著者
富田 武
出版者
成蹊大学
雑誌
成蹊法学 (ISSN:03888827)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.15-65, 2008-03-25
著者
富田 武
出版者
ロシア史研究会
雑誌
ロシア史研究 (ISSN:03869229)
巻号頁・発行日
no.70, pp.4-7, 2002-05-25

ここでは、「はじめに」としてセッションの狙い(事前にニューズレターに発表)、「報告と討論の概要」、メリチュホーフ報告の全訳(当日、一部参加者に配布)、略年表(当日、全参加者に配布)を掲載します。翻訳も含めていっさいの文責は、本セッションの企画責任者で当日の司会者、富田武にあります。
著者
石井 規衛 横手 慎二 富田 武 和田 春樹 劉 孝鐘 水野 直樹 ADIBEKOU Gra
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1998

本研究の目的は、モスクワのロシア国立社会政治史文書館(旧ソ連共童党文書館)に所蔵されており、あらたに閲覧が可能となったソ連共産党攻治局の日本関係文書とコミンテルンの日本共産党文書を網羅的に調査し、あわせて朝鮮共産党文書についての予備的調査をおこなうことである。現地の研究分担者に第一次目録を作成してもらい、2年間に4回、のぺ8人、私費で2回、のべ3人が現地調査をおこなった。コミンテルン文書については、日本共産党文書(617ファイル)、日本委員会文書(9ファイル)、クーシネン書記局文書(100ファイル)、片山潜文書(96ファイル)の閲覧を終え、コミンテルン書記局文書、東洋委員会文書などを必要に応じて点検した。以上の検討結果、コミンテルンの日本関係文書については検討を完成し、必要な資料のコピーを入手した。朝鮮共産党にかんしては、朝鮮共産党文書(247ファイル)を閲覧したが、資料の入手は一部にとどまった。攻治局の日本関係文書については、金期間の検討を終了し、必要な資料のコピーを入手した。これらの獲得した資料から最重要の資料を選択し、「資科目録 コミンテルンと日本共産党 1917-1941」を作成し、それに研究論文「コミンテルンと日本共産党」を作成し、合わせて資料註を用意して、『資料集 コミンテルンと日本』を準備した。資料を翻訳の上、出版する予定である。政治局の日本関係文書については、ロシア語で『解説目録ソ連共産党攻治局議事録における日本 1921-1941』を完成した。12月にはロシア側の研究分担者G.アジベーコフ氏を日本に招き、作業の調整をおなうとともに、わが国の専門家を招いた、成果の発表をおこなった。
著者
江崎 孝三郎 早川 純一郎 富田 武 尾藤 惇一 野沢 謙 近藤 恭司
出版者
公益社団法人 日本畜産学会
雑誌
日本畜産学会報 (ISSN:1346907X)
巻号頁・発行日
vol.33, no.3, pp.218-225, 1962 (Released:2008-03-10)
参考文献数
20

1. 長野県西筑摩郡の農家に飼育されている,いわゆる木曾馬の毛色に関して,1860年前後の古文書より,当時の状態を調査した.1943年以降は,「産駒登記原簿」および「伝染貧血症検査台帳」により,また直接に観察して,各種毛色の頻度の推移を調査した.2. 木曾馬産駒集団においては,年々鹿毛は増加,青毛は減少の傾向にあり,栗毛はほぼ一定の割合を維持している.河原毛および月毛は,合計してわずかに5%以下であつた.すなわち,遺伝子aの頻度qaは,1943年に約0.55であつたが,次第に減少して,1960年には約0.35となつた.遺伝子bの頻度qbは約0.45で,1943年以来この値を維持している.遺伝子Dの頻度qDは約0.02であつた.3. 以上の事実は,遺伝子A~aに関しては移行多型(transient polymorphism),遺伝子B~bに関しては平衡多型(balanced polymorphism)となつていることを示している.4. 木曾馬産駒集団における毛色の多型の維持と推移の機構に関して,種畜の選択に際して働く淘汰選抜の作用と,種畜から次の世代に移る間に働く淘汰に注目して,分析を行なつた.その結果,遺伝子aには,その頻度を減少させる方向に,上記二つの淘汰が相加的に作用すること,また遺伝子bに関してはは,前者がその頻度を,減少させる方向に,後者が増加させる方向に働いていることが判明した.そして,これら二つの要因によつて,鹿毛,青毛および栗毛の年次的変遷を遺伝的に説明することができた.
著者
大野 民生 石川 明 山縣 高宏 並河 鷹夫 富田 武
出版者
Japanese Association for Laboratory Animal Science
雑誌
Experimental Animals (ISSN:00075124)
巻号頁・発行日
vol.41, no.2, pp.123-129, 1992-04-01 (Released:2010-08-25)
参考文献数
8
被引用文献数
9 8

行動異常変異形質がスンクスの実験室系統において発見された。行動異常個体は左右両方向への旋回行動と水平方向の首振り行動を特徴としており, 少なくとも生後10日齢において, 明確に判別できた。これら異常個体は生涯, 安定的かつ継続的に異常行動を示した。交配実験により, この行動異常形質は常染色体性の単一遺伝子座の劣性遣伝子により支配され, 浸透度は完全であることが判明した。さらに家系解析により, この遺伝子は沖縄県宜野湾市で捕獲した1匹の野性雄個体に由来することが判明した。そこで, この行動異常形質を「Waltzing」と命名し, 遺伝子記号wzを提唱した。Waltzing個体は旋回行動や首振り行動のほかに, 尾を持って持ち上げると体を頻繁にくねらせたり, 水中で頭部をまったく水面上に維持できない行動を示す。それ故, 一連の異常行動は平衡感覚器の異常と関係があると予想された。しかし, 行動異常個体は, 妊娠期間・産仔数・離乳率および体重についてほぼ正常であり, 毎世代30匹以上から成る閉鎖集団 (WZライン) として育成されている。
著者
富田 武
出版者
ロシア史研究会
雑誌
ロシア史研究 (ISSN:03869229)
巻号頁・発行日
no.77, pp.36-52, 2005-12-28

Среди тем относительно японо-советских отношений в межвоенный период мало изучены и в России и в Японии переговоры о рыболовстве японцами в советских водах по рыболовной конвенции 1928 г. Автор анализирует главные аспекты первых переговоров после действия конвенции, т.е., о выделе рыболовных участков для советских государственных предприятий, о вопросах возникающихся в результате торгов 28-го февраля и 5-го апреля 1929 г., особенно о передаче взятых с торгов советских участков япоиским мелким рыбопромышленникам и о передаче взятых с торга Удой участков акционерному обществу Ничиро. Выяснится во-первых, что японская сторона не всегда была однородной по отношению к советской стороне, т.е., существовали противоречия между МИД и Министерством земледелия и лесного хозяйства, между МИД и Кумиай (Союз рыбопромышленников работающих в советских водах), между Ничиро и мелкими рыбопромышленниками среди Кумиай, и что МИД стремилось регулировать вышеуказанные интересы и найти компромисс в переговорах с советской стороной. Во-вторых, что советская сторона, несмотря на её враждебность против Ничиро, монополиста в рыболовстве в данных водах, имела объективно общую почву с ним против мелких рыбопромышленников во время деклаляции Кумиай "свободного рыболовства" как способа давления на советскую сторону. В-третьих, что мелкие рыбопромышленники имели свои средства информации и даже переговоров непосредственно с советской стороной и, поэтому, возникалось то дело, что посол Трояновский спровоцировал Уду участвовать на торг 5-го апреля и взять 77 участки раньше использованных Ничиро. Автор сделает вышеуказанный анализ, используя не только документы архива МИД Японии, но и документы АВП РФ которые очень редко использовались относительно данной темы. Выяснится несколько фактов, например, секретная записка Трояновского Карахану 26-го апреля 1929 г. подтверждает слух провокации послом Удовского дела который распространился тогда внутри и около МИД Японии.
著者
富田 武
出版者
藤原書店
雑誌
巻号頁・発行日
vol.30, pp.310-327, 2007
著者
加藤 節 西崎 文子 亀嶋 庸一 富田 武 藤原 帰一
出版者
成蹊大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1999

近年、「内戦」が冷戦終結後の世界における戦争の新たな形態として頻発し、人々の関心をよんでいる。しかし、ふりかえってみると、20世紀全体が「戦争と革命の世紀」であるとともに、あるいはむしろそれゆえに、すぐれて「内戦の世紀」であった。今世紀は、ロシア革命に続く内戦から、ユーゴあるいはアフガニスタンの内戦に至るまで「内戦」を構造的に反復し続けてきたからである。本研究は20世紀がなぜそのように「内戦」を反復し続けてきたかを、多様的領域を専門とする政治学者の共同研究によって解明することを目的として発足した。その場合、本研究では次の三点に留意して分析を進めた。「内戦」を国民国家の擬制的性格に関連づけること、国民国家形成期における「内戦」の諸相に歴史的な光を当てること、国民国家体系としての現代世界における内戦の要因に理論的な考察を加えることがそれである。こうした作業を通して、本研究は歴史と理論との両面から「内戦」に政治学的考察を加えることができたと考えている。