著者
磯野 秀明
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.1-15, 1998

コミュニケーション・プロセスにおいて, 情報の送り手と受け手の間で意思疎通や相互理解がうまくいかないなどのディスコミュニケーションは日常的に起こり得ることである。ディスコミュニケーションは単に人間同士のコミュニケーションだけでなく, 情報技術を1つの基盤とした現代の情報化社会においては, コンピュータとのコミュニケーション, コンピュータや通信機器などを介したコミュニケーション及び企業など組織で戦略的に必要とされている情報システムにおいてもディスコミュニケーションの問題は避けられない。ここでは, ディスコミュニケーションの現象のいくつかを示すと共に, ディスコミュニケーションが何故起こるのかを中心として, 対人コミュニケーション, ヒューマン・マシンコミュニケーション及び情報システムにおいて, この問題の原因などを検討してみた。コミュニケーションにおける情報の発信は, 特に情報の受け手に何が起こるかということを認識することが重要となり, 情報が正しく伝わったとしても, 情報の受け手の立場・気持ちにそぐわなかったら, それはディスコミュニケーションということになる。
著者
谷津 貴久
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.57-67, 2000-03-15

反応時間の確率分布モデルをデータに適用する際, 複数のモデルを比較選択する方法としてAIC(Akaike information criterion)の利用が挙げられる。しかしAICによって常に真のモデルを選択することができるのかという疑問が生じる。本稿では, 対数正規分布・ガンマ分布・複合指数分布・指数正規合成分布・指数ガンマ合成分布・ガンベル分布・ワイブル分布・ワルド分布の8種の確率分布に対して, AICにより真の分布を正しく選択できるのかどうかを計算機シミュレーションにより検証した。その結果, 複合指数分布と指数正規合成分布が真の分布である場合にははAICによって正しく選択することができず, 試行数が100以下ではどの分布も正しく選択することが困難であることが分かった。また, 真の分布にかかわらずガンマ分布が選択される率が高いという結果も得た。以上より, AICのみによって反応時間の確率分布モデルを選択することには慎重になるべきであると結論した。
著者
松井 洋
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.131-153, 1999

日本の中学生・高校生の価値観について国際比較研究を基に分析した。対象は, 日本, アメリカ, 中国, 韓国, トルコ, キプロス, ポーランドの7ヵ国の中学生・高校生, 合計6055名。調査内容は, 現代日本の中学・高校生を特徴づけると思われる自己中心一他者志向, 個人生活志向一共同体志向, 物質主義一精神主義, 外的統制一内的統制, 現在志向一将来志向の5つの価値観に関する計10問について質問紙調査を行った。結果は, 日本の中学生・高校生は韓国と同様に, 自己中心性, 個人志向, 物質主義が強いが, 韓国と異なり外的統制も強く現在志向も韓国より強かった。このように日本の中学生・高校生は「小さく内向きの悪しき個人主義」というような傾向がみられ, このような価値観が「遊び型非行」に代表されるようなわが国の青少年の問題の背景となっていると考えられる。
著者
坂口 早苗 坂口 武洋
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.127-143, 2004-03-15

The frequency and duration of tobacco-related scenes, including cigarette smoking, side stream smoke, tobacco packs, purchasing, and an ashtray with many cigarette ends, an ashtray without cigarettes etc., were measured in Japanese television dramas, a film and a talk show. A very high frequency or tobacco-related scenes was observed on television screens when the main actor was a smoker. To prevent young people from smoking, we need to make tobacco-free television dramas, films and talk shows. Reducing tobacco-related scenes would help change the Japanese social norm of being highly tolerant of smoking.
著者
川名 好裕
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.37-52, 1999

香港返還1年後に香港の主要マスコミ関係機関を訪問し, 聞き取り調査を実施した。この聞き取り調査実施の主目的は, 返還後の香港マスコミ界の言論・報道の自由の行方を調査すること, 香港マスコミ界の特徴を明らかにすることであった。本報告では, 香港のマスコミ公的機関, 新聞社業界, 放送業界について報告し, 言論・報道の自由が返還1年後の時点において, おおよそ守られていること, および, 新聞業界における紙面づくりの工夫などの新しい動向と, 中国本土市場を見込んだ衛星放送業界の新しい展開等を報告する。
著者
細井 香 内海崎 貴子 野尻 裕子 栗原 泰子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.121-132, 2007-03-15
被引用文献数
1

【目的】現在, 子どもの遊びは縮小・喪失している。1970年代に比べ, 遊び空間や遊び場, 子ども同士で遊ぶ体験などが減少し, 遊びの種類も, ひとり遊びや室内での遊びに変化していることが明らかとされている。遊ぶ体験や遊び場を確保することが難しい現代において, 幼稚園や保育所で遊びを提供する保育者の役割は重要である。本研究では, 保育者養成課程学生が, 幼児期にどのような遊びを体験してきたのか, 特に保育の場に限定し調査を実施した。今回の調査から, 個々の遊びの経験差について把握することで, 今後の実習指導における基礎的資料を得ることを目的とする。【方法】保育者養成課程の1〜4年生の学生187名(男性61名, 女性126名)を対象に, 性別, 通っていた保育機関(幼稚園, 保育園別), 幼児期の居住地(都道府県), 記憶している遊びについて, アンケート調査を実施した。【結果および考察】遊びの種類は, 屋外で24種類, 室内で!5種類あげられた。遊びの数の一人当たり平均は, 屋外で男性4.3種類, 女性4.6種類であった。また室内では, 男性1.8種類, 女性3.5種類と, 若干性差がみられた。全体的には女性の方が多くの遊びを記憶している。屋外の遊びでは, 男性で砂遊びやボール遊び, かくれんぼの回答が多く, 女性では鬼ごっこ, 伝承遊び, 泥遊び, 草花遊びなどが多くあげられ, また固定遊具での遊びが男性よりも多かった。室内遊びに関しては女性の回答が非常に多かった。
著者
湯浅 弘
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.133-145, 2003-03-15

『風土』において利辻哲郎は人間存在の時間性と空間性, 歴史性と風土性を機軸とする人間存在論を提示した。その人間存在論は, ハイデガーの『存在と時間』の批判的摂取を前提としたもので, 現象学的解釈学の系譜に属す人間存在論と見ることができる。そうした思想史的な系譜からも窺えるように, 『風土』での和辻の基本的なスタンスは, デカルトに端を発する主客二元論に抗して人間の生の具体的現実に定位しその構造を明らかにしようとした点に求められる。和辻は, 自らのヨーロッパ留学体験をもとに風土の三類型を提示しつつ, 人間の生の必須の構造契機として人間存在の歴史性・風土性を明らかにしようとしたのである。その試みは, 言わば, 空間(時間を含んで)を生きる人間の生と人間によって生きられる空間(時間を含んで)との密接不離の関係を探査する試みであったと見ることができる。本論文は, 風土論としての先駆的な業績である『風土』を和辻の倫理学体系の成立と絡めながら, 『風土』の諸問題について若干考察しようとするものである。
著者
翠川 文子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.152-132, 2004

大枝流芳の通行の略伝の内容の検証と諸資料による大枝流芳研究の手がかりを紹介する。大枝流芳の本名は岩田信安、本姓は大江、大枝流芳は版本の筆名。号は漱芳ほか、多く隠逸趣味を反映している。流芳は難波でも由緒ある家格の富家の出身。多病のため世事から離れ京都に享保年中まで隠棲し貝合から始まりさまざまな雅遊の故実について漢籍・古典を渉猟し筆録し考察を加えていた。大坂に本拠を移したのは享保15、16年。香道への関心を強めたのはその頃か。享保17年御家流の口伝を受けていた大口含翠に香道伝授を願って弟子入り。含翠の香道三流に通じた解釈と幅広い知見と多くの伝書の提供を受けた流芳は、含翠とともに伝統的な公家の雅びの世界としての香道御家流を新たに作り上げた。流芳の編著について『国書総目録』に加筆訂正を行った一覧を記す。流芳の没年については新資料と推定を紹介する。
著者
坂口 武洋 佐藤 仁美 坂口 早苗
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.18, no.3, pp.55-80, 2007-03-15

日本の初期の伝染病に対する政策は,主として,1897年に制定された「伝染病予防法」にしたがってなされてきた。しかしながら,これらの法律では,活発な国際交流,航空機の発展にともなう大規模な移動のできる時代になって,感染症予防のニーズに答えきれなくなってきた。1970年以来30以上の新興感染症(エボラ出血熱,重症急性呼吸器症候群等)が世界中で発生している。また,既に克服したと思われていた感染症(結核,マラリア等)が再興感染症として再度ヒトを脅かすなど,感染症を取り巻く状況は激変している。さらに,医学・薬学・人文科学の進歩発展により,健康に関する国民の公衆衛生学,人権尊重,公正管理,政策の透明性等への要求も大きくなっている。そこで,感染症に対する施策が見直され,「性病予防法」,「後天性免疫不全症候群(AIDS)予防法」の感染症個別法が廃止統合され,1998年「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症法)が制定された。しかし,ここ数年の間に,感染症の変化や脅威に対応する必要性は一段と増し,感染症に対する施策をより促進するための改正がなされつつある。
著者
野尻 裕子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.169-178, 2004-03-15

わが国には明治期に多くの西洋文化が移入された。近代欧米公園もその一つで,明治36年に開園した日比谷公園は従来の日本型公園を欧米型公園へ転換した画期的な公園といわれている。またそこに設置された児童用遊び場は,東京における初めての近代的児童公園とされている。本稿では,昭和初期に記された日比谷公園児童公園指導員末田ますの資料(『児童公園』昭和17年)から,当時の児童公園の存在の意味と指導員の役割を,健康観という視点から検討した。その結果,戦局下において「国民の体力強化」というスローガンが国中に鳴り響いていた昭和初期には,子どもの遊び場である児童公園もその対象となっていたと考えられる。また母子厚生運動を経験する場としても児童公園は存在していた。単に「子どもが遊ぶ場所」にとどまらず,子どもの遊びに母親が参加する中で,厚生指導を行うことが有効な手段と考えられており,その際の指導員の役割は大きかったと思われる。
著者
藤井 信行
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.18, no.3, pp.37-53, 2007-03-15

観光学の中の一分野として「観光歴史学」の設立を試みた。私たちの時代に残る歴史的財産を,確実に次の世代に残していくための学問的な体系化である。その際「観光歴史学」に2つの目的を設定した。1つは,そうした歴史的財産を観光資源として再生することであり,いまひとつはその保存と活用を考えることである。保存・活用という問題はマネジメントの問題であり,もちろん歴史学にそんな分野はない。ここに歴史学にはない「観光歴史学」の存在意義がある。小論は,まず観光資源としての再生という点に関して,ケーススタディとして世界遺産トロイヤの遺跡をとりあげ,その観光歴史学的考察を試みたものである。
著者
石井 龍一
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.33-48, 2006-03-15

国際的な安全保障の枠組として,国連本体(安保理,総会)と地域主義の双方を考える必要があるが,これを国連憲章レジームと名づけることができる。この様なレジームに対する各国の国内世論上のイメージ,信頼度には差異がみられ,これが各国の政策面にも影響を与えている。同時に,戦後秩序の一部変更としての意味をもつ安保理常任理事国の再構成についての日本の国内世論上の支持は,強いナショナリズムと強いインターナショナリズムの複合を背景としている点で,他に見られない特色を持っている。しかし,アメリカ等は政策上その安全保障の枠組として,上記のレジームに依拠していることを背景として,安保理常任理事国の再構成をこのレジームから切り離して推進するインセンティブを特に有していない。従って,このレジームそのものを対象とした安全保障の再構築,特に中国等との東アジア地域での政治・外交的な調整が伴う場合にのみ,右の意味のインセンティブが現実化し得る。以上を,各国の世論調査等の動向を勘案しつつ,若干論じた。
著者
内海崎 貴子 安藤 隆弘
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.193-209, 2003-03-15

「学制」の実施要領とされている『学制一覧』は, これまで, 学制取調掛長三洲の編輯によるものとされ, その刊行時期は不明であった。また, その体裁や内容についての詳細な研究はなされていない。 筆者らは『学制一覧』の現物を入手することができたことから, まず, その体裁を精査し刊行時期の特定を試みた。具体的には, 書誌学的観点から『学制一覧』の仕様, 版元を明らかにした。さらに, 『学制一覧』の掲載内容と「学制」関連文部省布達とを比較することによって, その編輯者と刊行時期について検討を加えた。 その結果, 以下の3点がわかった。1.『学制一覧』の編輯者は学制取調掛長三洲ではなく, 三洲の弟で, 「学制」発布の頃の文 部省職員長冰であった。長三洲と長冰は別人である。2.『学制一覧』の刊行時期は, 1873 (明治6)年3月18日から3月28日の問に限定するこ とができた。3.『学制一覧』は, 『学制』, 『小学教則』, 『中学教則略』と同様に, 首題はあるが尾題のな い木版印刷書籍であり, 書誌学的特徴として, 匡廓に凸廓が用いられている極めて稀な例 であった。
著者
鍾 清漢
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.147-176, 2000-03-15

中国大陸でも,台湾でも,客家の人口は決して多くはないが,なぜか多方面に人材を輩出している。中華人民共和国で一1一も尊敬されている中華民国の国父・孫父と,革命に情熱をかけ,若き血を流した黄花山岡七十二烈士の半数以上は客家であった。中国史上はじめて直接選挙で選ばれた台湾総統の李登輝,中国を改革開放に導いた〓小平,シンガポール建国の父,李光耀(リーグァンユー),及び現首相の呉作棟(ゴーチョクトン),フィリピンのコラソン・アキノ元大統領はみな客家の血が流れている。台湾最大野党の前主席・許信良も台湾中歴出身の客家である。そして毛沢東とともに中華人民共和国をつくった朱徳,中国の前首相・李鵬,現首相・朱鎔基,副首相・鄒家華,前共産党総書記・胡耀邦,前国家主席・楊尚昆,四人組打倒の葉剣英元帥等,現在の中国の政治リーダーにも,客家出身者がきら星のごとく肩を並べている。また,歴史上の人物にしても,唐の名宰相・張九齢,名将・郭子儀,宋の兵飛,朱熹,欧陽修,文天祥,明の王陽明,袁崇煥,明末の遺臣で徳川光圀公の師匠として儒学を教えた朱舜水,清の洪秀全,楊秀清,石達開,黄遵憲,台湾抗日義士の唐景〓,劉永福,丘逢甲,呉湯興,徐驤,羅福星,清末抗清義士の鄒容,温生才,朱執信,廖仲〓らはみな客家の出身である。東南アジア等,海外で活躍した人材も多い。なかでも,大唐客長の羅芳伯,東南アジアの巨商・張振勲,タイガーバーム王・胡文虎,ハートヤイ開拓の始祖・謝枢泗,バンコク銀行の陳弼臣,在米フィクサー・陳香梅,マレーシア大蔵副大臣・黄思華,カナダ総督ゴービーンツの母親,ネクタイ王・曽憲梓らがよく知られている。また,著名な文学者の郭抹若,林海音,鍾肇政,音楽家の馬思聡,戴雨賢,映画監督の侯孝賢,サッカーの李恵堂など,枚挙にいとまがない。昨年(一九九九年)十一月四日から七日までクワラルンプールで第十五回世界客家懇親大会が催され,世界各地からおよそ二千人の代表が集った。大会の除幕式の挨拶に立ったマハティール首相は「クワラルンプールの発展史の中でもし華人『カピタン』(英植民地政府が華僑リーダーに贈った尊称)の貢献が歴史に記載されなかったらクワラルンプール発展史は完壁なものではない」と指摘した。とりわけ,客家人がマレーシア政府の部長(大臣)や各団体の要職に多く活躍していることについて高く評価した。たしかにこれらの優れた才能で世人の注目を集めた人々は,記念すべき先達である。本稿はきらめく客家の人物群像から,八名だけ取り上げて,簡単に紹介する。
著者
藤井 信行
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.12, no.3, pp.47-61, 2001-03-15

小論は, 第一時世界大戦の勃発と当時のイギリス外交政策をヨーロッパ国際関係史の立場から考察したものである。具体的には, 研究史の考察をとおして第一次大戦の開戦原因を明らかにし, 開戦に至るヨーロッパ国際関係の中でボスニアとサライエボ事件に対するイギリスの外交政策を比較した。イギリスは, 不承不承ながら対ドイツ宣戦を行ない, 参戦した(1914年8月4日)。この時, イギリス帝国は即座の脅威を受けていたわけではなかったし, その参戦もドイツを打ち負かすことを目的としたものでもなかった。イギリスは, ロシアとの友好を維持し, フランスを救うために参戦したのであった。両国との協商政策の必然的結果と言ってよい。さらに, イギリスの参戦決定(8月3日)は, 閣内で充分に議論された上での決定であったとは言い難いものであった。このことは, ただ内閣にのみ責任があるということではなく, ほとんどの政治家や外務省スタッフも内閣とさほど変らぬ認識だったことを意味している。参戦に対するこの程度の認識がそのまま, 第一次大戦前10〜15年のイギリスのヨーロッパ国際関係に対する認識そのものだったのである。