著者
信夫 隆司
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.43-90, 2001-07-01

松尾鉱山は、かつて、東洋一の硫黄鉱山であるとか、「雲上の楽園」と言われた。閉山からすでに30年以上が経過し、松尾鉱山の栄華を知る人も数少なくなってきている。今日では、松尾鉱山から出る強酸性の坑廃水の処理問題だけに関心が行き勝ちである。しかし、この問題が登場する背景をわれわれはきちんと理解しておく必要がある。そのため、本稿では、1914(大正3)年に松尾鉱業が創立される由来にまで遡り、松尾鉱山の歴史を紐解いてみた。また、松尾鉱山の生みの親である松尾鉱業初代社長中村房次郎の事跡をたどりながら、第2次世界大戦までの30年あまりにわたる松尾鉱山の歩みを跡づけた。
著者
伊東 栄志郎
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.89-102, 2012-05

T. S.エリオットは、「『ユリシーズ』、 神話と秩序」で、ジェイムズ・ジョイスは『ユリシーズ』を「神話的方法」で書いたと説明した。しかしながら、ジョイスは単に1904年のダブリンを『オデュッセイ』に平行して書いたのではなかった。彼は多くの非ヨーロッパ的要素をテクストに織り込み、ダブリンを多国籍化/国際化したのだ。本稿は、ジョイス作品群におけるユダヤ、アラビア的要素を含めたオリエンタル・モティーフを再考することを目的とする。とくに『アラビアン・ナイト』とコーランへの引喩は独立した章で分析される。キリスト教徒は聖書に描かれたユダヤ民族の歴史や民話に馴染んできた。ユダヤ人はオリエントとヨーロッパの境界に生きてきた。中世以来、ユダヤ人は西洋において、西洋人としてもオリエンタルとも見なされてきた。ユダヤ的あるいは他のオリエンタルな要素を考察することが、ジョイスの文学的東方への旅を理解する第一歩となり得るのである。「食蓮人たち」挿話の最後で、ブルームはトルコ式風呂でくつろぐ自分の姿を想像する。『ユリシーズ』では預言者ムハンマドが3度、『アラビアン・ナイト』のいくつかの物語も言及される。『フィネガンズ・ウェイク』では、ショーンはシェムのことをこう言う:「おれはやつの姿全部のコーラン定足数を、おれの網膜歳入に入れてるんだ、ムハンマドーン・マイク」(FW 443.1-2)。ジョイスは、ジョージ・ラッセルやW.B. イェーツに影響されて、神智学やオリエント研究にダブリンで興味を持った。大陸へ亡命して、彼はユダヤ人に興味を持った。そのことは『ジァコモ・ジョイス』や『ユリシーズ』に反映されている。ジョイスのトリエステでの蔵書はユダヤ人に関する数冊やアルマンド・ドミニチスによる『アラビアン・ナイト』の伊語訳も含んでいた。1920年ジョイスはパリへ行き、不特定多数の非ヨーロッパ人に出会うことができた。ジョイスのパリでの蔵書(1930年代後半)は、アングロ・アイリッシュの著名なオリエント学者リチャード・F・バートンの英訳『千夜一夜物語』やJ.-C. マードルの仏訳コーランも含んでいた。外国に暮らし、生涯を通してジョイスはダブリンを多国籍化手法で描いたが、部分的には、それは彼のキリスト教に対する双価性と東洋の他宗教の容認のおかげなのである。
著者
細谷 昂 小野寺 敦子
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.187-216, 2006-03-01
被引用文献数
3

近年農産物直売所が、関心をよんでいる。岩手県内でもあちこちの道路際に、果物や野菜を並べた直売所をよく見かける。しかし、ひるがえって農産物直売所とは何か、と考えると、答えはそう簡単ではない。いわゆる「産直」には違いないが、「産直」にもさまざまな形態がある。近ごろでは、スーパーマーケットにさえ、「産直コーナー」が開設されているほどである。さらに、農産物直売所は何を目指すべきか。農産物直売所にとって成功とは何か、となると、いっそう問題は難しくなる。農家の所得を増やすためであることはむろんだが、売れればよいかというと、問題はそう簡単ではないように思う。販売高からすれば、スーパーマーケットに到底かなわないのが多くの実情であろう。それにもかかわらず生産者側からも消費者側からも広く関心をよんでいるのはどのような特性にあるのであろうか。この稿では、まず前提的な作業として日本の青果物流通のなかでの直売所の位置づけ、その特質についてやや理論的な考察をおこなった上で、岩手県内の直売所に対するアンケート調査および面接調査の結果によってその実態を明らかにし、農産物直売所は何を目指すべきか、農産物直売所にとって成功とは何か、という問いに対する回答を模索してみたい。得られた結論はこうである。青果物直売所の成功は、売上高だけで測定されるようなものではなく、個別生産者のそれぞれの生産物の消費者への直接販売という特質が、そのことによる人格性、個別性の発揮という特質がどれだけ生かされているか、その基盤として小経営の小規模生産の特質がどれだけ発揮されているか、という観点から評価されるべきであり、さらにいえば経済的意義だけでなく、消費者との、あるいは生産者相互のパーソナル・コミュニケーション、そして地域活性化への寄与、などさまざまな社会的意義をも含めて、多面的な観点から評価されなければならない。
著者
佐藤 智子 佐々木 肇
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.8, no.2, pp.115-133, 2007-03

1989年5月、松尾村は村制百周年記念行事の一つとして、八幡平音楽祭を開催した。招かれた音楽家は、オーストリア音楽大学のピアニスト、エリカ・ディヒラー教授と、オーストリア在住の声楽家佐藤喜美子氏で、招聘の仲介をしたのは松尾村の誘致企業であるグローバル伸和製薬の工藤忠利社長であった。松尾村の国際交流を考察するにあたっては、オーストリアという国と音楽、そして佐藤氏と工藤氏の存在が大きな意味をもつ。さらに、「国際交流は、音楽を通じて行うのが効果的であり、しかも感性豊かな子どもの時に行うのが理想的である」と主張し、中学生海外派遣事業を推進した石羽根重志村長の見識も重要である。本論では最初に、音楽と中学生海外派遣事業が、どのようにして松尾村とアルテンマルクト町を結びつけたのかを解き明かした。そして次に、友好都市提携後どのような交流へと発展していったのか、その軌跡を辿った。最後に、1994年の友好都市締結後10余年が過ぎた両町村の交流は、2005年8月20日の松尾村閉村式へのアルテンマルクト町民の参加を除いては、ここ3年間休止状態に陥っているが、その原因はどこにあるのかを考究した。
著者
佐藤 智子 黒岩 幸子 佐々木 肇
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.215-243, 2000-11-01

1999年9月、岩手県の全市町村に対して実施した「姉妹都市および国際交流に関するアンケート」は、100%の回収率で集計、分析を行った。岩手県内の9市町およびその提携先であるアメリカ、カナダ、オランダの8都市については、現地に出向いて調査も行った。これらの結果を総合することにより、岩手県の市町村レベルにおける姉妹都市および国際交流の現状と問題をある程度把握することができた。政治・経済・文化の中心地東京から遠隔の地というイメージが強く、国際化や国際交流とは疎遠と思われている岩手県だが、県内59市町村の約3割にあたる18市町村が10カ国23市町と姉妹都市提携を行っており、市町村レベルでの積極的な国際交流への取り組みの姿勢が見られた。岩手県の姉妹都市交流の特徴は、欧米先進国志向、青少年交流、官主導に集約される。この三つの特徴は、岩手県の姉妹都市交流の推進力であると同時に、交流の意義や継続にかかわる問題も孕んでいる。交流の問題点および今後の課題としては、民間レベルでの交流の拡大、アジア諸国との交流、姉妹都市交流の意義と目的の見直しがあげられる。
著者
米地 文夫 土井 時久 木村 清且
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.45-62, 2006-12

賢治寓話「黒ぶだう」の舞台である公爵別荘のモデルは,1926年に建てられ花巻市街に現存する洋館,菊池捍(きくちまもる)邸であることが明らかにされた(米地・木村,2006)。「黒ぶだう」とその他の賢治作品および菊池捍と彼の周辺の人物や事物を詳細に分析・検討した結果,この寓話は,建物ばかりでなく,建主の花巻出身で北海道清水町の明治製糖工場長であった菊池捍とその義兄佐藤昌介に深く関わるストーリーであることがわかった。「黒ぶだう」のあらましは,次の通りである。赤狐に誘われた仔牛が,留守中のべチュラ公爵別荘に入り,黒ブドウを食べる。狐はブドウの汁を吸って他は吐き出し,仔牛は種まで噛む。公爵一行が帰ってきたので,狐は逃げるが,残された仔牛はリボンを貰う。種まで噛む仔牛の登場は,製糖工場が甜菜を搾って糖液を採り,滓は乳牛の飼料として販売したことと関わる。また,華族を別荘の持ち主にしたのは,捍氏夫人の兄佐藤昌介北大総長が叙爵される時期であったからと考えられる。野生の狐はうまく逃げ,家畜の牛は残って人間との関係を深める,という寓話「黒ぶだう」には,野生動物も家畜もそれぞれが生きてゆける世界,賢治が酪農に期待をこめて描いた北海道と岩手とを重ねる北方的イーハトヴ,など小さな理想郷が見られるのである。「黒ぶだう」の執筆時期は,菊池捍邸完成時期,使用原稿用紙,叙爵時期,チェロの登場,などの諸点に基づいて,1927〜1928年と推定した。
著者
佐藤 智子 佐々木 肇
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.103-125, 2008-03

1992年釜石市を主会場として三陸・海の博覧会が開催されたが、博覧会の目玉のひとつが、ディーニュ・レ・バン市で1億9千5百万年前の地層から発見された、アンモナイト化石群の剥離標本(複製)の展示であった。この標本(複製)製作に力を貸したのが、ディーニュ・レ・バン市にあるオート・プロヴァンス地質学研究所であったことが縁で、釜石市は同市を知ることになった。市関係者の相互訪問を経て、1994年両市は姉妹都市提携を締結したが、最初の数年間は児童・生徒の絵画交換交流が続いたものの、2000年以降その交流は途絶えた状態になっている。本論では最初に、太平洋に面している海の町釜石市と、アルプスの麓にある山の町ディーニュ・レ・バン市がどのようにして知り合ったのかを詳しく解明した。そして次に、姉妹都市提携後どのような交流へと発展していったのか、その軌跡を辿った。さらに、初動期が過ぎると、瞬く間に交流活動が停止状態に陥ってしまった原因はどこにあるのかを考察した。最後に、両市の姉妹都市交流復活の道を探るべく、いくつかの提言を試みた。