著者
米地 文夫 リヒタ ウヴェ
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.13-31, 2009-12

宮沢賢治の作品のなかでも最も有名なものの一つである「銀河鉄道の夜」の物語のなかに「ケンタウル祭」という不思議な名前の祭りが登場する。物語の中心が星座をめぐる夢の旅であるため、この名はケンタウルス星座に因むものと考えられてきた。しかしこの名は賢治の若き日の短歌が初出であり、その内容や時期から星座には関係なく、ギリシャ神話の半人半馬の怪物ケンタウロスのドイツ語ケンタウルスをそのまま祭の名に用いたものであることがわかった。この時期、賢治は盛岡高等農林学校で馬の飼育管理とドイツ語を学んでおり、ちゃぐちゃぐ馬ッこをはじめとする馬産地岩手の人と馬との祭から発想したのである。また、キメラに関心があった賢治は人間の上半身と馬体の下半身をもつケンタウルを、理性と本能的欲望との葛藤に悩む自分になぞらえた。岩手と同じく、馬を祝福することで春の農耕の始まりに豊饒を祈るドイツにもある民俗を賢治はおそらく学び、若い男性としての高揚感をケンタウル祭と表したのである。のちに少年のための物語「銀河鉄道の夜」にこの名の祭を組み込むが、静謐な物語にはなじまず、結局は、削除されたり「銀河の祭」や「星祭」という名が加えられて、ケンタウル祭のイメージは希薄になってゆくのであった。
著者
米地 文夫
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.103-118, 2012-05-01

宮沢賢治は土壌や地質の調査に地図を用い、測量も行ったので、その体験が作品に反映している。彼の代表作「銀河鉄道の夜」の天の野原に立つ無数の「三角標」の描写もその例である。この「三角標」は「測標(一時的に設けた三角測量用の木製の櫓で、当時は三角覘標と呼ばれた)」から賢治が考えた語とする解釈が一般的である。しかし1887年に参謀本部陸地測量部が刊行した文書には、地図記号の中に「三角標」の名の記号があり、現在の三角点を公的に三角標と呼んでいた時期が数年間あった。その後、公的には使われなくなったが、登山家の間では三角覘標(現在では測標と呼ばれる)を三角標と呼ぶことが多く、賢治もこの俗用の三角標の語を用い、ほかにも1911年の短歌など数作品に同様の例がある。また、銀河鉄道の沿線に立つ三角標の発想には、里程標もモデルにしたとみられる。恒星までの距離を太陽を回る軌道上の地球から、年周視差を使って半年おきに二点から恒星を観測し距離を三角測量法によって測定されていることを賢治は知っていた筈である。つまり輝く星は、地上から観測する測標(賢治の三角標)に当たり、回照器の鏡を動かし陽光にきらめかせて位置を観測者に知らせる測標に見立てたのである。「銀河鉄道の夜」のなかで列車がまず目指した白鳥座の三角標には白鳥の測量旗があると書かれているが、白鳥座61番星はこの方法で地球からの距離を測った最初の星であった。「銀河鉄道の夜」で賢治は、星座早見盤を地図に見立て、星を三角測量の測標に見立てたのであり、賢治が地図や測量に強い関心を持ち、これを発想の重要な柱としていたことが良くわかる作品なのである。
著者
米地 文夫 Fumio Yonechi ハーナムキヤ景観研究所
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.103-118, 2012-05-01

宮沢賢治は土壌や地質の調査に地図を用い、測量も行ったので、その体験が作品に反映している。彼の代表作「銀河鉄道の夜」の天の野原に立つ無数の「三角標」の描写もその例である。この「三角標」は「測標(一時的に設けた三角測量用の木製の櫓で、当時は三角覘標と呼ばれた)」から賢治が考えた語とする解釈が一般的である。しかし1887年に参謀本部陸地測量部が刊行した文書には、地図記号の中に「三角標」の名の記号があり、現在の三角点を公的に三角標と呼んでいた時期が数年間あった。その後、公的には使われなくなったが、登山家の間では三角覘標(現在では測標と呼ばれる)を三角標と呼ぶことが多く、賢治もこの俗用の三角標の語を用い、ほかにも1911年の短歌など数作品に同様の例がある。また、銀河鉄道の沿線に立つ三角標の発想には、里程標もモデルにしたとみられる。恒星までの距離を太陽を回る軌道上の地球から、年周視差を使って半年おきに二点から恒星を観測し距離を三角測量法によって測定されていることを賢治は知っていた筈である。つまり輝く星は、地上から観測する測標(賢治の三角標)に当たり、回照器の鏡を動かし陽光にきらめかせて位置を観測者に知らせる測標に見立てたのである。「銀河鉄道の夜」のなかで列車がまず目指した白鳥座の三角標には白鳥の測量旗があると書かれているが、白鳥座61番星はこの方法で地球からの距離を測った最初の星であった。「銀河鉄道の夜」で賢治は、星座早見盤を地図に見立て、星を三角測量の測標に見立てたのであり、賢治が地図や測量に強い関心を持ち、これを発想の重要な柱としていたことが良くわかる作品なのである。Kenji Miyazawa had used maps for soil and geological research and to conduct land surveys, and these experiences were later reflected in his work. One example of this is his depiction of a myriad of sankaku-hyo (triangulation markers) placed in the field of the sky along the railroad in the novella Night on the Milky Way Railroad, one of his most prominent works. The sankaku-hyo is generally considered a term he invented based on soku-hyo, which was referred to as sankaku-tenbyo at that time and which meant a temporarily-installed wooden scaffold for triangular surveying. However, a map symbol referred to as sankaku-hyo was actually used in a document issued by the Survey Department of the General Staff Office in 1887, and the current sankaku-ten (triangulation point) was officially known as sankaku-hyo for several years. Following this, the term sankaku-hyo no longer appeared in official use, but climbers still often refer to a sankaku-tenbyo as a sankaku-hyo. Miyazawa used this popular term, sankaku-hyo, in his novella, as well as in several other works, including tanka poems he wrote in 1911. This idea of sankaku-hyo placed along the Milky Way Railroad is also considered to have been modeled after milepost. Miyazawa must have known that the distance to a fixed star is measured from two points on the Earth, as it orbits the Sun, using heliocentric parallax every six months based on the triangular surveying method. Specifically, luminous stars correspond to soku-hyo (sankaku-hyo in his work) observed from the Earth, and he likened these stars to soku-hyo that inform observers of their location when they twinkle as the mirror of the heliotrope moves. In Night on the Milky Way Railroad, Miyazawa wrote there is a swan on each of the land survey flags placed at the sankaku-hyo for the Swan. Indeed the 61st star of the Swan is the first star for which distance from the Earth was measured using this method. In Night on the Milky Way Railroad, Miyazawa likens a star plate to a map and stars to soku-hyo for triangular surveying. This work clearly suggests that the writer had a strong interest in maps and surveying and that they were the essential elements underlying his ideas.
著者
信夫 隆司
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.153-184, 2003-09-30

米国の国際政治学者、ケネス・ウォルツの国際政治理論は、現代国際政治理論の原点に位置づけられる。ウォルツのネオリアリズム(あるいは、構造的リアリズム)は、国際政治を構造という視点から科学的に理解しようとした初めての試みである。しかし、かれの理論は、国家の能力という物質的な意味合いを重視し、その結果、冷戦の終焉を十分に説明しているとはいえない。そこで、本稿では、あらためて、ウォルツのネオリアリズムの全体像を批判的に検討し、その上で、エージェント-構造問題という視点からウォルツ理論を整理しなおした。それにより、ウォルツ理論は、構造がエージェントに及ぼす影響のみを重視しすぎ・エージェントならびにその相互作用の分析が欠けていることが明らかになった。Kenneth Waltz, a U.S. scholar of international politics, is positioned at the starting point of contemporary international political theories. Waltz's neorealism (or structural realism) is the first attempt to understand international politics scientifically from the perspective of international structure. However, his theory makes too much of the distribution of material implications called national capability, and, as a result, it does not fully cover the end of the Cold War. Therefore, this paper critically examines the total image of Waltz's neorealism and rearranges it from the agent-structure perspective. As a result, it became clear that Waltz's theory made too much of structure's influence on agents, and lacked analysis of agents and their interactions.
著者
米地 文夫
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.95-113, 2011-07-01

宮沢賢治の有名な物語「銀河鉄道の夜」は、銀河鉄道の旅の部分が幻想的であるが、中で異質で写実的な部分が「プリオシン海岸挿話」で、白鳥の停車場での停車時間中に主人公のジョバンニとカムパネルラが化石の発掘現場を見てくる話である。旅中で唯一の途中下車で、モデルとなった出来事や場所が特定でき、この挿話を含む章には「北の十字架」と「プリオシン海岸」という二つの異なるテーマが収められ、章題も不自然に長くなっており、少年たちの言動が他の部分に比し大人びている、など多くの点で異質である。それらのことから、この挿話は元来は夢の旅の原稿とは別に書かれた独立の短編がのちに「銀河鉄道の夜」の中に挿入された部分であることがわかった。
著者
米地 文夫 Fumio Yonechi ハーナムキヤ景観研究所
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.15-34, 2008-12-01

宮沢賢治の未完の長編「銀河鉄道の夜」の数多い登場人物のなかで、最も印象的で、かつ最も論議の的であった「鳥捕り」を取り上げ、その出現する場が「狐座」(雁を咥えた子狐座)であり、民話的な背景としては「後藤野の親分狐」の化身であり、自らを孤独な狐のように思った賢治自身も投影されている、という重層的な背景から「鳥捕り」は狐が転生した、もしくは狐が化けたもの、すなわち元来は狐であるという説を提唱する。「鳥捕り」は風貌や行動が狐に似るのみならず、類似の他の賢治作品「氷河鼠の毛皮」の狐の間謀と共通点が多いことなどの諸点からも、その正体は狐であると判断された。この「鳥捕り」実は狐の挿話は、賢治の菓子好きや義人を志向した賢治自身が味わった孤独感や挫折感とも関わり、また、野生動物を取り巻く環境の危機を懸念し、狐の側に立つ賢治の見方を示唆するものでもあるなど、賢治の多様な心情を映すものであった。「銀河鉄道の夜」は未完かつ難解な原稿のまま遺されたが、「鳥捕り」は狐という仮説を立ててみると、賢治が伝えようとしたメッセージが見えてくると考えられるのである。Among the many characters in Kenji Miyazawa's unfinished novella "Night of the Galactic Train," "the bird catcher" is the most impressive and controversial one. The bird catcher appears in the constellation of the Fox (Vulpecula). The folksy implication of this character is that "the boss of foxes lived in Gotono." This bird catcher is also a shadow of Kenji's youth when he thought of himself as akin to a lonely fox. From these multiplex implications, the author proposes a new idea: "the bird catcher is a reincarnated fox." There are other data to support this idea. For example, the features and the actions of the bird catcher are like the fox, and he resembles the fox as a spy in Kenji's other novella "Fur of the Glacial-rat." Kenji's various feelings are reflected in the backgrounds of the episode of the bird catcher (fox) , namely, his taste for cakes, his solitude and failure despite effort to be a "gijin" (a righteous man)" , and his sense of crisis of the environment for the wild animals standing with the fox. Unfortunately, Kenji Miyazawa left unfinished the manuscript of his enigmatical novella "Night of the Galactic Train" after his death in 1933. However, with the new idea that "the bird catcher is a reincarnated fox" we can read the messages from Kenji.
著者
工藤 純也
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.1-19, 2015-11

東北地方太平洋沖地震により、岩手県沿岸地域は甚大な被害を被った。地域の産業としての観光業は機能の多くを失ったが、被災地では「復興応援」や「支援」と銘打ったパッケージツアーが多数実施されている。被災地における観光を通じて、被災地の住民と観光客との間に意識のギャップが生じたり、地域の社会的アイデンティティが消費されるという問題は従前から指摘されてきた。そこで、これまで明らかになっていなかった、震災後に増加した「復興応援バスツアー」の全体像を、独自に構築したデータベースによって把握するとともに、観光客、観光地に暮らす住民、観光業従事者への聞きとり調査・質問紙調査を通じて、岩手県沿岸地域における東日本大震災後の観光の実態把握を行った。調査の結果、多数の復興応援バスツアーが被災地で実施されている一方、観光業従事者、地域住民、被災地を訪れる観光客との間の意識と関係性には、ズレが生じていることが明らかになった。このことをふまえ、地域住民と観光客、観光業従事者とを結びつける仕掛けの必要性について論じた。
著者
米地 文夫
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.17-34, 2007-12

宮沢賢治の短編「猫の事務所」は,事務所の末席の書記かま猫に対する「いじめ」の問題を取り上げた作品として近年注目されているが,結末では訪れた獅子によって解散を命じられ,廃止となる。本論文はこの作品が実は政治的世界・民俗的世界・賢治の内面世界の三者が重層的に組み込まれたものであることを明らかにするものである。組み込まれた政治的テーマは郡役所廃止問題で,「猫の事務所」の位置や役割,事務室の人員構成などの描写から稗貫郡役所がモデルであり, 1926(大正15)年6月30日に閉鎖になる。「猫の事務所」はこの年の3月に発表されている。郡役所の廃止は既定のことではあったが遅延していたのを,浜口雄幸蔵相の緊縮財政のもと廃止が確定し,浜口が内相の時,廃止される。獅子はライオンとあだ名された浜口なのである。この物語の民俗的な背景は,竈の煤で黒く汚れた猫をかま猫と呼ぶことと,獅子舞が火伏せの竈祓いに訪れることなどである。獅子はかま猫の守護神のような存在なのである。さらに,同僚に対する態度を自省する賢治自身の心境も反映したものである。すなわち「猫の事務所」の獅子による解散は郡役所廃止と浜口雄幸の決断とをカリカチュア化したものであり,主人公かま猫と巡回してきた獅子というキャラクターは,竈をめぐる民俗から生み出され,職場の同僚による「いじめ」は賢治自身の職場体験によるものであった。
著者
三浦 修 平塚 明
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.5, no.3, pp.411-428, 2004-03-31

かつて生活や生産のための資源として利用され管理・維持されてきた里山が、現在いろいろな方面から注目され、その保全のための研究、管理の実践運動、地域資源としての景観評価が試みられている。 ほぼ80年前に活躍した宮沢賢治は多くの文学作品を残したが、そこには、その後岩手県域でリストアップされた希少植物も登場する。その多くは草地、二次林、溜め池、河川などの里山に生育していた植物である。 作品中の希少種を手掛かりとして、1910年代後半から1920年代の岩手県における、草地を中心にした里山植生のダイナミズムを復元した。この80年間に植生が大きく変化した原因は、人々の生活と生産が里山依存を弱めた結果、植生管理が放棄されたことにある。シバ草地やススキ草地の遷移により、遷移初期相に適応した植物(オキナグサ、キキョウ、オミナエシなど)が衰退し、消滅した。また、サクラソウは管理が放棄された薪炭林や農用林の林冠層が発達した結果、林床の光環境が悪化して衰退した。
著者
信夫 隆司
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.243-265, 2004-02-10

本稿は、1970年代終わりから今日までの国際政治理論の系譜を探ることを目的とした。本稿で、主として取り上げた国際政治理論は、ケネス・ウォルツのネオリアリズム、ロバート・コヘインの国際制度論、アレクサンダー・ウェントのコンストラクティヴィズムである。これらの国際政治理論について、存在論と認識論という視点から新たな分析を試み、その上で、アナーキーと国家のインタレストのとらえ方について言及した。
著者
米地 文夫
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.1, no.4, pp.477-488, 1999-12-31

日清戦争開戦直後に発行された『日本風景論』の著者志賀重昂は啓蒙的地理学者で,この有名な著書によって明治期の国粋主義と登山の鼓吹者としてよく知られている。この書は日本の風景,特に火山の卓絶した美しさを強調し,当時,そのナショナリズムと美文によりベストセラーとなった。志賀は札幌農学校で農学と関連科学を学んだが,伝説では,彼は学業を怠り北海道全道の冒険的旅行や登山をしたと言う。この学歴と伝説のため,『日本風景論』の北日本の火山に関する記述は,彼の実体験に基づくと考えられていた。しかしながら,彼の日記によれば,北海道では志賀はそれほど旅行も登山もしていない。私は『日本風景論』の北日本の火山についての記載を他の論文などと比較し,J. Milne (1886),神保(1891),およびE. M. Satow ・ A. G. S. Hawes (1884)などからの剽窃が多いことを見いだした。志賀がそれを行った理由は,日本は多くの美しい火山景観に満ちていることを示し,火山の少ない清に対する国粋主義的優越感を国民に持たせようとしたためで,その結果,『日本風景論』はナショナリズムと清国への敵愾心を煽るという政治的な役割を見事に果たしたのである。
著者
米地 文夫
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.95-113, 2011-07

宮沢賢治の有名な物語「銀河鉄道の夜」は、銀河鉄道の旅の部分が幻想的であるが、中で異質で写実的な部分が「プリオシン海岸挿話」で、白鳥の停車場での停車時間中に主人公のジョバンニとカムパネルラが化石の発掘現場を見てくる話である。旅中で唯一の途中下車で、モデルとなった出来事や場所が特定でき、この挿話を含む章には「北の十字架」と「プリオシン海岸」という二つの異なるテーマが収められ、章題も不自然に長くなっており、少年たちの言動が他の部分に比し大人びている、など多くの点で異質である。それらのことから、この挿話は元来は夢の旅の原稿とは別に書かれた独立の短編がのちに「銀河鉄道の夜」の中に挿入された部分であることがわかった。
著者
米地 文夫
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.177-196, 2016-03

宮沢賢治の短編「シグナルとシグナレス」は、従来、幻想的童話とみられていたが、実は地域の話題を寓話化した大人向けの物語であった。その話題の一つは、私鉄の岩手軽便鉄道(ほぼ現JR 釜石線)を国有化させ、国鉄(現JR)東北本線に繋ぎたいという運動をモデルにし、愛しているが離れて立つシグナレス(岩手軽便鉄道)と本線シグナルとの恋を描いた。第二の寓意は有島武郎と河野信子との恋愛で、有島武郎は新渡戸稲造の姪の信子を愛するが、鉄道の国有化に大きな影響力を持つ父有島武は、産婆の娘信子を身分違いとして結婚に反対し、新渡戸家の郷里花巻の人々の憤激を買ったことを物語化している。第三の寓意はピタゴラス派の諧音の示す天空の妙なる調和である。地上の葛藤や矛盾の多い世界と異なり、天上には美しい和の調べがあり、それが天球の音楽として、恋人たちを感動させるのである。すなわち、天:天球の音楽が示す美しい調和、地:地域社会の軽便鉄道国有化運動、人:有島武郎と河野信子の実らぬ恋、の三つの寓意がこめられた作品である。
著者
米地 文夫
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.349-367, 2004-02-10

志賀重昂の著書『日本風景論』(1894)の中心的な位置を占める火山に関する記載部分の分析検討のうち、中部日本の火山等に関する志賀の記載をとりあげ、彼の剽窃や改竄の諸相をさらに明らかにした。特に高頭式編『日本山嶽志』(1906)のなかに志賀の訳読として掲載されている"Handbook for Travellers in Central & Northern Japan"の記事と『日本風景論』における記事とがほとんど同一の内容であることを明らかにし、剽窃の実態を検証した。また、志賀の郷里三河についての記載の不自然な比重のかけかたに、彼の強い愛郷心がみられることを示し、さらに大槻磐渓の語句の改竄が愛郷心と愛国心とを結び付けるための志賀の強引な操作であることを論じた。これら志賀が行った剽窃や改竄および不自然な構成などは、読者の愛郷心を、他国に冠絶する日本の風景を説くことによって愛国心を高めるための、確信犯的意図によるものであった。
著者
米地 文夫 Fumio Yonechi ハーナムキヤ景観研究所
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.133-147, 2013-05-01

宮沢賢治は石川啄木の短歌に強い影響を受けたが、啄木の北へ走る電柱列の歌も、賢治の童話「月夜のでんしんばしら」に影響を与えた。「月夜のでんしんばしら」は停車場近くの線路で電信柱の列が兵隊になり歩き出す話で、電気総長が号令をかけていた。汽車が来ると電信柱に戻る。従来は電気と鉄道の童話とされていたが、シベリア出兵の日本軍、特に花巻で演習をした盛岡駐屯の工兵隊などの出動を素材にしたことがわかった。賢治作曲の彼らの軍歌はオペラ「カルメン」の「アルカラの竜騎兵」の曲と日本陸軍のラッパの曲とを基にしている。作品に工兵のほか竜騎兵や擲弾兵など19 世紀の欧州の古風な兵種名が登場するのは、ロシアに攻め込んだナポレオン軍の敗退をシベリア出兵に重ねたからで、トルストイの小説「戦争と平和」やハイネの詩「二人の擲弾兵」などを念頭に置いている。電気総長は当時の日本陸軍の実質上の最高指揮官である上原勇作参謀総長をモデルにしている。この作品が書かれた1921 年には上原の指揮の下で日本陸軍はシベリア出兵を行っていた。既に出兵の大義は消失し、革命勢力の優勢が決定的になるにつれて撤退は必至となっていた。「月夜のでんしんばしら」は一見、幻想的な童話にみえるが、実はシベリア出兵を継続する日本軍部への批判の込められた作品だったのである。Kenji Miyazawa was strongly influenced by tanka written by Takuboku Ishikawa. Takuboku's tanka about telegraph poles running toward the North also infl uenced Kenji's fairy tale, "The Telegraph Poles on a Moonlit Night." In this fairy tale, a line of telegraph poles along the tracks near a station transform into a rank of soldiers and start marching under the orders of the Chief of Electricity. When a train comes, the soldiers return to being telegraph poles. Up to now, this fairly tale was considered to be a story about electricity and railroads. However, it was later discovered that the tale is based on the mobilization of the Japanese troops dispatched to Siberia, particularly, the Corps of Engineers stationed at Morioka, which were engaged in exercises in Hanamaki. This Corps of Engineers' war song, composed by Kenji Miyazawa, was based on Bizet's opera Carmen Suite Les Dragons d' Alcala and the Japanese Army's trumpet songs. With the introduction of old-fashioned names for soldiers from 19th century Europe, such as Dragoons and Grenadier Guards as well as the Corp of Engineers, and the dispatching of Japanese troops to Siberia, Kenji duplicated the defeat of Napoleon's army which attacked Russia, bearing in mind Tolstoy's novel, War and Peace, and Heine's poem, Die beiden Grenadiere. The Chief of Electricity was modeled after the Chief of the General Staff , Yusaku Uehara, who was functionally the captain general of the Japanese army at that time. In 1921, when this piece was written, Japanese army troops were dispatched to Siberia under the command of Uehara. At that time, the reason for mobilization had already become unclear and as the predominance of the revolutionary force became decisive, retreat from Siberia was inevitable. Although "The Telegraph Poles on a Moonlit Night" is primarily an illusionary fairy tale, it is also a piece criticizing the Japanese army which continued to dispatch troops to Siberia.
著者
桒田 但馬
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.91-105, 2015-11

本稿の目的は東日本大震災復旧・復興にかかる特別課税の実態を明らかにし、その政策的示唆を得ることである。特別課税の決定に至る詳細な経緯を踏まえて、政府等における議論の主な特徴、特別課税の意義や問題などを明らかにすると、そこから次の政策的示唆を導出することができる。すなわち、恒久的な基金制度(「災害対策基金」)の早期の創設を国、都道府県、市町村レベルで義務化し、大災害に迅速に、かつ効果的に対応できるようにする。そうすれば、これまでのように復興基金を大災害ごとの特例措置として設定しなくてもよい。また、今回のように特別課税をきわめて大きな規模で行わなくてもよい。
著者
米地 文夫 三浦 修 平塚 明
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.5, no.3, pp.391-409, 2004-03-31

宮沢賢治の作品にしばしば登場する「標本」と「証拠」という語について、自然科学の立場から検討を加えた。自然愛好家であり教師でもある賢治は、「標本」を、展示用、教材用の見せる「もの」としての「標本」sampleと考えていた。彼は本質的に研究者ではなく、彼の「標本」には, 研究者がより重要と考える《研究の材料、研究の保証となる証拠としての「標本」specimen》は含まれていなかった。「標本」specimenを、研究者は「こと」を説明する科学的な「証拠」voucherとして用いる。しかし賢治はこれらは「標本」と呼ばず、「証拠」と書いている。賢治は一種の不可知論者でもあったので、学者が挙げる「証拠」が描く世界像は、時代とともに変わると考えていたのである。