伝統的な小教区教会とその周辺に発生する諸共同体を加えた拡大形態を教会共同体と名づけるが、そこでは外国籍信徒の生活有事を背景とした流入により、「無縁」の原理さらにはコムニタスを体現したアジールたることが要請され、また文化相対主義に通じる多文化主義を採用せざるをえない現状を呈している。聖職者や修道者は場のマネジメントにおいてファシリテーターであり、現場の状況に添った形で教会共同体を運営する。ことに司祭は外部の公共イベントへの参加などを通じ、社会的認知の獲得のため、開かれた祭儀を企画するプロデューサー的機能を発揮する。このような視圏を提供する宗教経営学は共生の技法と呼べるものであろう。