著者
金山 弘昌
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.29-49, 2007-03-01 (Released:2018-02-07)
被引用文献数
1

ジョヴァンニ・ルチェッラーイは有名な『雑記帳』の中で、「人の一生で一番重要なことはふたつある。第一は子を産むこと。そして第二は家を建てること」と記している。この言葉はルネサンスの有力者たちが自分たちの邸館に期待していた社会的な重要性について明らかにしている。本稿では、このテーマ、すなわちルネサンス期フィレンツェの パラッツォが持つ社会的機能と意義について概観を試みる。この目的のため、ゴールドスウェイト、F・W・ケント、プレイヤーらの主要な研究に沿いつつ、とりわけこのような活発な建設事業を許した、あるいは推進した倫理的基盤について、そして中世のコンソルテリーア解体後にルネサンス社会が被った、社会や家族の絆の劇的な変動の影響について検討する。社会的変動の影響については、とりわけゴールドスウェイトの仮説に関わる論争についての検証を試みる。すなわち、巨大な規模と豊かな装飾をもつルネサンスのパラッツォは、本当に「施主とその核家族のためのプライヴェートな隠れ家」なのか、それともケントが考えるように、「隣人、友人、親戚」、つまりクリエンテーラの政治的・社会的中核なのか、という論議である。パラッツォの建築的特徴と同時代の史料の検討から、ケント説の妥当性を認めることができる。さらに、パラッツォの大きさや芸術的性格は、中世のコンソルテリーアの基盤となっていた血縁と共住による物理的な絆の代替となって、個人間の関係として成立した新たな社会的ネットワークを表象する、象徴的な価値となっていたと考えられるのである。
著者
宮本 要太郎
出版者
Kaichi International University
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.139-151, 2002-03-30 (Released:2018-02-07)

フォーカス・オン・ザ・ファミリー(Focus on the Family:家族への焦点)によれば、アメリカの伝統的な家族は、「世俗的ヒューマニストたち」によって激しく攻撃され、その結果、崩壊の瀬戸際にあるという。とりわけそれは、1960年代と70年代の、価値に関する世代間ギャップおよび主婦の高い就職率とによって推し進められた。しかしこの「危機」は、最近の数十年に限定されるものではない。世代間ギャップはアメリカの歴史を通じて見られるものであるし、第二次世界大戦以前からアメリカのおおぜいの妻や母たちは外で働いてきたのである。彼らのいう「伝統的家族」とは、とりわけ50年代に都市近郊の共同社会において優勢だった家族モデルに基づいているようである。その家族が依拠する伝統的価値は、フォーカス・オン・ザ・ファミリーのような保守的なキリスト教徒アメリカ人にとってのみ「伝統的」である。すなわち、「伝統的家族」は必ずしも「伝統的」ではない。むしろそれは、ある政治的-宗教的目的によって意図的に回復され、「発明」された理想の家族である。より深層意識のレベルでは、それは理想的な家族へ回帰したいという欲望の表明なのである。理想の家族に対するこのようなある種ノスタルジックな願望は、日本の新宗教にも共通しており、そこでは教祖を当該共同体の成員のみならず人類すべての親とするレトリックが用いられている。保守的なキリスト教徒は、女性はできるだけ家にいるべきだと主張する。彼らは、家族とはどうあるべきかを明らかにするために、「今、ここで」伝統的な価値を復活しようと試みている。彼(彼女)らは、ユダヤ-キリスト教信仰によって家族を「聖化」しようとしているのであり、そしてこの「聖化」は、建国の父の精神を維持する父=大統領の指導のもとで一つの「家族」としてアメリカ合衆国を「聖化」しようとする動きに対応している。一方、日本の新宗教は、地域共同体の絆を失い都市社会で孤立している家族に対し、ヒエラルキーではなく平等に基づいた人間関係のための範型を提供する。新宗教は、それら家族のためのモデルとして機能し、家族の親子関係や夫婦関係に宗教的意味を与える。換言すれば、新宗教は世俗化された家族パターンを再聖化する手段を提供するのである。かくして、歴史的および文化的差異にもかかわらず、合衆国のフォーカス・オン・ザ・ファミリーと日本の新宗教との間には、家族の価値に関して、重要な共通性が指摘されうる。第一に、両者とも、伝統と近代化(および世俗化)の間を揺れ動く家族に、伝統的価値に基づいた家族のモデル像を提供する。第二に、両者は、家族内の関係をもっとも重要な人間関係とみなし、個性よりも「調和」や「共同」により高い重要性を与える。最後に、両者にとって家族とは、何よりも信仰の場である。それぞれの家族とその家族が属する宗教共同体との同一視を通じて、フォーカス・オン・ザ・ファミリーも新宗教も、家族を「聖化」すると同時にその家族をそれらの価値体系に編入するのである。
著者
安田 比呂志
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.27-41, 2009

ジョージ・コールマンの『ポリー・ハニコム』は、18 世紀のイギリスに見られた感傷小説愛好の風潮を、巧妙かつ滑稽に風刺した笑劇として一般に評価されている。しかし、この笑劇には、単なる感傷小説批判にはとどまらない、破壊的とも呼べる特徴が見られる。ヒロインのポリーは、幕が下りる最後の瞬間になっても、感傷小説が若者に鼓舞するロマンティックな恋愛を決して放棄しようとしない。そればかりか、エピローグで再び姿を現すと、改めて感傷小説を賞賛し、この笑劇を通して自分の「精神」を知った女性は、裁縫や料理といった伝統的な女性の仕事を放棄し、「従順を求める時代遅れな教訓」を捨て去り、ついには男性の代わりに武器を取り、戦争でも戦うべきだと、観客に向かって主張するのである。本論は、フェミニズムの発想をさえ思わせるポリーの主張に対する当時の観客の受容の様相を明らかにすることを目的とする。この目的のために、本論では、最初に、この笑劇に描き出されている「ロマンティックな恋愛」と、これまでの批評では注意が向けられることのなかった「夫婦愛」のふたつの愛情の形を、コールマンが『鑑定家』の中でどのようなものとして描き出しているのかを検証し、次に、これらふたつの愛情の形を、ロレンス・ストーンが語る「情愛的個人主義の発達」が見られた18 世紀のイギリス社会の文脈の中に位置づけることによって、劇中に描き出されるこれらふたつの愛情が、18 世紀の観客にとってどのような意味を含蓄し得ていたのかを明らかにする。この考察によって、これらふたつの愛情が、『ポリー・ハニコム』の中で嘲笑の対象として描き出されながらも、同時に、未来における実現の可能性を秘めていたことが浮き彫りになり、最終的に、この笑劇が、単なる感傷小説批判にとどまらない、よりダイナミックな反応を観客の中に喚起していたことが明らかになるはずである。
著者
丸山 啓輔
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.27-36, 2004

筆者は,日本経営学会誌第9号にて統合経済合理性という概念を発表した。統合経済合理性は,環境性,人間性,社会性,経済合理性(以上を4つのサブ原理とする)を統合したかたちでの概念としてとらえたものである。しかし,先の論文では,次の諸点を今後の課題として残した。(1)4つのサブ原理の堀り下げ(2)統合経済合理性の展開 本論文は,上記課題のうち(1)の合理性の堀り下げ,その一考察を試みたものである。本論文の概要は,次のようなものである。1.辞典から見た合理性・・・合理性をどうとらえているか,合理性とはどのような意味合いを持っているのか,について辞典を中心にとらえてみた。2.経営上の合理性の内容・・・ここでは活動的側面からとらえた経営の仕組みおよび経営上における合理性の内容の明確化を試みた。3.統合経済合理性とH.A.サイモンの合理性および前提との関係・・・統合経済合理性は,意思決定をする場合に配慮すべきものととらえているが,H.A.サイモンの客観的合理性,限定合理性,実体的合理性,手続合理性,さらに価値前提および事実前提を吟味し統合経済合理性との関係を明らかにした。
著者
宮下 智 和田 良広 鈴木 正則
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.41-51, 2012-03-01 (Released:2018-02-07)
被引用文献数
1

近年、体幹筋に着目したトレーニング方法が注目されている。体幹筋をLocal muscles とGlobal muscles に分類し、Local muscles の活動性を高めるトレーニングが進められている。体幹の安定性を求める理由は、体幹安定が保証されることで、四肢に素早い正確な動きが期待でき、動作能力が向上すると考えられているからである。本研究は超音波診断装置を用い、腰部に違和感を経験し、腹横筋活動に何らかの影響があると考えられる8 名(年齢29.6±6.5 歳)を対象とし、4 つの運動課題下で、主要体幹筋である外腹斜筋・内腹斜筋・腹横筋、それぞれの筋厚を運動開始時と終了時に測定した。本研究で採用した4 つの運動課題のうち、double redcord training 課題の筋厚変化は、運動開始時には外腹斜筋よりも内腹斜筋の方が厚い傾向、運動終了時には腹横筋よりも内腹斜筋の方が厚くなることが認められた(p<0.05)。しかし個々の筋厚比率をdouble redcord training 運動課題の前後で検討すると、内腹斜筋は運動開始時より運動終了時に筋厚が減少する傾向があり、逆に腹横筋は運動開始時より運動終了時に筋厚が増加することが認められた(p<0.05)。このことからdouble redcord training 運動課題により、腹横筋の筋厚は増加し、内腹斜筋の筋厚は減少するというトレーニング効果を期待できる方法であると言える。他の運動課題では腹横筋の筋厚増加に伴い、内腹斜筋の筋厚も増加する(p<0.05)結果となった。運動により内腹斜筋厚が増加することは、Global muscles の活動量が上がることを示し、体幹トレーニングはLocal muscles の活性化が重要であることを考えると、従来の体幹筋トレーニングは、再検討が必要であると思われる。double redcord training 課題の特徴は、上下肢を共に吊り上げることにより、空中姿勢を保ち運動するのが特徴である。すなわち、不安定な運動環境の中で姿勢の安定性を求める高負荷な課題であると言える。この課題を正確に遂行するには、個々の筋肉は、速いスピードでの筋収縮が要求される上、関与する筋肉同士の協調ある筋収縮が求められる。Local Muscle である腹横筋が有効に働く、効果的な体幹トレーニングという観点から、double redcord training は画期的な体幹筋トレーニング方法であると結論づけた。
著者
杉木 恒彦
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.47-69, 2014-03-01 (Released:2018-02-07)

アッサムの女神カーマーキャーは、毎年雨季の頃、生理になると信じられている。この女神の生理の開始と終了に合わせて行われるアンヴァーチー祭は、インドにおけるタントラの伝統の主要な大祭である。2013年のアンブヴァーチー祭は、6月22日から6月26日にかけて開催された。祭りそのものは公式には26日で終わりだが、翌日27日まで祭りの内容の一部は続いていた。南アジア地域におけるタントラの思想・文化研究の一環として、筆者は2013年6月22日から6月27日までアンブヴァーチー祭の第1回現地調査を行った。主たる調査方法は、参与観察(祭りに参加した人々への聞き取りを含む)である。その後、同年9月4日から9月8日まで再び現地を訪れ、祭りの期間に調べることのできなかった要素の補足的な調査を行った。本稿は、自身の今後の調査の礎とすることと、日本ではほとんど知られていないこの大祭の内実を紹介することを目的として、途中経過的ではあるが、調査の際に作成したフィールドノーツのいくつかをまとめ、調査報告とするものである。
著者
勝野 まり子
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.3-12, 2008-03-01 (Released:2018-02-07)

「春の陰影」(1914)は、D.H.ロレンスの初期の短編小説の一つであるが、次の3つの理由から注目に値する作品である。彼自身の手によって改稿や改題が入念に6回なされた後で現在の形で出版されたこと、彼の主要な長編小説の世界と類似する世界を展開していること、そして、そこには30種類もの植物が異なる2通りの<象徴>的な形で登場することである。最後の点が、特に興味深いものである。この小論では、「植物描写における象徴の二重性」と「直感」という、密接に関係し合う2つの観点から「春の陰影」を考察する。その「植物描写における象徴の二重性」を簡潔に述べると、次のようになる。作者は、多くの種類の植物が持つ宗教上および民俗上の伝統的な<象徴>を意図的に用いて、作品の登場人物間の人間関係とプロットを暗示させ、それらを語りによって裏付けする。他方では、彼は幾つかの場面で植物を美しく生き生きと描く。そこでは、主人公サイソンは思考とは無縁に植物の美に深く感動する。それらの生き生きとした植物描写は、読者の五感にも訴えかけ、1つに結びつき、ついには1つの<象徴>を生む。そこには、それぞれの植物を個別に<象徴>として描こうとする作者の意図は見出せない。しかし、小説全体を通してみると、それらの幾つかの植物描写は一つの<象徴>となっている。それは、過ぎ行く時、春の中で土に育まれる植物と1人の女性の輝かしい生命を<象徴>している。そのような植物の二重の<象徴>は、旨く働き合い、これもまた作者の語りによって裏付けされながら、テーマを伝える。それは土に育まれるどんな生命も等しく賞賛され、それぞれがそれぞれの世界を持ち、その独自の世界は他の何ものによっても踏み込まれるべきではない、というテーマである。さらに、「植物描写における象徴の二重性」には、この作品の価値に加えて、ロレンスの作家としての豊かな才能も見出される。その<象徴>における二重性の1つは、宗教上および民俗上の伝統的なものであり、人間関係とプロットを暗示させるために意図的に用いられている。そして、それは作者が小説を書くための熟練した技と博識を有する並外れて知的な英国人作家であったことを伝える。他方では、幾箇所かでなされる生き生きとした植物描写全てが結び付き、1つの<象徴>を生み出す。それは、作者が豊かな「直感」を備えた人であったことを伝える。「直感」によって、人は誰でもどんな生命の輝きをも真に知ることができる。作者は「直感」によって、ありとあらゆる生き物の生命の輝きを認識し、「春の陰影」の主人公であるサイソンと彼のかつての恋人ヒルダも、「直感」によってそれらを認識することができる。今日、世界中で欧米化が極限的な状況にまで広まっている。それは、人間の経済的な発展をもたらしたが、同時に、あらゆる生命に大きな苦しみをもたらしている。約百年前に、英国人であるロレンスは、欧米文化を「直感」に欠くものとして批判し、「直感」が世界の望み多き将来への鍵であると信じた。我々も、知性や伝統的な知識を最善に生かしながらも、他方で、我々の「直感」を再生させることによって、そのような苦しみを軽減できるように思われる。これが「春の陰影」が我々に示唆することである。
著者
村上 千鶴子 古橋 幸男
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.112-120, 2012-03-01
著者
服部 一枝
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.49-61, 2010-03-01

新教育基本法に基づいて、2008 年に学習指導要領が改訂・告示されたが、文部科学省は〔生きる力〕の教育理念は変わらないとしている。〔生きる力〕は、1996 年の中央教育審議会の答申で初めて提言された。それは変化の激しいこれからの社会を生きていくために必要な資質、能力として、「問題解決能力」「豊かな人間性」「健やかな体」の3 つをいうものであった。この〔生きる力〕は、その後の時代と社会の変化に対応する形で変容を遂げてきた。1998年の答申では、「豊かな人間性」を育むために、「ゆとり」の中で「心の教育」をすることの重要性が説かれた。まもなく学力や学ぶ意欲の低下などが懸念されるようになると、2003 年には、これからの学校教育の目指すべき点は、「確かな学力」を基盤に〔生きる力〕を育成することである、と学力の重要性を前面に打ち出す方針が示された。しかし、2008 年の答申では、今の日本の子どもは、学力の問題だけではなく、「豊かな心」「健やかな体」の育成にも目を向けなければならないのが実情であると再定義している。このたび提言された〔生きる力〕を養う方策として、「演劇」が最適であるといっても過言ではない。「演劇」がこれからの学校教育にとって最重要の1 つであるという主張は早くからなされているが、いまだ学校の教育課程に正課として位置づけられていないのは残念である。そこで、高等学校で「演劇」を取り入れている事例を調査、検討し、〔生きる力〕の基盤となる「確かな学力」「豊かな心」「健やかな体」をバランスよく育む方法として、「演劇」が今こランスよく育む方法として、「演劇」が今こそ注目されるべきであるという考えを述べた。
著者
石田 修一
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.95-126, 2016-03-01

2005年4月から現在まで柏市教育委員会に勤務,市内42校の小学校及び中学校20校,高等学校1校の音楽教育について指導助言をおこなってきた。この10年間で子どもたちを取り巻く環境は大きく変わり,価値観が多様化,音楽活動にあてられる時間は半減している。その中で,より短時間で教育効果が上がった指導方法について考察する。 最初に時間の使い方を見直す。子どもたちの活動をじっくりと観察すると,無駄な動きが見えてくる。その無駄を改善することによって,練習時間を年間数十時間増やすことができる。次に効果的な実践として1.「倍音を感じて!意味のある基礎練習をおこなう」2.「個々の奏法向上教育方法改善」3.「システム化された合奏指導法」4.「コンクールの練習方法・ホール全体を上手に響かせる方法」5.「簡単なスコアリーディング方法」6.「指揮する自分の姿を自分の目で見て!感じて」7.「演奏者から離れた場所で聴いてみる」8・9.「音楽の授業との連携」を実践報告。 これらの実践報告をもとに短時間で教育効果を上げるための具体的方法や初心者の効果的指導方法について子どもの興味関心を高めるとともに,自ら音楽表現するよろこびが体感できる教育方法をシステム化した。
著者
又吉 弘那
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.155-177, 2016-03-01

Switzerland is well known for being the founding father of the International Baccalaureate but it is also well known for the educational mentality of solidarity. We can embrace the power of their solidarity from reading their motto,"Unus pro omnibus, omnes pro uno", can be translated from Latin to English as "One for All, All for One" (Le News. 2015). Switzerland is also extremely famous for having four national or official languages which represents their respect for diversity. It was because of this motto or mentality they survived World War II. They demonstrated Effective Evidence - Based Control and Defense in "warfare" by not allowing any war planes fly over their country. In other words, during World War II they decided they had "no Allies" but "all enemies" so without discrimination they shot at every plane that flew over their sky including both the German and the United States Air Forces (Helmreich, 2000). The neutrality of Switzerland was assured by an Effective Evidence - Based Strategy of evolutional and progressive mentality. They found that in a materialistic and capitalistic world, they needed to collect and guard the world's finance by establishing the Swiss Bank. They learned that the strongest religion on earth is "money" and "greed". They learned that money has a tendency to quench our thirst for greed and banks have become humanity's churches to worship the accumulating digits in our bank accounts. They learned that protecting the wealth of the rich was the best way to defend their country. In other words, it would be literally insane to go after the Swiss because they have the bank accounts as an ultimate "hostage". They proved this in World War II and their effective evidence based strategy continues today. What is even more unique is that in 2013, Switzerland announced their next Effective Evidence - Based Strategy in "welfare" instead. They surprisingly announced, "Switzerland's Proposal to Pay People for Being Alive" in the "The New York Times". The life style of Switzerland triggered other governments to rethink their education policies under the concept of civics (Lowrey, 2013). Last year, in November 2014, the United States Department of Education published their new education policy. The policy title was "Effective Professional Learning Strategies and Their Use in Future Ready Districts" (Duncan, 2014). The policy was published to encourage researchers to be effective professionals teaching students within the realm of civic education. The purpose was to establish educational readiness for educators to use in the future. This policy was originally established for all the districts and states within the United States but the policy has now taken a wider turn. The policy now includes countries abroad. The Switzerland's motto,"Unus pro omnibus, omnes pro uno", has influenced UNESCO, the UN, and the EU, especially Oxford University, to adopt this educational policy (Sylva, Retrieved: July 1, 2015). The policy discusses about Effective Learning or Evidence-Based Practices that can be used in reflective learning to foster citizen education both locally and internationally. This paper will discuss about the historical evolution from Civil Education, to Citizen Education, to Active Learning, and to the Effective Learning Strategies that has just begun, in 2015, which is also known as Evidence-Based Practices. The paper will also discuss about curriculum design and the future endeavors of the language curriculum in Japan.
著者
菅原 祥
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.5-17, 2016-03-01

20世紀後半のポーランドを代表する作家スタニスワフ・レムは、自身の作品の中で一貫して人間の認知の問題、とりわけ理解不能な「他者」を前にしたコンタクトの可能性について考察してきた作家である。こうしたレムの問題関心は、現代の多くの社会学的問題、例えば認知症患者のケアの現場などにおける介護者-被介護者の相互理解の問題などを考える際に多くの示唆を与えてくれるものである。本稿はこうした観点から、スタニスワフ・レムの短編『テルミヌス』を取り上げ、理解不可能な存在を「受容する」ということの可能性について考える。『テルミヌス』において特徴的なのは、そこに登場するロボットがまるで老衰した、認知症を患った老人であるかのように描かれているということであり、主人公であるピルクスは、そうしたロボットの「ままならない」身体に対して何らかの応答を余儀なくされる。本稿は、こうしたレム作品における不自由な他者の身体を前にした人間の責任-応答可能性について考えることで、介護に内在する希望と困難を指摘する。
著者
杉木 恒彦
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.47-69, 2014-03-01

アッサムの女神カーマーキャーは、毎年雨季の頃、生理になると信じられている。この女神の生理の開始と終了に合わせて行われるアンヴァーチー祭は、インドにおけるタントラの伝統の主要な大祭である。2013年のアンブヴァーチー祭は、6月22日から6月26日にかけて開催された。祭りそのものは公式には26日で終わりだが、翌日27日まで祭りの内容の一部は続いていた。南アジア地域におけるタントラの思想・文化研究の一環として、筆者は2013年6月22日から6月27日までアンブヴァーチー祭の第1回現地調査を行った。主たる調査方法は、参与観察(祭りに参加した人々への聞き取りを含む)である。その後、同年9月4日から9月8日まで再び現地を訪れ、祭りの期間に調べることのできなかった要素の補足的な調査を行った。本稿は、自身の今後の調査の礎とすることと、日本ではほとんど知られていないこの大祭の内実を紹介することを目的として、途中経過的ではあるが、調査の際に作成したフィールドノーツのいくつかをまとめ、調査報告とするものである。
著者
勝野 まり子
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.3-18, 2012-03-01

この小論では、D. H. Lawrence の出世作となった、彼の生活体験を基として語られる短編小説"Odour of Chrysanthemums"について、二つのキーワード、"red"と"chrysanthemum"を取り上げて、次の3 点について考察する。(1)それら二つの言葉のリアリズムにおける働きとシンボリズムにおける働き(2)それらの言葉とこの作品のテーマとのかかわり(3)リアリズムがシンボリズムを超えて伝えるところである。この小説では、"red"は、初冬の寒くて薄暗い、無彩色の町に、昼夜燃える炭鉱の火の色、そこに生きる炭坑夫の妻の台所で燃える炎の色、彼女の娘が美しいと魅了されるかまどの火の色、その家族が使用した古いテーブルクロスの色として登場し、"chrysanthemum"は、その町の道端にピンクに咲く花、炭坑夫の妻に折り取られてエプロンに挿まれ、彼女の家に持ち込まれる花であり、彼女の小さな客間に持ち込まれ飾られる花であり、彼女の娘が美しいと感激する花であり、その花瓶を炭坑夫に割られて主人公によって処分される花として登場する。その二つの言葉は、どちらも読者の視覚、嗅覚、肌感覚といった五感に訴えながら、それ自体を、そして、舞台となっている、初冬の英国ノッティンガムにある作者の故郷である炭鉱の町と、そこで生きる人々の姿を読者の目の前に現存するかのように生き生きと描き、この作品のリアリズムの世界を作り上げている。その一方では、"red"と"chrysanthemums"という言葉が一致して象徴するものは、炭坑夫の妻である主人公の「所有欲」、その「所有欲」や自らの考えに囚われた主人公の意のままにならない子等や夫との死んだような家庭生活であり、彼女の夫の落盤事故による「死」であり、彼女の「所有欲」に占められた結婚生活と家庭生活の終焉である。主人公は、夫の「死」に遭遇することによって、それまでの自らの「所有欲」によって生じた誤り、自分を取り巻く生命体、つまり、夫や子やその他もろもろの生命体をありのままに見つめていなかったこと、そして、それら他の生命体を自分の意のままに支配しようとしてきた誤りを悟り、「死」ではなく、自らの新たなる「生」に向かうのである。それぞれの生命体はそれぞれの「生」を営み、他のどんな「生」をも所有できないという彼女の悟り、それがこの短編小説のテーマとなっている。主人公が新たなる「生」に目覚める以前の世界は、"red"と"chrysanthemums"の生むシンボリズムが提示するものである。その世界では、人々は己の考えや所有欲に囚われ死んだような生活を送っているのである。言い換えれば、作者は、人間心理に対する鋭い洞察力と巧みな言葉の使用によって生み出すシンボリズムによって、「死」に向かう世界観を伝えている。そして、それは、この短編小説の主人公Elizabeth のみならず、100 年以上も前にD.H.Lawrence が見た当時の多くの心悩める人々の世界であり、この現在に生きる多くの心悩める人々の世界にも繋がるように思わる。そして、主人公が、新たに求めることになる「生」を営む場は、二つのキーワード"red"と"chrysanthemums"という言葉が生き生きと描写し、彼女を取り巻いてすでに存在していた世界であり、それらの言葉のリアリズムにおける働きが伝えていた世界である。そこでは、それぞれの生命体がそれぞれの「生」を営み、他のどんな「生」をも所有できない世界である。言い換えれば、作者は、彼自身を取り巻く世界に対する優れた観察力と生き生きとした言葉による写実力によって生み出すリアリズムによって、自らの「生」に向かう世界観を伝えているのである。そのようなリアリズムとシンボリズムは、相矛盾することなく、この作品のプロットを運びテーマを提示しながら、作者が自らの周囲に見る両義的な世界を語り、作者と読者の豊かな対話をも生じさせている。さらに、そのリアリズムはシンボリズムを超えて、以前にも増して「死」に向かいがちな現代の読者に、自らを取り巻くあらゆる生命体を見つめ、自らの真の「生」に向かう知恵を伝えているのである。
著者
宮入小夜子
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.17-31, 2013-03-01

学生と社会人で「何のために働くのか」について対話を通して考える「ハタモク」のワークショップ(3時間)を2回実施し、事前、1回後、2回後の変化について、準実験的な方法による調査を行った。その結果、学生の社会人に対するイメージは、事前のネガティブなものが43.0%、ポジティブなものが18.5%だったのが、2回目終了時にはそれぞれ、24.6%と43.8%と逆転し、「実際に見た社会人」が大きな影響を与えている事がわかった。分散分析の結果、「職業進路成熟」「話し方」「特性的自己効力感」の各因子について調査時点の主効果が認められ、多重比較の結果、これらの各因子は事前の時点よりも1回後、および2回後の時点において有意に高かった。社会人との直接的な相互作用を通じて「気づき」を促進させるハタモクは、ポジティブな社会人イメージを形成し、自分の将来について考え、自分の言葉で話し、自信を持てるようになることが示唆された。大学のキャリア教育におけるプログラムとして、社会人との対話が学生の意識(社会人イメージ、キャリア成熟、対人スキルに関する自己認知、および特性的自己効力感)に影響を与え、学生たちの進路選択行動の遂行可能感を高めるのに有効であると考えられる。
著者
塩月 亮子
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.49-66, 2008-03-01

本稿では、沖縄における死の変容を、火葬の普及、葬儀社の出現、葬儀時の僧侶への依頼という3つのファクターから考察することを試みた。その結果、沖縄では近代化が進むなか、特に1972年の本土復帰以降、火葬場が多数設置されて火葬が広まり、土葬や洗骨の風習が廃れていったこと、および、今ではその多くが入棺が済むとすぐ火葬場へ行き、そこに隣接する葬祭場で告別式をおこなうという順番に変わったことを明らかにした。また、葬儀社の出現が、葬儀の均一化・商品化、仏教との提携をもたらしたことを指摘した。さらに、このような変化は、伝統的に死の世界を扱い、憑依などを通して人々に生々しい死を提示してきた民間巫者であるユタと、それらの慣習を否定し、新たに死の領域に介入し始めた僧侶との深刻なコンフリクトを生じさせていることも示した。沖縄におけるこのような葬儀の本土化・近代化は、すべて生者の側からの利便性・効率性の追求、換言すれば、死者や死の世界の軽視にほかならない。そのため、沖縄でも、これまでみられた生者と死者の密接な関係が失われ、今後は日本本土と同様、死の隠蔽・拒否が強まるのではないかということを論じた。
著者
長澤 泰子 太田 真紀
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.3-13, 2004-03-30

ことばの教室における教師と子どもの相互交渉を分析した先行研究において,われわれは,つらい経験を原因とする吃音への感情を理解するために,顔の向きや表情あるいは沈黙のような子どもの非言語的表現を受けとめることの重要性を報告した。本研究は臨床における教師のより好ましい行動を明らかにするために,引き続き,別の2人のコミュニケーション分析を行なう。教師と子どもが話し合う相互交渉2セッションをVTRに録画し,子どもと教師の発話,体・顔の向き,表情,視線,その他の行動を指標として分析を行った。教師は40代女性,子どもは吃音のある3年男児だった。2人は子どもの吃音にかかわる経験について話し合った。そのとき,教師はタイトル「どもってもいいんだよね」という吃音に関する教材を用いた。1週目の話し合いにおいて,絵本に関する子どものコメントの後,教師は吃音をからかわれたことがあるかを質問した。このとき,教師は子どもを見ていたが,子どもに体を向けてはいなかった。教師は子どもの返事を確認することなく,いじめに関する新たな質問をした。子どもは教師の質問に答えようとしたが,体や顔を教師に向けずに,今はいじめられていないと繰り返し述べた。2週目の話し合いにおいて,教師と子どもの相互交渉は改善されていた。教師は体と顔を子どもに向けながら話をしていた。子どもは,今はいじめられていないと繰り返すことはなかった。このとき,子どもは体と顔を教師に向けていた。教師は子どものつらさを思いやるような声で,いじめ経験の詳細について確認し,質問していった。知見は以下の通りである。(1)教師が子どもの気持ちを受け止めるとき,子どもは自分の経験や気持ちを語る。(2)教師の気持ちは,体や声の調子などの非言語的行動に表れる。(3)教師の行動は子どもの行動によって影響され,子どもの行動は教師の行動によって影響されている。